14

放課後を告げるチャイムが鳴り響く。
遠くから聞こえる忙しない声には、天馬たちのものも混じっていた。

「……はーぁ」

欠伸とも溜め息とも取れる声を漏らし、依織は鞄を担ぐ。
何となく視線を隣に向けると、既に剣城の姿はそこにはない。サッカー棟に行ったのだろうか。

「(これでサッカー部も爆弾抱えたってことか……)」

内部と外部からの抑圧を受け、このままいけば雷門サッカー部もいずれは完全にフィフスセクターの言いなりになってしまうのだろう。

「(天馬たちは、……どう思うのかな)」

失望するだろうか、絶望するだろうか。
それとも、それをもはね除けて、希望に変えてしまうのだろうか。
──出来る気がする。天馬になら。

「生粋のサッカー馬鹿だしな」

少し楽しげに小さく呟いて、依織は教室を後にする。
目指すは幼馴染みの元だ。




「久しぶり、依織!」

稲妻総合病院、2階。
病室へ訪れるなり明るい表情で出迎えてくれた幼馴染みに、依織は少し呆れた顔になる。

「久しぶりって……たった1週間だろ」
「僕からしたら久しぶりなんだよ」

頬を膨らませる幼馴染みを「はいはい」とあしらい、依織は椅子に腰かけた。

雨宮太陽──それが、彼の名前だ。
幼少期、叔母一家の家に預けられていた頃、隣家に住んでいた太陽とよく一緒に遊んでいた記憶はまだ鮮明に残っている。
小学校に上がる春に依織は親元へ戻ったが、以来ずっと文通で交流を続けていた。

依織ちゃん依織ちゃんなんて言って、雛鳥みたいにくっつかれていた頃が懐かしい。
そんな思い出に浸る依織に、太陽は何かオバサンみたいな顔になってるよ、と呟いた。太陽の失礼な発言は聞かなかったことにして、依織は鞄を漁りながら口を開く。

「そういやさぁ、太陽。さっき途中で冬花さんに会ったんだけど。お前、今日また脱走しようとしたんだって?」
「うぐぅっ……」

ギクリと身を竦めた太陽に、依織は呆れた溜息を吐いた。
太陽が病室を脱走するのは、最早日常茶飯事だ。しかし、時と場合に寄っては、彼女もそれに厳しく当たらなくてはならない。

「明日、定期検査の日だろ? 前日くらい大人しくしとけって、前も言ったじゃんか」
「ううっ、そうだけどさ……」

「下で、小さい子たちが……」ごにょごにょと言い訳しながら、太陽は窓の方へ視線を逃がす。
すぐ外にあるのは病院の中庭だ。少し腰を浮かして窓の外を伺うと、退院を間近にしているのであろう子供たちが、サッカーボールを追いかけているのが見えた。

「僕だってサッカー、したいもん……」
「……気持ちは分かるけど、もうしばらく辛抱しろ。一応、回復には向かってんだろ」

おばさんが言ってた、そう小さく付け足しながら、依織は椅子に腰掛け直す。
太陽は、昔からサッカーが好きだった。
才能もあり、小さい頃はよく一緒にサッカーボールを追いかけては、「2人とも将来はサッカー選手ね」などと叔母たちに言われていたものていたものだ。

しかし、年を重ねるごとに彼の病気は悪化し、今では病院に缶詰されている。
親切な方が、あの子の治療のバックアップをしてくれることになったの──彼の母親が嬉しそうに話してくれたことは、まだ記憶に新しい。

「我慢も必要なんだよ。耐えろ」
「ああああーっ、サッカーやりたいなぁぁ」
「やかましいッ」
「いたっ!」

ぱこん、丸めたノートで頭を叩かれ、太陽は少し涙目になる。
依織がこうして定期的に彼の見舞いに来るのは、何もこうして説教を垂れるためだけではないのだ。

「ほら、鉛筆出して。ちゃんと勉強しとかねーと、学校行った時に困るのはお前だぞ」
「うー、算数嫌いなのに……」
「中学では算数じゃなくて数学って呼ぶんだよ、おバカ」

ノートと教科書を広げさせ、依織は嫌そうに鉛筆を動かす太陽の後ろ頭を見下ろす。
太陽はサッカーに関しては、確かに神がかりな才能を持っている。──が、その代わり他の点に関しては凡人、もしくはそれ以下だった。

「……多分、お前の才能は全部運動神経に持ってかれちまったんだろうなぁ……」
「やだな依織、急に誉めたりしてどうしたの」
「誉めてねーよ、遠回しに貶してんだよ」

「そこ、マイナスじゃなくてプラス」諦めたような溜め息を吐きながら訂正を入れた依織に、太陽は素直に消しゴムを握りしめる。
そしてマイナスを少し歪なプラスに書き直すと、彼は突然そうだ!と思い出したように顔を上げた。

「サッカーと言えば……依織、見てコレ!」
「あ?」

太陽が小脇の戸棚から取り出したのは、1冊の雑誌だった。表紙に大きく印刷されたタイトルに、依織は目を瞬く。

「これ、先々週のサッカー雑誌じゃん。買い損ねたんじゃなかったのか?」
「えっへっへ……」

にんまり笑って、太陽は週刊中学サッカー≠ニ印刷された雑誌を抱き締めた。
確か先々週はもうすぐ開催されるホーリーロードの特集が組まれ、売り切れてしまって買えなかったと嘆いていたはずだ。

「隣の病室にいるお兄さんが貸してくれたんだ! 依織、一緒に読もうよ」
「このページの問題解き終わったらな」

「依織のけち!」頬を膨らませた太陽は、依織に一睨みされて大人しく鉛筆を動かし始める。
その横顔を、依織はそっと窺う。太陽もまた知らない側≠フ人間の1人だ。
せめて、彼が伸び伸びとサッカーの出来る体になる頃には、この問題を解決することが出来れば。

「……おい太陽、何だその鉛筆。何で数字が書いてあるんだ」
「友達に貰ったんだけど凄いんだよこれ、選択問題負け無し」
「答えを運に頼るな!!」




──結局彼が問題を解き終え、2人でサッカー雑誌を覗き込み始めた頃には、すっかり日が暮れていた。

「っと……もう時間ギリギリだな」

「そろそろ帰るわ」言いながら依織は鞄に教科書やノートを突っ込んで立ち上がる。
また明日、とにこやかに手を振る太陽に手を振り返し、依織は病室を出た。

「(……消毒液のにおい)」

依織は小さく目を伏せる。
病院の空気が、彼女はどうしても苦手だった。この匂いは、昔のことを思い出させる。
だから太陽にも早く元気になってほしい。明るい日の下に出てほしい。そして昔のように一緒にサッカーがしたいのに、彼は気持ちが逸りすぎていて、自分でそれを手離していっているように見える。

せめてもう少し大人しく療養してくれたら、退院も早まるのに──依織は溜め息を吐いて、角を曲がった。

「おっ、と」
「うわ」

視界の先にパッと現れた車椅子に、依織は思わず声を上げる。
車椅子を押した看護士は驚いたように目を丸くして苦笑いした。

「君は、太陽くんの……驚かせたね、悪かった」
「ああ、いや……こっちこそすいません」

看護士の顔には見覚えがある。ここ1年、太陽の見舞いに来る際に何度かすれ違ったことがあった。ふと視線を下げると、その車椅子に乗った青年と目が合う。

「足、ぶつけなかったかい?」
「平気です、大丈夫。こっちこそすいません」

足をプラプラさせて言うと、彼は優しく微笑んだ。
心優しそうな内面が見てとれる笑顔だ。一瞬誰かに似ているような気もしたが、きっと気のせいだろう。

「じゃあ、また」
「はい」

小さく笑った看護士に会釈し、依織は車椅子を見送る。
太陽の病室の隣に吸い込まれていった車椅子に、彼女はあれ? と首を捻った。

「(隣……ってことは、あのお兄さんが雑誌貸してくれた人なのか)」

確かに、あの人の良さそうな雰囲気は太陽が懐くのも納得できる。
依織は自分の兄貴分である人間たちを一瞬思い浮かべ、苦虫を噛み潰したような顔になった。

その時、ふとポケットに入れた携帯のバイブレーションが着信を訴える。
院内で通話に出るわけにはいかない。依織は急ぎ足で病院を出ると、ディスプレイを見る暇もなく携帯を耳に押し付けた。

「もしもし?」
『鷹栖、私だ』

聞こえてきた低いトーンの声に、着信が久遠だと知る。
依織は一瞬辺りに目をやり、人がいないことを確認すると口を開いた。

「どしたんですか、久遠さん」
『練習試合の日取りが決まったのでな』

続いた言葉に、依織は顔をしかめる。
「……いつですか」苦い声で尋ねると、久遠は言った。

『次の日曜──勝敗指示も出ている』
「マジっスか。やだなぁ、どうせ負けろって言ってきたんでしょう」

わざとおどけた風に言うと、久遠が大きく咳払いをする。
真面目に聞け、と言われた気がして、依織は顔を顰めて居住まいを正した。

「それで……私にどうしろと?」
『試合を観に来い。先日も言ったが、改めて現状を見ておいた方が良い』

うげ、と漏れそうになった声を、彼女は押し殺す。
現状を見ておいた方が良いと言われても。依織は眉間一杯に皺を寄せた。

「もう十分、って感じなんですが……」
『……松風たちの初試合だぞ』

少し間を置いて言われ、依織はぐぅっと唸る。
ここで天馬たちの話を出すのは卑怯だ。

「友達の負け試合をわざわざ観に来いってんですか」
『勝敗はこの際関係ない』

「必ず何か、得るものがあるはずだ」きっぱりとした声音で言われ、依織は大きく息を吐き出す。
頭上を見上げると、鴉が飛び交う空には既に、ポツポツと星が輝き始めていた。

「……分かりました、行きますよ。で、場所は?」
『栄都学園だ。……ああ、それと』

はい、と答えかけ、依織は首を傾げる。
そして次に続いた言葉に、彼女は思いきり怪訝そうな顔をした。

『鬼道から伝言だ。来週の火曜に、目金の所へ行くようにと』
「は? 目金さんとこって……何でまた」
『詳しいことは聞いていないが、恐らく例の件のことだろう』

はぁ、と気のない返事を返し、依織は首を捻る。目金とは一度顔を会わせただけの間柄だ。
彼のところに行って何をしろと言うのだろうか。

『目金の住所はまた後日教える。では、また学校で』
「えぁ、はい……」

ぷつ、と切れた通話に、依織は携帯を耳から離した。久遠を始め、自分の周りには少し強引な大人ばかり集まっている気がする。

「……帰ろ」

きっと、後日の昼休みには天馬たちが試合に出れることを嬉々として伝えに来るのだろう。
鞄を揺らし、依織は明日のことを想像しながらゆっくりと帰路に着いた。