月明かりに照らされた夜道に虫の声だけが響く。
「……依織……!?」
一瞬の静寂の後、天馬は呆然と依織の名を呟いた。
一体何が起きたと言うのだろう。
依織が何かを話そうとした時、突然彼女の足下が光ったと思えばそこだけ真っ暗になり、次の瞬間剣城が走り出して──依織は、その暗闇の中へ吸い込まれていった。
さっきまで依織の立っていた場所には、膝を突いた剣城がいる。そこへ駆け寄ったワンダバが、突然大きな声を上げた。
「──時空間ダストボックス≠ゥ!!」
「何だって?」
ワンダバが地面から拾い上げた物を慌てて受け取ったフェイは、本当だ、と苦い顔をしてそれを見つめる。
「時空間ダストボックスって……?」
「……数年前に不要資源を別の時代に棄てることが出来るという文句で開発された、小型の転送装置だよ」
「しかし当然そんなことをすれば、別の時代の環境が汚染される。いずれ未来の環境問題に繋がるとして、発売中止になった商品なのだが……」
まさかこんな形でで利用してくるなんて、とフェイは悔しげにそれを握り締めた。あの時放たれた光は、これを悟られぬよう依織に仕掛ける為の目眩ましだったのだ。
「今はそんなことは良い──鷹栖はどこへ消えたんだ?」
立ち上がった剣城が焦りの滲んだ強い口調で言うと、ワンダバは困ったように顔をしかめて「それが問題なのだ」言った。
「恐らくどこか別の時代に転送されたことは確かだが……ダストボックスがどこの時代のどんな場所に繋がるのかは完全にランダムで、使用者にも分からないのだ……!」
「別の時代って……どうして依織だけ!」
弾かれたように声を荒らげたのは葵だ。青ざめた彼女の目元は、依織が突然消えたショックで微かに濡れている。
その問いにフェイは答えられない。それは、と言い淀んだフェイを、一行は深刻な表情で見つめる。ややあってワンダバがフェイの腕をぽふんと叩いて言った。
「フェイ、ワタシはタイムマシンに戻り依織がどの時代に飛ばされたのかブレスレットの位置情報を解析しよう。もしかしたらシェルターに避難しているかもしれないしな。お前は……彼らに、あの件の説明を」
「でも、依織は言わないで欲しいって……」
「遅かれ早かれ、話す機会は必ず来ていた筈だ。……それが、今来ただけなのだ」
ではな、と言い残したワンダバは、道から外れ最短ルートでタイムマシンを隠してある山の方へ大急ぎで走って行く。
それを見送ったフェイは、じっとこちらを見つめる天馬たちに一瞥を向け、やがて諦めたようにふにゃりと眉を下げた。
「……まずは一度、拠点に戻ろう。そこで話すよ。……依織が君たちに、秘密にしてきたこと」
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小さな蝋燭の火に照らされて、9人分の影がのっぺりと床に落ちる。
「──サッカーが出来ない未来で……」
「依織が、死ぬ……!?」
フェイからの話を聞いた天馬と葵は、震える声で呟いた。うん、と硬い表情で頷くフェイに、そんな、と葵は顔を両手で覆う。
顎を摘まみ、神童が自分の考えを確認するような口調でフェイに尋ねた。
「つまり、そのSSCの力に目覚めかけているせいで、エルドラドは鷹栖を狙っている……そう言うことだな」
「けど、奴らはSSCを消すために歴史を変えようとしとるんじゃろう? なのにどうしてわざわざ鷹栖を捕まえる必要があるんじゃ」
「実験体とか……SSCの対抗手段を考える為、とか?」
「じ、実験体!?」
ぼそりと言った茜に、信助がぶるりと体を震わせる。
小さく頷き「その可能性が高いだろうね」と茜の意見を肯定して、フェイは続けた。
「彼女の力は、恐らくもうブレスレットでは制御しきれていないと思う……強い感情であればあるほど、依織はそれを見透かしてしまう」
エルドラドもそれを察知して、ついに強硬手段に出たんだろうね──とフェイが締め括ると、室内は重たい沈黙で包まれる。
アルファやベータは、最初の接触以降は雷門イレブンを処分した後に依織を捕獲する作戦だったようだ。
対し、新たなルートエージェントであるガンマは、強制的に目標を孤立させ完全に退路を断った上で捕獲に臨むつもりらしい。
ぱちぱちと火鉢の中で小さな火の粉が跳ねるのを見つめ、ふいに剣城の低い声が沈黙を破った。
「あいつは……鷹栖は、どうして今までそれを黙っていたんだ。話す機会なんて、今までいくらでもあった筈なのに」
「余計なことを言ってみんなにプレッシャーを掛けたくない……依織はそう言ってたよ」
眉根を寄せて答えたフェイに、「余計なことだと?」と剣城は奥歯を噛み締める。
「自分の命が掛かった話の、どこが余計なことなんだよ……!」
憤りをぶつけるように木張りの床を殴りつけ、呻いた剣城に一同は悲しげに項垂れた。
「(あの時、俺が無理にでも話を聞き出してたら)」
冷たい言葉を投げかけられて、泣きそうな顔をしていた彼女からあのまま目を逸らさずにいたら──観念して、話してくれたのだろうか。
──そんなことを考えても、全ては後の祭りだ。
「……今、俺たちに出来ることはワンダバからの知らせを待つことだけだ。あれこれ議論しても仕方ない」
慰めるように肩を叩いてきた神童に、そうですね、と剣城は俯いたまま小さく頷く。それでも、その顔からはまだ納得が行っていない様子がありありと見て取れる。
「依織の転送先が分からないのはエルドラドも同じな筈だ。明日の朝になれば、きっとワンダバが依織の居場所を突き止めてくれるよ」
「……そうだな。明日に備えて、今日はもう休もう」
お前たちもそれで良いな、と神童が優しく声を掛けたのは天馬と葵だ。2人は沈んだ表情で頷き、のろのろと就寝の準備を始める。
勝利の余韻など、最早欠片も残っていない。
混乱と不安に苛まれながら、一行は床に就く。明かりの消えた室内で、剣城は険しい表情で天井の木目を睨みつけていた。
「分かったぞおお!!」
「うわっ!?」
引き戸が縦枠に叩き付けられるけたたましい音と天地を揺るがすような雄叫び染みた声に、浅い眠りに着いていた天馬たちは驚いて跳ね起きる。
いつのまにか外はもう朝だ。戸口を見ると、朝日を背にワンダバが仁王立ちしている。
「ワンダバ、分かったって……」
「依織の居場所だ!!」
「ッ本当か」
布団を撥ね除けた剣城がいの一番に立ち上がる。転がるように駆け寄ってきた一行に、ワンダバは自慢げに頷いた。
「どうやら何かのショックでブレスレットが故障したらしく、位置データの解析に中々時間が掛かってな……」
「そ、それで!? 依織は今どこにいるの!?」
重たい瞼を擦りながらも天馬が食い気味に尋ねると、ワンダバは咳払いの後真面目な顔になって答える。
「解析によると、依織が転送されたのは──」
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──地面が不規則にゆっくりと揺れている。
頬に張り付いた髪がやけに不愉快だ。寝返りを打とうとすると、体が上手く動かせないことに気付く。
「……う……っげほ、けほっ!」
意識が浮上すると同時に口の中一杯に広がった塩の味に、依織は思わず噎せ込んだ。
「おっと、ようやくお目覚めか」
「……っ!? だ、誰……?」
聞いたこともない野太い男の声に、ハッと目を開く。
古ぼけた木の壁で出来た狭い部屋。所々に雑多に置かれた樽や纏められた荒縄。見たことのない場所だ。
咄嗟に立ち上がろうとして、自分の異変に気が付く。服がやけに湿っている──おまけに、縄で体を柱のような物に縛り付けられている。
「な、何!? 一体何がどうなって……」
「お前さんはなぁ、波打ち際に打ち上げられていたのを俺が見つけて拾ってきたのよ。乗ってた船が転覆でもしたか? 不運なこったなぁ」
顔だけ動かすと、日に焼けたずんぐりとした男が空の瓶を片手に壁にもたれ掛かっていた。
男は目を白黒させる依織を見て、面白そうに喉の奥で笑っている。
「だが安心しな。お前さんの不運も今日まで……あと3日もすれば、物好きな金持ちがお前を大金叩いて買ってくれることだろうよ」
「か、買う……? 私を?」
「そうさ、異国の女は高く売れるからな」
ざあ、と依織は自分の血の気が引いていく音を聞いた気がした。
男は酒瓶を木箱の中に放り投げ、青ざめた依織を見てげらげらと声を上げて笑う。
「そう恐がるなよ嬢ちゃん。俺ぁガキには興味がないから、お前には手を出さねえ。他の奴らはどうだか分からねえが……大事な商品だ、そう粗末には扱わねえよ」
「……ッ」
男の瞳から滲む不愉快な感情に、依織は唇を噛み締めた。
今までぶつけられたことのないその感情は、正体こそ分からないものの酷く気持ちが悪いと感じる。どうせ碌なものではないのだろう、と当たりを付けて、依織は改めて自分の状況を確認した。
「(波打ち際に打ち上げられてた……私が? あの時、一体何が起きたんだ……!?)」
服装は最後に着ていた着物のままだ。男が依織を『異国の女』と判断したのはこの服装の影響があるのだろう。
男の顔立ちは明らかに日本人のそれではないが、言葉は通じている。戦国時代にタイムスリップする前にフェイから預かった翻訳装置は装着されたままのようだ。
──あの時。
足下が淡く光った次の瞬間、見間違いでなければ立っていた地面が急になくなったように見えた。
誰かが自分の名前を呼んだような気がしたが、定かではない。反射的に伸ばそうとした手は宙を掻いて、内臓が浮き上がるような感覚に襲われて──そこから先の記憶が途切れている。
「(……もしかしなくても、私……)」
頭を満たす嫌な予感に、額から冷や汗が流れたその時だ。
ずん、と地面が大きく揺れて、部屋の外がにわかに騒がしくなる。ギョッと目を見開いた男は慌ただしく扉を開け、外へ飛び出した。
「どうした!?」
「敵襲だ!! 最近ここらを縄張りにしてる女が現れやがった!!」
狂ったような怒声に混じる野太い悲鳴、金属のぶつかり合うような激しい音に依織は思わず身を竦める。
とにかく誰もいない内に逃げなければ、と依織は何とか体を捩ってブレスレットに触れる。転送装置のボタンを押せればこっちのものだ──指に触った凹凸を、依織はえいっと押し込んだ。
スコッ。
「……ん?」
スコッ。スコッ。
確かにボタンらしきものを押し込んでいる感触はあるのだが、やたらと軽い。その上、この場からどこかに転送される気配もない。
「う、嘘だろ……」
まさか海に落ちたせいで壊れてしまったのだろうか。せめて腕だけでも縄から引き抜こうとするが、中々上手く行かない。
それから数分が経つと、外の騒ぎは少しだけ小さくなったようだった。
縄は相変わらず依織の体をがっちり固定したままだ。もがき疲れてぐったりとした依織の耳に、ふと今までの喧噪とはまた様子の違う声が届く。
「──全く、こんな大きな船なのに宝石の1つもないなんて、拍子抜けも良いところだわ」
「所詮は奴隷船の成れの果てなので……仕方のないことかと……」
1つはどこか憤慨したような女の声。もう1つはそれを宥める低い男の声だ。
声の主たちの足音は段々と近付いてきて、やがて叩き付けるような勢いで依織の閉じ込められた部屋の扉が開いて、2人の男女が姿を現した。
「……あら!」
太陽の光を反射して、輝く金色の瞳が瞬く。
天鵞絨のように滑らかに艶めく赤みがかった褐色の髪を1本の三つ編みに結い上げたその女性は、依織を見下ろすなり嬉しそう笑った。
「あるじゃないの、面白そうな『お宝』が!」
「えっ……」
躊躇なく依織に近付いた女は、腰に差した短剣を抜き縄を手際良く断ち切る。
そして困惑する依織の手を引いて立ち上がらせると、彼女を爪先から頭の天辺までしげしげと観察した。
「うん、特に怪我はないわね。さ、いらっしゃい」
「えっ、えっ?」
そのまま女は依織の肩を抱くようにして彼女を部屋から連れ出す。
外界の眩しさに一瞬目を細めた依織は、次の瞬間視界に広がる光景にあっと声を上げた。
「海……!?」
空との境界線も分からなくなる、ハッとするような一面に広がる青色。
やはりここは船の上。あの時自分は穴に吸い込まれ、海に落とされたのだ。そして運良く溺れ死ぬ前に砂浜に打ち上げられたところを、先程の男に発見された──と言うことだろう。
よくよく見ると船は2隻あり、1隻の先端部分が依織が今いる船の側面に突き刺さっている。初動の大きな揺れはあれが原因だったようだ。
ふと周囲を振り返ると、そこで初めて足下に赤黒い液体が所々に飛び散っていることに気が付いた。
「う……!?」
「……あまり見ない方が良い。子供が見て面白い物はない」
「ちょっと痛めつけただけよ、重傷者は出てないわ」
強面の男の言葉に素直に従い海の方へ顔を背けた依織に、女は軽い調子で言う。
あちこちから不機嫌そうな唸り声や痛みに呻く声が聞こえてくる。ちらりとそちらを見ると、先程依織を見張っていた男が縄でぐるぐる巻きにされて床に転がされているのが見えた。
「船長! そいつは……?」
「奴ら曰く、『大事な商品』だそうよ。奥の倉庫で柱に縛り付けられてたの。それよりケント、みんなを集めて。撤収するわ」
駆け寄ってきたのは依織とそう歳の変わらない少年だ。
小さく頷きどこぞへ走って行った彼を視界に入れて、何だか雰囲気が剣城に似てるな、と依織はぼんやりと思いながら連れて行かれるがまま丈夫そうな木の板を渡ってもう一隻の船へと移動する。
「おかえりなさ〜い、船長!」
「ただいま、みんな!」
甲板へ降りると、3人の女性たちが笑顔でこちらに駆け寄ってきた。一緒にこちらの船へやって来たのは女に付き従っている強面の男と先程ケントと呼ばれた少年、他5名の男たち。
「船を出すわよ。錨を上げて、ベルンハルド」
女が言うと、ベルンハルドと呼ばれた強面の男は海底に沈んでいた大きな錨を引き上げて、同時に船員たちがあちこちに走り回って出航準備を始めた。
「では──出航!」
花飾りの付いた帽子を被り直し、女は声を張り上げる。
張られた帆に風が吹き込むと、船はゆっくりと海上を滑り出す。奴隷船と呼ばれた船は段々と遠ざかり、聞こえていた船員たちの罵倒もやがて届かなくなった。
「さて──あなた!」
「へっ」
呆然と小さくなりゆく奴隷船を見つめていた依織は、我に返って肩を叩いてきた女を振り仰ぐ。
女はやけにキラキラと輝く瞳で依織の顔を覗き込みながら尋ねた。
「あなた、この国の人間じゃないわよね? どこの生まれ? 歳は? 名前は?」
「え、あ、えっと」
「船長、落ち着いて。お嬢ちゃん困ってますよ」
木箱に腰掛けた小太りの小柄な男が苦笑すると、女は「あらごめんなさい」とあっさり依織を解放する。
何とか平静を保ちながら、依織はちらりと女と目を合わせた。伝わってくるのは強い好奇心。対し、周りの船員たちからは同情と猜疑心が伝わってくる。
「お前は……どこから連れて来られた? この近場の港であれば、送り届けてやれるが……」
「あ……」
ベルンハルドと呼ばれた男の問いに、依織は眉根を寄せて俯いた。
明らかに日本とは違う場所。下手すると時代すら違うだろう。そうなれば、彼らに依織を元の場所に送り届けることは出来ない。
考え込む依織を見て、女はにっこり笑って言った。
「ねえ、帰る場所がないならしばらく私の船に乗らない?」
「えっ?」
「船長……」
突然の提案に、男衆はどこか呆れた顔になった。良いじゃないの、と言い返した女は依織の肩を抱いて鼻を鳴らす。
「こんな不安そうな女の子をこのまま1人になんてしておけないわ。それにあなた、異国の人でしょう? 他の国での話、私聞いてみたいの!」
「後半の方が本音ですね……」
「ねえ、そうしましょ?」と女は輝く目で依織を見つめてくる。それは、と俯いた依織の目に、壊れてしまっただろうブレスレットが映った。
「……仲間がいるんです。今もきっと、私を探してる」
依織がここに落とされたのは十中八九エルドラドの仕業だろう。だとすれば、天馬たちもまたそれを知って依織を見つけるために行動を始めている筈。
それにどこかの港に置き去りにされたところで、1人で天馬たちの迎えを待つのはあまりにも無謀だ。
「みんなは絶対に私を見つけてくれる。だから、仲間と合流出来るまでの間だけ……私を、この船に置いてもらえませんか」
仲間たちが見つけてくれるまで、何としても生き延びなければ。
じっと女を見上げれば彼女は依織の目を見つめ返し、ややあって「良い目をしてるわね」と口角を上げる。
「良いわ、その条件を呑みましょう! ただこの船にいる間はあなたにもきちんと働いてもらうから、そこはそのつもりでね?」
「は、はい! ありがとうございます!」
頭を下げると、また船長の悪い癖が出た、とケントの猜疑心の滲む呆れた声が聞こえてくる。「うるさいわよ、ケント」と一声飛ばし、彼女は依織に片手を差し出すと輝くような笑顔で言った。
「私はこの海賊団の船長、アルビダ。気軽に船長とお呼びなさい!」
「……海賊?」
ぱちくりと目をしばたいた依織に、気付いてなかったの? と女──アルビダは小首を傾げる。
ハッと頭上を見上げればマストの天辺に黒い海賊旗が海風にはためいているのが見えて、依織は思わず気が遠くなったのだった。