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「それで、サッカーって何なの? イオリ」
「ええっと……」

せめて5分彼らに説明する時間をあげよう──と余裕綽々でせせら笑ったガンマに歯軋りをした後、依織は好奇心を抑え切れていないアルビダと訝しげに首を傾げている船員たちに困り果てた表情になった。

猶予を与えられたのは温情か、それとも説明したところで勝てないと踏んでいるのか、どちらが理由だとしても腹立たしいことに変わりはない。
どのみち依織1人だけでは勝率が低いのは事実だ。ここは彼らに協力を仰ぐ以外に依織に道はないのである。

「──つまり、あのボールって言う丸いのを足だけ使わずに相手の陣地により多く入れた方が勝ちってわけだな。何だ、簡単じゃないか」
「言うだけならな……」

サッカーについての簡単な説明を聞き終え、鼻を鳴らしたケントに依織は首を振ってちらりと敵船の方を窺った。

察するに、ガンマ本人はこのサッカーバトルに参加する意思はないらしい。
出るのは彼がマインドコントロールで操っている海賊たち。恐らく、白鹿組の時のように彼らもまたある程度の能力をガンマから与えられている筈だ。

「それじゃあ、早速奴らの船に乗り込んでそのサッカーバトルと言うのを開戦しましょう!」
「はい──でも、船長は参加しないで下さい」

「どうして!?」意気揚々と船と船の境目を跨ごうとしたアルビダは、依織の制止に片足を縁に乗せたまま勢い良く振り向く。

「船長には、外野から選手……えっと、戦ってる船員の動きを指示して、統制して欲しいんです」
「ええ〜っ! せっかく異国の流行を体験できる機会だと思ったのに……」
「まぁまぁ、船長。ここは経験者の意見を聞きましょうや。それでイオリ、メンバーはお前含めあと4人必要なんだろう?」

誰を選ぶんだ、とアルビダを宥めつつ話を促したリュリュに、依織は船員たちをざっと見回した。
体つき、脚の速さ、リーチの長さ、依織が行動を予測しやすそうな人物。それぞれに当たりを付けて、依織は慎重に口を開く。

「──ベルンハルドさん、リュリュさん、サムエルさん、それから……ケント。この4人にお願いします」
「あぁ? 何で俺が!」
「『簡単』そうに見えたんだろ?」

真っ先に抗議したケントに即座に言い返すと、ケントは悔しそうにぐぬぬと口を閉じた。
他の船員より年若く未熟な部分が多いせいだろう、彼は直情的で行動が予測しやすい。ベルンハルドは上背もあるし、あの怪力と瞬発力はキーパーに打って付けだ。リュリュは見た目に反しすばしっこく、サムエルは足が長い。リーチが長いのはスポーツ全般において有利に働く。

「(きっと、有兄さんも私と同じ人選をする)」

少ない手駒でどうチームを勝利に導くか。依織とて、伊達に鬼道や円堂の元で研鑽を積んできたわけではない。彼らの指導者として采配は、彼女の脳裏に今もしっかりと焼き付いている。
それを、今この場で、自分の力として奮うのだ。

「──最初の攻め手は私1人がやります。みんなはしばらく、敵がボールを持って近付いてきたら得点されないよう妨害をして」
「殴って止めるのは有りか?」
「ダメ」

幸先が不安だ。真顔で尋ねてきたケントに即答して、依織は深呼吸もそこそこに相手の船へと乗り込んだ。

「ルールは先に2点入れた方が勝ち。それで良いかな」
「ああ」

甲板の上、通常のフィールドより二回りは狭い空間に5人一組のチームが相対する。
いつもと違うメンバー、違う環境。あまりにアウェーな状況だ。しかし、これに負ければきっと依織に後はない。
にやつく敵船員からボールを受け取った依織は、甲板を一望出来る場所に置いた木箱の上で悠々と足を組んで座っているガンマを果敢に睨みつけた。

「それでは、始めようか」
「へい!」

ガンマが軽く片手を上げたのを合図に、下っ端の男がホイッスルによく似た霧笛らしきものを思い切り吹き鳴らす。

「……っ」

やはり腐っても船の上。足下は常に揺れ動き、安定感はない。ボールを軽くケントに送り、走り出した依織は思わず顔をしかめた。
だが今更四の五の言ってはいられない。辿々しい動きでボールを押さえたケントに、依織は肩越しに振り返り声を上げた。

「ケント、ボールをもう一度こっちに! 爪先じゃなくて、足の側面を使ってボールを蹴って!」
「そ、側面?」

「こうか!?」ぎこちなく送り出されたボールは不規則に跳ね転がるが、この程度は想定内だ。素早く予測落下地点に滑り込んだ依織は、そのままドリブルで敵陣へ切り込んだ。

「へへっ、1人で乗り込んでくるとは威勢の良い嬢ちゃんだな!」
「そいつをこっちに寄越しなぁ!!」

下卑た笑いを貼り付けて、体格の良い男たちが目の前に立ち塞がる。
──いくらガンマから力を与えられていようが、彼らが元はサッカーの素人であることに変わりはない。

「悪いけど、あんたら見たいな三下の悪者相手にすんのは慣れてンだよ……! ──サンダーレボルト!!」
「ぎゃあッ!?」

目の前に落ちた雷の一閃。男たちの体は衝撃に吹き飛び、それを見たアルビダは興奮に目を輝かせた。

「すごいすごい! なぁに今の!」

今朝までどこか意気消沈して物静かだった少女が、あのボールと共に走り出した瞬間別人のようになってしまった。フィールド入りした4人もまた、依織の変化に目を瞬いている。

「ヒュウ! やるじゃないか!」
「お、俺たちゃどうすりゃ良いんだ?」
「このまましばらく陣地を守る……様子見だ」

軽く口笛をサムエルにリュリュが慌て、ベルンハルドは落ち着き払った様子でちらりとアルビダを窺った。
アルビダはバトルを見るのに夢中になって、まだこちらに指示を出そうとする様子はない。だが、それも今だけのことだろう。

敵陣に切り込んだ依織は、伸びてくる足から何とかボールを守りキープし続ける。
狭く不安定なフィールドは予想以上に動きにくい。顔を顰める依織に、はは、と海賊たちが笑い声を上げた。

「船の上は慣れねえか? 可哀想になぁ!」
「あっ!」

死角からのチャージを避けきれず、ついに依織は転倒する。
彼らは長年の船上生活で揺れる足場には慣れている。敢えてボールをキープさせ続けることで、依織が疲れ注意が散漫になるタイミングを窺っていたのだ。

「っケント、リュリュさん、サムエルさん! そいつらを通さないで!!」
「お、おう!」

それまで呆然と依織のサッカーを見守っていた3人は、突然の出番の訪れに肩を揺らす。

「そんなへっぴり腰で止められると思うなよ!!」
「くッ……!?」

姿勢を低く保ったドリブルに、ケントとサムエルが瞬く間に抜き去られる。ボールを追い掛けながら依織は咄嗟に声を張り上げた。

「リュリュさん、斜め方向からスライディング!!」
「よっしゃあ!」

依織の具体的な指示に従い、突っ込んできた海賊の足下にリュリュが素早く体を滑り込ませる。
爪先を掠めたボールはあらぬ方向へ飛んでいき、フィールドの外へ転がっていった。依織はホッと安堵しながら起き上がるリュリュに駆け寄って行く。

「ナイス、リュリュさん!」
「だろ? へへ……中々面白いじゃねえか!」

依織の指示に従ったとは言え敵の進軍を食い止めたのだ。リュリュは誇らしげな顔をして鼻の下を擦る。
バトルを仲間たちと観戦していたラウラは、いつの間にか詰めていた息をほう、と吐き出した。

「サッカー、って言ったかしら……何だかいつもの戦いとは違って、見るのが楽しいわ! ねえ、船長?」
「…………」

ラウラの隣に立つアルビダは答えず、顎を摘まみ何やら思案げにぶつぶつと呟いている。

「敵陣を切り開き、戦士を防壁から脱し点を取る……成る程、駒を自由自在に動かせるネファタフルみたいなものかしら」
「……船長?」

再度ラウラがアルビダに声を掛けるのと、よし、と彼女が呟いたのは同時だった。アルビダはフィールドの際までやってくると、ケントたちに向かって声を張り上げる。

「あなたたち! 今から私が出す指示に従って動きなさい、前線を押し上げて依織に点を取らせます!」
「へい、船長!」
「それから……ケント!」

ふいに名前を呼ばれたケントは、はい、と少し目を見開きながら声を返す。アルビダは口角を上げ、見透かしたような声音で言った。

「どんな戦いでも、共に戦う仲間を信用しなければ勝てるものも勝てない。……私の言ってる意味、分かるわね?」
「……はい」

ケントはちらりと依織を一瞥して、苦虫を噛み潰したような顔になって頷く。
アルビダは満足そうに鼻を鳴らすと、上着の裾をマントのように翻して声を荒らげた。

「さあ、あなたたち! 私たち海賊団に勝負を挑んだこと、彼らに後悔させてあげましょう!!」
「おおッ!!」

フィールドの4人、外野の仲間たちが呼応するように雄叫びを上げる。顔を顰めたガンマは、野蛮な、と呟いて耳を塞いだが、今の依織にとっては心強いものだった。

「まずは前線を上げるわ! サムエル、ボールを奪って前へ! ケントは敵陣に入って待機!」
「ええ!」

サムエルは長い足を伸ばし、投げ込まれたボールを敵が押さえる前にすくい取るようにして奪う。
見よう見まねでそれをキープするサムエルに、依織が更に指示を出す。

「サムエルさん、ボールを小刻みに蹴って走って! 速く走る必要はありません、ボールが足からなるべく遠離らないように注意して!」
「中々難しいことを言うね……!」
「リュリュ、あなたは中盤までサムエルと並走! ボールを奪われないように援護するのよ!」
「へい、船長!」

フィールドの中と外、依織とアルビダの指示を受けて、彼らは少しずつ前線を上げた。

やはりアルビダを監督側に置いて正解だった、と依織は確信する。
彼女の指示はついさっきサッカーを知ったばかりだというのに的確だ。仲間の特徴をよく理解している部分も大きいのだろう。

サムエルの周りはリュリュがちょこまかと動き回り、ボールを奪おうとやって来る敵の動きを上手く牽制している。
視線を素早く巡らせて、アルビダは更に指示を出した。

「ケント! その鬱陶しいのを振り払って十時の方向へ移動!」
「はい!」
「うおっ!?」

単身敵陣にてマークに着かれていたケントは素早く身を翻し敵の視界から外れると、指示通りフィールドの中央へ走り込む。
「頼むぞケント!」その声をしっかり聞いてその先を予測していたのだろう、サムエルはケントの走って行った方向へボールを打ち上げた。

「ケント! そのまま打って──」
「させるかよォ!!」

アルビダの声を遮り、雄叫びを上げた巨漢の海賊が真正面からケントに突っ込んでくる。
一瞬怯んだケントは、即座に周囲を確認すると──

「……ッイオリ!」
「!」

サイドへ走り込んでいた依織に向かってパスを打ち上げた。
すかさずボールを受け止めた依織は、そのままゴール前を陣取るキーパーを睨みつける。
このまま化身アームドで一気に先取点を取る。ゴールへと一直線に走りながら、闘気を練り上げた次の瞬間だった。

「きゃっ──!?」
「イオリ!」

──ぐわん、と足下が跳ね上がるように大きく揺れる。
突然のことに体勢を保てなかった依織は足をもつれさせ、その場に思い切り転倒した。

「いった……!」
「はは! 残念だったなぁお嬢ちゃん!」

転がったボールを押さえたキーパーは倒れた依織を笑い飛ばすと、見せつけるようにボールを思い切り蹴り飛ばした。
ケントやリュリュたちの頭上すら飛び越え、味方陣地に落下したボールを押さえたFWの男は、ゴールのベルンハルドを見据えニヤリと口角を上げる。

「来い、《蒼き リューク》!!」
「……っ!?」
「ッ化身使い!」

そう言えば、白鹿組の中にも化身使いの力を与えられた人間がいたのだった──依織は咄嗟に起き上がり地面を蹴るが、最早間に合わない。

「おらぁッ!!」
「ぬぐ──ぐぁ!!」

放たれた化身シュートを真正面から受け止めたベルンハルドの大きな体が、ボールごと壁に叩き付けられる。
「ベルンハルド!」アルビダの驚いた声を、甲高い霧笛の音が掻き消した。敵の海賊たちの雄叫びが海原に響く。

「大丈夫ですか、ベルンハルドさん!」
「ああ……すまない、不覚をとった……」

まさかあんな小さなボールに吹き飛ばされるとは思ってもみなかったのだろう、ベルンハルドは小さな目を瞬いて転がるボールを見つめた。

「ちっ……これであと1点取られたらこっちの負けってことか。勝算はあるのか、イオリ?」
「あるにはある、けど……」

尋ねてきたケントに、依織は眉根を寄せる。
ケントたちと協力してゴールまでの道を開き、自分が化身アームドさえすれば点を取ることは出来るだろうと依織は踏んでいた。
だが、相手に化身使いがいるとなると話は別だ。

フェイ曰く、化身アームドの精度はその時のコンディションにも大きく左右される。
今の依織の化身アームドが、相手の化身を難なく打ち破れるほど良コンディションであるかと問われれば──答えは否だ。

「とにかく、あの男には意地でもボールを取らせないようにしてっ──」
「……? どうした、イオリ」

ふいにこめかみを押さえた依織に、ベルンハルドが気遣うような視線を向ける。
一瞬、頭の中に何か映像のようなものが流れてきたような気がした。いえ、と首を振った依織は、ぎゅっと瞼を強く瞑る。

「……まだ猶予は1点あります。ベルンハルドさん、体は大丈夫ですか?」
「ああ……問題ない」
「次はこっちが決めてやろうぜ、イオリ!」
「今度は転ぶなよ?」

からかうように言って来たサムエルに、分かってます、と顔を顰めた依織は、にやにやと笑みを浮かべてフィールドを見下ろしているガンマを睨みつけた。

ボールをフィールド中央へ戻し、バトル再開のホイッスルが鳴り響く。
ボールをケントに送り出した依織は、今度こそ、と開幕から闘気を練り上げたのだが──

「う──っ!?」
「! おい、イオリ!?」

走り出すなりガクンとその場に膝を突いた依織に、ケントは驚いたようにそちらを見る。後方のリュリュたちも、彼女の異変を見て取ったのか目を見開いた。

──頭に、何かのイメージが流れ込んでくる。
黒い雲、飛沫を上げる海、そして高い波に呑まれる2隻の船、暗い海の底へ沈んでいく木片。

「──バトルは中止だ、ガンマ!!」

ハッと目を見開いた依織は、振り向きすがらボールを高く打ち上げる。
依織のこの行動は予想していなかったのだろう、反射的にボールを受け止め、ガンマは目を眇めた。

「おや、勝負を諦めて大人しく僕に捕まる気になったのかい?」
「んなわけあるか! ……撤退しましょう、船長! 今すぐここを離れるんです……!」
「一体どうしたの、イオリ?」

明らかに先程とは様子の変わった依織に、眉根を寄せたアルビダがフィールドに入ってくる。依織の顔色は微かに青ざめていた。

「大きな嵐が来る! このままだと、2隻とも海に呑まれます!!」
「嵐ですって……?」

目をしばたき、アルビダは海を見渡す。
確かに空には雨雲らしき小さな黒い雲がぽつぽつと浮かんでいるが、依織が言うような大きな嵐の前兆とは思えない。

「大嵐だって? 馬鹿言っちゃいけねえなお嬢ちゃん、こんなに良い天気なんだぜ?」
「どうせ負けそうになってるから逃げちまおうってハラかもしれねえが、そうは行かねえぞ!」

周囲の海賊たちは顔を見合わせゲラゲラと笑っているが、依織の表情は真剣そのものだ。
しばらくその瞳を見つめ返していたアルビダは、やがて分かったわ、と力強く頷く。

「みんな、撤退するわよ! 全員船に帰還、取り舵でこの海域から離れます!」
「船長! 本気で言ってるのか?」

素人の読みが当たるわけないだろう、とケントは純粋に驚いたように依織を指差す。アルビダはそちらに鋭い目を向け、船の縁を跨いだ。

「言ったでしょう、ケント。どんな戦いでも、共に戦う仲間を信用しなければ勝てるものも勝てない──私はイオリの言葉を信じるわ」
「船長……」

正直、こんなにあっさりと進言を聞き入れてもらえるとも思っていなかった依織は、胸の熱くなる思いだった。
けれど、当然依織を捕まえに来たガンマがそれを易々と許すわけがない。

「待て、まだ僕は中止を認めてはいな……ぶっ」

──その瞬間、凄まじい突風が吹き抜けて船が大きく揺れる。
波は白く泡立ち、飛沫を上げて甲板を濡らす。顔に掛かった潮水を払ったガンマは、ハッと空を見上げて呟いた。

「何だと……!?」

先程まで晴れ渡っていた筈の空に、見る見るうちに暗雲が広がっていく。ゴロゴロと雷鳴が聞こえるにつれ、波は徐々に荒くなる。
早々に自船へ引き上げたアルビダは、雲の中で輝く稲光を見上げてピュウと口笛を吹いた。

「あなたの予想、大当たりね依織。さあ、舵を切って!! 逃げるわよ!!」
「了解!!」

錨を上げて帆を張ると、吹き込んできた強風が船を動かす。
まさか依織の言う通りになるとは思っていなかった敵の海賊たちは、激しくなる嵐の中で慌てふためきながら出航準備をしていた。

「急げ! こんなところで野蛮な海賊たちと運命を共にするなんて冗談じゃな──うわぁ!?」

降り始めた雨にセットした髪を崩されながら声を荒らげていたガンマが、風に吹かれて飛んできた木樽に押しつぶされて積まれた雑品の中に突っ込んでいくのが見える。
だから言ったのに、と呆れ半分で呟いた依織は、非戦闘員であるラウラたちと共に急いで船倉へと駆け込んだ。




アルビダの船は嵐に後押しされるように猛スピードで荒れる海域を抜け出し、やがて小さな港町が見えてくる。
依織は甲板に出て周囲を見渡したが、ガンマたちの乗っていた船は影も見えない。

「あの船、沈んじゃったんでしょうか……?」
「大丈夫、高波になる直前で俺たちとは逆方向に逃げたのが見えたから、沈んじゃいないよ」
「自分を誘拐しようとした奴らの心配かよ。随分なお人好しだな」

ぽつりと漏らした依織の肩をサムエルが優しく叩き、ケントが呆れたように呟く。
だって、と依織はケントを睨むように一瞥する。確かにガンマは憎むべき敵であるし、あの海賊たちもいけ好かなかったが、別に死んで欲しいわけではないのだ。

「ま、イオリが戦いを止めるのがあと少し遅かったら、あいつらも俺たちも揃って海の藻屑だったわけだ。なぁ?」
「……それは、まぁ、礼を言っとくけど」

ぼそぼそと言ったケントに、リュリュとサムエルは顔を見合わせニヤニヤと笑う。
すると、舳先の方に立っていたアルビダがようやく船倉から出てきた依織に気が付いたのか、大急ぎでこちらに走り寄ってきた。

「イオリ〜! ありがとう、あなたのお陰でみんな無事に嵐を乗り越えられたわ!」
「ぐぇっ……い、いえ、せんちょが私を信じてくれたから……」

ぎゅむ、と真正面からアルビダに抱き締められた依織は、豊満な胸に顔を押し潰されながら声を捻り出す。
事実、アルビダがあそこで声を上げてくれなければ、船員たちは船を動かしてはくれなかっただろう。

「でも不思議だわ。どうしてあの時嵐が来るって分かったの?」
「それは、……え〜っと」

窒息仕掛けている依織をアルビダから助け出して尋ねてきたラウラに、依織は何と答えようか渋い顔をした。

──あれは恐らく、依織の持つSSCとしての力なのだろう。
未来の良し悪しを直感する力。ブレスレットが故障したことで、それが強まってしまったのかもしれない。

それはきっと依織にとって喜ばしくはないことなのだろうが──今ばかりは、自分や彼らの命を助けたこの力に感謝するべきだろう。

「……う、海が、私に囁いて……」
「海が!? ハッ……分かったわイオリ、あなた人間じゃなくてクラバウターマンだったのね!!」
「バカ、余計な嘘吐くな! 船長が真に受けるだろうが!」

ぱかん、とケントに頭を殴られ、「何すんだ!」と依織はそちらを睨む。
瞬間、彼の瞳から今朝まであった猜疑心が消えているのを見て──依織は思わず押し黙った。

「な、何だよ、急に黙るなよ」
「おいおいケント、女性を叩くなんて良くないぞ」
「そうよケント、クラバウターマンを乱暴に扱うなんて……」
「おいやべぇぞ、船長が本気で信じかけてる」

その賑やかさは、どこか平和だった頃の雷門イレブンの雰囲気と似ている。懐かしさに頬を緩めた依織を見て、アルビダがあら、嬉しそうに目を細めた。

「やっと笑ってくれたわね、イオリ。あなた、笑顔でいる方が可愛いわよ。ねぇケント?」
「何で俺に振るんですか……!!」

正直に言えば、まだ不安は大きい。ガンマたちが再び襲来する可能性もあるのだ。しかし、今は天馬たちが必ず迎えに来ることを信じて待つしかない。

「(……この人たちといれば、きっと大丈夫)」

それはいつもの直感ではなく、あくまで依織が信じたいだけのこと。ただ、こうして互いを信頼し海を渡る彼らを見ていると、そんな漠然とした暖かい思いが胸を満たして、少しだけ心が軽くなるのだった。