「みんなすごいわ! 海兵たち相手に押してる!」
「俺たちが戦ってんだ、当たり前でしょう」
テクニカルエリアに戻ると、はしゃいだ様子のアルビダがワンダバを抱えたまま出迎えてくれる。
鼻を鳴らすケントにうんうんと満足げに頷いて、アルビダは傍らの依織の肩を力強く叩いた。
「このまま突き放して、彼らに一泡吹かせてやりましょ! ねっ、イオリ」
「……はい」
返ってきた声にはどこか覇気がない。どうしたの、と顔を覗き込んでくるアルビダに、「何でもないですよ」と依織は無理矢理口角を上げる。
「(ガンマの言う通りだ。私の力はどんどん強くなってる、ブレスレットはもう意味がない)」
もし、この試合中にでも力が開花したら──それでゲームオーバーだ。今までやって来た全てのことが無駄になってしまう。
「(……大丈夫……私の体が間に合わなくても、サッカーを取り戻す時間はある。サッカーは失わずにすむ)」
だから大丈夫。自分に言い聞かせる依織の横顔を、剣城は険しい表情でじっと見つめていた。
ラッパが鳴り響き、後半戦が開始される。
前半を見ていた周囲の野次馬たちもサッカーのルールが何となく分かったのか、囃し立てるような指笛がところどころから鳴らされていた。
「海賊風情が、随分調子に乗ったものだな……お前たち、格の違いを見せてやれ!」
「はッ!!」
テクニカルエリアで気勢を上げるガンマに合わせ、海兵たちが隊列を組んで切り込んでくる。
「来るぞ!」
「……!」
奥歯を噛み締め、依織は走り出す。闘気を練り上げ、彼女は地面を蹴った。
「《星女神 アストライア》──『アームド』!!」
光の帯が体に纏わり付き、変身した依織にアルビダが興奮しきった歓声を上げたのが分かる。
依織はそのままボールを奪うと、敵陣中盤へと一気に切り込んだ。
「小娘が……! 来い、《光速の マキシム》!!」
「《精鋭兵 ポーン》!!」
「──ぁぐッ」
両サイドから化身使いの攻撃を受け、アームドの解けた依織の体が後方へと吹き飛ばされる。
「依織!」声を上げた天馬をそのままチャージで突き飛ばした海兵は、そのまま雷門のDFラインに到達した。
「ガンマ殿の障害となる者は全て排除する!!」
「うわっ──!!」
ゴール前を陣取るサムエルとリュリュには、化身を止める術はない。2人は瞬く間に吹き飛ばされて、ゴール前はがら空きになった。
「はぁぁッ!!」
「ぐ、ううっ……!!」
放たれたシュートを、ベルンハルドは真正面から受け止める。
けれどやはりそれを止めることは出来ず、海兵の化身シュートは雷門のゴールネットに突き刺さった。
「追い付かれた……!」
「……すまない、俺の力不足だ……」
「大丈夫、まだ逆転は出来ます!」
項垂れるベルンハルドを天馬が笑顔で慰める。
振り返ると、遠目に佇んだ依織が硬い表情で俯いているのが見えた。
「(依織……)」
試合が再開され、剣城からボールを送られた依織は再び敵陣へと切り込んでいく。
「今度こそ……! 『アームド』!!」
地面を蹴り、吼えた依織の体がもう一度光に包まれる。──しかし、それが鎧として形作られることはなかった。
「……え?」
「依織!」
化身アームドが失敗した。目を瞬くと同時に、真横からのチャージを喰らい依織は地面になぎ倒される。
咄嗟に顔を上げると、依織からボールを奪った海兵が雷門陣内へ侵攻していた。
「っ何で……!」
化身アームドは使用者のコンディションに左右される。先程まで出来ていたことが急に出来なくなった──それ程までに、今の自分が動揺していると言うのか。
海兵は既に雷門陣内を切り開き、ゴール前に飛び出している。
険しい表情で身構えたベルンハルドに、アルビダが声を上げた。
「ベルンハルド!!」
「……!」
その瞬間、ベルンハルドは手前に目一杯伸ばしていた腕を引いて肘を曲げる。
そして放たれたシュートに対し、下方から突き上げるようにして拳を振り上げた。
刹那、ごぎゅ、とおおよそボールから出たとは思えない重たい音が響いて、ボールが天高く空へと打ち上がる。
敵も味方も思わずその行方を目で追い掛けて──やがてボールは、テクニカルエリアに立つアルビダの腕の中へと落ちた。
「……流石我が船1番の力自慢ね。良い仕事だわ!」
わぁっ、と凄まじい歓声が上がる。
技の応酬と力のぶつかり合いは、サッカーを見慣れぬ人々にとってはある意味ショーのようなものだった。
「良いわよ! このまま点を取り返しましょう!」
アルビダから投げ込まれたボールがセンターサークルに戻され、試合が再開される。
依織は嫌な音を立てる心臓を押さえつけ、ボールを持って猛進してくる海兵にぶつかっていった。
「そんな動きで、鍛えられた兵を倒せると思うか!?」
「く……ッ!」
焦る気持ちに体が追い付かない。足がもつれた瞬間依織を抜き去った海兵は、彼女を肘で突き飛ばす。
──もう、ダメなんだろうか。
伸ばした手は、もう未来には届かないのだろうか。
海賊のみんなだってあんなに頑張ってくれているのに、天馬たちだってここまでやって来てくれたのに、肝心の依織がこの体たらくでは助けた甲斐もないと言うものだろう。打ち付けた膝や掌が痛む。
それとも自分の覚悟は、所詮この程度のものだったのか──視界が滲んだその瞬間、目の前を黒い影が走った。
「──いい加減にしろ!!」
死角からスライディングを繰り出した剣城が海兵からボールを弾く。
クリアされたボールを呆然と見つめる依織の前に仁王立ちした剣城は、憤怒の表情をしていた。
「鷹栖……お前はいつまで1人で戦ってるつもりだ? どこまで1人で抱え込むつもりなんだ!?」
「つ、剣城……?」
──怒りの中に混じる寂しさ、悲しさ。それを見た依織は目を瞬く。
「フェイから話は聞いた。お前が怖がるのは当然の話だ……けど、それを1人で抱え続ける必要なんてないはずだ。今更お前1人が寄りかかったくらいで、俺たちは倒れない!!」
物々しい雰囲気に、観客たちが少しざわついている。テクニカルエリアではアルビダやラウラが首を傾げる一方で、葵が真剣な表情で依織を見つめていた。
「──依織。俺は、みんながいればきっとサッカーを取り戻せるって、依織の運命も変えられるって信じてる」
依織の傍らに、天馬がしゃがみ込む。
地面を掻く彼女の手に掌を重ねて、天馬は祈るように言った。
「だから依織も、自分自身を信じてよ! 俺たちが信じてる依織のことを、依織が疑わないでよ!!」
──一際強い風が吹いて、髪が舞い上がる。
零れた涙が宙に散って、視界が一気にクリアになった。
そうだ。今まで依織は、自分の力を、気持ちをどこかで信じていなかった。
上手く行かなかった時のために、失敗したときのために、『ああ、やっぱりダメだったな』と少しでも気持ちが軽くなるようにしたくて、心に保険を掛けていたのだ。
だから、天馬たちにも秘密を明かせなかった。
剣城から言わせれば、自分は随分と意地っ張り≠轤オいから──弱気な自分を見せたくなくて。
「……私の運命ってやつ、めちゃくちゃ重いんだよ。それでも……寄りかかって良いの?」
「何度も言わせるな。大体、鷹栖は何でも1人で背負い込みすぎなんだ」
「そうだよ。どれだけ重たくても、俺たちみんなで背負えばそうでもないかもしれないだろ?」
剣城が依織の手を取って引っ張り上げる。
天馬が依織の背中を押して前を向かせる。
顔を上げれば、錦や信助、神童が力強い笑みを浮かべていた。
「……まだ戦えるな? 鷹栖」
「──はい!!」
神童の問いに大きく頷いて、依織は目を擦る。
不安はまだ心に燻っている。だが、それでも良い。恐怖と共に歩んで行ったとしても、仲間たちがそれを支えてくれるから。
アルビダの言う通り──自分を信じて生きよう。
「話は済んだか? よく分かんねえけど、グズグズしてる暇はねえぞ!」
「分かってるよ!」
後ろから飛んできたケントの苦言に返事をすると、存外大きな声が出たらしくケントは少し驚いた風だった。
前を見据える瞳に、最早迷いはない。
「〜〜〜〜今だッ! 今しかない!!」
「どうしたの?」
試合が再開されるなり突然バタバタと暴れて腕から逃れたワンダバに、アルビダは目を丸くする。
ワンダバはミキシマックスガンを取り出しながら、不思議そうに首を傾げたアルビダを振り仰いだ。
「細かい説明をしている時間はない……! アルビダ殿、あなたの協力が必要だ。あなたの力を、依織に分け与えて欲しい!」
「私の力を……?」
首を捻って、アルビダはフィールドの依織を一瞥する。
そしてふむ、と唇を指で押さえ、にっこりと微笑んだ。
「──良いわ、協力してあげる!」
「い、いいんですか!?」
ろくに説明もされていないのに、と驚くのは葵である。
良いのよ、と繰り返し頷いて、アルビダは胸を聳やかした。
「面白いことにはどんどん挑戦する主義なの。私は私の判断を信じる!」
「な、何と豪気な……しかし、協力感謝する!!」
ミキシマックスガンを双方に構え、狙いを定めたワンダバは、引き金に指を掛けながらフィールドに向かって叫ぶ。
「依織ーーッ!! ミキシマックスだ!!」
「……あァ!?」
一方で、そんな話は少しも聞いていなかった依織は素っ頓狂な声を上げてそちらを振り返った。
標準はそれぞれ依織とアルビダに向いている。マジかよ、と呟いた彼女の視界一杯に、眩い命の光が広がった。
「──ミキシマックス、コンプリート!!」
ふっ、と煙も出ていない銃口を吹いたワンダバの声がテクニカルエリアに響く。
髪は灼熱の炎の色に。
瞳は全てを射貫くような金色に。
リボンの位置に咲いた白い花飾りが風に揺れる。
「あれが、私の力を与えられた姿……!?」
「っ依織……!」
アルビダは別人のように姿を変えた依織に目を見開き、葵は涙を浮かべながら親友の名前を呟いた。
「チッ……ミキシマックスを許したか。お前たち、集中攻撃だ! 奴を自陣に入れるな!!」
「はッ!」
「依織!!」自分の手を唖然と見つめていた依織に、ガンマの指令を受けた海兵たちが一斉に飛びかかっていく。
瞬間、そちらを見た依織は姿勢を低くすると、風が吹き抜けるように僅かに空いた隙間をするすると走り抜けた。
「は、早い!」
「クソッ──!」
身構えたキーパーを前に、依織は更に加速する。
咆哮を上げ跳躍すると、辺りに強い風が吹き荒れ、激しい雷鳴が轟いた。
「──ヴァル、トール!!」
青白い稲妻を纏った足を、打ち上げたボールに叩き込む。強烈な稲光と共に放たれた一撃は、キーパーを吹き飛ばしてゴールを貫いた。
「……やった……やったね、依織!!」
ラッパの音が鳴り響き、目を輝かせた天馬や信助が依織に飛びついていく。
それと同時に吹き鳴らされる、後半終了の合図。
得点は2対1──雷門と海賊混成チームの勝利だ。
「くっ……何て運のない。ここに来て想定外のことばかりだ」
爪を噛んだガンマはサッと立ち上がり、スフィアデバイスを取り出す。
──が、彼がそのボタンに手を伸ばした瞬間、どこからか飛んできた鉤縄がスフィアデバイスを跳ね上げた。
「なぁッ……!?」
「何をしようとしてんのかは知らねえが、させねえよ」
宙を舞い、落下したスフィアデバイスを受け止めたのは片手に鉤縄を構えたケントだ。それを見た依織たちは、「よくやった!」と目を丸くしながらも彼に駆け寄っていく。
「チィッ! 野蛮な海賊が……!」
「その海賊に負けたのはどこのどいつかねぇ」
ケタケタとサムエルが笑っていると、ふいにガンマの頭上に紫色の光が差す。
エルドラドのタイムマシンだ。突然現れた未知の物体に、驚いた周囲の観客やマインドコントロールの解けた海兵たちが蜘蛛の子を散らしたように逃げていく。
「……この借りは必ず返してあげるよ」
最後に悔しげに言い残し、ガンマの姿はタイムマシンに吸い込まれていった。
そのタイムマシンも青空に消え、残された一同は呆然と立ち竦む。
「──あっ、そうだ。ワンダバ、これ!」
「むっ!」
はたと我に返ったフェイが、ケントから受け取ったスフィアデバイスを慌ててワンダバに投げ渡した。
ワンダバは丸い側面をいじくり回しながら、しばらくああでもないこうでもないとぼやいて──黄色いボタンを力強く押し込む。
「よし、これだ!」
スフィアデバイスから淡い金色の光がゆっくりと浮かび上がって、ゆっくりと消えていく。それを見送った天馬は目をぱちくりとさせて、ワンダバを見た。
「ワンダバ、今ので……」
「ああ。雷門イレブンたちに掛けられたマインドコントロールは解除された筈だ」
「本当か!」
ようやく1つ目の目的を果たした天馬たちは目を輝かせて喜ぶ。しかし、「だが……」と続いたワンダバの言葉に、彼らは挙って肩を落とす。
「円堂はこの中にはいない。どうやら、既に違う場所へ移送されてしまったようだ……」
「そんな……!」
項垂れる天馬の肩を、慰めるようにフェイが叩く。
円堂がどこへ行ったのかは分からない。だが、わざわざ移送されたと言うことは、まだ彼に利用価値があるとして生かされているのだろう。
「今は、仲間たちを取り戻したことを喜ぼう。次はきっと円堂監督を取り戻せるよ」
「うん……うん、そうだね。頑張ろう!」
気を取り直し、ぎゅっと拳を握り締めた天馬は大きく頷いた。
ちらりと視線を転じれば、勝利の余韻とは裏腹に悲しげな雰囲気に包まれた海賊たちの姿が目に映る。
「これで俺たちの夢もおしまいか……」
「短い夢だったが、楽しかったぜ船長……」
肩を落としたサムエルやリュリュは涙を零しながら呟き、ケントとベルンハルドは血が滲みそうな程唇を強く噛み締めている。あちこちから聞こえてくる仲間たちが鼻を啜る音に、アルビダはややあって首を傾げた。
「私、海賊を辞めるつもりはないわよ?」
「…………は?」
海賊たちは一斉にポカンと口を開ける。
やっぱり、と小さく呟くのは依織だ。今日を最後に海賊を辞めるにしては、彼女の心はあまりに明るすぎたのだ。
「当たり前じゃない。こんなに楽しいことをやめるなんて、私に出来ると思う?」
「アルビダ……それは私とは結婚しないと言うことかい?」
目を丸くしているアルブが動揺の滲む声で尋ねると、そんなんじゃないわよ、とアルビダは慌てて首を振る。
「私はあなたと結婚して、彼らはアルブの国のお抱え海賊になるの! そうすれば私もいつだってまたみんなと航海に出られるでしょ?」
「いつだっては……ああいや、君なら城から逃げだしてでもそうするんだろうね……分かった、国王の説得は任せてくれ」
諦めたように笑ったアルブに、「流石私の旦那様ね!」とアルビダは腕を絡める。その言葉の端々に違和感を覚え、首を傾げていた一同に、ふとラウラが懺悔するような声でこう告げた。
「あのぅ……実はみんなには秘密にしてたんだけど、アルビダ様は元々、フェローの王女様なの。そしてアルブ様は、デンマークの王子様……つまりどっちもスゴく偉い人ってことで……」
「えっ」
人気のすっかりなくなった広場に、黙っててごめんなさい! と言うラウラの叫びと、全く意に介していない当事者──アルビダの笑い声が木霊した。
「──そう、あなたたちも発つのね」
「はい……お世話になりました、船長」
港まで船の見送りにやってきた雷門イレブン一行は、アルビダたちと対面する依織を一歩後ろから見守る。
「寂しくなるなぁ。元気でな、イオリ」
「……風邪を引かないように……」
「ほら、ケントも」
「……ふん」
そっぽを向いたケントをサムエルが肘で押す。ケントはちらりと視線だけを依織に向けて、ぼそぼそと言った。
「この3日間、お前とサッカーするのも案外悪くなかったぜ。……ありがとよ」
「──うん。私も楽しかった」
薄く微笑む依織に、ケントは歯を食いしばり「じゃーな!!」と吐き捨てるように言って甲板に続く縄梯子を上っていく。
素直じゃないんだから、と苦笑したサムエルたちもまた、それぞれ軽く依織の肩を叩いて甲板へ上がっていった。
「……あの、船長。実は私、まだ1つ言ってなかったことが」
「イオリ」
アルビダの長い指が、依織の唇をそっと押さえる。
そして彼女は帽子の花飾りをとると、ゆっくりと依織の手にそれを握らせて微笑んだ。
「また、会いましょう」
「──」
はい、とは言えなかった。けれどアルビダは満足そうに目を細めると、颯爽と船に乗り込んでいく。
「出航ーーッ!」
凛々しい号令が、青空一杯に響き渡る。依織は弾かれたように桟橋の先端まで駆け寄ると、花飾りを握り締め、遠離る船に向かって深く頭を下げた。
:
:
──現代、稲妻町。
最早拠点の1つと化した鉄塔広場へ到着すると、辺りは茜色に包まれ始めていた。
「みんな、今回は迷惑掛けてごめん。……見つけてくれて、ありがとう」
タイムマシンを降りるなり深々と頭を下げた依織に、仲間たちは顔を見合わせる。
「頭を上げてくれ、鷹栖。お前の悩んでいたことももう分かった……これからは隠し事はなしだ。一丸になって、みんなで戦っていこう」
「そうじゃそうじゃ。第一、しおらしい鷹栖なんぞ気味が悪いしのう!」
からからと笑った錦の脇腹に、水鳥が肘鉄を入れる。呻き声を上げる錦を横目に苦笑いした神童は、沈み始めた夕日を見上げて言った。
「明日からまた、戦いも激しくなるだろうが……みんなが戻ってくるんだ、きっと戦っていける」
「はいっ、頑張りましょう!」
期間は短かったが、戦国時代の時よりもかなりハードなスケジュールだった。一同は思い出したように疲労感で重たくなってきた体を引きずって、それぞれ帰路に着いていく。
「──鷹栖」
依織もまた背伸びをしてタイムマシンへ入ろうとすると、背後から掛かった低い声がそれを押し留めた。
肩越しに振り返ると、声の主はやはり剣城だった。両手をポケットに突っ込み、真剣な目でタラップを昇った依織を見つめている。
「話がある。……いいか」
「…………」
しばし目を泳がせた後、依織は何か作業をするために車内に入っていたフェイを振り向いた。
どうしたの、と首を傾げる彼に、依織は小さく唾を飲み込んで言う。
「少し、出てくる。しばらくしたら戻るよ」
「──分かった。時空に何か異変が起きたら知らせるね」
まさか立て続けにエルドラドが襲ってくることはないだろう。そう判断したフェイは、穏やかな笑みを浮かべると快く頷いた。
「では、私が護衛に付こ──むがっ」
「は〜い、ワンダバはこっちね」
「何をするのだフェイ!」じたばたと手足をばたつかせるワンダバを抱えたフェイに見送られ、依織はゆっくりと剣城の前に降り立った。
剣城は階段脇の池の方角を目で示し、ゆっくりと歩き出す。依織もまた無言でそれを追い掛けた。
「それで……話って?」
剣城を追い越して池の畔に辿り着いた依織は、立ててある柵に軽く肘を掛けて尋ねる。
背後で剣城が身を捩った気配がする。ややあって、彼はハッキリとこう言った。
「……この間は、悪かった。あの時は気が立ってて、お前の気持ちも考えずに責めたりして。……ごめん」
ざあ、と吹き抜けた風が湖面を撫で、雑木林を揺らす。
揺れる水面に写った自分の顔を見下ろし、依織は目を細める。──安心しきった顔。仲間たちとはぐれている間、ずっと胸に刺さっていた棘が取れた気分だった。
「──いいよ。剣城や、みんなの気持ちを考えずにいたのは私も同じだ。私こそ悪かった」
振り返ったその表情は清々しい。内心安堵した剣城は、そろりと彼女の隣に並ぶ。
依織はうっすらと月が見え始めた空を見上げて、ぽつぽつと独白のように語った。
「何かさぁ、私、自分で思ってたよりもずっと不器用だったみたい。1人で何とかしようとして、剣城やみんなに散々心配掛けて……バカだよな」
「……そうだな」
「少しはフォローしろよ……」
依織は顔を顰めたが、その声音は柔らかい。
漠然と感じた恐怖を、依織は認めないこと≠ナ何とか押さえ込んでいた。
サッカーを失うことの方が、死ぬことよりもずっと怖い──シュウから聞かされた死よりも恐ろしいこと≠目隠しにして、ずっと自分を騙してきたのだ。
「別に、みんなを信用してなかったわけじゃないんだ。ただ私が、その悪夢みたいな話を認めるのが怖かっただけ。しょうもない理由だよ、本当」
「……しょうもなくはないだろう。誰だって、死ぬのは怖い」
ぼそりと答えた剣城に、それもそうだ、と依織は苦笑する。
剣城はちらりとその横顔を一瞥して、思い切った様子で尋ねた。
「逆に、何でシュウには相談出来たんだよ」
「え? あ、あ〜……」
途端に明後日の方向を向いた依織は、困ったように首を掻く。
シュウに相談出来たのは、彼が一番死に近い──死を通り越した場所にいるからだ。
だが、そんな衝撃の事実をここで教えるわけにもいくまい。剣城を始め、依織以外全員シュウのことを自分たちと何も変わらない、同年代の少年だと思っているのだから。
「……秘密。あいつはちょっと立場が特殊なんだよ」
「何だそれ。……それが1番引っ掛かってたのに」
「えっ、何?」依織が聞き返す間もなく、剣城は彼女に体を向けた。真っ直ぐにこちらを射貫く双眸に、あれ、と依織は目を瞬く。
その瞳から伝わってくる感情の色を、どこかで見たことがある気がして。
「俺は多分、お前がその事を秘密にしてたこと以上に、フェイやシュウにだけ相談してたことに腹が立ってたんだと思う」
「? 何で……」
「…………嫉妬」
ぱか、と依織の口が中途半端に開いた。
このまま言葉を切ってしまったら最後まで言えない気がして、剣城はそのまま話を続ける。
「きっと羨ましかったんだ。普段から誰にも弱味を見せようとしない鷹栖に、頼られたあいつらが」
はく、と小さく動いた依織の口から息が漏れる。剣城は気にせず、そっと爪先に目を落として続けた。
『……それとも、所詮俺たちはその程度しかお前に信頼されてなかったってことなのか』
『っ違う!!』
──あの時の依織の顔が、まだ頭から離れない。
言った直後で後悔して、今更遅いと後悔して、自己嫌悪で一杯のまま依織はいなくなってしまったから、剣城は余計にあの時の自分が許せなくなった。
何故感情に任せてあんなことを言ってしまったのか、ずっと悩み続けて──葵たちが発破を掛けてくれなければ、今も分からなかったかもしれない。
その感情の根幹を、思いの正体を。
「鷹栖、俺は──おい」
「な、なに?」
「何で顔を隠す」
改めて視線を依織に戻した剣城は、ジト目で彼女を睨み付ける。依織はいつのまにか、両手で顔をすっかり覆い隠していた。
「あ、えと」とそのままの状態で歯切れ悪く声を漏らした依織は、蚊の鳴くような声でこう答える。
「つ、剣城さぁ……私が何でエルドラドに狙われてるか、フェイに聞いた?」
「あ? ああ……確かSSCの力に目覚めかけてるから、実験体にでもするつもりだろう、みたいな……」
「……その、力の内容は……?」
「え?」
眉根を寄せ、剣城は首を傾げて思い出す。確かフェイはこう言っていた筈だ。
『彼女の力は、恐らくもうブレスレットでは制御しきれていないと思う……強い感情であればあるほど、依織はそれを見透かしてしまう』
──依織のブレスレットは今、故障していてその役目を果たしていない。
彼女はいつから、その目を隠していたのだろう。
「……あ」
ハッと依織を見ると、彼女は顔を隠したままじりじりと後退したところだった。
「お、おい、鷹栖……」
「そっ……そろそろ日も暮れてきたな! もう戻らないか!?」
言葉尻を被せ、ぐるりとこちらに背中を向けた依織に剣城はぐっと歯を食い縛る。そして、ぎこちない動きでその場を去ろうとするその肩を思い切り鷲掴んだ。
「いでででっ!? おい加減しろよ!」
「嫌だ。加減したら逃げるだろ、お前」
そのままぐるりと体を強引に正面に戻し、顎を掴んで前を向かせると、熟れた林檎のように真っ赤になった顔と目が合った。
ぐっと込み上げてくる何かを堪え、剣城は依織の目をじっと見つめる。
「天馬も言ったよな、自分を信じろって。……自分の目に見えてるものまで疑うつもりか?」
「そ、それは……ッでも、だってありえないじゃん! お前が、私を……私みたいなのを……!」
心臓の音がうるさい。琥珀色の瞳から、緊張と──溢れんばかりの春の訪れを思わせるような感情が流れ込んでくる。
依織はそれと同じ感情を知っている。
「それでも、俺はお前が良い」
それは、依織自身の気持ち。
まだ芽吹いて間もない蕾。育つことはないだろうと諦めていたそれが、ゆっくりと花開く音を依織は聞いた気がした。
「お前が自分を信じられないのなら、何度だって言ってやる。俺は鷹栖が好きだ。一緒に未来を生きたい、一緒に大人になりたい。……鷹栖は、違うのか」
その瞬間、大きく見開かれた目から涙が一粒零れて、顎に掛けていた剣城の手に熱い雫が落ちる。
「……ちがわない……」
剣城は切れ長の目を少し見開いて、絞り出された震える声の吐露を聞いた。
「わたし……私、も……剣城と、同じ気持ちだよ」
「──そうか」
心の底から湧き上がってきた、歓喜にも似た感情をゆっくりと飲み込んで、剣城は眉を下げ表情を緩める。
それでも依然依織の涙が止まる様子はない。剣城は仕方ないなとでも言いたげな顔をすると、袖を伸ばしてやや乱暴にその頬を拭った。
「ちょ……痛いって、剣城」
「我慢しろ」
苦笑交じりにそんな文句が返される。
彼女の赤くなった頬をもう片方の手で支えると、掌からじんわりと熱が伝染して──剣城は吸い寄せられるように、涙で濡れた唇に緊張で乾いた自分のそれを重ね合わせた。
「…………え」
一拍遅れ、唇の隙間から依織の呆けた声が漏れたところで剣城はハッと我に返る。
見る見るうちに耳から首まで赤くなる目の前の顔から思わず視線を逸らして、出た声は随分と言い訳がましかった。
「……わ、悪い。何か我慢出来なくて、つい」
「おまっ……」
絶句した依織の目が吊り上がる。
ああ、これは殴られるな──そう予想した剣城は、来るだろう衝撃に備えて歯を食い縛った。
しかし、いつまで待っても拳が飛んでくることはない。依織はしばらく声にならない声を漏らして、剣城の肩にゴツンと額を押し付けただけだった。
「普通、心の準備くらいさせるだろ、ばか……」
「……ご、ごめん」
呻く依織の後頭部をそっと撫でる。震えていた指先が頼り無さげにジャージの裾を摘まんで来たのを見て、剣城は小さく唾を飲み込んだ。
「……私も……剣城が、好き」
消え入るような声に、耳が甘く痺れるような感覚が広がる。
ぎゅう、と互いに触れる箇所に力が籠る。体は血が沸騰しているのではないか言うほど熱かったが、不思議と離れる気は起きない。
それから、帰りの遅い依織を心配して迎えに来たワンダバの声が聞こえてくるまでのしばらくの間、2人は夕日に負けず劣らず赤い顔のまま池の畔で寄り添っていた。