「あっ! おはよ〜、依織ちゃん!」
タイムジャンプ当日の朝。依織が女子用の更衣室代わりとして使っている2軍の部室へ入ると、そこには既に黄名子がいた。
依織の顔を見るなり花が咲くような笑顔を浮かべた黄名子は、跳ねる足取りで彼女に駆け寄ってくる。
飼い主を見つけた犬みたいだな、と密かに思いながら、依織は小首を傾げた。
「おはよ、黄名子。早いな」
「んふふ……依織ちゃんとサッカー出来ると思ったら、いても立ってもいられなくって早起きしちゃったやんねっ」
きゃ〜っと柔らかそうな頬を両手で挟んで飛び跳ねる黄名子に、依織は少し笑ってしまいながらも考える。
どうして彼女はこんなにも自分に懐いているのだろうか。本人は昨日、依織を憧れと呼んではいたが──それが嘘ではないと分かる以外、やはり黄名子の真意は読めなかった。
「そう言えば、黄名子。お前ポジションって、……あー、どこだったっけ?」
「ん〜、ウチ? 基本はDFやけど、GK以外は大体出来るよ!」
「オールラウンダーってこと?」むん、と力こぶを作るポーズをしながら答えた黄名子は、そんな感じやんね、と続けて頷く。
「えへへ、依織ちゃんとプレー出来るの楽しみだな〜!」
「……ん。そうだな」
やはり拭えぬ違和感に、依織は曖昧な笑みを浮かべて頷いた。
今の自分には前のような予知能力に近いものもない。であれば、この違和感も漠然とした何かが起こりそうな予感も、ただの考えすぎなのだろう。
「おーっす。もう来てたんだな、お前ら」
「あ、おはようございます」
「おはようございま〜す!」
その後、水鳥を先頭にして葵や茜もやって来て、依織は違和感の正体を考えることを止めた。
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「──ええっ、そんなことがあったんですか?」
着替えを終え、マネージャーたちや黄名子と一緒に仲間たちが待っている1軍の部室へと入る。
扉をくぐったその瞬間、鼓膜を揺らした天馬の大きな声に依織たちは目を丸くしてそちらを見た。
「どうしたんだよ、天馬。デカい声出して」
「昨日、倉間先輩たちが通りすがりの人に襲われて……と言うか、サッカーバトルを挑まれたって」
「ま、俺のシュートであっという間に倒したけどな」
心配そうに眉を下げている天馬に対し、倉間は少しだけ得意げに鼻を聳やかしている。
「サッカーバトルぅ?」
「俺たちも襲われたド」
「当然、倒してやったがな」
訝しむように目を眇めた依織に、天城や車田が口を挟む。依織は納得いかない風に、でも、と言葉を続けた。
「それってちょっとおかしくないですか?」
「ああ。サッカー禁止令が出されている今、サッカーで襲ってくるなんて……」
顎を摘まみ、思案げに神童が頷く。
この数週間で、グラウンド、公園、個人宅の庭に至るまで、サッカーはあらゆる場所から姿を消した。ボールを所持しているだけで逮捕状が出されてしまうような状況でサッカーバトルを挑むなど、捕まえて欲しいと言っているようなものである。
「考えられるのは1つ……きっと、プロトコル・オメガによってマインドコントロールされた者たちだ。サッカーを使って、雷門のメンバーを潰すつもりだろうね」
「それによってサッカーへの失望感を植え付け、嫌いにさせるつもりだろう。前回と同じように、な」
フェイに続けたワンダバに、倉間たちは苦虫を噛み潰したような顔になる。自分たちの意識しないところでまたサッカーに嫌悪感を抱くなど、もう二度と御免だった。
「あのスカシ野郎の仕業ってことか……」
「ベータに変わる新しい敵……ガンマだったな」
憎々しげに舌打ちした依織に、剣城が返す。
依織の捕獲に失敗した後、何を仕掛けてくるかと身構えていたわけだが、まさか現代の一般人をけしかけてくるとは思いもしなかった。その『予想外』の突き方が嫌らしいんだ、と依織はより腹立たしげに眉間に皺を寄せる。
「つまり、奴らはまだ諦めていない──そう言うことだ」
「! 豪炎寺さん」
その時、会話の途切れたタイミングで丁度現れたのは、ゴッドエデンへ向かう直前から連絡を取っていなかった豪炎寺だった。その腕には、紫色の袋に入った大きな荷物が抱えられている。
「エルドラドはサッカー禁止令だけでなく、徹底的にサッカーを排除しようと動いているんだ」
「今以上に?」
法律すら作っておいて、他に何をすることがあると言うのか。言外に尋ねる依織の表情からそれを読み取ったのだろう、豪炎寺はやや顰め面になって続けた。
「根強いサッカー好きの中には、隠れてプレーしている者もいる。この所、そんな者たちが次々と襲われているんだ」
「そのやり方は、まさにあいつらの……!」
その用意周到かつ狡猾なやり口を、天馬たちは嫌というほど味わっている。
どうやらエルドラドは、徹底的にこの世界からサッカーを消去しようとしているらしい。このままでは被害は広がる一方だ。
『豪炎寺、頼んでいた物は用意出来たか?』
「はい」
子供たちが表情を険しくさせる一方で、豪炎寺の目線の高さまで浮かび上がった大介が口を挟む。
頷いた豪炎寺は、テーブルの上に抱えた荷物を慎重に置いて包みを解く。出てきたのは、鈍い銀色の光を放つ西洋兜だった。
「──ジャンヌ・ダルクのアーティファクト、勇気の兜≠ナす」
「えっ……豪炎寺さんに頼んでたんですか?」
「どこから持ってきたんです、こんな物……」
依織が尋ねると、豪炎寺は彼女に目線を合わせないまま「企業秘密だ」と端的に答える。
聞かない方が良いらしい、と見切りを付けて依織は改めて兜を見た。後頭部に青い羽根飾りの付いたフルフェイスタイプの兜だ。傷らしい傷が付いていないのは、ジャンヌ・ダルクが戦士ではなく主に旗手として戦場に立っていたからかもしれない。それにしては保存状態が良すぎる気もしたが。
『では、今回のタイムジャンプに付き合ってもらうメンバーを伝える!』
声を張り上げる大介に、一斉に注目が集まる。
これはマネージャーを除く選手枠だ、と前置きして、大介は続けた。
『まずは──松風、神童、剣城、鷹栖、フェイ、西園、錦。化身を使える者とフェイは固定と思ってくれ』
「うん、僕もそれが良いと思います」
実質、化身使いとそれに伴い化身アームドが使える人間は今のチームで一番大きな戦力だ。万が一欠員が出る可能性も考えれば、デュプリを使えるフェイがいることも重要である。フェイは微笑みをもって頷いた。
『残るは……狩屋、浜野、速水、そして菜花。以上だ!』
「よ〜し! ウチ頑張るやんね!」
最後の最後に名を呼ばれた黄名子は小さく飛び跳ねて喜んでいる。彼女の力はまだ未知数だが、それでも入れる価値有りと判断したのは指導者としての勘だろう。
『出発は1時間後とする。各自、持っていくものを準備しておくように──』
「待って下さい!」
突然上がった大きな声に、驚いたらしい大介の体が数センチ浮かび上がる。一同が目を丸くして振り返ると、声の主はどうやら霧野のようだった。
「俺も連れて行って下さい!」
「霧野……?」
どこかいつもと様子の違う幼馴染みに、神童は不思議そうに目を瞬く。
俺も行きたいんです、と焦燥に駆られたような険しい表情で詰め寄る霧野に、大介は困ったように傾いた。
『うーん……しかし、これは決定で……』
「あのぅ、すいません」
立て続けに上がったのは狩屋の声だった。今度は何じゃ、と大介がそちらを見ると、狩屋は椅子に腰掛け何やら腹を押さえている。
「俺、朝からお腹痛くって……もし霧野先輩が変わってくれるって言うなら、助かるんですけど……」
『……分かった。そう言うことなら、霧野と交代だ!』
「! ありがとう、ございます……!」
しばし置いて下された決定に、霧野はホッとしたように表情を和らげて深々と頭を下げた。
それでは改めて出発の準備を──とざわつく仲間たちの輪から外れ、依織はそっと狩屋に近付く。
「狩屋。お前何で嘘なんか吐いたんだ?」
「……あ〜りゃりゃ。やっぱ依織ちゃんには分かっちゃうか」
腹が痛い、と言っていた狩屋は今はしれっとして、誰もこちらに注目していないのを良いことにダラリと姿勢を崩した。
「何て言うか、ただのお節介? 神童先輩がどんどん先に行っちゃって、霧野先輩結構焦ってたみたいだからさ。たまには後輩らしいことしとこうかな〜ってね」
「なるほど、明日は嵐でも来るってことだな」
「ひっでぇ。……てことで、お節介の続きは依織ちゃんに託したぜ」
「はぁ?」依織が怪訝な視線を狩屋に向けると、狩屋は目を細めてニヤニヤしている。
感情が読めなくても分かる。どうやら最初から、霧野のことを頼むつもりで依織にこの話をしたらしい。
道理で狩屋にしてはすぐに腹の内を明かしたはずだ、と依織は溜息を吐いた。
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「逃がすな、追え!!」
──未来世界、ムゲン牢獄地下通路にて。
けたたましいサイレンを慣らしながら、数台の白バイが先を行く一台のバイク型時空間転移装置を追跡している。
法定速度を優に超えるスピードで通路を走るバイクを連携して袋小路に追い詰めると、警官たちは手に警棒を携えて通路を塞いだ。
「もう逃げられんぞ!!」
「ふん──」
バイクの主は、マシンを駆り立てる歳にしては少しだけ幼さの残る顔立ちをした少年だった。彼は走り寄ってくる警官たちを鼻で笑うと、一息でパワーを蓄え、放出する。
がん、がらん──と音を立て転がる警棒。
力なくその場に倒れた警官たちに、雑魚が、と言い捨てた彼は、警官の乗っていた白バイのモニターに無造作に手を伸ばした。
「──ほう。これがエルドラドの遂行しているミッションか。面白そうじゃねえか」
彼はゴーグルの奥で目を細めると、自身の愛機に乗り何処ぞへと姿を消す。
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1427年、フランス某所。
青白く霞んだ空に、光の穴が空く。現れたるは天馬率いる雷門イレブンのタイムマシン──ではなく、エルドラド所有の円盤型タイムマシンである。
「……ふむ。ここにいるのか、奴らは」
「はい、恐らく」
視界を遮りやすい森の中、その開けた場所に降り立ったガンマは、眉間に皺を寄せて周囲を見回した。
空から見たとき、周りは森林や野原ばかりで民家らしいものは数える程しかなかった。雷門イレブンたちを追跡するためとは言え、随分と田舎くさいへんぴな場所に来てしまったものだ、と内心溜息を吐く。
「では、奴らの降りた座標を検索しろ」
「はっ……」
「いいや。その必要はねえ」
聞き覚えのない低い声。うねるような風を切る音に振り向くと、目前に赤い球体が迫っていた。
「くっ! ──誰だッ!!」
咄嗟に腕で頭を庇ったガンマの体が、衝撃で数メートル弾き飛ばされる。
それでも倒れなかったのは、ルートエージェントとしての意地だ。声を張り上げるガンマに答えるように、低い声が笑う。
「そう言うと思ったぜ。『お前は誰だ、何故こんなことをする』──そう言いたいんだろ、あん?」
「貴様……」
茂みから現れたのは、クロムグリーンの髪を特徴的に結い上げた、褐色肌の見知らぬ少年。先程──と言っても未来の世界で──警官を薙ぎ倒した張本人である。
しかし、ガンマがそんなことを知るわけがない。
「(あれは赤いスフィアデバイス……? ボディスーツもルートエージェントのものと似てはいるが、あんなタイプは見たことがない)」
ガンマは突然攻撃を受けたことへの苛立ちを隠そうともしなかったが、少年への観察は怠らなかった。
少年はガンマの刺さるような視線を意にも介さず、首を少し傾けて笑っている。
「俺はザナーク・アバロニク。名前はあるが名も無き小市民……どうだ? クククッ」
「──聞いたことがあります。S級の危険人物……何をしでかすか分からない、恐ろしい男だと」
顔を顰めるガンマに、隣に並び立ったエイナムが言う。ガンマは早々に現れた任務への障害を睨みつけながら、一歩前へ歩み出てスフィアデバイスの入ったポケットに手を差し込んだ。
「ふん、面白いじゃないか……だったら、この僕が倒す!」
「僕が倒す、だと? 弱い奴ほどよく吠える……俺は強いがよく吠える。良いだろう、ただし──全員で掛かってこい」
ギリ、と奥歯を噛み締めたガンマが宙にスフィアデバイスを放る。威力を最大値にしたストライクモードを発動し、ガンマは落ちてきたボールに向かって足を振り抜いた。
「墜ちろ!!」
跳ね返ったボールを、ザナークを取り囲んだエージェントたちが次々と打ち込んでいく。
常人であれば一発受けただけで立ち上がれなくなるほどの威力。それなのに、ザナークは何度シュートを食らっても涼しげに佇んでいる。
「クソッ……これで終わりだ!!」
ちらつく焦燥感を振り払うように、ガンマは渾身の力を込めて足を振り抜いた。
次の瞬間、ザナークの赤い瞳が迫るボールを捉える。
「──カァッ!!」
文字通りの一喝。空気を震わせる声と共に、ザナークの口から放たれたのは紫色の光線だった。
目を見開くガンマたちの前でスフィアデバイスは塵となり、辺り一帯に閃光が炸裂する。
──そこに立っているのは、ザナーク1人だった。
「き、さま……」辛うじて残った意識で憎たらしげに呟いたのを最後に意識を失ったガンマを見下ろして、ザナークは鼻を鳴らす。
そして、ゆっくりと頭上を見上げて口を開いた。
「エルドラドのジジイ共。俺を監視しているんだろう?」
彼の目は空ではなく、そこに浮かんだままだったタイムマシンを見ている。
事実、トウドウを始めエルドラドの幹部たちは、ガンマを送り出した直後に発信された緊急信号を受け一連の騒動を全て見ていた。
「提案がある。お前たちが手を焼いている奴を俺が倒したら、俺の罪は帳消しとなる……これでどうだ」
『……取引か』
頭上から嗄れた、それでいて冷静な老人の声が落ちてくる。トウドウの声だ。
「まぁ、そうなるなァ」
『…………良かろう。取引に応じよう』
「そう言うと思ったぜ」最後にザナークの不敵な笑みを映し、エルドラドとの通信は途絶えた。
さて、と首を鳴らしたザナークは、次に倒れたエージェントたちを見下ろしてニヤリと笑う。
「さぁ──お目覚めの時間だ」
空気の震えを察知した野鳥たちが次々と木々から飛び立つ。静かな森に、もう一度不思議な色の閃光が迸った。