木漏れ日に差し込む柔らかな光。
森に佇むその少女は、銀のロザリオを握り締め静かに祈りを捧げる。
「……神よ。フランスをお守りください」
ふと、彼女はそこで頭上に広がる空を見上げた。
大きな眼鏡のレンズに、キラリと不思議な色の光が映り込む。
「あれは──……」
ワンダバが窓から下界を確認し、人気のない森の中にタイムマシンを停車させる。辺りを窺いながらタラップを降りた天馬たちは、まず鼻についた何かが燃える匂いに顔をしかめた。
「ここがジャンヌ・ダルクのいる時代?」
「うん。1427年、百年戦争の最中だね」
目が行くのはやや離れた場所から立ち上る黒い煙だ。ワンダバスイッチで時代に合わせた服装に着替えた雷門イレブンは、引き寄せられるようにその煙の元へ近付いていく。
そこにあったのは、既に放棄されたらしい砦だった。
崩れた壁から中を窺い見ると人の姿こそ見つからないが、地面に転がる折れた武器や未だ黒々と燻っている物資の袋が、ここで激しい戦いがあったことを伝えている。
「ほ、本物の戦争だ……」
「ああ……」
信長やアルビダの時代では幸運なことに関わる機会のなかった戦争。それが、この時代では今正に起きているのだ。仕方のないこととは言え、その渦中に飛び込むことなった天馬たちはゴクリと唾を飲んだ。
「こんな状態で、どうやってジャンヌ・ダルクを探せばいいんだ?」
「うむ。ヴォークルールと言う街にいるはずなんだが……」
まさか戦場に飛び込んでジャンヌを探すわけにもいくまい。そうなれば、残された選択肢は拠点で休息しているタイミングで接触を図ることのみだ。
フェイの呟きにワンダバが答えたところで、ふいに背後の茂みが音を立てて揺れた。
「──誰だッ!」
ガシャ、と金属同士がぶつかり合う音。
ギョッとして振り返ると、そこにいたのは剣を携えた鎧姿の兵士だった。大方この砦を落とした方か落とされた方か、どちらかの陣営の兵士が残存兵を探すために見回りに来たらしい。
「ど、どうしよう」
「何て説明したらいいのかな……」
天馬と葵が身を寄せ合って小声を交わす。しかし、この場において沈黙は長く続けば続くほど不利になるだろう。
一瞬考えこみ、兵士の問いに答えたのは神童だ。
「……戦いから逃げている内に、道が分からなくなったんです。ヴォークルールへ行きたいのですが……」
「何……?」
神童の咄嗟の判断に、仲間たちは内心舌を巻いた。これなら怪しまれずに、ヴォークルールまでの道のりを教えてもらえるかもしれない。
けれど怪訝そうな顔で天馬たちを見回した兵士は段々と眉間の皺を深くすると、ややあって剣の柄を握り直した。
「……お前たち、異国の者か!」
「! そ、それは……」
恐らくは天馬たちの目鼻立ちに欧州人らしい特徴がないことに気が付いたのだろう、鋭い問いに神童は思わず言い淀む。
「おい、どうした!」
ガシャガシャと先程と同じような音がいくつも近付いてくる気配に、雷門イレブンはギクリと身を竦める。声を聞きつけた他の兵士たちが集まって来てしまったのだ。
あっという間に雷門イレブンを囲んだ大勢の兵士たちは、殺気立った様子で剣に手を添えている。
「何だ、こいつらは」
「異国人のようです。道に迷ったとか言っていますが、どうも怪しくて。ヴォークルールに行きたいと言うのです」
「何? まさかジャンヌを狙って……!」
遅れて現れたやや年配の兵士の口から出た名前に、思わず反応してしまいそうになったその時だ。
「──ええと、どうでしょうね?」
ふいにその場に似合わない柔らかな女性の声が響き、兵士の言葉をやんわりと否定する。
草木を爪先でそっと掻き分けるようにして木々の合間から現れたのは、大きな眼鏡を掛けた金髪の女性だった。
年の頃は10代後半だろうか、少女と呼んでも何ら差し支えないだろう。年配の兵士は彼女の姿を見留めると、目を丸く見開いた。
「ジャンヌ!」
「えっ……」
発せられたその名前に、今度は天馬たちが目を見開く番だった。
フランスを救った戦場の乙女、ジャンヌ・ダルク。
その名を聞けば大概の人間が勇ましい女性の姿を想像するだろう。しかし、今天馬たちの目の前に現れたジャンヌ・ダルク本人はそんな勇ましいイメージとはかけ離れた、ともすれば気弱そうな印象すら受ける少女だったのだ。
「あなたがジャンヌ・ダルク……?」
「えっ? どうして私の名を……」
我慢出来ずについ呟いてしまったフェイに、ジャンヌは目を瞬いてそちらを見る。
フェイが咄嗟に口を押さえる間もなく、無邪気にジャンヌの前に駆け寄っていったのは黄名子だ。
「ちーっす! ウチ黄名子、よろしく!」
「えっ、あっ……」
「何をするッ!」
握手を求める黄名子にジャンヌが困惑したのも束の間、目尻を吊り上げた兵士が慌てて2人の間に割って入る。
大げさやんね、と不満げに後退った黄名子を睨み、兵士はジャンヌへ肩越しに怒鳴るようにして言った。
「ジャンヌ、こいつらきっとイングランドのスパイだ!」
「へっ?」
「ちがっ……違います!」
厳しい言葉をぶつけてくる兵士に、天馬は大慌てで手を振り首を振りそれを否定する。
何だかついこの間も同じようなことがあったような気がする、と弱った表情で神童を振り返ると、神童もまたどんな言い訳をするべきかまだ定まっていなかったのだろう、弾かれたように口を開いた。
「俺たちは未来から来たんです、あなたの力を借りに……!」
「未来、から……?」
あっ、と目を見開いた仲間たちの視線が神童に集まる。当の神童も、しまった、という顔で口を噤んだ。
未来から来たなど、そんな言い訳がまかり通るわけがない。より厳しくなる兵士たちの視線に、神童はこの場を切り抜けるため必死に頭を回転させる。
「未来とは……どういうことです?」
──しかし、ジャンヌ本人はその言葉に興味をそそられたようだった。
自身の前に立っていた兵士を押し退けて天馬たちに尋ねてくるジャンヌに、神童は虚を突かれ答えあぐねる。
「それは……」
「……む」
ふと、ジャンヌが掛けていた眼鏡を動かしながらずいとこちらに近寄って来た。
大きなレンズを顔から遠ざけたと思いきや近付けてみたり、意図の読めない行動を取る彼女を見て浜野が傍に立つ速水に尋ねる。
「あれ、何してんの?」
「きっと眼鏡の度が合ってないんですね」
ジャンヌはそのまま睨むような目つきで──速水の言う通り眼鏡の度が合っていないのだろう、ピントを合わせようと目を細めながら、神童ではなく彼の隣にいた霧野に顔を近付けた。
「あの、答えてください……!」
「ええ?」
当然、今問い詰められているのは神童だとばかり思っていた霧野は、どうして自分がとでも言いたげな顔になる。
どうやらジャンヌは『未来から来た』発言をしたのが霧野だと思ってしまったらしい。
「タイムジャンプしたこと、正直に言ったらええやんね?」
「言ったところで、理解してもらえないだろうな」
不安そうな表情で袖を引いてきた黄名子に、依織もまた眉を顰めて返す。
戦国時代で太助たちに雷門イレブンが未来から来たことを理解して貰えたのは、既に両者の間に信頼関係があったからだ。
だが、ここはあそことは全く別の時代で、相手は初対面かつ戦争中で殺気立っている大人。状況があまりに違いすぎる。
「不思議なことは悪魔の仕業だと信じられていた時代だからね。正直なことを話せば、不味い事態になりかねない」
「そんなぁ……」
兵士たちに聞こえないよう、声を潜め慎重に言ったフェイに、さしもの黄名子も顔色が悪くなった。
やがて、質問に答えられない雷門イレブンにしびれを切らした兵士たちがじりじりと包囲網を縮め始める。
「どうした、何とか言え!」
「やはりスパイであろう、ならば生かしておくわけにはいかん!」
「あ、ま、待って下さい!」
これに対して真っ先に声を上げたのは、天馬たちではなく丁度両者の間に立っていたジャンヌだった。
出鼻を挫かれた兵士は鼻っ柱に皺を寄せジャンヌを見る。
「何故止める、ジャンヌ!」
「え、ええっと──あ、そうだ!」
しばし迷った様子を見せたジャンヌは、ふいに腰に下げていた袋から何かを取り出した。
出てきたのはピンク色の包み紙にくるまれたキャンディだ。彼女はそれを霧野へ差し出して、「どうぞ!」と微笑む。
「どうぞ、って……」
「食べてみて下さい」
「今?」
「はい、今!」
ニコニコとしているジャンヌに、霧野は困り切った顔でキャンディを受け取った。
包みを開け、丸いキャンディをしぶしぶといった風に口に入れたその顔が、数秒の後に意外そうに綻ぶ。
「……おいしい」
「良かったぁ! ……あなたも食べます?」
安堵の笑みを浮かべたジャンヌが視線を送ったのは、霧野にキャンディを渡してすぐに再びこちらに近寄っていた黄名子だった。
興味津々な顔で近寄っていた黄名子にジャンヌが尋ねると、彼女は満面の笑みで頷く。
「ん〜ッ! おいしいやんね!」
「良かったら、皆さんもどうぞ……!」
ほっぺが落ちそうやんね、と頬を抑える黄名子の反応を見て、そんなに美味しいものなら、雷門イレブンたちはジャンヌの言葉に甘えキャンディを受け取った。
当然ながら、見た目は古い製法で作られたらしいごく普通のキャンディだ。口に含むと、現代のそれでは味わえないような不思議な優しい甘みが広がる。
「おいし〜!」
「ね、ね、おいしいやんね!」
「ほら、依織ちゃんも!」と黄名子に押しつけられた依織もまたキャンディを口の中で転がしながら、ちらりと微笑んでいるジャンヌを見た。
嬉しそうに飴を配る姿は、戦場の乙女と言うよりもただの可愛らしい町娘のようにしか見えない。
「ジャンヌ、何をしておるのだ!」
一方で、ジャンヌの意図が分からない兵士は語気に苛立ちを混じえながら彼女に声を掛けた。
ジャンヌはハッと兵士たちを振り返ると、これはその、と言葉を選んだ後力強く答える。
「えっと……こ、心配りです!」
「違うような気がするが……」
心配りとは、気をつかうこと、心づかい、配慮のことを差す。何かを施す、と言う点に置いては、広義で考えればジャンヌの行動も心配りではあるのかもしれないが。
冷静に呟く神童の声は聞こえなかったのだろう、ジャンヌは兵士に主張を続けた。
「こうやって、相手を知るために交流することが大事なんです……!」
「なんでもいいから、早くこいつらをどうするか決めてくれ!」
苛立ちと共に明らかに困っていることが分かる声音で叫ばれて、天馬たちは気まずそうに顔を見合わせる。
ジャンヌは兵士と天馬たちを焦ったように交互に見比べて考え込んだ後、ややあって決断を下した。
「えっとですね……とにかく、このままにしておくわけにもいきません。連れて行きましょう──ヴォークルールへ」
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ピリピリと張り詰めた空気の中、天馬たちが連れて来られたのはヴォークルールの外れにある小さな砦だった。
とは言え全体的な敷地面積はやや大きめの体育館といった具合で、窮屈さなどは感じない。
ただ、その中の広場のような場所に集められた天馬たちが、砦の出入り口に立ち塞がる見張りの兵士たちの険しい視線に精神的な窮屈さを感じているのは確かだった。
「何か、変なことになっちゃったね……」
溜息交じりに呟いて、天馬は足下の小石を蹴飛ばす。
ミキシマックスの力を持った人物への接触が難しいことは二度のタイムジャンプで十分理解したつもりでいたが、その接触が叶った直後にこうして拘束されてしまうとは予想もしていなかった。
「もしかしたら俺ら、このまま戦争に駆り出されたりして……」
「それどころか、このままじゃ敵のスパイとして処刑されちゃうんじゃないですか!?」
「ちょっと、やめてくださいよ縁起でもない」
低い声になって呟く浜野と悲鳴を上げる速水に、顔を顰めた依織がピシャリと言う。
「ジャンヌ・ダルクとは出会えたのに……」
「今は様子を見るしかないな」
ちらりと剣城が視線を送るのは見張りに立つ兵士たちだ。
ただでさえ怪しまれている状況で下手に動けば、それこそ本当に処刑されかねない。
「何とかして、ミキシマックスのチャンスを見つけてみせるよ」
「でも、あのジャンヌさんとミキシマックスして強くなれるんかな?」
この場を明るくしようと笑みを浮かべて言うフェイに、黄名子がぽつりと零す。
確かに、と頷いて仲間たちは今は別室で休息を取っているジャンヌのことを考えた。
現代人の持つイメージとはかけ離れていたジャンヌ・ダルク。信長やアルビダにあった力強さを彼女に感じることは到底出来そうにない。
「──とりあえず……練習やりませんか?」
「練習?」
ふと、しゃがみ込んで足下に置いてあった荷物を漁り始めた天馬がボールを取り出す。
「きっと何とかなりますよ。今はボールを追いかけましょう!」
ボールを抱えてにこりと笑う天馬に、仲間たちは顔を見合わせた。
確かに、今は他に出来ることもなく、このままフランス兵たちの判断を待つだけでは時間の無駄と言うものだろう。
それに何より、天馬の口癖が出たのだ。こうなってはやる気を出さないわけにはいかない。
「……何とかなる、か」
「よ〜し、やるやんねっ!」
それぞれ笑みを浮かべた仲間たちに、ワンダバも頷いていつものスイッチを取り出した。
ユニフォームに着替え準備運動を始めれば、あっという間に不安に苛まれていた思考が切り替わる。
「何だ……?」
「何を始めたんだ?」
砦の周囲を警戒していた兵士2人は、にわかに騒がしくなり始めた広場に視線を戻して困惑した。
目を離した一瞬の隙に子供たちの服装が替わっていたのだから当然の反応だろう。天馬たちはそんな兵士たちの様子には気付かず、壁際にガラクタで見立てたゴールを作っている。
「1対1で、ゴール前の想定だ! 信助、準備は良いか!?」
「はぁい!」
KPは1人しかいないのだから2チームに分かれてのミニゲーム形式の練習は出来ないだろうと判断したワンダバに、仮想ゴール前に立った信助がグローブを着けた手を振る。
「つ〜るぎ」
「!」
ふいに、スパイクの紐を締める剣城の元へ黄名子が近付いた。彼女も当然ユニフォーム姿である。
「ウチと勝負するやんね?」
「……面白いな」
勝負と聞いて心に火が付いたのだろう、すっくと立ち上がり不敵な笑みを見せた剣城に、黄名子はニコッと──あるいはニンマリと笑った。
「勝った方が帰ったとき先に依織ちゃんとデートね!」
「ああ、……あ?」
「よーいドンッ」
「なっ……おい待て!」
口早に条件を付けて、早速走り出した黄名子を剣城が追い掛ける。
ひとたびゲームを始めると黄名子は生き生きと剣城とボールを取り合う。小さい体を滑り込ませるようにボールをコントロールする洗練された動きは、試合に慣れたプレイヤーそのものだ。
やがて均衡が崩れ、ボールを奪った剣城が中空へ体を躍らせる。
しかしシュート体勢に入っていた剣城の視界の端に長い茶髪が映り、咄嗟に体を捻った時にはボールは彼の足下から地面へたたき落とされていた。
「っやるな……ディフェンスも出来るのか」
「ウチ、ポジション色々出来るやんねっ」
「へぇ、菜花さんて器用なんだね!」
転がってきたボールを受け止めながら天馬が関心すると、黄名子は一転おかしなものを見る顔をして彼の方を向いた。
「どうしたのキャプテン、『菜花さん』だなんて急に改まって。いつもみたいに黄名子って呼んでよ」
「え、そ、そうなの……?」
ボールを黄名子へ返しながら、天馬は気まずそうに苦笑いする。
その様子を見ていた依織は、「いつもみたいに、か」と呟いて後ろに佇むフェイを振り向いた。
「やっぱり黄名子は、タイムパラドックスで生まれた存在……なんだよな?」
「うん……まさかここに来て新しいタイムパラドックスが出来るなんてね」
「何が影響したのかな……」
眉間に皺を寄せる天馬に、フェイは小さく首を横に振る。
「分からない。だけど、これ以上時間の流れを乱すことは出来ない」
「そうだね……もっと強くなって、どんな相手がこようと負けない力を付けないと」
予想外のことが立て続けに起きて、何とかなる≠ニ口では言ってもやはり不安な部分もあるのだろう。自分に言い聞かせるような声音で言う天馬に、フェイは優しく微笑んだ。
ボールが再び宙を舞う。
依織は緩い放物線を描いて落ちてきたそれをトラップで受け止めた。ボールを腕に抱えると、こちらを見た剣城が一瞬目を逸らして──再び目線を戻し、駆け寄ってくる。
「勝負すんのは良いけど、キリが付いたら交代しろよな。あとがつかえてるんだからさ」
「ん、……ああ」
唇を尖らせるようにして言う依織に、剣城は視線を彷徨わせて言い淀んだ。どうやら依織の耳には先程黄名子が提示した条件は届いていなかったらしい。
「て言うか、何であんな白熱してたんだよ」
「べ、別に……」
尋ねると、剣城は顔ごと依織から目を逸らす。目が合ったら心の内を見られるかもしれないと思ったのだろう。
そう言えばまだ精神感応の力が抑制されたことは伝えていないのだった、と思い出して口を開こうとすると、剣城の背後から黄名子が走り寄ってきているのが見えた。
「勝った方が雷門に帰ったとき、先に依織ちゃんとデートするやんね」
「は?」
「あっ」
剣城の死角になる位置からしれっと言った黄名子に依織は目をまたたき、剣城はギョッと脇の下から顔を覗かせた小さな頭を振り向く。
「お前ら本人の意見も聞かないで……」と依織が呆れた様子を見せると、うへへ、と笑った黄名子はそそくさと広場の中心へ駆け戻って行った。
「……だったら、意地でも勝てよな」
「う、……ああ」
一拍間を空けて、ボールを剣城の胸に押しつけた依織は少しだけ桃色になった顔をツンと逸らす。
釣られて耳の端を赤くした剣城は小さく頷いて、「早く早く!」と手を振る黄名子の元へ足早に戻っていった。