石壁をくり抜いた小さな窓から柔らかな日差しが差し込んでいる。
部屋に戻ってからこの方ずっと神への祈りを捧げていたジャンヌはその光を見上げると、ゆっくりと立ち上がって踵を返した。
「──天馬。僕たちの必殺技を考えてみない? 前から天馬とやりたいって考えてたんだ」
「良いね、それ!」
薄暗い部屋を出て階段を登っていくと、広場に集められた子供たちの声がする。
軟禁に近い形でここに留められているにしては随分と楽しそうな声だ。ジャンヌは首を傾げ、砦の屋上に当たる部分からそっと顔を覗かせる。
そこには、彼女が今まで見たことのない光景が広がっていた。
「──あ。ジャンヌさんだ」
「え?」
霧野や神童と話し込んでいた依織がふと頭上を見上げて呟く。
その声が聞こえたらしい天馬たちもまた依織が見ている方角に目をやると、屋上の塀から顔を覗かせたジャンヌが不思議そうな表情で広場を見下ろしていた。
「何をしているのですか?」
「サッカーです!」
「サッカー?」答えた天馬に、ジャンヌは眉を顰めてオウム返しする。
サッカーの存在を知らない人間のそんな反応も慣れてきたもので、はい、と天馬は笑顔で頷いた。
「俺たちの一番大切なものです!」
「……そうです。俺たちは、サッカーを守るためにここに来たんです」
神童が言うと、ジャンヌは目を瞬いて見慣れぬボールを見つめる。
そんな小さなものにそこまでの価値があるのか、と理解の追い付いていない顔に、神童は言葉を続けた。
「今は説明しても分かってもらえないと思います。でも、あなたの力が必要なんです」
「……サッカーとは、そんなに大切なものなんですか?」
間を置いて尋ねたジャンヌに、天馬はボールを抱える手に力を込める。
「……はい。すごく楽しくて、熱くなれるスポーツなんです!」
「こういうの知ってます?」思い立った天馬はボールを放り、ジャンヌに見えやすいようにリフティングをしてみせた。
不安定な場所で跳ねるボールにジャンヌの視線が吸い寄せられたのを感じて、天馬は更にボールを高く蹴り上げる。
「こういうことも出来ますよ、……っと!」
そのままボールをフェイに送り、察したフェイは笑みを見せると緩いロブで今度は依織へボールを送り出す。手足の延長のように自由にボールを操る天馬たちに、ジャンヌは目を輝かせて半身を乗り出した。
「すごい……サッカーって、面白そう!」
「せっかくなら、降りてきて近くで見てみませんか?」
とん、と足下にボールを降ろし、依織が声を掛けるとジャンヌは一瞬頷き掛け、けれど戸惑った風に辺りを見回す。
ベンチではマネージャーたちや黄名子が手を振っている。彼女はしばらく迷った素振りを見せてから、改めて小さく頷いた。
それからジャンヌは怖ず怖ずとベンチに腰掛けて、時折興味深そうに眼鏡の位置を調整しながら雷門イレブンのミニゲームを観察する。
しばらくしてゲームが終わると──最後まで剣城と黄名子の勝負は決着が着かなかったらしい──ジャンヌはハッと思い出したような顔をして腰から下げていた巾着袋を差し出した。例のキャンディだ。
「あの、これどうぞ……!」
「おおっ、気が利くがじゃ」
運動の後は甘いものが食べたくなるから、と笑顔でキャンディを受け取る雷門イレブンに、ジャンヌはホッと表情を綻ばせる。
それを見て、葵は彼女の顔を覗き込むようにしながら声を掛けた。
「ジャンヌさん、キャンディを渡すのを心配りって言ってましたよね。それ、すごく良いと思います!」
「ほ、本当ですか?」
はい、と頷く葵にジャンヌの頬が僅かに紅潮する。戦争に参加してから同世代の同性と話す機会を失っていたのかも知れない。少しばかり緊張が滲む声だった。
「私たち、良い友達になれそうな気がしません?」
「友達……っそうですね!」
ジャンヌは嬉しそうに葵たちと微笑み合う。
──その和やかな姿を、背後から狙う小さな影が一つ。
「──今だッ!」
気勢を上げて、ジャンヌの後方に迫っていたワンダバがミキシマックスガンをジャンヌと黄名子に向けて放つ。
だがしかし、宙を走った光線はジャンヌの背中に当たるなりパチンと弾けて消えてしまった。
「アレ?」
「え……?」
「だっっ、だめーー!」
ワンダバの声で初めて背後を取られたことに気付いたのだろう、ジャンヌが不思議そうに振り向くのと天馬とマネージャー3人がワンダバに飛びかかるのはほぼ同時だった。
「見つかったらどうすんだよ!」
「絶対敵だと思われちゃう!」
ワンダバを押し潰し、水鳥と茜が彼を小声で叱責する。
けれど彼はそれが聞こえなかったようで、ぺちゃんこになった顔を捩って呆然と呟いた。
「オ、オーラが取れなかった……」
「え?」
依織や神童がジャンヌの気を引いて誤魔化している様子を視界に入れながら、天馬はワンダバの言葉に眉を顰める。
『彼女はわしらの知っとるジャンヌとは違うぞ』
「ええ?」
そこで葵のポケットからするりと出てきたのは大介だ。
低い位置に浮遊した大介は、一応の配慮かやや声を落とし気味にして言う。
『まだ力に目覚めておらんのだ』
「信長の時とは逆ということですか?」
『そういうことになるな……』
そっと近付いてきていた神童が尋ねると、大介は渋い声色で肯定した。
それでは、一体どうすれば。
天馬たちが頭を捻っている間に、やり取りを聞いていなかったらしい黄名子がジャンヌへボールを軽く蹴って寄こした。
「サッカー、気に入った?」
「あの……面白そうなんですけど、まだよく分からなくて」
ボールを拾い上げ、照れくさそうにジャンヌは苦笑する。
彼女が見たのはあくまで練習のミニゲームだ。それだけでルールを理解するのは、元々サッカーを知らない以上は流石に不可能だろう。
「う〜ん、分かりやすく言うと……サッカーは戦いやんね!」
「た、戦い?」
ぴん、と指を立てて答えた黄名子に、ジャンヌは少しだけ怯えたような表情になる。うん、と頷く黄名子は彼女の表情の変化には気付かず、笑顔で身振り手振り続けた。
「ボールを奪われないように動くの!それでみんなが一つになって、守ったり攻めたりするやんね」
「みんなが、ひとつに……」
眼鏡の奥で、ジャンヌの瞳に真剣な光が宿る。
手の中のボールを見つめていたジャンヌは、何かを決意したような顔になって黄名子に尋ねた。
「……どうすれば、みんながひとつになれるのですか?」
「そやんねぇ……色々あるけど、まずはパスの交換かなぁ。やってみる?」
「あ、は、はい!」
流されるまま、ジャンヌは黄名子の言う通りにボールを渡す。
こうやって足の横を使って蹴るやんね、とレクチャーを受けながら、ジャンヌはふんふんとしきりに頷いている。輪から外れて少し広い場所に移動した2人に、天馬たちは顔を見合わせて胸を撫で下ろした。
「良かった、上手く誤魔化せて」
「ワンダバもそろそろ学習しろよな。あんな急にやるやつがあるかよ」
「何おぅ! ワタシはただ事態の早急な解決をだな!」
依織の呆れかえった視線を受けて、ワンダバが短い手足をバタつかせ抗議する。
それをなだめすかしてフェイに預けた依織は、壁際に背中を預けた神童や霧野を振り向いた。
「それで……どうしましょうね、これから。信長やアルビダ船長の時とは随分勝手が違ってきちゃいましたけど」
「正直、手詰まりだな。信長の時は俺の方に問題があったからこそどうにか出来たが、その逆となると……」
ジャンヌはまだ力に目覚めていない。大介はそう言ったが、とどのつまり自分たちは訪れる時代を少しだけ間違ってしまったと言うことだろう。
もう少し戦争が本格化した頃に来ればジャンヌの覚醒を待たずに済んだのだろうが、既に彼女との接点を持ってしまった今となっては後の祭りだ。
「……けど、今回はお前が一緒だ。心強いよ」
「! ……そ、そうか」
ふと神童が険しい表情を緩めて隣に立っていた霧野を見やると、霧野は少しだけ気まずそうな曖昧な笑みを浮かべる。
その表情に目を細める依織の横を、てん、とボールが弾んでいった。
「あーっ」
ころころと転がったボールは、壁際の神童と霧野の足下へと届く。
どうやらジャンヌの蹴ったボールだったらしい。ごめんなさい、と慌てた様子で駆け寄ってきた彼女に、霧野が拾い上げたボールを手渡す。
「……どう? 面白い?」
「へ? あ……」
霧野が尋ねると、ボールを受け取りながらジャンヌは視線を右往左往させて、気恥ずかしげに頷いた。
「面白い、です。何故か相手の気持ちが伝わってくる気がします……ボールには、心を繋ぐ見えない糸が繋がっているのかもしれませんね」
これがサッカーなんですね──染み入るように呟くジャンヌに、霧野は穏やかに微笑む。
ややあって顔を上げたジャンヌは、どこか毅然とした表情をしていた。
黄名子にボールを手渡し、ジャンヌは砦の入り口で見張りに立つ兵士たちに近付いていく。
「──もう見張る必要はありません」
「!」
広場を背に話し込んでいた兵士たちが、そう声を掛けてきたジャンヌをハッと振り返った。
「この人たちを自由にしてください」
「良いのか!?」
今の雷門イレブンの命は、兵士たちを率いるジャンヌが握っているようなものだ。その様子を、天馬たちは固唾を呑んで見守る。
「ええ。私が思うにですね、敵のスパイではありません」
「何故だ!? どうして断言出来る!」
渋い表情で言い返す兵士の1人に、ジャンヌは小さく俯いた後顔を上げ、真剣な面差しで口を開いた。
「……ここへ来る途中見たんです。空に不思議な光が輝くのを……そしてこの人たちが現れた。もしかするとこれは、神が遣わされた救いの手なのかもしれませんし……!」
天馬たちはそっと顔を見合わせる。もしかしなくても、ジャンヌが見た光と言うのはタイムマシンがワームホールを抜ける際に放たれる光のことではないだろうか。
彼らの心情を他所に、ジャンヌは猜疑心に満ちた目をしている兵士たちに続ける。
「こいつらが神の遣い……?」
「それが神のご意思なら、彼らは私と行く運命のはず……!」
力強く語るジャンヌの瞳は熱っぽく輝いている。その勢いに兵士たちも折れたらしく、2人は目配せを交わして「ジャンヌがそこまで言うのなら」と観念したように頷いた。
「……何だか、話が大きくなってませんか?」
「ああ……」
少し外を見回ってきます、とジャンヌはそのまま砦を後にする。
それを遠目に見送って、天馬たちは小声を交わし合った。神童はしばらく顎を摘まんで思案に耽っていたが、やがて硬い表情で面差しを上げた。
「……騙し続けるのは忍びない、せめて誤解を解こう。霧野、一緒に来てくれるか」
「あ、ああ」
「鷹栖も。俺たちの話を聞いたジャンヌの反応を確認して欲しい」
「ん、……分かりました」
猜疑心を見抜く程度であれば、精神感応を制御された状態でも可能だろう。依織はちらりと霧野を横目に見やり、頷いて答えた。
斯くして、神童、霧野、依織の3人はジャンヌを追い掛けて砦の外に出る。
塀沿いをぐるりと回ると、ジャンヌは砦の裏手にしゃがみ込んで野花を愛でていた。
後ろに控える霧野や依織と目配せを交わして、神童が先頭になってジャンヌの背後へ近付いていく。
「──ジャンヌ」
「は、はいっ!?」
ビクン、と肩を揺らし、ジャンヌは弾かれたように立ち上がる。そして声を掛けたのが神童たちだと気付くと、どうかしましたか、と表情を緩めて小首を傾げた。
「……やっぱり、嘘は吐けない。本当のことを話しに来たんだ」
「え?」
神童は眉根を寄せて、キョトンとまばたきを繰り返すジャンヌを正面から見据える。
「君が見た光は、確かに俺たちだ。……でも、神の意思とは関係ない。自分たちの意思でここに来たんだ」
「そんな……では、何故あなたたちは?」
悲嘆にも似た表情になったジャンヌに、神童は口を噤んで申し訳なさそうに首を振った。真実を話すには時期尚早だろう。
「……すまない。でも、サッカーを守りたいと言う気持ちは本当だ。そのためにここに来た。君が協力してくれれば、俺たちの大事なものが守れるんだ……!」
「──私に、その力があると言うのですか?」
語り口に熱が籠もる神童に、ジャンヌは目を見開いた。
その瞳には驚愕と疑念と怯えが見て取れる。その反応に依織が眉を顰めている間に、2人は笑みを湛えて頷いた。
「君なら出来るはずだ」
「……」
その瞬間、ジャンヌの顔色がさっと変わる。それは明らかに何かに怯えている表情だった。
半歩後ずさったジャンヌは突然震え出し、自分の体を抱えてその場に蹲ってしまう。
「ジ、ジャンヌ?」
「私にそんな力があるの……? イングランド軍を追い払えるかも分からないのに……!」
──その吐露は、到底兵士たちを率いている人間とは思えないような力無い弱音だった。
何か声を掛けようと一歩足を踏み出した依織を制して、霧野がゆっくりとジャンヌに近付いていく。
「ジャンヌ……怖いのか、戦いが」
囁くような問いかけに、ジャンヌは小さく頷いた。
「それなのに何故みんなを導く?」
「──神の声を、聞いたから」
神の声、と霧野はその言葉を反芻する。
ジャンヌは俯きがちに、問わず語りにかつて聞いたその言葉を繰り返した。
「神は言われたのです。オルレアンを守り、フランスを救えと」
ちら、と神童は依織に目をやる。
依織は射るようにジャンヌの顔を見つめているだけで、何も言わなかった。
「本当に、聞いたのか……?」
「本当ですッ! 本当なんです……!」
慎重な声色で尋ねた霧野に、ジャンヌは泣きそうに顔を歪め声を震わせる。ちょっと先輩、と後ろから咎めるような依織の声がすかさず飛んできて、霧野は居心地悪そうに体を硬直させる。
「私は神に導き手だと告げられたんです……だから、やらなきゃいけないんです!」
それは悲鳴のような声音だった。
声を荒らげたジャンヌは息を詰めて、こちらを見下ろす霧野をじとりとした目で見る。
「……疑うんですか」
はい、ともいいえ、とも霧野は答えられなかった。
けれど言い淀む霧野に、ジャンヌは分かっているとでも言いたげに首を振る。
「きっと、みんなも疑っていると思うんです。でも、本当なんです。私は本当に聞いたんです。幻聴なんかじゃありません……私はどんなに怖くても、進まなければならないのです……!」
「ジャンヌ……」
返す言葉が見つからず、霧野はただジャンヌを見下ろす事しか出来ない。
彼女は神から賜った言葉に従って、兵士たちを率いてここまでやって来た。──ただの村娘が自分の使命だけを信じて、一杯一杯になりながらも戦ってきたのだ。
その孤独と恐怖は、現代に生きる自分たちでは推し量れないものだった。
「──日が落ちてきました。そろそろ砦に戻りましょう」
すい、と霧野の横を通り過ぎ、依織がジャンヌの前に膝を突く。
傾いた夕日を背負って手を差し出す依織に、ええ、と小さく頷いたジャンヌはその手を取って立ち上がった。
「と、取り乱してしまってすいません。私は先に部屋に戻らせていただきますね」
「あ、ああ……こっちこそ、突然悪かった」
しどろもどろしながら謝罪する霧野に微笑んで、しゃんと背筋を伸ばしたジャンヌは砦の中へ戻っていく。
それを見送って、溜息を吐いた依織に神童が声を掛けた。
「ジャンヌの反応は、どうだった?」
「……正直、半々じゃないですかね。神童先輩の言葉を疑うと言うよりも、私たちが神の遣いなんじゃないかって心のどこかで信じたがっている……そんな感じ」
神の存在が信じられていた時代なだけあって、彼女は非常に信心深い。
雷門イレブンが現れた際に見た光、これから国を敵軍から開放しようというタイミングでの登場。神童たち本人が否定しても、それでももしかしたら、と願わずにはいられないのだろう。
「信じられるものは多ければ多いほど安心できる。でも……あの人の抱えてるものはそれ以上に多すぎて、その内パンクしそうだなって。心配なところではありますね」
「……そうだな」
小さく呟いて、霧野は赤く染まり始めた空を見上げる。目を閉じると、瞼の裏に体を縮めて震えるジャンヌの姿が焼き付いてしまっていた。