39

真っ赤な夕日が山間にその身を半分ほど沈め、部屋の明かりを付けざるを得なくなってきた時間帯に差し掛かった頃。
コンコン──と割り当てられた部屋の扉を控えめにノックする音に、依織と話し込んでいた葵が「私出ますね」と扉に走り寄っていく。

「はーい、……ジャンヌさん?」
「あ……お、お休みのところすいません。実は、皆さんにお話したいことがあって……よ、よろしいですか?」

外に立っていたのはジャンヌだった。眉を下げ、伺いを立てるジャンヌに葵は肩越しに神童が頷くのを見て、どうぞ、とにこやかに彼女を部屋へ通す。
「話って……?」天馬が首を傾げると、ジャンヌは指を握り込みながら、ゆっくりと口火を切った。

「えっと……私は明日、シャルル王子に援軍を頼みに行かなくてはなりません」
「援軍?」
「はい。イングランド軍に包囲された、オルレアンの街を開放する為です」

オルレアンに今現在、イングランド軍と戦う程の兵力もなく籠城を強いられている。
街にいる兵士、引いては住んでいる人々の気力も限界が近いはずだ。蓄えた物資にも限りがある。このまま籠城戦を続けていても、街が陥落するのは時間の問題だろう。

「それで、あの……い、一緒に来てくれませんか? 護衛として……!」
「護衛?」

予想もしていなかった頼みに、一同は目を丸くした。ジャンヌは頷き、集中する驚愕の視線に気圧されながらもしっかりとした口調で続ける。

「お話を伺う限り、あなたたちのサッカーの戦術が敵中横断の役に立つはずです」
「敵中横断って……そんなの危険だろ!?」

眉を顰め、水鳥が机を叩く。雷門イレブンは戦争を知らない一介の中学生たちだ。そんな子供を連れて戦場に赴いたところで、ジャンヌの期待するような働きが出来るとは思えない。
けれどジャンヌは震える声でこそあれ、毅然とした態度でこう続けるのだ。

「援軍を連れ帰り、オルレアンが無事解放されれば……私はあなたたちの為に力を尽くしましょう」

──その言葉に、雷門イレブンは一斉に沈黙する。
ジャンヌはただ話をしに来たのではない。彼らと取引をしに来たのだ。
真剣な表情は、ただの村娘ではなく1軍を率いる旗手のそれそのものだった。

「──分かった」

ややあって、机を叩くようにして霧野が立ち上がる。
彼は仲間たちの不安げな顔を見回すようにしながら言った。

「俺たちはジャンヌの力を必要としている。だったら、俺たちの力を必要としているジャンヌを助けるべきだ」
「霧野先輩……」

正直に言えば、メリットとデメリットが釣り合っていないとは思う。
しかし、あちら側に求めるばかりでこちらから何も差し出すものがないと言うのは余りに不義理だ。何より、この取引を断ればせっかく得たジャンヌの信用も溝に捨てることになってしまうだろう。

「……そうだな」
「あ、ありがとう皆さん!」

神童が納得したように頷き、仲間たちもそれに倣えば、ジャンヌは緊張していた表情を崩してホッとしたような笑顔になった。

「ほいじゃあ、みんなで行くぜよ!」
「ちゅーか鎧とか着ちゃうんだよな!?」
「武器はどんなのがあるんでしょうねぇ」

そうと決まれば、物事は楽しい方に考えなければ。あっさり頭を切り替える雷門イレブンたちに、あ、と小さく声を上げたジャンヌは申し訳なさそうに言う。

「あ、あの、馬車に乗れるのは8人なんです。だから、一緒に行くのは7人と言うことに……」
「ええ〜!?」

それじゃあ何人かは留守番か、と肩を落とす彼らに、ジャンヌも眉を下げた。

「出来れば1人でも多い方が私としても心強いのですが……すみません」
「いや……そう言うことなら、同行するメンバーを決めないと」

首を振り、神童が仲間たちを振り返ると、錦や浜野が早くもジャンケンの音頭を取っている。
ジャンヌはその様子に小首を傾げつつ、「夜にまた装備を持ってきますね」と部屋を後にした。

「はぁ……お前たち、遊びに行くわけじゃないんだぞ」
「わぁかっとるぜよ!」
「だって鎧着たり剣持ったりする機会なんてめったにないじゃん!」
「……とりあえずこの2人は留守番で良くねえか?」

はしゃぐ錦と浜野に白い目を向けた水鳥が言うと、神童も呆れた様子でそうだな、と再度溜息を吐く。
そんなご無体な、と縋り付いてくる2人をいなしながら、神童は顎に手をやり考えながら言った。

「では……1人はフェイ、お前に頼めるか。エルドラドに遭遇した時に、サッカー以外のことに対応出来る者が固まっているのはマズい」
「そうだね。うん、分かったよ」
「フェイに留守番を頼みワタシがジャンヌの方に同行すると言う手もあるぞ??」
「いや、ワンダバは悪目立ちするから……」

果敢に立候補するワンダバをやんわりと拒否して、次に、と神童が指名したのは黄名子だ。

「黄名子、お前は俺たちの中で一番ジャンヌとの接触が多かったな。お前がいた方が、彼女も緊張が解れるかもしれない」
「りょーかい! 任されたやんねっ」

ぴし、と笑顔で敬礼のポーズを取る黄名子に頷いて、それから──と神童は依織に目を留める。

「鷹栖、もしかしたらお前の目≠ェ役立つことがあるかもしれない。お前も同行してくれ」
「はい──まぁ今はもう私の力、コレで制御されてるので……ある程度の真偽を図ることくらいしか出来ませんが」

顔の横にブレスレットを装着した手首を持ち上げた依織に、そうなのか、と目を瞬いた神童は次に笑みを浮かべて言った。

「真偽を見抜く力は、お前が自力で身につけたものだろう? 俺が信用してるのは鷹栖の能力じゃなくて観察眼だからな。力が使えなくても問題はない」
「……そう言うことなら」

依織は数度瞬きをして、唇を引き結んで頷く。
そうなれば、後のメンバーは連携を考えて1年生で固めた方が良いだろう。残るメンバーに天馬、信助、剣城を選び、さてと神童は腕を組んだ。

「じゃあ、最後の1人は……」
「──神童」

背後から掛かった静かな声に、神童はパッと振り返る。
声の主はジャンヌの頼みを受け入れる発端になった霧野だった。

「俺に行かせてくれ。……頼む」

懇願する霧野はいつになく険しくも酷く真剣な面持ちをしている。
その表情から何かを感じ取ったのか、神童は微笑みを湛えて頷いた。

「──分かった。みんなを頼む」
「! ああ」

それから少し時間が過ぎて、ジャンヌが7人分の鎧を抱えた兵士を伴って再び部屋を訪れた。鎧の着方を同行メンバーに教えておくためだ。
鎧を持ってきた兵士は既にジャンヌに説得された後らしく、子供たちが城まで着いていくことに不満の色を顔に浮かべてはいるものの、特に何も言わず荷物だけ部屋に置いて見回りに戻っていく。

「そしてこれをここで止めて……」
「ううっ、身動き取れないっ」
「前が見えないよぉ!」
「それ、サイズ合ってないって……」

ジャンヌに手伝ってもらいながらどうにか着慣れぬ鎧に身を包み、体を動かすが思うように行かない。信助に至っては用意された鎧から頭が出ない始末だ。

「うわ、重っ!」

ふと黄名子が壁に立て掛けてあった剣を何とはなしに持ち上げて声を上げる。
「キャプテン持ってみて!」と黄名子から渡された剣を手に持ち、本当だ、と天馬は目を丸くした。

「よくこんなものが振り回せますね……」
「えっと……実は私もうまく使えないんです」
「え、そうなんですか?」

感心と驚きが混じる声で天馬が呟いたが、ジャンヌの返答は少し居心地悪そうなものだった。俯きがちになった彼女は、霧野の着替えを手伝いながらこう続ける。

「それでも……必要とあれば、剣を抜かなくてはなりません。どんなに恐ろしくても……」

それは天馬たちに向けたものではなく、まるで自分自身に言い聞かせているかのようだった。
ぱちん、と鎧の留め具を填める音がいやに響く。霧野はそんなジャンヌの横顔を見て唇を噛んだ。
ジャンヌの本心──数多くの人の命を背負っていることへの恐怖心を、ただ1つ聞いた神の言葉を信じて、必死に自分に出来ることを探すその焦燥感を知っているのは、自分と神童と依織だけなのだ。

「あなたが一緒に来てくれるんですね……えっと」
「ああ……名前か。霧野蘭丸だ」

ジャンヌが籠手を差し出しながら首を傾けたのを見て、そう言えばまだまともに自己紹介すらしていないのだった、と霧野は改めて名を名乗る。
異国の名前はやはり聞き慣れないのだろう、ジャンヌは一瞬不思議そうな顔になり、笑みを浮かべた。

「ランマル……よろしくお願いいたします!」
「……ああ」

──彼女は今の自分と同じだ。自分に出来ることを探し、焦り、藻掻いている。
緩く微笑みを返す霧野の心情もつゆ知らず、ジャンヌは穏やかに笑っていた。




翌日、まだ日が昇ったばかりの早朝。霧野率いる1年生たちは、ジャンヌと共に馬車に乗り砦を出立した。
道の敷かれた草原は、昔はさぞ青々と広がっていたのだろう。戦火に焼かれ見る影もなく、あちこちに戦いの爪痕が残されている。

「酷い……」
「長い間戦争が続いているのです」
「だからジャンヌが立ち上がったんだね」

歴史の教科書に載る『百年戦争』の名の通り、およそ百年間続いた戦争は人々の命だけでなく、フランスの美しい風景までもを脅かしてきたのだ。
ジャンヌは首から提げたロザリオを握り締め、信助の言葉に対して苦しげに呟く。

「神は私にフランスを救えと告げられました。でも……」
「その話をシャルル王子が信じてくれるかが問題だな」

腕を組み、低い声で言った剣城にジャンヌは俯いた。
相手は将来一国を担う大物だ。これまで出会ってきた農民や兵士たちのように簡単に自分の言葉を信じてくれるとは、流石のジャンヌも思っていないのだろう。

「でも、歴史ではジャンヌは王子に会えるはずなんだよね?」
「歴史は不安定になってる。門前払いを食らう可能性は十分にあるね」

希望を持って天馬が尋ねると、フェイが難しい顔で首を振る。今のところエルドラドがこの時代に介入した痕跡はないが、それもきっと今だけのことだろう。

「大丈夫だ、ジャンヌ。俺たちが付いてる」
「ありがとう……」

不安そうに唇を噛むジャンヌに霧野が声を掛けると、彼女の表情は少しだけ和らいだ。
やがて、遠目に城下町と白い城壁に囲まれた大きな城が見えてくる。シャルル王子が居城とするシノン城だ。

市街を抜け、城門を守護する門兵にジャンヌがシャルルへの謁見を願うと、十数分の間を置いて一行は城の中庭へと通される。
丁寧に手入れされた美しい庭だ。その中央で待つように指示された一行を、距離を空けつつも取り囲むように兵士たちが配置されている。

「私、疑われているんですね……」
「あんなの気にすることないやんね」

遠くから向けられる兵士たちの険しい視線に肩を落とすジャンヌに、すかさず黄名子がフォローを入れる。一刻も早くオルレアンに援軍を送らなければならないのに、と歯噛みする彼女に、霧野が落ち着いた声音で言った。

「ここで不安な顔をしていたら、上手く行くものも行かなくなるぞ」
「ランマル……」
「ジャンヌ・ダルクはフランスを救う。それが正しい歴史さ」

フェイが続ければ、そうそう、と黄名子が横から合いの手を入れる。

「ジャンヌ・ダルクは英雄やんね。ど〜んと構えてればいいんよ。神のお告げでもそう言ってたんでしょ?」
「……ふふ。そうですね」

胸を聳やかして励ます黄名子に多少緊張が解れたのだろう、ジャンヌは口角を緩めて頷いた。
そんなやりとりをしていると、身なりの高級そうな騎士が1人、一同に近付いてくる。

「ジャンヌ。王太子様がお呼びだ」
「! 分かりました」
「良かったね、ジャンヌ!」

たちまち表情を引き締めたジャンヌは、小さく頷いて騎士指差した扉へと歩を進めた。
しかし、これで王太子に会える、と天馬たちが後に続こうとすると、騎士が行く手を遮ってしまった。

「お前たちはここで待っていろ」
「えっ」

てっきり彼らも一緒に行くものだと思っていたジャンヌは、ショックを受けた様子で振り向く。
だが、ここで大人しく引き下がっては着いてきた意味が無い。霧野はこちらを睨め付けるような目で見下ろしてくる騎士の男を果敢に見上げて言い返した。

「俺も、従者として従います」
「…………1人だけなら、まぁ良かろう」

ややあって、霧野の真剣な眼差しに根負けした騎士は顔をしかめつつ頷く。
留守番を余儀なくされた天馬たちは、一先ず霧野だけでも同行を許されたことにホッと胸を胸を撫で下ろした。
ありがとうございます、と騎士に礼を言った霧野は、そのまま従者らしく一歩下がった位置からジャンヌに着いて城の中へと入っていく。

ギイ──バタン、と木製の扉がやたらと重たそうな音を響かせて閉まり、数分。
当然ながら中の声が中庭まで届くことはなく、天馬たちは兵士たちに引き続き見張られながら暇を持て余す。

「大丈夫かな。シャルル王子は疑り深い人だったって言うし……」
「疑り深い?」
「フランスの貴族にも、敵が大勢いたらしい」

眉を顰めたフェイの言葉に天馬が首を傾げると、剣城が扉に視線をやりながらぽつりと答えた。
この国の王太子でありながら、獅子身中の虫を常に警戒する身に置かれている人間。そんな人物が、神の声を聞くと言う少女の言葉を果たしてどこまで信じてくれるのだろうか。

「……待ってる間、サッカーしようよ。俺たちがめげてたら、ジャンヌだって頑張れない」

少し淀んでしまった空気を振り払うように、勢い良く顔を上げた天馬は背負っていた布袋からサッカーボールを取り出す。

「1人だけ何の荷物抱えてきたんだと思ったら、お前ここにまでボール持ってきたのかよ」
「だって、いつどこでサッカーやりたいなって思うか分かんないだろ?」

依織の呆れた視線に、天馬はさも当然のようにそう答えた。

「でも、天馬の言う通りだよ! ジャンヌが不安にならないように、僕らは元気でいなくっちゃ!」
「うん! よし──行くぞっ」

信助が同調するや否や、天馬は他の仲間の答えを待たずボールを高く打ち上げた。けれど、わざわざ答えなくともやることは決まっている。

「いきなりやんね! わわっ、動きにく……!」
「良いトレーニングになるかも、っな!」

重たく動きを制限される鎧を着たままでは、いつものようなプレーが出来るはずもない。それでも天馬たちは、ボールを一度追い掛ければ不安も忘れて夢中で走り続ける。

「えーいッ!」
「バカ、どこ蹴ってんだ天馬!」

庭の中央でサッカーを始めた天馬たちに、周囲の兵士は訝しむような眼をしている。そんな胡乱げな視線を受ける中、依織はふと銀髪の男が回廊で自分たちを見つめているのに気が付いた。

「あの人……」
「あっ、依織危ない!」

──瞬間、ぼんっ!と音を立て、立ち止まっていた依織の鼻っ柱に信助の蹴ったボールが命中する。

「ぶっ……」
「うわわ、ゴメン依織! 大丈夫!?」

ステン、とその場に尻餅を突く依織に、仲間たちがギョッとして駆け寄っていく。
どうやら鼻血が出るほどの衝撃ではなかったらしい、鼻を押さえる依織を助け起こしながら、剣城が溜息を吐いた。

「余所見してるから……一体何見てたんだ」
「や、あの人」

慌てる信助に大丈夫、と答えながら依織が視線をやったのは、回廊に佇む銀髪の男である。
あの人がどうかしたの、と天馬が尋ね終えるより早く、目を輝かせた黄名子が男の元にピュンと走り寄っていく。
そして二、三、言葉を交わすと、黄名子は満面の笑みで男を連れて戻ってきた。

「このお兄さんねぇ、サッカーに興味あるんだって!」
「えっ、本当に?」

それを聞いて目の色を変えるのはやはり天馬である。天馬と黄名子の期待の籠もった視線に気圧されながらも、男はごほんと咳払いをして姿勢を正した。

「丁度暇をしていたところだ。そのサッカーとやら、付き合ってやっても良いぞ!」
「やったぁ!」

よもや城の人間がサッカーに付き合ってくれるとは思いもよらず、天馬は喜色に顔を綻ばせる。
依織は首を傾げて、ちらりと周囲の兵士たちの様子を窺いつつ男に尋ねた。

「お兄さん、この城の人なんですか」
「うむ。余は一介の騎士である」

それは依織からすれば、能力に頼る必要のない分かりやすい嘘だった。彼が現れた途端、見張りの兵士たちに明らかに落ち着きがなくなった辺り、少なくともそれなりに地位のある人間なのだろう。
依織が彼の言葉の真意を分析している間に、天馬たちは自称騎士の男にサッカーのルールを簡単に説明していた。

「──ふむ、足だけでボールを操るのか」
「ボールを敵のゴールに入れたら1点!」
「なるほど、ゴールとは敵の城のようなものか」
「そうそう! 頭良いやんね」

ニコニコしている黄名子に、男は当然だ、とこれもまたニコニコとした笑顔で胸を張っている。
──ま、この感じなら悪い人間ではないだろう。
SSC由来の直感とは全く関係のないただの勘で依織は早々に見切りを付けて、事の成り行きを見守ることにした。

「せっかくだから、試合しようか!」
「人数偏るだろ。私は横で見とくよ」
「そう? じゃあ、とりあえずあそこをゴールってことにして──」

あれよあれよという間に話は進み、男は剣城と黄名子のFWチームに組み込まれ、試合をする流れになる。
ボールの蹴り方を簡単にレクチャーしながら、黄名子はしきりに頷きルールを把握しようとする男に言った。

「あなたはうちらのチームね。最初は後ろで様子を見てると良いやんね」
「後ろで様子を見てるだと!? それはならんッ!!」

途端、眉を吊り上げた男は大きく声を張り上げた。突然のことに、天馬たちは思わず肩を揺らす。

「騎士たるもの、城攻めに後れを取るわけには行かん!」
「……まぁ、良いだろう」
「うちはどのポジションでも行けるし、どこでもオッケーやんね!」

謎の拘りもこの時代の人間ならではなのだろうか。意見を変える様子のない男に剣城が溜息を吐き、さしもの黄名子も苦笑いを交えて頷いた。

「先行は俺たちだ!」
「うむ!」

男に一投目を任せ、ボールを目で十分追える位置まで離れた依織が右手を振り上げる。

「それじゃあ──キックオフ!」
「おおりゃっ!」

依織が手を振り下ろした瞬間、男は黄名子から受け取ったボールを早速思い切り蹴り上げた。
当然、弧を描き落ちたボールは信助にヘディングで難なくカットされ、ムッと唇を尖らせる男に剣城が後ろから声を掛ける。

「いきなりシュートしても入らないぞ!」
「そういうものか……」
「サッカーはチームワークやんね!」

追い越し様にアドバイスして、黄名子はドリブルで向かってくる天馬に向かって駈けていく。
素早くフェイに送り出されるパスを剣城が中空でカットし、そのまま前方の黄名子へ戻すと言う素早いパスワークに、男は目を白黒させてその場で立ち竦んでしまった。

「ほら、お兄さん! 見てるだけじゃ負けちゃいますよ!」
「むっ……うむ!」

依織が即座に発破を駈けると、男はボールを天馬から背で庇い続けている黄名子の横を走り抜けていく。

「余に任せろ!」
「分かった!」

咄嗟に繰り出されたパスに男は見様見真似でダイレクトでヘディングシュートを放つ。──が、やはりこれも信助に再びカットされてしまった。

「惜しい〜〜! 良い線行ってたやんね!」
「なるほど……分かって来たぞ!」

──そのまま驚くべき順応力と運動神経で、いくらか手加減しているとは言え男は意外にも天馬たちの動きについて来た。
物事に対する分析能力が高いのだろう。頭が良い、と褒められて謙遜しなかったのは、何も不遜な態度を取ったわけではなかったのだ。

「下がれ!」

ドリブルで攻め込む天馬に対し、剣城の声を受けて黄名子と男は自陣へ下がる。天馬はそれを見て、背後に駆け込むフェイにパスを送り出した。

「フェイ!」
「任せて──わっ!?」

瞬間、すかさず繰り出された剣城のスライディングがボールをインターセプトする。
「来たか!」転がったボールが男の足下で止まると、彼は爛々と目を輝かせてゴールを見た。

「あ、シュートは無理だって……」
「余に不可能は──ないっ!」

言葉と共に蹴り上げられたボールは明後日の方向へ大暴騰して、見張りの兵士の側頭部に激突する。
そのまま跳ね返ったボールはそのまま虚を突かれた信助の頭上を通り過ぎて、ゴールとしていたアーチの中へ入っていった。

「あ!」
「は、入った……!」

偶然に偶然の重なった奇跡のシュートに、転がるボールを天馬たちがポカンと見つめる一方で、これが余の実力、と胸を聳やかした男は目を輝かせる。

「面白い! サッカー、面白いではないか! うわっはっはっはっは!!」

すこぶる楽しそうな男の笑い声は高らかに中庭に響き渡り、一行はどこか呆れた顔で笑い続ける彼をやや遠巻きに見つめるのであった。