16

後半終了まであと少し。
彼が動き出したのは、その時だった。

「うおおおおおッ!!」

突然、天馬が雄叫びを上げて走り出す。
依織も円堂も、弾かれたように彼を見た。

「──あ」

天馬を拡大して撮したモニターを振り仰ぎ、依織は小さく声を上げる。
天馬の目にあったのは、絶望でもなんでもない。

「(……さっすが、サッカーバカ)」

その目に映るのは闘志、ただひとつ。
一瞬でも心を過った不安も忘れ、依織はニヤリと唇の端を持ち上げる。
そうだ、天馬が簡単にサッカーを手放すわけがない。だから自分も大丈夫だと思えたのだ。

特訓を重ねた成果を発揮し、天馬は栄都からボールを奪い見事なドリブルで駆け上がる。
「キャプテン!」天馬が叫ぶように神童へボールを上げたが、ボールは彼の頭上を大きく飛び越えた。まだパスの精度は甘いのだ。

だが、それだけじゃない。神童は凍りついたように動かない。
それでも天馬は諦めず、ボールを奪ってはパスし、奪ってはパスしを繰り返す。いつか必ず、神童が応えることを信じているように。

「あと3分か」

円堂の呟きに、依織はハッと時計を見た。
残り時間は刻々と迫っている。
もう勝てないことは天馬も十分わかっているだろう。だが、これは勝敗の問題ではないのだ。
久遠の言っていた意味がやっと分かった。これは、無理矢理嵌め込まれた噛み合わない歯車が解放されるための──

「邪魔だぁッ!!」
「うわ……!」

フィールドを走り回る天馬に痺れを切らしたのだろう。声をイラつかせた栄都FWが天馬からボールを奪い取る。
「金田一!」ボールはそのまま、相手がキープするものと思われたのだが。

「たぁーーーーっ!」

体のサイズに似合わない大きな声を上げ、信助が跳んだ。
足にバネが入っているような跳躍力で中空へ飛び出した彼は、ボールをガッチリとカットする。
信助は地面に着地すると、天馬を振り返った。
力強い笑顔を浮かべ、2人は頷き合う。

「キャプテン──!!」

これが最後だと言うように、信助からボールを受け取った天馬は足をふりあげ振り上げた。
大きく打ち上がり、長い放物線を描いたボールは、神童の元へ落下していく。

その時、彼の目は何を映したのだろうか。

「うあああッ!!」

刹那。神童は急き立てられたかのように、足を振り上げる。
弾丸のように打ち出されたボールは、栄都キーパーの手を弾き──ゴールネットを揺らした。

次の瞬間、鋭いホイッスルの音が響き渡る。試合終了の合図だ。依織は自然と詰めていた息を吐き出した。
「はは……」円堂は驚いたのか嬉しがっているのか、小さく笑い声を上げている。

フィールドを映したモニターには、呆然とした表情でゴールを見つめる神童の姿があった。




「天馬」

──試合終了後。
苦い表情で控え室から出てきた天馬たちは、ハッと顔を上げた。
薄暗い廊下で、依織が待ち構えるようにして佇んでいる。

「依織……観に来てくれてたの?」
「観に来いって言ったの、お前だろ」

壁に背中を預けていた依織は、呆れたように肩を竦めた。
神童たちはちらりと依織を一瞥すると、その横をすり抜けて行く。

「初試合にしちゃ、頑張ったよ。天馬も信助も」
「うん……ありがとう。負けちゃったけど、さ」

天馬と信助は顔を見合わせ、複雑そうな表情をした。
当然の反応だろう。その後ろで、葵が見守るように2人を見つめている。

「──頑張る気力も始めからなかった先輩に比べれば、健闘した方だろうな」
「……何だと?」

仲間の後方を歩いていた倉間が、耳聡く依織の言葉を拾い上げ、立ち止まってこちらを振り向いた。
鋭い三白眼で睨み付けられているにも関わらず、肩越しに振り返った依織は飄々と答える。

「だって、そうでしょう。あんな情けないプレーして、虚しくならないんですか」
「んだよ──お前に、何が分かる!!」

「やめろ倉間!」語気を強めた神童が、依織に掴みかかろうとした倉間の肩を押さえた。
神童は1歩前へ進み出ると、依織と正面から向き合った。険しい表情は、彼女を敵かどうか判別しかねているようだ。

「……前に一度、会ったことがあるな。事情を知らない部外者は、サッカー部のことについては口出し無用だ」
「知っていたら口を出しても良いと?」

厳しい言葉を突っぱねるように言い返した依織に、「何?」と神童は眉根を寄せる。
彼の隣をすり抜け、すれ違い様、依織は目も合わせずに言った。

「考えて下さい。我慢し続けることが、本当に先輩たちのサッカーを守ることに繋がるのかどうか」
「っお前は──」

何を知っていると言うのか。そう尋ねようとしたのかもしれない。
しかし依織は先手を打つように、それじゃあ、と手を振ると颯爽とその場から去っていった。

「依織……」

半ば呆然と、天馬の呟いた声が廊下に反響する。
葵が、不安そうに彼のジャージの袖を引いた。




「──何の真似だ?」

英都学園の校門を出てすぐ。
バス停へ向かおうとするなり、依織はそんな言葉と共に剣城に進路を阻まれた。

「……何のことだよ」
「とぼけるなよ。何もかも知っているような口ぶりだっただろう」

剣城は剣呑な目付きで依織を睨む。どうやら先程の神童たちとの一連の会話を聞いていたらしい。

教室で数少ない会話を交わすときもそれなりに険しい目付きで見られるが、これはいつもの比ではない。
天馬たち、サッカー部を見るときの目だ。

「……私さ、ちょっとした特技があるんだ」
「……?」
「人の嘘が分かるっつーか。感情を読めるって方がしまりは良いかな。そういう特技」

剣城はあからさまに顔をしかめる。彼女の言わんとすることが、ピンと来なかったのかもしれない。
けれど依織は構わず続けた。

「だから、選手の目を見たら分かる。その人がどんな気持ちでサッカーをしてるのか。ただ、それだけ」
「ふん──地味な特技だな」

剣城はそう言い捨てて、目を背ける。
「そうか? 意外と便利だぞ」からかうような口調で言いながら、依織は彼の目を見つめた。そして、ずっと気になっていた疑問を正面からぶつけた。

「例えば、そうだな。入学式の日のお前」
「!」

剣城の肩が小さく揺れる。
1歩1歩、彼へ近付き、依織は囁くような声で言った。

「何でお前は、あんなに悔やんでるみたいな顔でボールを蹴ってたのか──とか」
「っ……離れろ」

どん、と剣城は依織の体を押し退ける。
少しよろけながらも体勢を立て直し、依織は肩を竦めた。

「別に、私の気のせいならそれで良いよ。百発百中、ってわけでもないし」
「──そうかよ」

鼻を鳴らし、剣城は踵を返す。
「また明日な、剣城」背中に投げ掛けた言葉は、返ってこなかった。