兵馬俑たちのひしめく部屋を後にし、回廊を進んだ先にあったのは今までとは少し違う絢爛な作りの扉だった。
ゆっくりと扉を開くと、ぶわりと草花の香りを纏った風が一気に吹き込んでくる。
そこには整えられた一面の野原が広がり、下界と同じ土地にあるとは思えないほど美しい景色があった。
「うわぁ、綺麗!」
「屋上は庭園になってたのか……」
そろりと庭園に足を踏み入れ、一行は辺りを見回してみる。
足下には野花が咲き乱れ、少し遠くへ視線をやると池や東屋が建っているのが見える。だが、どこを探しても人影は見当たらない。
キョロキョロと周囲を見渡した劉備は、そこで大声を張り上げた。
「孔明、約束だ! 姿を現せ! 出てこなければ誰もが赤面するような恥ずかしい言葉を叫ぶぞー!!」
「そんなこと言ってるとまた入城拒否されますよ」
ぼそりと突っ込んだ依織に天馬たちが苦笑いしたのも束の間、突然下から吹き上がるような強い風が起こる。
風に煽られ一斉に舞い散る花びらに、天馬たちは思わず目を伏せて──そろりと瞼を開くと、野原の中心に先程までなかったはずの人影が、花びらの舞う中佇んでいた。
「天馬──」
「あの人が……」
葵が小さく天馬の袖を引く。
ついにここまで来た、と天馬は小さく唾を飲み込む。劉備がじり、と1歩前に出た。
「孔明か……!」
淡い色の吹雪に包まれて、孔明がゆっくりと振り返る。
赤みの掛かった紫色の髪が、するりと絹のように肩から滑り落ちた。
「──よくぞ辿り着きましたね」
「え……っ」
ぱち、と天馬は目を瞬く。
柔らかく落ち着いた声、妖艶なかんばせ。距離はあるが、それでも間違えようもない。
そこにいた諸葛孔明は──紛れもなく女性だった。
「お、女の人……!?」
するすると滑るような足取りで東屋へ歩いて行く孔明に、劉備と関羽と張飛が急いでそれを追いかけていく。
それに続きながら、水鳥と茜が顔を見合わせ囁き合った。
「孔明さんて、歴史では男のはず……」
「歴史は100%真実とは限らないってことか」
稀代の天才軍師、諸葛孔明は女性である。こんな情報を持ち帰っても、現代の歴史家たちは到底信じてくれないだろう。
「速水先輩が聞いたら腰抜かすんじゃないですか?」
「違いない」
呟く依織に、神童が小さく笑う。
野原を走り抜け、やがて一行は東屋の腰掛けに落ち着いた孔明の元へと辿り着いた。劉備は既に孔明に話し掛けている。
「儂は民の為に新たな国を作ると心に決めた。その為には孔明、お前が必要だ。儂に力を貸してくれ!」
けれど孔明は劉備の熱い勧誘に対し、彼の方を見もせずに、話がまるで聞こえていないかのように羽団扇で優雅に顔を仰いでいるだけだ。
そして、ふいにその視線が持ち上がる。ばちりと孔明と目が合った天馬は、戸惑ったように肩を強張らせた。
「(何でこっちを……?)」
「このままでは曹操が国を手に入れてしまう! もし曹操が国を手に入れれば、民を蔑ろにした国になるかもしれん!」
「……あなたなら、この国を良き方向に導けると?」
劉備を見ないまま、孔明は尋ねる。
勿論だ、と劉備が間髪入れず頷くと、彼女はそこでようやく劉備に一瞥をくれた。
「では、あなたなら私の力をどのように使おうと言うのですか? 私の興味はそこです」
「む……それはまだ分からん。とにかく儂にはお前が必要だ! 儂と共に国を見渡してくれ……!」
一瞬たじろぎながらも、劉備は正直に答えて力強く胸を叩く。
それでも孔明の態度は変わらない。どころか、ふいと彼から顔を背けてしまった。
「……曹操についても国は良くならんぞ?」
これ以上言葉が出てこずに、絞り出されたのはある種、脅し文句のようでもあった。
それを小さく鼻で笑う孔明に、ついに劉備もお手上げな様子で考え込む。まさか、ここまで聞く耳を持って貰えないとは思ってもみなかったのだ。
「劉備さん……」
彼の目的も無事に果たされて欲しい、と願っていた信助は、難しい顔になる劉備を心配そうに見上げる。
「この調子じゃ、ミキシマックスのことを説明するだけでも難しそうだな」
「それどころか、話を聞いてもらえるかも怪しいぞ……?」
「聞かずとも分かっています」
後ろで小さく交わし合う霧野と神童の声が聞こえたらしい。孔明が良く通る声で、涼やかに言う。
まさか天才軍師はそんなことまで見通してしまうと言うのか──と思いきや、彼女がツイと視線を向けた先を見やると、いつの間にか仲間の輪から外れていたワンダバが孔明に向かってミキシマックスガンを構えていた。
「……ふ。お見通しか」
「やかましいわ」
そう言って何もなかったように格好付けたワンダバを、呆れ顔の依織が首根っこを掴んで早々に退場させる。
「聞いてくれ孔明……!」
気を取り直し、頭の中でもう一度考えをまとめたらしい劉備は再び孔明に語り掛けた。
「儂が作りたいのは、民が生き生きと暮らせる国だ! 儂はそんな国を作ると決めた! その為にはお前の力が必要なのだ……!」
しばし劉備の顔を見つめていた孔明は、おもむろに立ち上がり東屋から離れていく。
遠離っていく背中に、劉備はがっくりと肩を落とした。
「孔明……」
「一体何を考えている……?」
「兄者、あんな嫌なやつを仲間にするのは止そうぜ!」
苦言を呈す張飛に、劉備はしばらく唸り声を上げる。
ややあって、彼はぶるぶると頭を振って叫んだ。
「……ええい、考えていても始まらん! 顔は見せたんだ、もう一押しだ! 孔明ーーッ!!」
叫びながら孔明を追いかける劉備たちを、天馬たちはどうすることも出来ずただ見送るしかない。
「どうなるんですかね、あれ……」
「歴史上、劉備と孔明は協力関係を結ぶことになる。だが……」
眉を顰める依織に、神童は難しい顔で顎を摘まんだ。
今までの経験上、小さなことがきっかけで歴史に解れが出ることは理解している。エルドラドの介入が一度あったことを考えると、ここで歴史が変わってしまうのは有り得ないことでない。
「鷹栖から見るとどうなんだ? あの人、劉備さんに協力してくれそうなのか」
「いやそれが、あの人表情に出ないタイプなのか何考えてんのか全然読めなくて」
「確かに……」
尋ねてきた倉間に依織が頭を掻いて答えると、霧野が苦笑いを零す。
「でも……劉備さんは諦めてないんだ」
そこでぽつりと呟いたのは信助だった。
直後、劉備を追い掛け走り出した信助に、「待ってよ信助!」と慌てたように天馬と葵とフェイが、そして釣られたらしい太陽がそれに続く。
池の畔で立ち止まった孔明に、劉備は果敢に説得を続けていた。
「何度でも言う! 儂は民の為の国を作ると決めた! 絶対に諦めることは出来んのだ! 頼む、力を貸してくれ……!」
「──孔明さん、お願いします!」
ふいに、劉備のものとは違う丸みのある声が割り込み、孔明の肩が小さく揺れ動く。
驚いた劉備が足下を見ると、信助が同じように真剣な表情で懇願していた。
「信助……!」
「僕、孔明さんにも、劉備さんの思いを分かって欲しいです……!」
「俺もです!」
そこへ信助を追い掛けてきた天馬たちがそれに続く。
子供たちがこうして来ることは予想していなかったのだろう、関羽と張飛もまた目を丸くしていた。
「俺、劉備さんならきっと、みんなのための国を作れると思うんです!」
「劉備さんの力になって下さい、お願いします!」
だが天馬たちの懇願にも、孔明は依然彼らから背を向けたままである。
やがて彼女はもう一度、そのまま静かに口を開いた。
「あなたたちが何を思い描こうと、私には関係のないことです」
正論を返され、天馬たちは思わず口を噤む。劉備がどのような国を作るのか──天馬たちがこの先の歴史を知っていようと、この時代を生きる孔明からすればそれはただの『理想的な未来』でしかないのだろう。
「孔明、儂は──」
それでも、諦めるわけにはいかない。
劉備がめげずに声を掛けようとしたその瞬間だった。
「──来る」
「え?」
ふいにフェイが短く零す。
肩越しに劉備を振り向いた孔明は、何故か緩やかな笑みを浮かべていた。
一拍空けて、天馬たちはどこからともなく空気を切り裂くような甲高い音が近づいてきていることに気付く。
「この音は……?」
一行が周囲を見渡した次の瞬間、ドッ、と音を立て、何かが薄雲を突き抜けて岩壁沿いに飛び上がって来た。
驚きで大きく見開かれた目に、毒々しいまでの赤いバイク──のような乗り物の輝きが映る。
庭園の花を散らし、バイクは思いの外静かに停車する。操縦者は、先日中世フランスで相対したザナーク・アバロニクだった。
「ザナーク!」
「あいつが……!?」
話には聞けど、彼と会うのはこれが初めてである太陽の表情が硬くなる。
バイクから降り立ったザナークは不敵な笑みを受かべると、スフィアデバイスを取り出し仲間たちを庭園に召喚する。その中には先程戦った3人も含まれていた。
「今日は俺のトモダチ≠連れてきた。ザナーク・ドメイン──とでも呼んでくれ」
「ザナーク・ドメイン……?」
言われてみれば、フランスで戦った時とメンバーが総入れ替えされている。恐らくは、彼らがザナークの正規チームメンバーなのだろう。
「一緒にサッカーをしてもらう。もう逃がしはしないぜ……!」
そう言ってザナークが青いボタンに手を翳すと、やや緩やかな起伏があった地面は平らにならされ、花々は消え、あっという間に庭園の中心にサッカーフィールドが形成された。
元より、断ると言う選択肢はない。天馬はフェイと顔を見合わせて小さく頷き合った。
「よーーし! この試合はクラーク・ワンダバット様の名采配を見せてやる!!」
「劉備さん、監督をお願いしますっ!」
「良いだろう、任せておけ!」
出鼻を挫かれたワンダバが、劉備を振り仰いだ天馬の脇を勢いよく地面を滑っていく。
フィールドの端では、いつものように審判の為に召喚された赤帽子の男がわけも分からぬままマインドコントロールを受けてマイクを構えていた。
「何故……何故なのだ……!」
「どんまい」
地面に鼻をめり込ませるワンダバの背中を茜がさすって宥めるのを横目に、依織はちらりと信助の方に視線をやった。
丁度、グローブをはめた信助の元に劉備が歩み寄っていくのが見える。
「信助。キーパーとは最後の砦だったな」
自分が劉備に言って聞かせた言葉が返ってきて、信助は神妙な顔で頷いた。
にか、と笑って、劉備は言葉を続ける。
「しっかりな。お前がゴールを守り切れよ!」
「……はい! 頑張ります!」
各々準備運動を済ませ、雷門イレブンは庭園のフィールドに足を踏み入れていく。
自身の庭が未来の戦場に様変わりしたのも気にせず、孔明は1人東屋でそれを眺めていた。
「おい、ザナーク。この試合どうする」
「ふ……遊んでやるさ」
遊びねぇ、とザナークの返答を聞いた三ツ目のゴーグルの選手・エンギルはマスクの下でニヤニヤと口角を上げる。
仲間たちもまた、この試合がどんなものになるか想像もしていないだろう雷門イレブンを見てほくそ笑んでいた。
「相手はどんな攻撃をしてくるか分からない。気をつけて」
「ああ……!」
肩越しに言ってきた天馬に、太陽は胸の稲妻マークに手を添えてしっかりと頷いてみせる。
やがて、ホイッスル──ならぬ銅鑼がけたたましく打ち鳴らされ、ついに試合が始まった。
まずは剣城からボールを受けた倉間がドリブルで切り込んでいく。
「倉間さん!」
並走した太陽にボールが渡る。太陽はそのまま敵を抜き去り、前線を押し上げた。
「2人……3人……」
中盤を突破されたにも関わらず、ザナークはセンターサークルの傍に仁王立ちしたまま動く気配がなく、何かをカウントしている。
だが、それを気にしている余裕はない。
フェイの打ったシュートはDFに防がれ雷門陣内まで大きく跳ね返り、狩屋が止めたボールを霧野へ回した。
「錦!」
「おう!」
霧野が打ち上げたパスを、錦が受け止める。
「6人、7人……8人」
敵に奪われ、あわやゴールに飛び込みそうになったボールをすかさず依織が打ち返す。
「9人……!」
転がったボールを神童が押さえたその瞬間──ザナークが動き出した。蹴った衝撃で地面が抉れ、ごう、と風を切る音がその場に残る。
「10人!!」
「な──ぐわッ!!」
突如横からの強烈なタックルを受け、神童の体は勢い良く突き飛ばされた。
それはあまりに唐突で、神童本人ですら一瞬何が起きたか分からなかった。天馬たちの理解が追い付かないまま、ザナークはボールを押さえ声を張り上げる。
「こいつはあいさつ代わりだ! お前ら全員にボールを触らせてやったんだ──ありがたく思え!」
「……!」
その言葉にハッとして周囲を見れば、ザナーク・ドメインの面々はにやにやと余裕の笑みを受かべている。最初から、彼らは全力を出していなかったのだ。
「なめやがって……!」
「手を抜いていたのか……」
腹立たしげに剣城が舌打ちをし、フェイは顔をしかめて呟きながら神童を助け起こす。
そこでザナークはある一点に目を留めると、にやりと口角を持ち上げた。
「……おっと、まだ残っていたな。みんなでサッカー、楽しもうぜ!!」
最後の一人──信助を見据えたザナークは、地面を蹴り目にも止まらぬ速さで跳躍する。振り上げた足に途轍もないエネルギーが集約されていくのを見上げた信助は、咄嗟に闘気を練り上げた。
「ディザスターブレイク!!」
「《護星神タイタニアス》──『アームド』!!」
赤黒い電流のような闘気を纏ったシュートが地面を抉りながらゴールに襲い掛かるのと同時に、信助は咆哮を上げ化身を発現させる。
だがそのシュートの速度に信助のアームドはあと1歩間に合わず、瞬きの間に彼の体はボールごとゴールネットに押し込まれてしまった。
「信助!」
あれではまるで天災だ。さしもの劉備も焦ったように声を上げる。
きっと、ザナークはまだ遊んでいる。本気を出さずに、彼はあの強さなのだ。雷門イレブンに一層緊張が走る。
「そんな奴ら、さっさと逆転して本気にさせてやれよ!」
「みんなしっかり!」
「ファイト〜!」
マネージャーたちからの声援が飛び、一同は気持ちを切り替える。まずは点を取り戻さなくては、と選手たちの表情が引き締まる中試合が再開された。
剣城と倉間を戦闘に、バックパスでボールを受けた天馬は「上がれ!」と神童の号令で攻め込んでいく。
「太陽!」
天馬からのパスが、サイドを駆ける太陽に打ち上がる。
しかし──
「……!」
太陽は追いつく直前に何故か失速し、ボールはラインの外へ転がっていってしまった。立ち止まった太陽は、何かに驚いたように目を瞬いてボールを見つめる。
「気にしない気にしない!」
「っああ……!」
それを落胆と取ったのだろう、後ろから掛かった天馬の励ましに太陽は咄嗟に頷いて応えた。
「太陽……?」
やっぱり、何かがおかしい。依織は先程からあった太陽への違和感がよりハッキリと輪郭を持ってきたのを感じ、眉を顰める。
仲間たちもまた、兵馬俑たちとの闘いと比べ精彩を欠くプレーに違和感を持ったのだろう。不思議そうな視線を向けている。
「あいつ、どうした……?」
「……もしかしたら……」
何か思い当たることがあるのか、疑問を口にした倉間に神童は小さく呟く。フィールドを走り続ける太陽の表情はどこか険しいままだった。