今、孔明は何と言っただろうか。
天馬は今し方耳にした孔明の言葉を反芻しながら、おっかなびっくりそちらを見る。
「に、逃げるって……」
「今のままなら、最善の策は逃げることです」
やはり聞き間違いではなかったらしい。さも当然のように繰り返す孔明に、雷門イレブンは戸惑った顔を見合わせた。
「儂は何も成し遂げずに逃げることなど出来ん!」
すると、孔明の隣に進み出た劉備が語気を強くして主張する。
孔明はちらりと劉備に流眄を向けながら、羽団扇を口元に添えて続けた。
「私は今のままではと言いました。逃げないと言うのならば、状況を打開する策が必要です」
む、と劉備の眉が顰められる。勿論、彼の頭に孔明の言うような具体的な策は何一つ浮かんでいない。
言い返せない劉備に、孔明はフィールドを団扇で指しながら更に言った。
「ですが、皆は満身創痍……彼もザナークの力に怯えてしまい、立ち向かう気力はもうないはず。既に──勝敗は見えています」
ずばり指摘され、信助はしゅんと肩を落とす。的を射たその言葉に、反論する者はいない。
しかし、彼女の隣に立つこの男はそう簡単に引き下がりはしなかった。
「……確かに全てお前の言う通りだ。だが……儂は好かん!!」
「えっ?」
具体的な言い訳をするわけでもなく、ただ『好きではない』と言う理由で策を拒否されるとは思っていなかったのか、初めて孔明は驚いたような表情をして劉備を見る。
そんな孔明に構わず、劉備はフィールドへ──ゴール前に立ち竦む信助へ向かって、声を荒らげた。
「信助ぇ! まだ戦いは終わっておらんぞ!! 諦めて良いのか!?」
「……でも、僕の力じゃザナークの力を止めることは……」
「はっはっは! 確実に無理だろうな!」
項垂れた信助の弱音を笑い飛ばした劉備に、それを聞いていた天馬たちは「えっ」と呆けた声を漏らす。
そこは前向きに鼓舞するところではないのか。そんな天馬たちの困惑も構わず、劉備は続けた。
「儂も一人では曹操に太刀打ち出来ん! だからみんながいるんだ」
「え?」
目をしばたいて、顔を上げた信助は劉備を見る。目が合うと、劉備は険しくさせていた表情を緩めてニカ、と笑った。
「関羽や張飛……多くの仲間がいてくれたから儂はここにおる! どれだけ無様にやられても諦めないのはなぁ、共に力を合わせて守りたいものがあるからだ!」
「守りたいもの……?」
反芻する信助に、そうだ、と劉備は胸を叩く。
白い甲冑がガシャンと鳴った。
「民だ! 曹操に国を追われても尚、儂に付いて来てくれた民たち……儂は、いつも民が笑い、のびのびと暮らせる国を作りたい。皆の笑顔がないと、儂は死んでしまうんだ! 水がなくては生きられぬ、魚のようにな……!」
──劉備の言葉は、誇張でも何でもないのだろう。
きっと彼は民の全てから笑顔がなくなれば、本当に死んでしまうに違いない。そう思わせるだけの説得力が声に籠もっていた。
「その民を守るために強い国を作る必要がある。その国を作るまで、儂は諦めん!!」
それなり距離があるはずなのに、劉備の声はまるですぐ正面にいるかのように信助に真っ直ぐ届いてくる。指先に恐怖とはまた違う、ビリビリと痺れるような感覚が走った気がした。
「信助。守りたいものがお前にもあるんだろう? だから儂らの時代までやってきたんだろう!」
「劉備さん……」
目を伏せ、信助はゆっくりと深呼吸を一つする。
そうだ。自分たちが負けたら、サッカーがなくなってしまう。近い将来に友人を1人、永遠に失うかもしれない。
ザナーク・ドメインは強く、恐ろしい。
だが、これまでだって強い相手と何度も戦って、その度に天馬たちと力を合わせて戦ってきたのだ。
サッカーがなくなったら、それも全てなくなってしまう。『自分』が『自分』でなくなってしまう。
「──守るんだ。サッカーを……みんなと一緒に!!」
両手の拳を握り締め、顔を上げた信助の瞳に闘志が宿るのを見て、仲間たちは小さく頷き合った。
「劉備さん! 僕、やります!!」
「うむ!」
声を張り上げた信助の答えに、劉備は満足げに口角を上げる。
孔明はそんな2人の様子を見て、ほうと溜息交じりに呟いた。
「……劉備様の言葉が、彼に力を与えたと言うのですか」
これが我らの兄者だ、と関羽たちの自慢げな声が聞こえる。劉玄徳──その名前を、孔明は舌で小さく転がした。
「雨宮くん、ゴールはもう大丈夫だよ! だから点を取りに行って!」
「!」
先程と一変して、力強い笑みを向ける信助に太陽は目を見開く。
「劉備さんの言葉で目が覚めた。どんな相手だって、どんなシュートからだって、僕はもう逃げない! 雷門ゴールは僕が守る!!」
両手を広げ、信助はゴールの前で宣言する。今この瞬間、信助は真の意味で雷門のゴールキーパーへ成長したのかもしれない。
「ワンダバ、今ならミキシマックス出来るかも!」
「むうっ、そうか!」
ハッとしたフェイがワンダバを振り仰ぐと、ワンダバは即座にミキシマックスガンを取り出してもう一度光線を2人に照射した。
繋がる光は力強く、途切れない。
光を取り込んだ信助の髪は青へ、チャームポイントのヘアバンドは劉備の鎧に似た意匠へ変化する。
ついに劉備とのミキシマックスに成功したのだ。
「よし!! 絶対守る!!」
バンッ、とグローブをはめた両手を打ち鳴らし気合いを入れる信助に、目線を交わし合った仲間たちはポジションへ戻っていく。
試合はザナーク・ドメインからのスローボールから再開だ。
ボールを受けたザナークは、真っ直ぐにゴールの信助を見据え目を細める。
「劉備とのミキシマックス……どれ程のものか、見せてもらうぜ」
ピリピリと両チームに緊張が走る。劉備がテクニカルエリアから、庭園いっぱいに響き渡るほどの大声を張り上げた。
「大丈夫だ、信助! お前と儂ならどんな力だって止められる! 何だって守れるんだ!!」
「はい、劉備さん!!」
頷く信助の顔は自信に満ち溢れている。
ドリブルで進む間も惜しんだのか、ザナークは数歩進むことなくシュート体勢に移った。
「吹き飛ぶがいい! ディザスター──ブレイク!!」
「うおおおッ!!」
砂塵を立てて迫りくる凶悪なシュートに、信助は雄叫びを上げて突っ込んでいく。
仲間たちが固唾を飲み見守る中、視界いっぱいに広がっていた砂埃の中から現れたのは、見事シュートを止めた信助だった。
「なっ……何だと!?」
「やったぁ、信助!」
今までにない動揺を見せるザナークの声を掻き消さんばかりの勢いで、天馬が歓喜に飛び跳ねる。
しかし喜んでいる暇はない。信助はすぐにフェイに向かってボールを蹴り込んだ。
「ミキシトランス、『ティラノ』!!」
ミキシマックスしたフェイはそのままドリブルで切り込んでいく。ザナークのシュートが止められることを想定していなかったザナーク・ドメインの選手たちは、咄嗟に反応できない。
「ふん──図に乗るなァッ!!」
踵を返したザナークは、苛立った表情でフェイの進路へ飛び出していく。
だが次の瞬間、ふいにザナークの動きがほんの僅かではあるが鈍った。理由は分からない──考えている暇もない。その一瞬の隙を突き、フェイは素早く彼を抜き去っていく。
「く……!」
「依織ッ!」
ボールはそのまま依織、剣城へ渡り、最前線の太陽へと繋がった。
「(西園くんが止めて、みんなが繋いだこのボール──必ず決めて見せる!!)」
前線を上げた太陽はゴールを目の前に足を止め、一息に闘気を練り上げる。
「ミキシトランス、『孔明』!!」
ミキシマックスした太陽は、そのまま渾身の力でシュートを放った。
対し、サンドカッターで応戦するシュラだったが、太陽の執念とも言えるシュートの威力は強力だった。砂鉄の刃はシュートを止め切ることなく散り散りになり、シュラは体ごとボールと一緒にゴールに押し込まれる。
「やった!!」
これで得点は2対2と再び同点になった。仲間たちを振り向き、太陽は笑顔で親指を立てて見せる。
見事だ、とサイドライン際に立つ劉備もまた嬉しそうに笑っていた。
「また追いついただと? ふん……俺をここまで楽しませてくれるとは」
銅鑼が鳴り響く中、呟いたザナークは瞳をギラギラと輝かせ、ドリブルで切り込んでくる。
「面白い──面白いぞ、雷門! 本気で叩き潰してやるぜ!!」
雄叫びを上げ、ザナークは進路上にいた剣城と倉間を蹴散らした。
やはり彼の力は桁違いだ。だが、何としても残り時間であと1点を勝ち取らなければならない──雷門イレブンが残った力を振り絞ろうとしたその刹那。
「う……っ!?」
ザナークが突然、その場でつんのめったように立ち止まる。
そして苦し気な声を漏らしたかと思うと、次の瞬間その体から邪悪な色をしたエネルギーが溢れ出して来たのを見て、天馬たちはギョッと目を見開いた。
「何だ……この力は……っ!」
「な、何が起きてるんだ……!?」
呻いた彼から溢れる力は、見る見る内に強く大きく膨れ上がっていく。どうやらザナーク本人も自分に何が起きているのか分からないらしい。彼は胸を掻き毟るようにしながら、苦悶の表情を浮かべていた。
「──あの者の力が暴走しているのです」
「暴走!?」
当惑する劉備に対し、孔明は冷静だった。状況を分析した孔明は、さっと装束の裾を持ち上げて踵を返す。
「ここにいては危険です、早く逃げるのです!」
「でも、試合はまだ……!」
語気を強める孔明に、神童が咄嗟に反論する。孔明はそれにピシャリとした声色で言い返した。
「あれはただの暴走する破壊するだけの力……最早これは試合ですらありません。それでもまだ、戦い続けますか!?」
そう言われても、こんな展開は今までに遭ったことがない為にどうするのが正解なのか分からない。
子供たちの動揺を悟ったのか、そこで一気に武将の顔付きになった劉備が声を張り上げた。
「孔明の言う通りだ! みんな、ここは逃げるぞ!!」
断末魔にも似た絶叫を上げるザナークに、彼の仲間たちもまた危険を察したらしく次々に庭園から退避していく。
天馬たちが慌ててフィールドから駆け戻ってくるのを確認すると、孔明は東屋の腰掛けの背もたれをまさぐりながら言った。
「口を閉じていて。舌を噛みますよ!」
「えっ──うわあああッ!?」
瞬間、内臓がふわりと浮かび上がるような浮遊感。ガシャコンと言う音と共に足下に空いた大きな穴に、天馬たちは一斉に吸い込まれていく。
耳元で風を切る音が聞こえ続けて数秒、一行は慣性の法則ですぽーん! と宙に放り出された。
「あいたたた……」
「あれっ、ここって……!」
打ち付けた箇所を擦りながら辺りを見回すと、目の前には孔明要塞の大きな門がある。どうやら、要塞の攻略途中で落ちた穴と庭園に空いた穴は途中で繋がっていたようだ。
「おい、あれ!」
はたと我に返った依織が、少し焦った声で上の方を指差す。
それに倣い天馬たちが要塞の最上部を見上げると、ザナークから発せられたであろう光がここからでも見えるほどに膨れ上がっているのが見えた。
やがてその光は庭園全体を包みこむと──ドカン、と轟音を立てて爆発する。
砂や草花の燃えかすが風に乗りぱらぱらと落ちてきて、一行は呆然と煙を上げる庭園を見上げた。
「危なかったな……」
「孔明さんの言う通り、たまには逃げることも必要っちゅーことじゃな……」
ぽつりと呟いた霧野に、冷や汗を掻き顔を引き攣らせた錦が頷く。
「みんなを逃がしてくれたこと、礼を言うぞ」
庭園は残念なことになってしまっただろうが、お陰で怪我人は出ていない。子供たちの無事を確認し安堵したのか、劉備は穏やかに孔明へ声を掛けた。
「……やっとお前と話し合うことが出来るな」
染み入るように呟いた劉備に、孔明は緩やかに団扇で顔を仰ぎながら彼に視線を向ける。
「いや、何度も訪ねて行ってすまなかった。だが、民の平和のためにはお前の力が必要なのだ。儂と共に戦ってくれ、孔明!」
「いいでしょう」
「そうか、だめかぁ…………っえ?」
「い、いいのか?」これから時間を掛けてでも説得していく腹積もりだった劉備は、存外あっさりとした承諾に目を丸くした。天馬たちも驚いて顔を見合わせる。
「そう言いましたが?」
「ほんとか!? ほんとに儂らと……」
「ただし、一つだけ条件があります」
詰め寄って来る劉備を、孔明は団扇で制止してこう言った。
「私を部下ではなく──あなたのパートナーとすること」
「ぱー、とな……??」
聞き慣れない言葉に、劉備は眉を顰めて首を傾げる。
彼女の真意が分からない天馬たちもまた、不思議そうに事の成り行きを見守った。
「同じ目的の為に、思ったことを言い合える……対等であり、無くてはならない存在。そう、水と魚のような……ね」
「兄者と対等だと……!?」
弟分としては看過できない条件に、関羽と張飛の顔が反射的に険しくなる。
けれど、喧嘩っ早い張飛が自慢の矛を身構えるよりも、劉備がその条件に言葉を返す方が一足早かった。
「いいだろう!」
「兄者!」
「構わん。共に戦ってくれるのならな!」
快諾する劉備に孔明は目を細め、弟分たちは渋い顔を見合わせ額を押さえる。何せ、彼はこうと決めたら絶対にそれを実行する人間なのだから。
「だが、何故考えを変えた?」
「見てみたくなったのです。あなたのような人が国を治めたらどうなるのかを。それに……私がいなくては、あなたは戦に勝つことは出来ないでしょう」
空を仰いだ孔明は、そう言って小さく微笑む。
当然、張飛たちはそれに噛みつこうとしたのだが、彼女はそれに構わずキョトンとしている劉備の顔に団扇を向けた。
「あなたの長所と短所は全く同じ。こうと決めたら曲げない意思と実行力。しかし、その強すぎる意思によって痛い目に遭うことも多いでしょう。戦いでは、それが致命的な敗因となりうる」
「むう……確かに」
その言い草は、まるでこの要塞であった全てのことを見透かしているようだった。居心地悪そうに呻く劉備の顎髭を、団扇の羽が優しくそよぐ。
「それでもあなたは人を惹きつける。皆、あなたのもとに集まる。それは、何物にも代えることのできないあなたの力……そして才能。私はそれに賭けてみたくなりました」
黙って孔明の話を聞いていた信助は、そこでちらりと天馬を見上げた。何だかその話が、まるで天馬のことを言っているような気がして。
「儂に賭ける、か」
「戦ではしばしば状況に応じて、考えを変えることが必要……私があなたの指針となって、『考えの変え所』をお伝えすることにしましょう」
そうすれば、もうあなたは負けることはありません──そう自信たっぷりに締め括った孔明に、劉備はニヤリと笑った。
「生意気なやつだ。良かろう! 儂と来い、諸葛孔明! お前はこれから儂の、ぱ、……ぱー、と……?」
「パートナー、です」
「そう、それだ! はっはっはっは!」
豪快に笑う劉備に、関羽たちは諦めたのかヤレヤレと肩を竦めて苦笑している。
そんな様子を眺めて、パートナーか、と信助がふと口を開いた。
「いいね、孔明さんと劉備さん。会ったばかりなのに、ずっと昔からの友達みたい」
そんな信助の言葉に、天馬とフェイは顔を見合わせて彼に笑いかける。
「俺たちだってそうじゃないか。みんなサッカーで繋がった仲間だからね!」
「天馬……」
天馬に笑い返した信助はそこで何か思い出したのか、パタパタと太陽に駆け寄った。どうしたの、と信助に気付き視線を落とした太陽に、あのね、と信助は切り出した。
「ありがとう、雨宮くん! あの時ゴールを守ってくれて……!」
ぱち、と太陽は瞬きをゆっくりと繰り返す。そして、雷門イレブンたちを見回してそう続けた。
「──ううん。僕がダメだった時、みんなが助けてくれたからね。今度は僕が頑張る分だった……それだけだよ」
「雨宮くん……」
ふと信助が肩に重みを感じて振り返ると、信助の肩を軽く掴んだ天馬が微笑んでいる。
「信助、太陽。これからも一緒に頑張っていこう!」
「うん──よろしくね、雨宮くん!」
傷だらけのグローブを着けた小さな手。太陽はそれを握り返して、嬉しそうに笑った。
「太陽で良いよ」
「じゃあ、僕も信助で!」
握手を交わし、2人は擽ったそうに笑い合う。
その後ろで、依織は太陽の横顔を視界に入れながら満足そうに口角を持ち上げていた。
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:
「どうなっているんだ、俺の力は……」
一方、竹林の奥深くに辿り着いたザナークは自身の異変にただただ困惑していた。
あの爆発の後、ザナークは自身の力に唖然とした。あの美しかった庭園が、自分の立っていた僅か半径1メートルほどの範囲を残しほとんど壊滅していたのだ。
「自分でもコントロール出来ない程に大きいと言うのか? 面白い……!」
ここで未知への恐怖よりも好奇心が勝ってしまうのが、彼がムゲン牢獄に入れられた所以でもあるのだろう。
腹の底から湧き上がるザワザワとした感覚に、ザナークは知らず知らずの内に笑みを浮かべていた。
「──君は目覚め始めているんだ。SSCの力に」
「!!」
ふいに自分以外の声が竹林に響き、ザナークは顔をそちらに向ける。感情が昂っていたとは言え、周囲に人の気配がないことは確認している。なのに、この声の主はいつの間に背後に立っていたのだろう。
「……誰だ、お前は……!」
そこにいたのは背筋が曲がり長い髭を蓄えた、灰色のローブを纏った老人だった。ただ、その顔は深く被ったフードに隠れ一切見ることが出来ない。
警戒心を露わにするザナークに、その老人が何をもたらしたのか──天馬たちは何も知らず、劉備たちに見送られ現代へ戻っていく。次はどんな冒険が待っているのか、不安と期待に胸を高鳴らせながら。