59

「──っくしゅん」

小さな噴出音に、ふと意識が浮上する。誰かがくしゃみをしたようだ。
何となく目を開けてみれば、まだ夜は明けていない。大人しく寝直そうとしたところで、はたと気付くことがあった。

「……黄名子?」
「!!」

隣で寝ていたはずの黄名子がいない。視線を外の方に向ければ、丁度寝床にしていた穴蔵から黄名子が足音を殺して出て行こうとしているのが見えた。

「お、起こしちゃった? ごめんね、依織ちゃん……」
「いや……それよりこんな時間にどうしたんだよ」

目を擦り、依織は欠伸をしつつ小声で尋ねる。
トイレにでも行こうとしていたのだろうか。黄名子はしばらく答えに迷い視線を辺りに彷徨わせていたが、やがて何か決心したかのように依織に目を合わせた。

「──依織ちゃん、お願いしたいことがあるやんね」






目蓋越しに光が容赦なく差し込む。
それ以上に容赦がなかったのは、耳を劈くトーブの大声だった。

「起きろ〜っ!! おめーらロックスターに会いに行くんだろ? 行くぞ!」
「うう……分かったぁ……」

朝日の昇る方角を見れば、時刻はまだ夜が明けたばかりの早朝と言ったところだろうか。それぞれが欠伸を噛み殺しながら起き出す中、1人黄名子だけがやけに汚れた姿をしていた。

「泥だらけ……」
「随分寝相悪いんだな?」
「え、えへへ……」

服に着いた土埃を払いつつ、黄名子は気まずそうに苦笑いする。
そんな様子を見て、依織は呆れたように小さく溜息を吐いた。

最後に自動スリープモードになっていたワンダバを強制起動して、一行はトーブの先導で岩山を降りて行く。
しばらく歩いて行くと、やがて辿り着いたのは大きな峡谷の入り口だった。

「ここの洞窟にロックスターは住んでんだ」
「凄く大きな恐竜なんだろう? 危険はないのか?」
「心配ない。ロックスターはトモダチだ、とっても良いヤツだぞ!」

慎重に尋ねる霧野に、トーブはあっけらかんとした笑顔で言った。さぁ行くぞ、とトーブはそのまま獣の谷と呼ばれる荒れ地を昨日と同じようにズンズンと進んでいく。
崖をよじ登り、狭い谷間に体を押し込み、道なき道を進む。トーブからすればただの通り道の一つにしか過ぎないだろうが、天馬たちからすればこれだけでも十分な特訓と変わらない運動量だった。

「も、もうへとへと……」
「人の手が入っていない道だからね……」

草臥れた天馬たちが立ち止まっている間にも、トーブは急勾配のついた崖をするするとよじ登って進んでいる。

「す、すごい……」
「まるで恐竜だな……」
「おせーぞ、おめーら!」

頭上から声を掛けてくるトーブに、あとどのくらいなの、と息を整えた太陽が尋ねると、トーブは先の道を見遣ってこう答えた。

「うーん、あと半分てとこだな!」
「ま、まだ半分……!」

通りであんな朝早くに起こされたはずだ。昼間になってから出発していたら、辿り着く頃には夜になっていたことだろう。

「どんな恐竜なんだろう、ロックスター!」

仲間たちがぐったりしている一方で、信助だけは好奇心を絶やすことなく目を輝かせている。そんな友人に笑って。もうひと頑張り、と天馬は膝を叩いた。




「おーい、こっちだぞー!」

起床から既に数時間は経っただろうか。
相変わらず跳ねるように移動していくトーブとは対照的に、雷門イレブンは疲弊していくばかりだ。

「疲れっていうもんを知らねえのかよ……」

黄名子に肩を貸して歩く狩屋が呆れたようにぼやくが、やはり疲れているせいかいつもの毒気は抜けている。

やがて見晴らしの良い高台に辿り着くと、トーブがその先に見える岩山を指差した。

「ロックスターはあの洞窟に住んでんだ!」
「はぁ、やっと着いた……」

流石に好奇心だけでは保たなかったのだろう、信助がべしゃりとその場に倒れ込んだのを切っ掛けに、既に限界を超えていた雷門イレブンはやれやれと各々座り込む。

「ティラノサウルスを越える恐竜のオーラ……何としても、手に入れないとな」
「ああ……!」

そんな言葉を交わした霧野と神童が休む間もなく立ち上がれば、それに続かないわけにはいかない。
休憩も程々に一行がトーブに近付くと、トーブは岩山に出来た大きな裂け目に向かって声を掛けていた。

「おーい、ロックスター! おめーに会いたいってヤツ連れてきたぞ!」

すると中から濁った唸り声が響き、ずしん、と何か大きなものが動く音が近付いてくる。だが、どうも音の出所は洞窟の中からではないようだ。

「じ、地面が揺れてる」
「どんだけデカい奴なんだ……?」

振動する足下に狼狽える太陽に、少しばかり不安になってきた依織が呟く。
そうして岩山の影からゆっくりと姿を現したのは、昨日出会したものよりも更に大きな恐竜だった。縄張り争いで着いたのであろう目元の裂傷を引き攣らせ、獣の谷の主がこちらを見下ろしてくる。

「そんなとこにいたのか」
「こ、これがロックスター……?」
「デカいぜよ……」

ロックスターは天馬たちを視認すると、咆哮を轟かせるや否や軽自動車ならば軽く踏み潰せそうな脚をこちらに向かって振り下ろしてきた。
悲鳴を上げて咄嗟に逃げ出す雷門イレブンを、ロックスターは明らかな敵意を持って睨み付けてくる。

「ね、狙われてる!?」
「おいっ、どうしたんだロックスター!? こいつらは敵じゃない、良いヤツなんだぞ! ロックスター──」

目を見開いたトーブはロックスターを止めようと声を上げたが、ロックスターは聞く耳を持たずトーブは振り回された太い尻尾に撥ね飛ばされていく。

「あっ、トーブ!! ──うわわっ、こっち来た!!」

声を発した天馬の方へぐるりと方向転換したロックスターは、そのまま大きく口を開けて追い掛けていく。
逃げ惑う天馬たちに、岩肌に叩き付けられてひっくり返っていたトーブは動揺に目を瞬いていた。

「おかしいぞ……ロックスターはトモダチを襲ったりするようなヤツじゃない!」
「じゃどんなヤツなんだよぉ!?」

逃げ続けながら狩屋が叫ぶが、それでロックスターの脚が止まるわけもない。気合いの一声と共に跳ね上がったトーブは、身震いをして雄叫びを上げる。

「ウオオオッ!!」
「えっ……!?」

瞬間、彼の体から立ち上ったのは見覚えのある青紫の光を放つ闘気だ。湧き上がる闘気は鬣を持った獣人へと変貌し、携えた槍を振りかざす。

「け、化身を使えたのか!?」

雄叫びを上げ、鬣の獣人はロックスターに飛び掛かっていく。化身に押さえつけられたロックスターは、呻き声を上げて瞳孔を光らせた。

「落ち着け、ロックスター! ──うわあっ!」
「と、トーブ!」

ロックスターの力尽くの体当たりに、踏ん張りきれなかったトーブは化身諸共弾き飛ばされていく。
それを見て一瞬冷静さを取り戻した依織は、ワンダバの背負っていたリュックを奪って中を開けた。

「──剣城!」
「!」

大きく振りかぶって投げ付けられたそれを受け取り、剣城はハッとして頷くと、近場にいた天馬と太陽を捕まえる。

「い、いつもならこれで落ち着かせることが出来るのに……!」
「──俺たちに任せろ!」

ひっくり返ったまま呻くトーブに、剣城は声を張り上げる。依織から投げ渡されたのはサッカーボールだった。
剣城は天馬と太陽を伴って、ドリブルで果敢にロックスターへ向かっていく。

「何だ、アレ……!」

トーブは見たこともない白黒の球体に目を奪われている。その間にも3人はロックスターとの距離を詰めていた。

「天馬!」

目の前を横切るボールに、ロックスターの意識がそちらに逸れる。天馬はすかさずそれを太陽に打ち上げ、ロックスターの視線が剣城から外れた瞬間太陽は再び剣城へとボールを戻した。

「──デスドロップ!!」

高所から放たれたシュートが、ロックスターの横っ腹に激突する。
体勢を崩したロックスターは倒れることこそなかったものの、瞬きを数度繰り返すと憑き物が落ちたかのように大人しくなった。

「ロックスターが大人しくなった……! おめーら何やったんだ!?」
「あれは……サッカーと言うんだ」
「サッカー!? サッカーってすっげえんだなぁ!!」

答えた剣城に、トーブは目を輝かせている。窮地を脱した天馬たちは落ち着きを取り戻して、改めてロックスターを見遣った。

「でも、何があったのかな……本当は優しい恐竜なんでしょう?」
「お、そうだった。聞いてみっぞ!」

不安そうな葵にハタと我に返ったトーブは、がうがうとロックスターに向かって天馬たちには理解出来ない言葉を掛けた。
ロックスターはそれに応じ、低い声で唸り返す。

「何て言ってるんだろう?」
「……変なヤツが来て、そのサッカーに似たのをぶつけられたらしい」
「ええっ!?」

この時代に存在するサッカーボールは、天馬たちが持ってきたこの一つだけだ。それならば、自ずと答えは絞られる。

「エルドラドのルートエージェントが先回りして、ロックスターを洗脳したんだ!」
「どこまでも邪魔をする気か……!」
「懲りない奴らだな……」

トーブとの対話を終えたロックスターは、重たい溜息にも似た唸り声を漏らす。よくよく見れば息は途切れ途切れで、洗脳は解けたというのに目は虚ろで明らかに様子がおかしい。

「何だか弱ってるみたいやんね……!?」
「……自分はもう長くないって言ってる」
「えっ?」

険しい顔でトーブが通訳すると、ロックスターは更に唸り声を上げた。それは言葉と言うよりも、死期を悟った諦めの溜息にも聞こえる。

「な、何とかならないの!?」
「仕方ない。イキモノはみんなそうやって死んでいくんだ。それが万物のオキテだ……!」

突然の事態に上擦った声で尋ねる信助に返された答えは、今まで明るく振る舞い続けていたトーブにしてはあまりに厳しく、しかし現実を見据えたものだった。
ロックスターはトーブを見下ろすと、続いて何かを訴えるように一鳴きする。

「何だ、ビックのことか? ああ、分かってっぞ」
「ビックって……?」

ここに来て初めて出た言葉に天馬が首を傾げると、どこかからピイ、と何かの鳴き声が聞こえてきた。
振り返ると、天馬たちとそう大きさの変わらない──今まで見たものの中でも一際小さな恐竜がこちらを窺うようにして岩陰から顔を覗かせていた。

「恐竜の子供……!?」
「あいつがビック。ロックスターの子供だぞ」

ビックは天馬たちが敵ではないと判断したのか、岩陰から出てロックスターに駆け寄り鼻先を擦り合わせた。

「ロックスターはビックのことを一人前にするために頑張ってたんだ。……でも最後まで育てられそうになくて、心配だって言ってる」
「かわいそう……」

ビックはロックスターがそこまで弱っていることには気付いていないのだろう。無邪気に親の周りを彷徨く小さな恐竜に、信助は眉を下げる。

「しかし困ったな……ロックスターがここまで弱っていては、ミキシマックスが出来ないぞ」
「おいッ」

困り顔で呟くワンダバに、空気を読めと水鳥が噛みつこうとしたその時だ。
──グオオン、とどこか遠くで獣の咆哮が聞こえてくる。
何事かと背後を見遣ると、何か大きな恐竜が土煙を上げながらこちらへ向かって猛進してくるのが見えた。

「今度は何だ!?」
「と、トリケラトプス!」

真っ先にその正体に気付いたのは信助だ。トーブがあっと鋭い声を上げる。

「何しに来た、『デスホーン』!」
「デスホーン?」

どうやらあれもまたトーブの見知った恐竜のようだ。だが、彼の態度からしてどうも友好的な相手ではないらしい。

「あいつは獣の谷の暴れん坊で、ここらへんのボスの座を狙ってる! 弱ったロックスターを襲うつもりだな!?」

デスホーンの走りは止まる気配がない。このままでは轢かれてしまう、と天馬たちは慌てて近くの岩山によじ登った。
ロックスターは鋭い目つきでデスホーンを睨み付けると、一歩前に進み出た。その足下にはビックが震えて縮こまっている。

「子供を守ろうとしているのか……!」
「ムリだ、ロックスター!」
「あのままじゃロックスターが……」

正面切って睨み合う2体は、正に一触即発の空気だ。嫌な動機を感じながら、フェイが呟いたその時だ。

「──子供を守るのが親の役目」
「え……」

すっくと岩陰から立ち上がったのは黄名子である。フェイは目を丸くして彼女を見上げた。

「ロックスターの手伝いするやんね! キャプテン、手伝って!」
「うん!」

そう言って岩陰を飛び出す黄名子に、ボールを抱えた天馬が続く。
後輩だけに任せてはおけない、と錦や神童や霧野、仕方がないなと言いたげな顔をした狩屋が目の前に飛び出してくると、デスホーンは威嚇の雄叫びを上げた。
視界を飛び交い、時に体にぶつかってくるボールに、デスホーンは苛立ったように地団駄を踏み尻尾を振り回す。
あれに当たれば致命傷は必至だ。天馬たちはそれを一生懸命避けながら、ボールを使ってデスホーンを翻弄する。その様子に、おおっ、とトーブが感嘆の声を上げた。

「神童先輩ッ!」
「ああ! ──フォルテシモ!!」

天馬のパスを受け、神童がデスホーンの顔へ目掛け必殺技を放つ。顎の辺りにシュートを食らい一瞬仰け反った出るホーンだったが、決定的な一打には足りていなかった。

「あっ、ビックが!!」

反転し、デスホーンが矛先を変えたのは怯えて孤立したビックの方だった。信助が悲鳴を上げるが、虚を突かれた天馬たちの対応は間に合わない。
しかし、そこに割り込んでいったのはロックスターだった。弱り切っているにも関わらず、力尽くの体当たりはデスホーンの巨体を撥ね飛ばして岩肌に叩き付ける。

「やった!」
「ロックスター、つええ……!」

流石トーブが『一番強い』と称するだけのことはある。これ以上は不利と踏んだか、起き上がったデスホーンは悔しげに逃げ去っていった。

「良かった、これで──」

嵐が去った、と胸を撫で下ろしたのも束の間、次の瞬間ロックスターの体が大きく傾いでその場に倒れ込む。
ロックスターはそのまま起き上がる気配がない。ピイ、とビックが甲高い鳴き声を上げた。

「ロックスター!」

目を見開いたトーブが、ビックと一緒にロックスターへ駆け寄っていく。

「今の一撃で、力を使い果たしたのか……」
「しっかりするやんね、ロックスター!」

せっかくデスホーンを退けたのに、こんな結末はあんまりだ。黄名子が必死に声を掛けるが、牙の隙間から漏れる鳴き声は酷く頼りない。トーブはそれを聞くと、ハッとして表情を引き締めた。

「! ロックスター……ガオー!」
「……」

同じ言語でトーブが力強く応えると、ロックスターは笑顔にも似た表情を浮かべ──ゆっくりと、目蓋を降ろす。
そして、それが開かれることは二度となかった。






ロックスターの亡骸は、獣の谷が一望出来る高台に埋葬された。
トーブの頼みにより他の恐竜たちの手も借り、天馬たちも作業を手伝ってロックスターを弔い、小振りな岩の積み上げられた墓が完成する頃には辺りはすっかり夕焼けの色に染まっていた。

「えれえぞ、ロックスター! よくここまで頑張ったな……ぐすっ、ビックのことはオラが面倒見る……だから心配すんな! ……ううっ」

最後の岩を積み終わると、トーブは堰が切れたかのように泣き出した。その隣では、ビックが絶えず泣き続けている。

「万物の掟だなんて言ってたけど……やっぱり悲しいんだな」
「仕方がありませんよ。……大事に想ってた相手がいなくなるのは誰だって、悲しい」

男泣きするトーブの背中を見つめ呟く水鳥に、ぽつりと依織がそう返す。いつになく神妙な横顔を見上げて、葵はそっと依織の傍に寄った。

「っテンマ!」
「! な、何?」

乱暴に涙を拭ったトーブは、やにわに天馬を振り返る。

「オラにもサッカーを教えてくれ!」
「えっ……」

その懇願に、天馬は困惑に目を瞬く。
確かにロックスターを洗脳から解放するため、そしてデスホーンを追い払うために繰り広げたサッカーに、トーブは痛く感激していた。だが、それをこのタイミングで切り出すのはあまり彼らしくない気がしたのだ。

「オラにはトーチャンやロックスターみてえに、でっかい爪も牙もねえ……でも強くなんなきゃいけねえんだ。強くなって、ビックを守んなきゃいけねえんだ!!」
「トーブ……」

涙ながらに語られる理由に、天馬はぐっと唇を噛む。トーブはサッカーを、守るための手段として選んだのだ。

「うん──分かった!」

サッカーに取り組む入り口としては、少し歪かもしれない。でも、それが彼の助けになるのなら。サッカーを覚えることで、少しでも悲しさを和らげることが出来たなら──歪でも、悪いことではないのかもしれない。
小さな使命感に似たものを胸に、天馬はトーブの頼みを承諾した。