18

「放課後に河川敷?」

その日の昼休み。
葵に呼ばれた依織は、天馬や信助と合流して屋上で昼食を取っていた。
「そうなんだ!」天馬は今朝のテンションの低さとは打って変わり、今にも立ち上がりそうな勢いで言う。

「新しい監督が、グラウンドじゃ見えないものが見えるかもって!」
「スゴいよね、プロリーグの円堂さんが新しい監督なんて!」

隣に座る信助も興奮を隠しきれないようで、ピョコピョコしながら同調した。
「もう、落ち着きなよ2人とも」苦笑を交えて2人を宥めた葵は、それで、と依織を見る。

「せっかくだから、依織も見学に来ない?」
「……うーん」

依織は宙に視線を漂わせて唸った。
円堂のプレーは、当然テレビの中でしか見たことがない。
左手を負傷しているという今の状態では彼のサッカーを拝むことは出来ないだろうが──依織は単純に、円堂が天馬たちに何を教えるかが気になった。

「──そうだな。行くよ」
「そっか、良かった!」

「早く放課後にならないかなー!」弁当を掻き込んだ天馬は、焦りすぎたのか白米を喉に引っかけて噎せ込む。
ゲホゲホやっている背中を叩いてやりながら、依織はメロンパンを口に押し込んだ。

「(──あいつは、来るのかな)」

剣城とは今朝からまだ一度も会話をしていない。
やはり昨日の一件のせいか、声を掛けても無視される上に目すら合わせてくれないのだ。
あまりの露骨さに、一度あの尻尾のように伸びた後ろ髪を思い切り引っ張ってやろうかとも迷ったが、流石に思い止まった。

「(そういや、姉さんや有兄さんって円堂さんの友達なんだよな)」

その辺りの挨拶はしておいた方が良いのだろうか。一応、事が過ぎるまで自分と周りの人間との関係はなるべく伏せて置くようにと従姉たちから言われてはいるのだが。

「……ま、いっか」
「え、何が?」

「ただの独り言」こちらを見上げて来た信助に頭を振り、依織は残ったメロンパンを咀嚼する。
ほろりと崩れたクッキー部分が足元に転がり、風にコロコロと吹かれたそれを雀が啄んで飛び去って行った。




「依織!」

それから時間は飛ぶように過ぎ去り、放課後。
放課後を知らせるチャイムが鳴り終わるなり、葵が依織のクラスに顔を覗かせた。

「先に河川敷で待ってるよ!」
「ああ、うん。わかっ──」

最後まで言い終える前に、葵は「2人とも待ってよ!」と廊下を走り去って行く。
どうやら、天馬と信助は一足先に河川敷へ向かったらしい。

「落ち着かねぇヤツらだな……」

呟き、依織は肩に鞄を引っ掻ける。
ふと視線を感じて顔を上げると、横目でこちらを見る剣城と目が合った。

「……フン」

眉間に小さく皺を寄せ、鼻を鳴らした剣城はスタスタと教室を出ていく。
ちぇ、と思わず舌打ちした依織は、少し考えて廊下へ出た。




歩きながら思考を巡らせる。
かつて雷門イレブンを復活に導いた男、円堂守。彼がどんな采配でサッカー部を動かすのか、予想は出来ない。

「(サッカー馬鹿、熱血漢、猪突猛進……か)」

ひとつずつ、今まで聞いてきた円堂を表す言葉を思い出す。
今の雷門イレブンは、フィフスセクターにほぼ屈している状態だ。円堂は彼らを引き上げることが出来るのか、否か。

「それを手伝うのも私たちの仕事、だよな」

呟いて、依織は足を止めた。
眼下には河川敷のグラウンドが広がっている。

「おーい、葵ィ」
「あっ、依織!」

息を吸い込み春奈や水鳥たちとベンチに座る葵の名前を呼べば、彼女は振り向くなりパッと笑顔を見せた。
階段を下ってきた依織に、天馬たちと一緒に走っていた円堂がアレッと声を上げる。

「お前は……ええっと、鷹栖だったか。見学に来たのか?」
「はい、まぁそんな感じです」

小首を傾げた円堂に、依織は頷きながら葵の隣に座った。
「依織、円堂監督と知り合いだったの?」驚いたように目を丸くした葵に、彼女はうーんと小さく唸る。

「知り合いって言うか……昨日チラッと会っただけ」
「ふぅん……」

その言葉に、葵は昨日の依織の意味深な台詞を思い出したのか、少しこちらを窺うような目になった。
それに気付かない振りをしながら、依織はグラウンドで走り回る天馬たちを見た。2人はいつにも増して楽しそうな顔でボールを追いかけ回している。

「……先輩たちは来てねーの?」
「うん……」

尋ねると、葵は困ったように苦笑する。
曰く──円堂が自己紹介の時に言った勝つために特訓する≠ニいう言葉が原因だそうだ。

「多分、フィフスセクターから来た監督がそんなこと言うなんて思ってなかっただろうから……」
「変に思ってる、ってことか?」

依織が言葉を引き続けると、葵は小さく頷いた。

だが、彼らの言い分はもっともだろう。
フィフスセクターは、平等の名の元に選手たちに教育とを施している。
負け試合では正しく負けるように、勝ち試合では正しく勝てるように。その中で突然そんなことを言われれば、疑いたくなるのも仕方がない。
だが、円堂は実際フィフスセクターの息は全くか掛かっていないのだ。彼への疑いが晴れるのもそう遠くはないだろう。

「あっ、依織来てたの?」
「まーな」

考え込んでいる途中で、こちらに気付いた天馬が走り寄って来た。
黄色いユニホームは既に泥と汗で汚れてしまっている。

「どうだ? 円堂さんとの特訓」
「うん、楽しいよ! 俺、大人の人にサッカーの相手してもらうこと、東京に来てから全然なかったから」

嬉しそうに言う天馬の言葉に疑問を感じていると、葵がその答えを教えてくれた。

「天馬ね、小さい頃は沖縄に住んでたんだって」
「へぇ……」

天馬との付き合いはそう短くはないが、それは初耳だった。
今は、親元から離れ親戚の家に世話になっているという──依織は何だか既視感を覚え、首を捻る。

「そら、天馬! ボール行ったぞ!」
「あっ、はい! ──ぅわ、っと!」

ポーンと高く弧を描いて飛んで来たボールを見上げた天馬の足が絡まった。
そのまま体勢を立て直す暇もなく、天馬はドシャリとその場に転がる。

「あーあ……」
「ちょっともう、大丈夫? 天馬」
「いてて……う、うん。──あ」

打ち付けた腰を擦った天馬は、ふと顔を上げて小さく声を上げた。釣られたようにその視線を辿ると──

「剣城……」

階段の最上部には、剣城が佇んでいた。
階下を睨むように見下ろし、いつものように無造作にポケットに手を突っ込んでいる。
「おっ、来たか剣城!」声を上げた円堂が、能天気にそちらに手を振った。

「おーい、そのボール取ってくれ!」
「何……?」

円堂が指差したのは、階段のすぐ下まで転がったサッカーボールである。
眉間に皺を寄せた剣城とにこやかな円堂を交互に見比べながら、天馬たちは思わず息を潜めた。

「サッカー、やろうぜ!」
「……!」

爽やかに笑って言った円堂に、剣城はギリッと歯を噛み締める。

「虫酸が走るぜ、あんたのサッカーやろうぜ≠ノは……!」
「そうか? ──おーい、お前たちもそんな所にいないで来いよ!」

円堂は剣城の険しい視線をさらりと受け流し、後ろを振り返った。
何だ、と思う間もなく、円堂が見た方向にあった公衆トイレの影から、サッカー部員たちが居心地悪そうな顔でそろそろと姿を現す。

「……来てんじゃん、先輩たち」
「う、うん」

葵の声は驚いているが、少し嬉しそうだ。
天馬や信助も顔を見合わせ、表情を輝かせている。

「……神サマ、いない……」
「お前はそればっかりだな」

唇を尖らせた茜に、隣の水鳥が口元をひきつらせた。
更に言うなら、ピンク髪のおさげの先輩も──依織は霧野がいないことにも気付いたが、今は気にしないことにする。
ばつが悪そうにぞろぞろと並んだサッカー部員を見回し、「よく来たな!」と円堂はニカッと笑った。

「よし……まずは、みんなのキック力を見せてくれ。1本ずつシュートだ!」

円堂はそう言ってボールを置きゴールを指差したが、全員目配せを交わすばかりで動かない。
その空気に耐えきれなくなった天馬が、あの、と1歩進み出た。

「じゃあ、俺から蹴って良いですか……?」
「でしゃばるな、新入り」

顔をしかめた倉間が、天馬を制す。
そのまま前に出た倉間は、ちらりと円堂を見上げると、助走を付けてボールを蹴った。
──ズパン!鋭い音と共に、ボールがゴールネットを揺らす。円堂はにっこり笑って倉間を振り返った。

「良いシュートだ!」
「…………」

倉間は苦虫を噛み潰したような複雑な表情になって、円堂から顔を背ける。
円堂は気にしなかったのか、そのまま順番に部員の名前を呼んではシュートを打たせた。

最後に天馬がシュートすると(ボールはポストから大きくそれた高さに飛んでいった)、円堂は満足そうにうんうんと頷く。

「みんな良いぞ、実力は十分にある! ──じゃあ最後に、剣城!」

全員が、驚いた顔をした。勿論、当事者の剣城も含めて。
円堂の表情は、相変わらず笑顔である。

「残ってるのはお前だけだ! ──サッカーやろうぜ!」

カッ、と剣城が怒りに目を見開いた。
歯軋りした彼は、やがてゆっくりと階段を降りてくる。

「……」

足元に転がったボールをドリブルしながら前を通り過ぎた剣城を、依織はしっかと見上げた。
自然とサッカー部員たちは脇へ逸れ、ゴールまでの道が開く。

ぴゅう、と吹き抜けた一陣の風が、彼らの髪を揺らした。
カチリ──据え付けの時計が4時を指したその瞬間、剣城は足を振り上げる。

「デス──ソード!!」

あっ、と誰かが声を上げた。
砂埃を巻き上げ、黒く光る剣がゴールを貫こうとグラウンドを切り裂く。

「あ、危ない……!」

悲鳴のような声で天馬が小さく言った。
ぶつかる! ──誰もがそう思った瞬間、円堂の体がふと傾く。

ひらり。擬音にすればそんな風だろうか。
まるで木の葉のように自然な動きで、円堂はデスソードを躱す。
彼の頭の横すれすれを貫いたデスソードは、ゴールネットに突き刺さった。

「──すごいシュートだな! やるじゃないか!」

そして体勢を立て直し、円堂は平然とした笑みで剣城を振り返る。
剣城は虚を突かれたか、それともプライドを砕かれたためか、恐らくは後者だろうが眉間にこれでもかと言うほど深い皴を刻み込んだ。

「……っふざけやがって……!」

吐き捨てるように呟いた剣城は、そのまま踵を返す。
ズカズカと階段を上がって姿を消した剣城に、倉間が少しスカッとしたような顔で「ざまーみろ」と呟いた。