19

剣城が立ち去った後、河川敷のグラウンドに一瞬の静寂が訪れた。

「──はぁ、びっくりしたぁ。ぶつかるかと思ったよ」
「うん……」

胸を撫で下ろした信助に、天馬は曖昧に頷く。円堂が必殺技を使わずにデスソードを避けたことに違和感を感じたのだろう。
円堂の怪我の件はテレビではあまり大きく報道されず、マイナーなスポーツ雑誌で小さく取り扱われただけだったので、知らなくとも当然だ。

「よし、今日の練習は終わりだ!」
「えっ?」

手を打ち鳴らした円堂に、部員たちはキョトンとそちらを向く。
ただ1人1回、シュートを見せただけだ。グラウンドでは見えないもの≠フ説明もまだ聞いていない。

不思議そうな彼らの顔で思っていることを悟ったのか、円堂はニカッと笑った。

「みんな、勝つための特訓に来たんだろ? だったら見えたじゃないか」

何が? と子供達は互いに顔を見合わせる。
すると円堂は、どんと張った胸を叩いた。

「本気で勝利を目指したいと思ってる仲間の顔だよ──本気のサッカーをやろうと思ってるヤツらのな!」

一拍空け、天馬と信助の顔がパッと華やぐ。
そうだ。円堂は『勝つための特訓』と言ってみんなを召集した。勝つことを完全に諦めていれば、そもそも彼らはここに来ることもなかっただろう。
先輩たちも、勝ちたいんだ! ──そんな声が聞こえてきそうな顔だった。

「じゃ、明日からは学校のグラウンドで待ってるぞ!」

踵を返した円堂は、手でも洗いに行ったのかそのまま水道の方へ姿を消す。
部員たちは各々顔を見合わせると、誰からともなく帰路に着いていった。

「──私たちも、帰ろっか!」
「うん!」

葵の声にハッとした2人がベンチに戻ってくる。
ぼんやりとゴールを眺めていた依織を、天馬が振り返った。

「依織、帰らないの?」
「ん……ちょっとな。先、帰っとけ」
「分かった。じゃーね、依織!」

天馬たちは、水鳥や茜も連れ立ち階段を昇っていく。
しばらくして、ぽん、と叩かれた肩に振り向くと、微笑んだ春奈がこちらを見下ろしていた。

「ボール、依織ちゃんも蹴りたかったんじゃない?」
「……んなことありませんよ」

生徒たちがいなくなった今、春奈は既に教師でなく旧知のお姉さんに戻っている。
名残惜しげにゴールから視線を逸らした依織に、春奈は苦笑した。

「──お前もやって行くか?」
「は? ……ッ」

ポン、とふいに飛んで来たボールを、依織は思わずトラップして受け止める。
見ると、タオルを片手に円堂がゴールの前で笑っていた。

「好きなんだろ、サッカー!」

屈託ない円堂の笑顔に、依織は疲れた顔になる。
「じゃあ、私はこれで」と春奈は2人を置いて階段を上っていってしまった。これで助け船はいよいよ期待できない。依織はちらりと円堂を見上げた。

「何なら、必殺技でも良いぞ?」
「……受け止めてくれないじゃないですか」

半ば挑発するように言うと、円堂は負傷しているという方の手をプラプラ振って苦笑いを浮かべる。

「……まぁ、いいや。分かりましたよ──必殺技、使っても良いんですね?」
「ああ、良いぞ!」

大きく頷いた円堂は、依織のシュートがよく見えるようにゴールポストの脇に立った。
トン、トン──と軽くその場で跳び跳ねて、依織は助走をつける。

「……行きますよ」




──一方、時間を5分ほど遡り、天馬たちはというと。

「あれ? 天馬、スパイクは?」

ふとこちらを見上げて尋ねた信助に、天馬は「え?」と自分の手を見下ろした。
あるのは転んだときにつけた小傷だけだ。天馬はあっと声を上げる。

「わ、忘れてた……! ごめん、先行ってて!」
「もー、相変わらずなんだから……」

肩を竦めた葵の言葉に苦笑しながら、天馬は大急ぎで来たばかりの道を逆走した。
夕日はすっかり傾き、辺りは闇に包まれようとしている。

それから3分ほど全力疾走しただろうか。天馬は視界の端に捉えた河川敷のグラウンドに、思わずほっと息を吐いた。
誰かに持っていかれたりしてないだろうか。そんな一抹の不安が胸を過った、次の瞬間である。

──ズバァン!!

「うひっ!?」

突如鼓膜を震わせた大きな音に、天馬は飛び上がった。
何かが空気を引き裂いたような、そんな音だ。天馬は驚きつつも、音のした方──グラウンドへと駆け降りて行く。

ゴールの前では、円堂と依織が向かい合って何かを話していた。
ここからでは声はよく聞こえない。天馬は急ぎ足で2人に駆け寄る。

「──た──あのシュートを──いるなんて」
「まぁ、多少──ですけどね、……?」

「あれ? 天馬」足音が聞こえたらしい依織が、会話を中断してこちらを振り向いた。

「お前、帰ったんじゃなかったのか?」
「あ、うん。忘れ物しちゃって……それより、今の音って……?」

尋ねると、苦い顔になった依織とは対照的に、表情を輝かせた円堂が彼女の肩を叩きながら口を開く。

「ああ、今のはな、こいつの……いッ!?」
「電車の走る音じゃねーの?」
「ええ? そんなことないと思うけど……」

円堂の言葉を遮り、駅の方を顎でしゃくった依織に天馬は首を捻った。
もし彼の目があと1つ多ければ、依織が円堂の背中をギュッと抓ったのが見えたかもしれない。

「さっきのことは、しばらく他言無用でお願いしますよ」
「んぇ……何でだ?」
「色々と事情があるんです」

天馬が駅を見上げている間に、2人は小声で言葉を交わす。
「じゃあ、そういうことで」天馬が顔の向きを元に戻すと、依織は片手をヒラリと振ってせかせかと階段を上がっていった。

「……やっぱり、電車の音には思えないんだけどなぁ」
「はは、まぁ良いじゃないか」

背中で2人の会話を聞きながら、依織は駅の方へとやや早足気味に歩く。

──危なかった。今天馬にあれ≠見られたら、これまで秘密にしてたことが全部水の泡になるところだ。
ほっと息を吐いたところで、ブブブ、とふいに携帯が着信を報せる。
ポケットをまさぐりサブディスプレイを見ると、新着メールが一通届いていた。

「……? 予定変更=H」

思わず件名を読み上げ、メールを開いた依織は文面に目を落とす。
そこには、簡素な文章でこうあった。

本日中に目金の所へ行くように。詳しいことは追って説明する。

「ふッ……」

ふざけんな、と動きかけた口を、依織は寸でのところでつぐむ。
気にするな、このくらいいつものことじゃないか。自分に言い聞かせながら返信を打っているところで、またメールが来た。
追伸、と件名にあるあたり、どうやらこれは私用のようである。
*
今晩フリーダイヤルでそちらに電話を入れるとあいつに伝えておいてくれ。

「ち、ちくしょう!」

良いように伝言掛かりに使われて、今度こそ依織は口に出して叫び(通り掛かった犬の散歩中の老人がギョッとこちらを見た)、そのまま進路を商店街へ向けて走った。




目金の自宅は、商店街の裏手にある小さなアパートである。
少し入り組んだ場所に位置するそこは地図なしで辿り着くのは中々容易ではなかったが、依織は事前にメールの送信者から縮小した地図を受け取っていたため事なきを得た。

「ん……ここか」

部屋の番号を確認しながら廊下を歩き、依織はある一室の前で立ち止まる。
インターホンを押すと、小さな呼び鈴の後たっぷりと間を空け、鉄製の扉がゆっくりと開いた。

「──鷹栖さん。待ってましたよ」
「はぁ……」

待っていたと言われても。
依織は細渕フレームの眼鏡を押し上げた目金に、なんとも言えない返事を返す。

「さ、中へ」
「……お邪魔します」

周囲を警戒するかのように、目金は依織が部屋に入った途端、素早く扉を閉めて鍵を掛けた。
視線を巡らせると、もう夕方も過ぎたと言うのに電気もつけず、カーテンも閉めきった部屋はパソコンのディスプレイの光だけに照らされている状態だ。

依織は訝しげに目を細めながら、部屋の奥へ行く目金の背中に声を掛ける。

「目金さんとこって、まだノーマークなんでしょ? 何もここまで徹底しなくても……」
「念には念を、と言うでしょう? それに、こっちの方が影の協力者といった感じで、雰囲気があるじゃないですか」

依織は心配したことを少し後悔した。
その間にも、目金は何か探しているのかクローゼットの中に体を半分つっこんで何かごそごそしている。
やがて目金は探し物を見つけたのか、「あったあった」と眼鏡の位置を直しながら依織に向き直った。
その手には、少し大きめの紙袋がぶら下がっている。

「じゃあ、はい、これ。多分、サイズはあってると思いますよ。で、こっちが身分証明書。精巧に再現されてますが、あまりまじまじと見られると危ないので落とさないように!」
「は、はい?」

矢継ぎ早な言葉に頭上に疑問符をいくつも浮かべながら、依織は首を捻った。
目金も目金で、彼女の反応に首を傾げている。

「……鬼道くんから聞いていませんか?」
「いや、何ひとつ……」

彼から聞いたのは、目金の所へ行くことと、事情は後々知らされることだけだ。

依織は紙袋に手を突っ込むと、中身を取り出す。薄暗い部屋ではどうも分かりにくいが、どうやら洋服のようだ。
色は黒だろう。襟と袖は赤、ラインは金色の糸が使われている。合わせ部分は独特の作りだ。そう、まるで軍服のような。

そこまで考えたところで、依織はこれが何の服なのか理解した。
それと同時に、彼らが自分に何をさせるつもりなのかも──不本意ながら。

「……冗談キツいんですけど」
「スパイ・シティのようで良いじゃないですか」

目金が何かアニメのタイトルを挙げたようだったが、残念ながら依織にはそれが分からない。
紙袋の中には、上下セットの服以外にもいくつか小道具が入っている。

「(何で私、大人に振り回されるばっかなんだろ……)」

自問自答したが、当然答えが返ってくるわけでもなく。
目の前で何故か楽しげな目金と、今ごろゆたりとした椅子にふんぞり返っているだろう自分の兄貴分に、依織は溜め息を吐いた。