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白くなった体から水を滴らせ、エメラルドグリーンの双眸がじっとこちらを見下ろす。
湖から再び現れたマスタードラゴンの姿は先程までの邪悪なものではなく、絵本の終盤で見た通りの姿に戻っていた。

「マスタードラゴンが復活した……! 聖剣エクスカリバーで倒されたはずなのに……!?」
「マスタードラゴン……」

黄名子はふらりと立ち上がって、マスタードラゴンを見上げた。そして優しく目を細める聖獣に、彼女もまた微笑んで近付いていく。

「──その目が本物のマスタードラゴンやんね」
「あ、黄名子……!」

不用意に近付いたら危ないのでは。止めようとする天馬やフェイに「大丈夫、大丈夫!」と言って黄名子はマスタードラゴンのすぐ近くまで歩み寄った。
マスタードラゴンは淡く青白い光を放っている。その光を浴びると不思議と心が穏やかになって、黄名子はゆっくりと瞼を閉じた。

『──感謝します。菜花黄名子』

ふと頭に聞こえてきたのは優しげな女性を思わせる声だ。これはマスタードラゴンの声だ、と黄名子は直感で理解する。

『あなたとアーサー王が、私を救ってくれた』
「え?」
『あなたの思いと、エクスカリバーの光が私の心を覆っていた闇を払ってくれたのです』

そうだったんだ、と黄名子は目を瞬いた。あのときの叫びは決して無駄なことではなかったのだ。

『……あなたには守りたいものがある。そしてそれは、仲間たちの守りたいものとはまた少し違う。そうですね?』
「!」

ピタリと言い当てられて、黄名子は大きく目を見開く。それはまだ仲間の誰にも明かしていない、彼女の秘密だった。

『そして、その為に戦っている。それは途轍も無く深く、隠された”愛情“』
「この気持ちが……」

黄名子は愕然とした顔で、自分の胸に手を当てる。

『でも、優しさや愛情だけでは愛するものを守ることは出来ません。愛するものを守る為には、強さと賢さを身に付けなければなりません』
「強さと、賢さ……」

胸に手を当てたまま、黄名子は噛みしめるようにその言葉を反芻した。

『愛するものに降りかかる大きな危険に立ち向かう強さ……そして、愛するものの傷ついた心。その全てを理解してやれる賢さ。その両方を持つ者こそ、大切なものを守り愛を育む力を持つ』
「大切なものを守り、愛情を育む……」
『あなたは最後まで私のことを信じ、救おうとしてくれました。……今こそあなたの思いに報いましょう』

そう言って、マスタードラゴンは黄名子の顔へ鼻先をすり寄せた。暖かくてほっとする。

『野獣の獰猛さと賢者の賢さを授けます──』
「マスタードラゴン……」

その温もりに体を預けると、光が自分を包み込むのが分かった。暖かな力が身体中に漲っていく。

「おお……マスタードラゴンが自らミキシマックスしている!?」

そのやりとりは周囲の仲間たち目には一瞬の出来事に映り、会話の内容も届いていなかった。光の中、姿を変えていく黄名子にワンダバが呟くと、アーサーが目を眇める。

「ミキシマックス……?」
「マスタードラゴンが、オーラを黄名子ちゃんに送ってるんです」

葵が説明すると、ほう、とアーサーは興味深げに呟いた。

「黄名子……!」

明るい茶色だった髪は薄い金色へ、トレードマークのカチューシャはグレーへ。
毛先の一部を逆立たせた姿へ変わった黄名子へ、マスタードラゴンは告げる。

『思う存分力を奮いなさい。愛するもののために』
「──うん!」

キリリと眉を吊り上げて、黄名子は力強く頷いた。

「ミキシマックスコンプリート!」
『これぞ野獣の獰猛さと賢者の頭脳を持つ、ファンタジックリベロじゃ!!』

頑張って、と最後に言い残したマスタードラゴンは再び湖の中へと沈んでいく。元に戻ったとはいえ、やはりまだ完全に回復したわけではないのだろう。

「ありがとう、マスタードラゴン。……よし! これからが本当の勝負!!」

元気を取り戻した黄名子は、まだ呆気に取られている天馬とフェイの間をすり抜けてフィールドへ駆け戻っていく。
彼女の変化に一切の動揺も見せずに切り込んでくるパーフェクト・カスケイドに、黄名子はもう負ける気がしていなかった。

「もう先へは行かせないやんね! ”きらきらイリュージョン“!!」

闘気を一気に放出させると、色取り取りの花火が相手の体もろとも打ち上げる。ボールを奪った黄名子は、それを前へと蹴り上げた。

「キャプテン!」
「!」

天馬は真っ直ぐに届いた黄名子からのパスを受け取る。

「うち、分かったやんね! 一人で抱え込んじゃダメだって……だから、キャプテンも元気出すやんね!」
「黄名子……」

新しく得た彼女の力を無駄にしてはいけない。天馬は表情を引き締めて、敵陣へと攻め込んだ。
パーフェクト・カスケイドは一瞬で彼を取り囲むと、進路と退路を同時に塞ぎにかかる。

「天馬ぁ!」
「!」

脇を駆け上がりながら名前を呼んだのは錦だ。すかさずパスを回すと、彼は前線を押し上げながら声を上げる。

「天馬、わしらはおまんを信頼しちょるぜよ!……おっと!」
「天馬は僕らの横にいる!」

横からボールを奪われそうになりながら、錦は素早くフェイへとパスを渡した。ボールは更に繋がって太陽へと渡る。

「僕らだって、天馬の横にいるんだ!」

繰り出されたスライディングを飛び越えて、太陽からのパスを今度は依織が受けとった。

「リーダーの素質とか小難しいこと考えてないで、今まで自分がやって来たこと思い出せよ、天馬!」

仲間と肩を並べ、悩みを分かち合い、共に笑う。天馬がしてきたのは、仲間たちを先導することではない。隣に立って、その背中を押すことだ。
短くパスを繋いで、雷門イレブンは少しずつ──しかし確実に前線を上げてく。

「俺たちの思い──受け取れ!」

そして神童のパスが届いたその時、アーサーから聞いた言葉が脳裏に蘇った。

『松風天馬。確かにお前はリーダーという一種の指導者には向いていない。だが、人を率いるために本当に必要なのはそれではない』

──天馬っていつもそうだよね。……自分のこと、全然見えてない。
葵の言葉をようやっと理解した天馬の目に、涙が滲む。

「(俺、先頭を走れないかもしれないけど、でも、いつもみんなと一緒に走り続ける……そんなキャプテンになってみせる!)」

前方から敵が二人掛かりで走ってくる。涙を振り払って、天馬は剣城へパスを出した。

「剣城!」
「……やっと分かったか」

剣城は満足そうに笑って、走るスピードを上げる。
未だ予断を許さない状況ではあるが、前半とは心持ちが全く違う。清々しい表情でフィールドを駆ける天馬に、大介がやにわに声を張り上げた。

『今だッ、ミキシマックス! 10の力、絶対的な勇気と揺るぎない実行力で大地をも味方にする、キングオブMF!! 松風天馬を置いて他にあるまいッ!!』
「なるほど、ヨシ来たぁ!!」

咆哮染みた声を上げ、ワンダバがミキシマックスガンを取り出す。片方は天馬に、そして片方はアーサーに。
光で繋がれた二つの命は輝きを放ち、天馬に新しい力とそれに適した姿を与えた。

「ミキシマックス、コンプリート!」

一仕事終えたワンダバは、出てもいない煙を吹き消すようにミキシマックスガンの先端をフッと吹く。
癖のある天然パーマは金髪に変わり、少し長くなった襟足を靡かせる姿に「やったね、天馬!」と葵は嬉しそうに呟いた。

「行くぞッ!」

剣城からパスを受け取って、天馬は勢い良く走り出す。排除する、と機械的に繰り返すパーフェクト・カスケイドへ、天馬は手を前に翳して声を荒らげた。

「”王の剣“!!」

闘気を練り上げ形作られたのは、光を放つ聖剣だ。大きくそれを横薙ぎに振り抜くと、発生した衝撃波に敵は吹き飛ばされていく。

「依織!」
「ああ! ミキシトランス、『アルビダ』!!」

天馬からボールを受け取って、依織は一気にゴールとの距離を詰めた。

「”ヴァルトーール“!!」

巻き起こる嵐に雷鳴が轟く。稲光と共に落下したシュートは、キーパーを押し除けてゴールを貫いた。

「……異常事態」

高らかに吹き鳴らされるホイッスルに、レイ・ルクは呟く。
よし、と拳を握りしめた天馬は仲間たちを振り返った。

「この勢いに乗って巻き返そう!」
「おおっ!」

逆転への足がかりを得た雷門イレブンは、水を得た魚のように勢いを増していく。
その背を押し、支えているのはやはり天馬だ。アーサーはその姿を見つめ、穏やかに微笑んだ。

「……お前の持っている気質は、私の求めている理想の王の姿だ。民の横にいて、その声を聞くことが出来る。民の苦しみを自分のことのように分かち合うことが出来る。特別な才能だ」

葵はそっとアーサーの横顔を見上げる。その表情は民を導く王そのものであったが、同時に優しい父のような顔でもあった。

「それによって民の力は国全体の力となり、大きな敵にも立ち向かう力が生まれる」
「大きな敵に、立ち向かう力……」

そう語るアーサーに、葵は小さく呟いて天馬たちの姿を見つめた。それはきっと、今彼らに最も必要な力なのではないだろうか。

「”王者の牙“!!」

2点、3点。そして4点。怒涛の追い上げを見せた雷門イレブンはついにここで逆転を果たした。
それと同時に試合終了を告げるホイッスルが鳴り響き、マネージャーたちとワンダバは弾かれたようにベンチから立ち上がって選手たちに駆け寄っていく。
三回目の再戦で、雷門イレブンはようやくパーフェクト・カスケイドに打ち勝つことが出来たのだ。

元の人間形態に戻ったレイ・ルクは、特に言葉を発することもなく喜び合う雷門イレブンたちを眺め、音もなく姿を消した。




薄暗い洞窟を抜けて外へ出ると、爽やかな風が吹き抜けていた。明るい日差しの下、茜が絵本を開くと消えていたページが元に戻っていく。
紆余曲折はあったが、マスタードラゴンは元に戻った。攫われた黄名子も取り戻した。物語は無事に終幕を迎えたのだ。

「──では、そなたたちはこの地を立ち去ると言うのか」

アーサーは少し驚いたように目を見開く。
円卓の騎士として国を守ることは出来ない、と天馬が話を切り出したからだ。勿論、自分たちが違う世界から来たことなどは伏せたが。

「俺たちには、どうしてもやらなくちゃならないことがあるんです……!」

アーサーはじっと天馬の目を見つめる。その瞳に、先程までの迷いは見えない。
しばしの間を置いて、アーサーはにっ、と口角を上げた。

「よし。許す! 旅に出て己を磨いてこそ、本物の騎士だ」
「アーサー王……!」
「……最早迷いはないようだな。それでこそ、我が力を受け継ぐもの」

しっかりと頷く天馬の肩を叩いて、アーサーは力強い笑みを向けて語る。

「お前には絶対的な勇気がある。揺るぎない実行力がある。そして……そんな人間の元に、人は集まる」
「俺に?」
「私はお前の中に、私が求め続ける王の姿を見た。苦しむ仲間を力付ける希望の風……それが松風天馬、お前だ」

天馬はどこかポカンとした様子でアーサーの顔を見上げた。英雄と呼ばれる彼にここまでのことを言われるとは思っていなかったのだ。

「お前はなるのだ。みんなが安心して身を任せられる、本当の王にな」
「本当の王……」

神妙な顔で、天馬はその言葉を呟く。うむ、と頷いたアーサーは続けて周囲に傅いた雷門イレブン見回しながらこう言う。

「忘れるな、お前たちが円卓の騎士であることを! この先、どのような困難にも騎士誇りと勇気を胸に果敢に立ち向かうのだ!」
「はいっ!」

「私、騎士じゃねーんすけど……」極小さくぼやく依織に、拗ねるなよ、水鳥が苦笑して肩を叩く。
アーサーはエクスカリバーを天高く掲げて、円卓の騎士に栄光あれ、と空に轟く声で気勢を上げた。






「天馬と黄名子もミキシマックスか……こうなると、わしらのチームは既に時空最強じゃないんか?」
『バカモンッッ!』

アーサーと別れ、森の中。雷門イレブンは、未だどこに行ってしまったか分からないタイムキャラバン探していた。
その道すがら、木陰での休憩中に錦がそう溢した途端に大介が突っかかっていく。

『何度も言っておろうが! サッカーにおける強さとは、個人の能力ではない! チームの力は選手同士が生み出すハーモニーによって決まる! 11のピースが揃わねば、時空最強の力は発揮されんのだ!!』
「分かったぜよ……」

体があれば唾を飛ばすくらい怒鳴っているだろう大介に、錦は顔を引き攣らせて項垂れた。
仲間たちが苦笑いでそのやりとりを眺める傍ら、依織はふと少し離れた川の方へ行った天馬と葵の方へ視線をやる。
二人の姿はここからでは見えない。長柄の杖にしなだれ掛かってぼんやりしていると、ふと誰かが近くに立つ気配がした。振り向くと、剣城がすぐ隣に佇んでいる。

「宛が外れたか?」
「ん?」
「空野なら天馬の悩みを解決出来るって思ったんだろ」

洞窟に入る前にそんな話をしたな、と思い出して、「ああ……」と依織は声を返して肩を竦めた。

「葵でもどうにも出来ないなら、どのみち私にもお手上げだったよ」

発破をかけるのは得意だが、慰めるのは苦手だ。葵なら適切な言葉を選んで天馬の背中を押せるだろうと思っていたのだが、今回の一見は彼女でもどうにもならないくらい根が深かったらしい。

「天馬のやつ、いつも何とかなるさとかいってるクセに、妙に自己肯定感低いところあるからさ……」
「お前がそれを言うのか」
「私のどこが自己肯定感低いって言うんだ」

そう言われると、依織は居心地悪そうに顔を顰めて剣城に体の側面で軽く体当たりする。鎧が冷たい。
何はなくとも、これで天馬はキャプテンとしての自信を取り戻したのだ。パーフェクト・カスケイドに勝つことも出来たし、中々順風満帆なのではないだろうか。
元の世界に帰る方法が現状ないということ以外は。

「タイムキャラバン、どこ行ったんだろうな……」
「さあな……」

ブレスレットがない今、タイムキャラバンに強制帰還出来る転移装置は使えない。ワンダバ曰く、この世界に組み込まれたことでブレスレットが衣装の一部として変換され認識出来なくなっており、機能が失われているわけではない云々──とのことだが、肝心な時に使えないのはいかがなものか。
依織はブレスレットがあるだろう手首の辺りを撫でて、溜息を吐いた。




「──心配掛けちゃったね」

仲間たちの輪から離れた川の畔で、天馬は葵と一緒に水筒に水を汲んでいた。
ふと切り出した天馬に、葵はパチクリと目を瞬いて小さく微笑む。

「全く天馬は……」
「ごめん……前にもこんなことあったよね」

初めてキャプテンを任された時から何も変われていない。天馬は自分の成長具合に苦笑を浮かべた。
そんな幼馴染の横顔を見て、葵は少し眉を持ち上げる。

「……気のせいかな。キャプテンらしい顔になってる」
「キャプテンらしい顔……?」
「うん!」

どんな顔だろう、と頬を押さえて首を傾げる天馬に葵はクスクスと笑った。
そうして全部の水筒に水を汲んで、いざ仲間たちの元へ戻ろうという時である。

「──すごいよ、天馬くん」
「!」

聞き覚えのない、知らない声。立ち上がり振り向くと、いつのまにか背後にこの世界にそぐわない格好をした白髪の少年が立っていた。
表情はゴーグルに隠れて見えない。

「君は……?」
「ふふ……」

天馬の問いに、少年はゴーグルを額に持ち上げる。顕になったその顔に、二人はどうしてか見覚えがあった。

「似てる……天馬に」
「はは。それはそうかもね」
「どういうことだ?」

少年は笑って二人に歩み寄る。敵意があるようには見えないが、真意もまた読めない。天馬はそっと葵を後ろ手に庇った。

「僕の名は”サリュー・エヴァン“。みんな僕をSARUと呼ぶ」
「さる……?」
「伝えたいことがあって来たんだ。とても大事なことさ。君たちと僕たちについてのね」

SARUと名乗った少年の言葉に、二人は不思議そうに顔を見合わせる。

「良いかい、僕たちは──」
「……ん?」

SARUが話を切り出そうとしその時、突如頭上に紫色の光が差した。
何事かと考える暇もなく、二人の姿は光に吸い込まれていく。

「えっ?」

そしてそれは、離れた場所で談笑していた仲間たちも同様だった。
まるで最初から誰もいなかったかのように人気の消えた森の頭上には、巨大な円盤が浮いている。

「エルドラドに先を越されちゃったか……」

空の彼方へ消えていく円盤──大型のタイムマシンを見上げ、まぁいいや、とSARUは呟く。その顔には底の知れない笑みが浮かんでいた。