硬いベッドの上で目が覚める。欠伸を噛み殺して上体を起こした依織は、目を擦りながら部屋を見回した。同部屋になったマネージャー三人と黄名子はまだそれぞれのベッドでスヤスヤと寝息を立てている。
セントエルダに強制招集されて既に二晩が経った。
もうエルドラドから敵意は向けられていないと頭では理解しているものの、体はまだ警戒状態にあるのだろう。依織はここ二日あまりよく眠れていなかった。
「(先に自主練でもしとくか……)」
葵たちを起こさないようにベッドを抜け出し、身支度を整えて部屋を出る。宿泊エリアからスタジアムまではほぼ一本道なので迷うことはない。
ビルの中は防音が効いているのだろう、廊下は耳が痛くなりそうなほど静まり返っている。窓もないため今が本当に朝なのかさえ疑わしい。スタジアムに繋がるエレベーターの前まで来たところで、依織はあっと声を漏らした。
「剣城」
「……ん」
ジャージのポケットに手を突っ込んで、エレベーターを待っていたらしい剣城がぼんやりとした寝起きの顔で振り返る。
依織は少しだけ早足になって彼の隣に並んだ。
「おはよ。早いな」
「おはよう……お前も朝練か」
「そんなとこ」
剣城はぎゅっと目頭を揉んで瞬きを数度繰り返し、いつもの鋭い目つきになる。
依織は何だかその横顔に安心して、フと表情を緩めた。チーン、と音がしてエレベーターがやって来る。
「そっちの練習どう? キャプテンとしてはさ」
「特に問題は起きてない、が……上手く行ってるとも言えないな」
剣城は眉間に皺を寄せた渋い顔で答えた。まぁそうだよな、と疲れた声音になって返す依織にそちらも同じような状況だと察したのだろう、剣城は軽く溜息を吐いて階表記のランプを見上げる。
「……なぁ」
「うん?」
「どうして鬼道さんは、俺にキャプテンを任せたんだと思う?」
軽い振動と共に、エレベーターが目的の階に到着した。
依織は廊下に降りながら、怪訝な顔で剣城を振り返る。
「そりゃあお前、剣城が適任だと思ったからじゃねえの? キャプテンの経験あるだろ、ほら……入学式のあれ 」
「……あのチームには三国先輩たちだっている。俺の他にも適任はいたはずだ」
剣城は一瞬苦い顔をして、ぼそぼそと続けた。
ははーん、と依織はその様子を見て目を細める。彼は彼で、この二日間ずっとそんなことを考えて不安になっていたのだろう。依織はしばし考え込み、剣城の背中を強めに叩いた。
「ぐっ……」
「頭の良い大人の考えてることは分かんねーけど、有兄さんはサッカーに関して意味のないことなんかしないよ」
だから大丈夫。その言葉は口にせず、背中に触れる掌に力を込める。
剣城は言外の励ましを受け取って、痛そうに顰めていた顔を緩め軽く鼻を鳴らした。
「鷹栖の方は大丈夫なのか? 練習の後、議長のおっさんに呼び出されてるって聞いたが」
「ああ……色々実験に付き合わされてる」
「じッ、けん……!?」
たちまち面食らって声色を変えた剣城に、依織は思わず小さく噴き出してしまった。話のついでのように話題に出した割に、内心では随分と心配していたらしい。
「大丈夫だよ、ちょっと血ィ取られたり脳波調べられたりしただけだから」
「本当に大丈夫なのか……?」
しげしげこちらを見下ろしてくる剣城に、心配性だな、と依織は苦笑する。
こんな風にいつもの調子で話していると、自分たちが二日後、世界の実権を賭けた戦いに参加しなければならないことがまるで嘘のように感じられる。
けれどそんな束の間の穏やかな時間は、突然に終わりを遂げた。
「──うわっ!?」
実を結ぶ実感のない練習を一時休憩した正午過ぎのことである。
ドドン、と激しい轟音と共に、エルドラド本部ビルが大きく揺れた。
『──緊急事態! 緊急事態! 現在エルドラドビルはSSCの襲撃を受けています!』
すわ地震かと悲鳴と怒号が飛び交う最中、けたたましいアラートが響きナビゲーターの切羽詰まった声がどこかのスピーカーから降ってくる。
何だって、と雷門イレブンたちが動揺と恐怖に事態を飲み込みきれていない間にも警告は続く。
『これより棟内の職員並びに関係者各員の一斉転送を行います、衝撃に備えて下さい! 3、2──』
「えっ、転送って何?」
『1、』
それは正しく瞬きの間。
一瞬視界が輝き、気付けば雷門イレブンは見覚えのない場所にいた。
先程までいたスタジアムよりもどことなく暗く広く、乱立する太い柱が何メートルも上に伸びている。どうやらそれぞれ別々の練習場にいたメンバーもこの場に転送されたらしい。
「え、……えっ? どこだ、ここ……?」
「──エルドラド本部地下にある、避難用シェルターだ」
天馬の疑問に、高い天井に反響したのはトウドウの声だ。
慌てて振り返ると、そこには彼を始めプロトコル・オメガの面々、そしてビルにいたのであろう職員たちが顔色を悪くしながら手近な同僚たちを気遣っている。
「レイ・ルク。欠員は?」
「──生体反応を確認。ビルにいた者は残らず地下に転送された模様です」
トウドウの傍らに立つレイ・ルクの目が青っぽく光り、周囲をぐるりと見渡して答えた。
頭上からはまだ爆音が断続的に響き続けている。
「あの、一体何が起きたんですか?」
「警告を聞いたろう。SSCが本部を襲撃したのだ」
探る声音で尋ねた神童に、トウドウは額を軽く押さえながら答えた。
「ラグナロクを提案した以上、しばらくは手を出してこないのではないかと慢心していた。まさか再び襲撃してくるとは……」
「議長、打って出ましょう。今ならプロトコル・オメガも全員出動出来ます!」
「そうですわ! このまま本部を破壊されるのを待っているだけなんて……!」
「……NO。もう手遅れだ」
トウドウに詰め寄って進言するガンマとベータを遮り、アルファが静かに首を振る。
どうしてよ、と噛み付いてきたベータに、アルファは自分のインカムを指差して言った。
「ラジオが現在の襲撃の様子を中継している。本部は既に八割が大破、主要な施設は全て壊滅したと思われる。今から攻撃を止めたとしても大して意味はない」
「んぐぐ……!」
「……今はシェルターにいる人命を優先せよ」
歯軋りをして何か言い返そうとするベータを、トウドウは溜息混じりに片手で制す。
「しかし何故だろうな……ラグナロクを提案しておいて、このタイミングで襲撃など」
「分からん。……会話をする余地が残されていると良いのだが」
爆音と振動が止まぬ中でも平然と会話を続けているエルドラドの面々を、天馬たちは呆気にとられて見つめた。
現在進行系でテロリズムを受けているにも関わらず、彼らは至って冷静だ。雷門イレブンは改めて、ここが戦争の最前線なのだと嫌でも実感する。
それからどのくらいの時間をシェルターで過ごしただろうか。
頭上からの轟音が止んだ頃、レイ・ルクが再び目を青く光らせて天井を見上げ、こう言った。
「外部のアンプル反応、並びに危険性のある熱源反応の消失を確認。SSCのものと思しき生命反応多数。どうされますか」
「……私たちが行こう。皆はここで待機しているように」
そう答え、トウドウはサカマキを伴い出口に繋がっているらしい階段を登っていく。天馬はそれを見て、ハッとして声を上げた。
「ま……待って下さい! 俺たちも行きます!」
「ちょっとぉ、観光に行くわけじゃないんですよ?」
「わ、分かってるよ」
すかさず口を挟んできたベータに、天馬は慌てて弁明する。
SSCは敵だ。天馬もそれはもう理解している。それでもラグナロクが始まる前に、彼らと一度対面するべきだと天馬は漠然と感じていた。
「……良いだろう。来なさい」
「っはい!」
短く告げて階段を登っていくトウドウに、雷門イレブンは顔を見合わせそれに着いて行く。
──数時間振りに見た空は、すっかり赤く染まっていた。
紅の光に照らされて、雷門イレブンは呆然と立ちすくむ。あんなに立派だったエルドラドのビルは完膚無きまでに破壊し尽くされ、瓦礫の山と化していた。
「悪魔どもめ……!」
悲惨な景色に頭を抑え、サカマキが憎々しげに呻く。
そして、西日を背にして瓦礫の山の上からこちらを見下ろす影があった。
「SSC……!!」
天馬はトウドウの視線を追って、ハタと目を見開く。その集団の先頭に立つ白髪の少年の顔に、見覚えがあったのだ。
「……あっ、君はあの時の!」
「知ってるのか、天馬?」
声を上げた天馬に、神童が驚いた目を向ける。
アーサー王の世界で声を掛けられて、と口早に答え、天馬は少年──SARUに向かって問い掛けた。
「SARU! 君はSSCだったのか!?」
「そうだよ。僕はSSCを束ねるフェーダの皇帝さ」
「皇帝って……それってフェーダのリーダーってこと?」
信じられないという目で矢継ぎ早に尋ねる天馬に、SARUは嫌な顔一つせず穏やかに頷く。
「そう、この僕がフェーダのリーダー……そしてもうすぐ、世界のリーダーになるんだ。覚えておいてね」
依織はフェーダに注意を払いながらブレスレットに触れる。
表面上、SARUから悪意や敵意は感じない。単に感情を抑えるのが上手いだけかも知れない。あるいは、ただ自分たち以外の人間を見下しているが故にそういった感情を向けるに値しないと考えているのか。
どちらにせよ、依織にとっては中々戦いにくい相手だ。依織はぐっと唇を噛む。
「ラグナロクの開会セレモニーは楽しんでいただけたかな?」
「サッカーで勝負するんじゃなかったのか!?」
軽やかに語りかけるSARUに対し、神童は果敢に声を張り上げた。
「勿論これからサッカーをやるよ。世界を変える最終戦争……ラグナロクをね」
困惑する一行に構わず、SARUはそう言って右手を高く掲げる。
「じゃあ、準備に移ろう」
そうすると彼の周囲にいた仲間たちも追随して、同じように右手を掲げる。次の瞬間、SSCの体からじわりと紫色の光が溢れ出した。
すると足元の瓦礫がその光に導かれるように粉々に砕け、浮游し、彼らの背後で新たな建築物が驚異的なスピードで建造されていく。まるで早送りの映像を見せられているかのようだ。
「──さぁ出来たよ! 決戦の舞台、『ラグナロクスタジアム』! ここが新しい世界の始まりの場所になる!」
そうして粒子レベルで分解されて再構築されたエルドラド本部だったものは、たった十数人の少年少女たちの力であっという間に巨大なスタジアムへと変貌した。
「っこれが、SSCの力……!」
「こんなバケモンみたいな奴らと戦うのかよ!?」
「か、勝てっこないですよぉ……!」
超常的な力を目の当たりにした雷門イレブンが慄くのをニコニコと眺めながら、SARUは手でスタジアム入口を指す。
「このスタジアム内に君たちが好きなように使える生活スペースや、練習施設も作っておいた。ラグナロクの間、君たちエルドラドのミーティングルームとして使ってよ」
「元々エルドラドのビルを壊して作ったんだから、お前らの物じゃねーのに偉そうにさぁ……」
狩屋のぼやきを拾い、SARUは一瞬彼に鋭い目を向ける。小さく悲鳴を上げて天城の影に隠れた狩屋を見て満足したのか、SARUは表情を戻して続けた。
「……では、第一試合は明日。しっかり準備しておいてね──まぁ、無駄だろうけど」
「そんなのやってみなきゃ分かんないだろ!」
小馬鹿にした物言いに、信助が咄嗟に言い返す。
そこで反応したのは、SARUの隣でそれまで大人しくしていたガロだ。
「ハッ! 明日なんてタルいこと言ってねえで、今ここであいつらをぶっ飛ばしちまおうぜ!」
「……!」
攻撃的な態度を見せるガロに、トウドウたちもまた警戒心を強める。
怯む様子を見せた天馬たちを嘲笑いながら、ガロが腕を振り上げた時だ。
自分の頭より高い位置に掲げられたその腕を、不意にSARUが掴む。
「ガロ」
「っ、……分かった」
そして短く名前を呼ぶと、ガロはたちまち大人しくなる。天馬たちは思わずパチクリと瞬きをして、体を縮めたガロとSARUを見比べた。皇帝と自称していた通り、フェーダ内でのSARUの力は強いらしい。
「──約束する。ラグナロクで僕たちは、この力を使うことはない。この力を使わずとも、僕たちSSCが君たちより優秀だと証明してみせる」
その声はそれまでのどこか軽い調子だったものとは違い、真剣なものだ。
神童はちらりと依織に視線を送る。依織は顎を微かに引いて、彼にしか分からない程度に頷く。SARUの言葉は本物だった。
「SARU……」
「明日が楽しみだよ」
SARUは名前を口にする天馬に告げて背を向けると、一瞬こちらに笑みを向けて──仲間たちを伴い、姿を消す。
静寂が訪れ、途切れた緊張に誰からともなく詰めていた息をそっと吐き出したその時だ。
どさ、と何かが崩れ落ちる音がする。
「っ、フェイ!?」
音に釣られて背後を振り返った天馬は声をひっくり返した。
仲間たちの後ろにいたフェイが、真っ青な顔で地面に倒れている。黄名子が引き攣った悲鳴を上げてフェイに駆け寄った。
「どうしたの、フェイ! フェイ!!」
肩を揺さぶれど、フェイは目を覚まさない。
夕闇の中、ただ黄名子がフェイを呼ぶ悲痛な声が響き続けた。