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黄名子の衝撃的な発言に、休憩スペースは耳が痛くなるほどの静寂に包まれた。
呆気に取られた雷門イレブンは、黄名子とフェイの顔を交互に見比べて。

「こっ……子供ぉッ!?」

最初にリアクションを見せたのは黄名子のすぐ隣にいた天馬である。
流石のフェイも言葉を失った様子だったが、一気にざわめき始めた周りの反応で我に返ったのだろう、さっと眉を顰めて黄名子から目を背ける。

「僕が黄名子の子供? 何を言い出すかと思えば……こんな時に変な冗談は、」
「黄名子の言っていることは本当だ、フェイ」

言葉尻に被せてきたアスレイに、フェイはより一層困惑に顔を顰め彼を見上げた。よもや二人がかりでこんな大それた嘘を吐こうと言うのか──そんなことを言いたげな顔で。
だが、フェイを見下ろすアスレイの表情は真剣そのもので、嘘を吐いているようには見えない。フェイは目を白黒させて、思わず依織を振り返った。

「嘘、じゃ……ない」

依織は目をパチパチと瞬いて、自分の言った言葉も信じられないようなぼんやりとした声でフェイの視線に応える。

「で……でも、黄名子ちゃんとフェイは同い年でしょう? 親子だなんて、有り得ないですよ」
「いや……有り得ない話ではない」

声を上擦らせた葵の最もな疑問にそう返したのは、いつになく真面目腐った顔をしたワンダバだった。

「どういうこと……?」
「お前たち200年前の人間である雷門イレブンが、『今』この時代に存在しているのと同じ理屈だ。つまり、ここにいる黄名子は……」
「……ああ。彼女は、私がタイムジャンプによってフェイと同年代の少女の時代から連れてきた。黄名子は……紛れもない、フェイの母親なんだ」

ワンダバの説明を、アスレイは小さく頷いて肯定する。
そんなことって、と天馬は信じられない思いで黄名子の横顔を見つめた。
自分と同年代の小柄な少女は、大人びた顔でフェイを見据えている。

「私がフェーダにいる間、タイムジャンプしたフェイを守る役を誰にするか迷った。そこで、母である黄名子に頼むことにしたのだ」

目を伏せ、アスレイは苦い顔で続けた。

少女である黄名子の存在は、決してフェイと交わることはない。しかし未来で母と子としての深い繋がりを持つ彼女は、フェイのタイムルートに干渉するには最も最適な、──そして唯一の人物だったのだ。
勿論、何も知らないただの一般人であった彼女を、未来の戦争に巻き込むことへの抵抗はあった。
黄名子自身も突然現れた男性が未来の夫を名乗り、自分たちの子を救ってほしいなどと嘆願された時は酷く戸惑っただろう。
けれど何度も根気強く接触を図る内に、黄名子はアスレイに心を開き、彼の頼みを承諾した。フェイを見守り、導く役目を請け負って彼女は過去の世界へ飛んだのだ。

「──急に菜花がサッカー部の部員になっていたのは、フェイの父親によって行われたインタラプト修正によるものだったのか……」

顎に手をやり、得心がいった顔で神童が呟く。
あの時はまだタイムジャンプに慣れていないこともあり何となくで納得していたが、今にして思えば黄名子の登場はあまりにも唐突だった。
フェイは目を丸く見開いて、黄名子の顔を凝視していた。言われて見れば確かに、二人の目元はよく似ている。きっと親子だなんて知らなければ、気にもしなかっただろう。

「お父さんだって、あなたと別れて平気だったんじゃない。ずっと心配してたやんね。だからこそ支援者Xになったり、『私』のところに頼みに来たりしたやんね」

黄名子は絶句しているフェイに一歩近付いて、言い聞かせる口調で話し掛ける。

「あなたはひとりぼっちなんかじゃなかったんよ。ちゃんと、あなたのお父さんとお母さんに見守られてたんよ」

それは今までのような友人の一人としてではなく──子供を諭す母の口調、そのものだった。

「……そう、だったんだ……だから黄名子は、僕のことを……」

今までの戦いの中で、フェイは何度となく黄名子が自身を叱咤し、鼓舞してくれたことを思い出す。
どうして彼女がそこまで自分を気にかけてくれるのか、ずっと疑問だった。
ひた隠しにしていた筈の──ワンダバにすら話していなかった化身、ロビンのことを知っていたのも。きっとアスレイから聞いていたのだろう。彼もまた、影でずっと自分の成長を見守っていたのだから。

ハッと目線を上げれば、雷門イレブンの面々が神妙な顔で自分を見つめている。
フェイはぐっと唇を噛んで、彼らから目を背けた。

「──今更そんなことを知らされたって、もう後戻りは出来ない。信じてくれたみんなを、僕は裏切ったんだ!」

悲痛な声で叫ぶフェイに、天馬は息を呑む。
きっと戦っている間も、その気持ちはずっとフェイの心を苛んでいたのだろう。だからこそ、天馬の言葉にも耳を貸さなかった。貸すわけにはいかなかったのだ。信頼を裏切っておいて救いを求めるなんて、そんな虫の良い話があって良いはずがない。

「僕にはもう、フェーダを抜けても行くところはない……!」
「──あるよ、フェイ」

力強い声に、フェイはつられて顔をそちらに向ける。決して大きくはないけれど、はっきりとした声でそう言ったのは天馬だった。

「フェイの帰る場所は、ここにある」
「ここに……?」

揺れる瞳で繰り返すフェイに、そうだよ、と天馬は頷く。

「当たり前じゃないか! 俺たち、これまでずっと一緒にサッカーやってきた仲間だろ? フェイがサッカーを好きだって言った言葉は、絶対に嘘じゃない。だから一緒にサッカーを守ろうとしたんだろ!?」

天馬の隣で、依織が深く頷いている。フェイのサッカーを愛する気持ち、守りたいという気持ちが、後から植え付けられたものではなく心からの本心であることを、依織は誰よりもその眼で見て理解していた。

「フェイの帰る場所はここなんだ。絶対、ここなんだ!」

胸を叩いて、天馬は断言する。そうすると、それまで事をじっと見守っていた仲間たちも火をつけたように口々に喋り始めた。

「天馬の言う通りだ。フェイが誰よりも真剣にサッカーを守ろうとしていたことは、俺たちが知っている」
「帰ってこい!」
「フェイ……!」

フェイはぐっと息を詰まらせ、再び俯いた。小さく震える肩を見て、黄名子はアスレイを見上げて優しく微笑む。

「……ありがとう。天馬くん、みんな」
「これで良い……これで良いんだ。良かったな、フェイ……」

アスレイは噛み締めるように礼を言う。親の務めを表立って果たせない事を情けなくも思っていたが、フェイが良い仲間たちに囲まれていたことは何よりも幸いだった。
フェイがアルノの元を訪ねて以来、長らく保護者代わりを務めていたワンダバもまた滲む涙を拭いながら何度も頷いている。

そうしてしばらく俯いて肩を緩わせていたフェイだったが、やがてフッと息を吸い込んだかと思うとやにわに踵を返した。

「フェイ!」

その足は各チームの控え室に繋がる廊下へ向いている。天馬が咄嗟に声を掛けると、フェイの足はピタリと止まった。

「待ってるよ!」

──フェイは返事こそしなかったものの、小さく、しかし確かに頷いて去って行く。

「……僕にもいたんだね。一緒にいてくれる仲間が……」

静かな廊下で小さな独り言と共に溢れた涙は、やけに暖かかった。




「ごめんなさい、みんな。ずっと騙すようなことしてて」

再び静寂を取り戻した休憩スペースに、黄名子のしょぼくれた声が響く。
もう一つやらねばならないことがある。そう言い残したアスレイがその場を去ってから、ものの数分もしないタイミングだった。仲間たちは驚いたように、突然謝罪してきた黄名子を見やる。

「フェイを助けるためだったんでしょ? それに俺たち、騙されたなんて思ってないよ」
「キャプテン……」

天馬の意見に同調する仲間たちを見回して、ありがとう、と黄名子はほっとした様子で表情を緩めた。

「確かにちょっと変に感じてたことは色々あったけど……それでもまさか、フェイの母親だなんて思わなかったな」
「……その割には依織ちゃん、あんまりびっくりしてないやんね?」

ちら、と依織を見上げ黄名子が窺うような目で言う。あの衝撃発言の際、依織は目を丸くしてはいたものの誰よりも反応が薄かった。
依織は頬を掻きながらウウン、と唸る。

「驚きはしたよ。……ただ、それ以上にしっくりきたから」
「しっくり?」
「うん」

先日からずっと感じていた黄名子のフェイに対する態度、視線、言動への違和感。真実が明らかになった今なら、明確に言語化することが出来る。

「黄名子は、フェイの『お母さん』なんだなって」
「……そっか」

一瞬、黄名子は元から丸い目を殊更丸くして、どこか嬉しそうに細めて微笑んだ。
依織は黄名子がサッカー部に現れた時のことを思い返しながら、そうか、と呟く。

「そういう事情だったなら、初対面の時に私に憧れてたって言ってたのも実は嘘だったわけか。あれが見抜けないなんて私もまだまだだな……」
「そっ……それは嘘じゃないやんね!!」

途端に黄名子はカッと目を見開いて依織に詰め寄った。

「あの時言ったことは全部ホントやんね! 詳しいことは……今はちょっと話せないんだけど……! し、信じて依織ちゃん!!」
「わ、分かった、分かったから……!」
「浮気を疑われた旦那みたいになってるな……」

勢いに押されて仰け反る依織の胸に縋り付き、黄名子は嘘じゃないから、と切羽詰まった顔で繰り返す。
ぼそりと呟いた狩屋に、一瞬剣城の眉間が引き攣った。

「そ、それより! 今気にするべきはフェイのことだろ? 良かったのか、あのまま行かせて」
「うん、大丈夫。フェイはきっと戻ってきてくれるよ」

話の流れを強引に戻して尋ねてきた依織に、天馬は笑顔で頷く。
確証があるわけではない。ただ、あるのは信頼だけだ。
脳天気だな、と鼻を鳴らす依織もまた、言葉ほど心配はしていない。立ち去るフェイの瞳から曇りが消えたのを、しっかりと視ていたからだ。

「だったら、今の内に出迎えの準備でもしといてやろうぜ」
「えっ?」

パン、と軽快に手を打ち鳴らしてそんなことを言ったのは水鳥である。
準備って? と首を傾げた仲間たちに、彼女はニヤッと笑って見せた。


§


セントエルダ郊外、フェーダの拠点。
薄暗い板張りの廊下を、フェイは一人静かに歩いていた。他の子供たちはどこかへ出かけているのか、気配も感じない。
だが、今ばかりは好都合だ。
フェイは誰もいない広間へ入ると、脇目も振らずその最奥にある大きな書棚へ向かう。
読書家な誰かが集めたのか、それともこの建物の元の所有者が置いていったのか、書棚には隙間なく蔵書が詰め込まれている。
けれどその中に、ぽっかりと一箇所だけ空いている棚があった。

「……」

そこにポツンと収まっているのは、小振りなサイズの古めかしい箱だ。
そっと蓋を開ければ、クッションの上にフェイの握り拳よりも一回り程小さい石が鎮座している。
ピンクとも紫とも言えるような絶妙な色合いの、向こう側が少し透けている石。それを間近で見るのは、実に数ヶ月振りだった。

「……円堂さん。あなたを天馬たちの元へお返しします」

呟き、フェイはその石──クロノストーンを手に取る。
これ以上の長居は無用だ。クロノストーンを握り締め、踵を返したフェイは不自然な動きで静止する。
フェイが入って来たのとは反対側の扉の側、広間の隅。
一体いつからそこにいたのか、壁にもたれかかるようにしてSARUが佇んでいた。

「SARU……」
「困るなぁ、それを持っていかれちゃ」

溜め息混じりに言って、SARUはゆっくりと壁から背を離す。

「円堂守がいないと、彼らが逃げちゃうでしょ?」
「逃げはしないさ。天馬たちは絶対に」

SARUはちらりとフェイに流眄を向けた。
フェイは爪先に体重を乗せ、すぐにでも走り出せる体勢でSARUを見つめ返す。SARUは、ふぅん、と興味なさげに鼻を鳴らして。

「……まぁ良いよ。持っていけば?」

あっけらかんと言うSARUに、身構えていたフェイは思わず目を見開いた。
円堂のクロノストーンを持ち出すのを見つかれば、確実に止められるだろうと思っていたのだ。その場合は念動力を使った戦いになるかもしれない、とも。
だが、SARUは本当にフェイを止めるつもりがないらしい。フェイは逡巡した後、慎重にSARUに話しかけた。

「SARU……僕たちがやって来たことは、間違っているんだよ」
「そうかな? ふふふ……」

SARUは感情の読めない笑みを浮かべ、肩を揺らしている。
彼はいつもそうだ。笑顔の奥に感情を隠してしまうから、本心が中々分からない。
ここに依織がいれば、その心の内が少しでも分かるだろうか──そんなことを考えながら、フェイは無理やりSARUから目を逸らす。

「じゃあ……行くよ。僕は天馬たちと一緒に戦いたいんだ」

硬い声でそう告げて、フェイはSARUに背を向けた。

「──君や円堂守があいつらの味方についたとして、決して勝ち目はないよ」

背後からパタン、と乾いた音が響く。
肩越しにそちらを確認すると、SARUがクロノストーンの入っていた箱の蓋を閉じたらしい。それだけにしては、嫌に響く音だった。

「その理由は、君が一番わかっているよね?」
「……フィールドで会おう」

その問いには答えずに、フェイは今度こそ広間を後にする。
SARUはしばらくの間閉ざされた扉を見つめていたが、やがて視線を手元に落として低く独り言ちた。

「迷子は両親の元へ戻って、めでたしめでたし……か」

くだらない。
苛立った声で吐き捨てて、SARUは箱の上に置いたままだった手をギリ、と握り締めた。