21

穏やかな陽射しの降り注ぐ静かな病室に、肌を刺すような空気が漂う。
いたたまれない表情の依織と苦々しく唇を真一文字に結んだ弟を見て、優一は小首を傾げ微笑んだ。

「ひょっとして、京介の友達かい?」
「な──」
「あぁはい、そうです」

否定しかけた剣城に、依織は素早く言葉を被せる。
ギロリとこちらを睨み付けた剣城に黙ってろと目配せして、依織は観念したように太陽の隣へ進み出た。

「同じクラスの、鷹栖依織と言います」
「そうか……良かった、京介ったら学校のことを聞いても友達の話が出てこないから、少し心配してたんだ」

「兄さん、」ほっとした様子の優一に、剣城はやめてくれと言わんばかりに顔をしかめる。
剣城はもう一度依織を睨むと、表情を向き直し兄へ視線を向けた。

「……兄さん、俺、何か飲み物買ってくるから。──おい、鷹栖」
「ん?」

「お前も付き合え」異論は認めない──語気にそんな言葉を滲ませ、扉を顎でしゃくった剣城は足早に病室を出ていく。
依織は肩を竦めると、「他所様で騒ぐなよ」と太陽に釘を刺してからその後を追った。




「──どういうつもりだ」

律儀に自販機の前までやってきた剣城は、ようやくこちらを振り返る。
険しい表情の剣城に、依織はやや困ったように頭の後ろを掻いて口を開いた。

「それは、今日病欠したのにピンピンしてることか? それとも、突然病室に現れたこと? ……それか、お兄さんに友達ですって言ったこと?」
「全部だ」

間髪入れず答えた剣城に、「ああそうかい」とおざなりに返した依織は、大きな溜め息を吐いてポケットに手を突っ込む。

「どうって言われてもな。とりあえず順に答えると……今日の病欠はちょっと私用で仮病使っただけだし」

依織は取り出した百円硬貨を3枚、自販機に投入してボタンを2回押した。
ガコンと出てきたペットボトルを2本小脇に挟み、釣り銭を取った彼女は横目で剣城を見ながら続ける。

「お兄さんの病室に来たのは、まぁ……事故みたいなもんだ。うちの幼馴染みの付き添いで。そんで、友達っつったのは」

カシュッ、と蓋を捻ると、小さく空気の溢れる音。少し中身を飲み込んで、依織は続ける。

「お前が私の名前を呼んじゃったから、だよ」
「…………」

剣城は苦虫を噛み潰したような顔をすると、同じように(しかし少々乱暴に)百円硬貨を自販機に入れてボタンを押した。

依織も、ネームプレートを見た時点で剣城がいる可能性を考えなかったわけではない。剣城なんて珍しい名字がそうそう被る筈もないからだ。
だから、本人が知らぬ存ぜぬを通そうとしたなら、彼女もそれにあやかるつもりだった。何食わぬ顔で、今日初めて出会った風にするつもりだった。

だが、剣城は依織の名前を呼んでしまった。
予想外の出来事で、意識の外で。そうなった上で友達なのかと問われれば、頷く以外彼女に選択肢はない。

「それに、級友って書いてクラスメートって読んだりするじゃん。強ち間違ってはないだろ?」
「……そう言うのを、屁理屈って言うんだ」

舌打ち混じりに言って、剣城は病室への道を戻り始める。
勿論、依織もそれに続いた。

「お兄さん、どっか悪いの?」
「……足」

試しに投げ掛けた質問は、意外と早く、短く返される。
ふーん、と呟き、依織は剣城の横顔を見た。

「まぁ、怪我ならまだ良いよな。病気とかだったら、食事制限とか色々されて何かと不自由だし」
「ッ良いわけねぇだろうが!!」

瞬間、剣城は弾かれたように依織を振り返る。
憎しみの籠ったようなその瞳に、依織は思わずたたらを踏んで目を見開く。

「怪我がなければ……俺がさせなけりゃ、兄さんだって今頃」

サッカーが出来たのに──消えるような声だったが、それでも剣城の声は、誰もいない病院の廊下によく響いた。

「──ごめん」

剣城はハッと我に返ったように顔を上げる。
依織は小さく、頭垂れていた。

「今のは、私が悪い。……ごめん、剣城」

同じクラスになって、隣同士になって、もう1ヶ月近く立つ。
それでも剣城は、いつも飄々としていて掴み所のない依織が、心底そう思っているような言葉を誰か向けるのを見るのは、これが初めてだった。

「そうだな──私も、今のと逆のことを言われたら、切れたかも」
「逆……?」

つい聞き返すと、依織の口はゆったりしたと弧を描く。
それはいつも通りの、「何を考えているのか分からない」顔だった。

「さて、と。そんじゃあとっとと戻るとすっか。明日は立て込んでるから早く帰んなきゃ」

質問を続けるより先に、依織はさくさくと前を進む。
煮えきらない思いを抱えてそれに続いて行くと、ふいに彼女は「あ、そうだ」と剣城を振り向いた。

「聞き忘れたけどさぁ、剣城的には私って、一応友達のカテゴリーには入ってんの?」
「…………」

唐突に戻った話に、剣城は虚を突かれたように目を丸くする。
そして数瞬、何か考えあぐねた素振りをすると、大股で依織を追い越した。

「……ただのクラスメート」

それは多分、言葉通りの意味なのだろう。けれど、級友と書いてクラスメートと読む──剣城の言葉を自分の都合良く解釈することにした依織は、「そっか」と満足そうに頷く。
剣城は相変わらず早足に廊下を歩いていたが、依織を置いていくことはしなかった。




「──え、今日も休み?」

翌日の昼休み。
依織を探しに来た葵と、それに付き添った天馬と信助はキョトンと顔を見合わせた。
そう、と頷くのは、応対してくれた3組の学級委員長である。

「何でも、家の都合で2週間くらい休まなくちゃいけないらしくて。ごめんね、私も詳しく知らないの」
「あ、ううん。教えてくれてありがとう」

慌てて首を振り礼を言った葵は、扉から一歩退いた。
視界の隅に入る剣城を気にしながら、うーんと天馬が唸り声を上げる。

「2週間かぁ……それじゃあ、次の天河原中との試合は見に来れないね」
「家の都合って何だろ?」
「さぁ……依織って、昔っから謎なところが多いから」

分かんないや、と葵も首を傾げた。
よくよく思い出してみると天馬や葵は1年前に知り合ったにも関わらず、依織のことに関しては、好みや家族構成を始め知らないことの方が多い。
唯一ハッキリ記憶しているのは、彼女が九州から引っ越してきたということだけである。

「……まぁ、依織のことだし、2週間したら何でもないような顔でひょっこり帰ってくるんだろうね」
「んー……そうね」

天馬と葵は納得したように笑顔を交わし、首を傾げた信助を連れ立ち教室へ戻って行った。




──それから、約3時間後。

「ひよこまんじゅう……東京バナナ……」

大きなキャリーバックを引きずって、依織は空港にいた。
土産屋の棚を渋い表情で覗く彼女の手には、ずらりと商品の名前が走り書きされたメモが握られている。

「別に旅行に行くわけじゃないんだけどなぁ……」

このメモを渡したのは鬼道だ。曰く、あちらで依織の案内をしてくれる人物が東京の土産を所望しているらしい。

「誰だか知らないけど、親の仇みたいに請求してきやがって」

ぶつぶつと呟きながら、依織は買い物かごに商品の箱を突っ込んでいく。
買うのは良いとして、果たしてこんな量を自分1人で運びきれるかどうか甚だ疑問だ。

そしてようやく支払いを済まし(昨日の時点で鬼道からキャッシュカードを渡されていた)、ひとつ大きな荷物が増えたことに溜め息を吐きながらベンチに座る。
搭乗時間まで15分。まだ少し余裕はある──と腕時計を眺めていたところで、誰かが依織の肩を叩いた。

「ん?」
「よっ、鷹栖」

振り返って、依織はポカンと口を開ける。
そこには何故か、満面の笑顔を浮かべた円堂が佇んでいた。

「えっ、円堂さん……!? どうしてここに!」

突然のことに思わずおどおどしながら尋ねると、円堂は笑顔の中に真剣な表情を混ぜて答える。

「久遠さんから聞いたんだ。お前がここに来ること」
「……久遠さんが?」

依織は落ち着きを取り戻しながら、反復した。
ああ、と円堂は頷いて続ける。

「詳しくは知らないが……お前が、サッカー部のために頑張ってくれるってことをな」
「…………」

どうやら久遠は、円堂にレジスタンスのことを話したわけではないらしい。あくまでも、依織がイタリアで何をするか──それだけを伝えたようだ。

「頑張ってこいよ。お前ならきっと出来る。俺が保証する」
「……無責任なこと言ってくれますね」

ニタリ、と誰かを彷彿とさせる表情を浮かべた依織に円堂は一瞬キョトンとすると、ニカッと歯を見せて笑顔になる。

「大丈夫だ。だって、あんなシュートを打てるんだからな!」
「……ありがとうございます」

全く、久遠も随分な応援を寄越したものだ──少し口許を緩めて、依織は小さく礼を言った。
その瞬間、見計らったかのように空港内にアナウンスが流れる。どうやら時間が来たようだ。
「……行くんだな」立ち上がった依織に、円堂は表情を引き締める。

「気張ってこい、鷹栖! フィールドで待ってるぞ!」
「はい!」

声を張った円堂に、依織もつられて姿勢を正した。
ガラガラとキャリーバックを引く依織の背中に、円堂は大きく手を振る。

遠い異国の空の下で、最初の試練が彼女を待ち構えていた。