25

早朝、6時。鳥が軽やかな鳴き声を上げ、空を泳いでいる。

「はっ、はっ──」

息を弾ませ、一定の足取りでようやく見慣れてきた街の路地を走る。右へ左へ、迷路のように入り組んだ路地を抜け、目印にした大きな街灯をぐるりと回ってUターン。
またしばらく走り続け、スタート地点のホテルへ戻ってくると、ストップウォッチを持ったルカがこちらに向かって手を振る。

「──ハイ、おかえり〜」
「はっ……はっ、……どうでした?」

息を整え、依織は汗を拭いながらルカを見上げた。
ストップウォッチを覗き込んだルカは、にっこりと笑う。

「Egrave meraviglioso! 上出来だよ、イオリ。これなら、余程のことがない限りフルで出れる」
「マジですか。やったね」

ぐっ、と小さく握り拳を作りながら、依織は浴びるようにスポーツドリンクを飲んだ。
彼女がイタリアへ渡って、今日で丁度2週間。本題であるテストは、今日の午後に差し迫っている。

「──あ、そうだ。ハイ、イオリ」

その時ふと、ルカが思い出したように足元に置いていた箱を依織に手渡した。
依織は訝しむように首を傾げながら、それを受けとる。

「……何スか? これ」
「日本から君宛の荷物ダヨ。ついさっきフロントに届いたんだ」

日本から──その言葉に、依織は複雑そうに眉根を寄せた。
期待半分、不安半分。そんな目で箱を見下ろした依織に、「開けてみれば?」とルカが微笑む。

「ここでっスか?」
「良いじゃないか、少し見るくらいなら」

はぁ、と気の抜けた声を返し、依織は箱の入口に手を掛けた。
箱、と一概に言っても、厚さも大体10センチ弱、A4サイズの物である。

ルカの言う通り、見るだけなら差し支えないだろうと、依織は思いきって箱を開けた。

「…………え」
「ワォ、中々素敵なプレゼントだね」

呆けた顔で箱の中身を見つめた依織に、ルカがカラカラと笑う。
黄色をベースに、青いライン。胸に踊る稲妻を撫でて、依織はキュッと唇を引き結んだ。

「……ん?」

よく見てみると、箱の隅に茶封筒が入っている。
手紙か何かだろうか。そんなことを思いながら依織は封筒の中身を見て──危うく、箱を足に落としそうになった。

「ん? どうしたんだイ、イオリ。そんな……この世の終わりみたいな顔して」
「は、はは……」

最早から笑いするしかない。
空しい笑い声を上げた依織は、スッと真顔になって空を仰ぐ。

「ふざけんなあのトンボメガネーー!!」




同日、日本。
天馬はぼんやりと、浮かない顔つきでグラウンドを整備していた。

『俺たちからサッカーを奪おうとしてんのは、フィフスセクターでも剣城でもねえ……ホントは、お前なんじゃないのか!?』

──昨日、倉間に言われた言葉がまだ心に突き刺さっている。
ついていけない、と自主退部した南沢も、他の部員たちも、もしかしたらそう思っているのかもしれないと思うとキリがなかった。

「てーんまっ。何ぼんやりしてるの」
「! 葵……」

足取り軽く駆け寄ってきた葵に肩を叩かれ、天馬はハッと意識を戻す。
何でもないよ、と言い掛けた天馬は、葵が真面目な顔で自分を見ていることに気が付いて口を噤んだ。

「……気にしてるの? 昨日言われたこと」

声を落とし、葵がゴール前で練習する部員たちを伺いながら尋ねてくる。
天馬はしばし戸惑った後、曖昧に頷いた。

「俺は、本当のサッカーがしたいだけなんだ……」
「うん……それは、よく分かってるよ」

小さい頃からの夢だったもんね。
困ったように笑った葵に、天馬は俯く。
昨日天馬は、あの後秋にこんなことを言われていた。

『──人の数だけ考えがあって、自分が正しいと思ってることも、誰かにとっては間違いかもしれない。だからこそ天馬、大事なのはあなたよ。天馬が本当に望んでいること……それは何?』

それに気付けば、天馬がどうするべきなのか答えが出てくる──彼女の言葉を思いだし、天馬は足元に転がるボールを見つめる。

神童や三国は、自分の気持ちを理解して、一緒に戦うと言ってくれた。
──みんなだって、本当のサッカーをしたいはずなのに。昨日、次の試合に出せと言ってきた剣城は、本当にチームを潰すつもりなのだろうか。

色々な考えが浮かんでは消え、浮かんでは消えていく。
フィフスセクターの生み出した常識≠ヘ、遅効性の毒のように回っていく。
試合は明日にまで迫っていると言うのに、チームはバラバラのままである。

「(……依織だったら)」

彼女なら、どんな答えを出してくれるだろうか。
天馬は自分たちの知らないことを知っているであろう、今はどこにいるかも分からない友人のことを思った。

「……よし! 今日の練習はここまで!」

腕時計を覗き込んだ円堂が、ベンチから立ち上がる。
自分のもとに集まった選手たちの顔をぐるりと見回して、彼は言った。

「俺は、フィフスセクターを倒すつもりだ。だが……強制はしない。それぞれがどんな決断をしようと、構わない」

明日、フィールドで待ってる──円堂は最後にニカッと笑うと、踵を返してグラウンドから去っていく。

「……俺が、本当にやりたいこと……」

呟き、天馬はその背中が見えなくなるまで見送ってから、夕日の傾いた空を仰いだ。




──そしてとうとう、次の日。

『ホーリーロード、関東Aブロック地区予選! 万能坂中対雷門中、いよいよ開始ですッ!!』

実況の声が、マイクを通して青空に響き渡る。
しかしそんな晴天も関係なく、雷門イレブンの表情は暗いままだ。

「何だい? この雰囲気はよ……」

「しまらねぇな、ったく」舌打ち混じりに言った水鳥に、葵と茜は困ったような表情で顔を見合わせる。
それにしても、と水鳥は続けざまに観客席を見上げた。

「結局来なかったな、依織の奴も」
「はい……メールしたんですけど、返事がなくって」

もうそろそろ帰ってきても良いはずなのに、と葵は携帯を覗き込む。
家の都合で2週間休む──と人伝に聞いてはいたが、体感だと既にそれ以上経っている気がする。

「(今どこにいるの? 依織……!)」

天馬も自分も、落ち込んでいる今こそ彼女に隣にいて欲しいのに。肩を落とした葵の背中を、茜がカメラを片手に優しく叩いた。

「監督! 俺たちは、フィフスセクターの決定に従います。……サッカーをする機会まで、奪われたくないですから」

語気を強めて言った車田に賛同して頷いたのは、神童たちを除く6人。
円堂は小さく頷き、次に天馬を見やる。

「……天馬。お前はどうだ」
「俺……考えました。考えて、考えて、──それでも、本当のサッカーがしたいです!」

舌打ちした倉間が天馬を睨め付けた。
しかし天馬は口を閉ざさず、尚も続ける。

「でも、それは俺1人だけじゃなくて……みんなと! 雷門イレブンのみんなと、本当のサッカーがしたいんです!」

目を見開いた神童が、天馬を一瞥した。
天馬はしっかりと円堂の目を見つめ、言った。
自分の気持ちを、心に決めた覚悟を。

「だから俺は、……フィフスセクターと戦います!!」
「っ僕もやります!」

天馬の隣に並んだ信助が、声を上げる。
少し笑った円堂は、神童と三国を見やった。
2人は言葉を返すことはしなかったが、それでも、確固たる意思を持って頷いて見せる。

「──ったく、仕方ないな」

ふとそんなことを言いながら、それまで黙りこくっていた霧野が1歩前へ出る。
霧野は驚いたように振り向いた神童に、ニッと笑って見せた。

「神童、俺も付き合ってやるよ」
「霧野……!」

小さく声を震えさせ、神童が嬉しそうに微笑む。
フィフスセクターの恐ろしさを知った上で、5人。
目を細めた剣城は、眉間に皺を寄せた。

「……忘れるな。フィフスセクターの指示は0対1。雷門の敗けだ」
「サッカーに嘘はつかない。──そう決めたんだ」

その言葉をきっぱりと言って払い除けた天馬に、剣城は顔をしかめる。
試合開始まであと1分。
選手がそれぞれ思いを抱えながら、続々とフィールド入りしていく。

「……前半は間に合わなかったか」

ベンチの春奈たちに聞こえない声で呟いた円堂は、真剣な眼差しで天馬たちを見つめた。
スパイクの様子を確かめていた天馬の元へ、倉間が近付いていったのが見える。

「良いか。お前が勝とうとしたら、俺が止める。俺は、俺のサッカーを守る」
「倉間先輩……」

眉を下げた天馬に一瞥もくれず、倉間は自分のポジションへ戻っていった。
肩を落とした天馬に、倉間の声が聞こえたらしい信助が駆け寄ってくる。

「天馬……」
「……うん」

分かっていても、言葉にされると心が痛む。
困ったように微笑んだ天馬に、神童が追い越し様に言った。

「……やるしかない」
「──はい!」

気持ちを切り替え、迷いを捨てて。
2人はキャプテンに向かって大きく返事を返す。
その一方では、剣城が万能坂キャプテンの磯崎と向かい合っていた。

「久しぶりだなァ、剣城。フィフスセクターの指示は分かってるんだろ」
「……当然だ」

喉元を蛇が這い上がるように、純粋な敵意と悪意を持って、磯崎はニタリと笑う。
神童はそれを視界に入れながら、フィールドを見渡した。

「(あいつもシードか……何にせよ、剣城にボールを渡すわけにはいかない)」

円堂は本気の勝利を目指すからこそ、剣城をチームに入れると言ったが──その真意は分からない。
雷門の選手にとって、剣城は敵≠フままだ。

「……勝つ。本当のサッカーを、取り戻すんだ」

呟いた神童の声が、歓声に掻き消される。
試合開始のホイッスルが、高らかに鳴り響いた。