28

黄色のユニフォームが、青空に照らされ翻る。堂々とした様子でそこに立つ彼女に、春奈はかつて兄が雷門のユニフォームを着て現れた瞬間を重ねた。
ポカンと口を開けてこちらを指差す天馬に、依織は肩を竦めて見せる。

「何だよ、天馬。そんな金魚みたいな顔して」
「だ、だっ、だって、依織……!」

家の都合で2週間休むと聞いたのに、サッカー部には女子は入れないと聞いたのに。尋ねたいことが山ほどあるにも関わらず、うまく言葉に出来ない。

そんな彼に呆れたように小さく溜め息を吐いた依織は、こちらをじっと見つめる円堂にツカツカと歩み寄った。

「遅かったな、鷹栖。このまま間に合わないかと思ったぞ」
「無茶言わないで下さい。こちとら今朝方帰国したばっかりなんですよ」

平然と会話する2人に、神童たちもまた驚いたように瞬きを繰り返している。
その視線を気にする素振りも見せず、眠いわ腰痛いわで最悪です、と依織は苦虫を噛み潰したように顔を顰めていた。円堂の後ろで呆然とした春奈が何を言わんとしたいかは分かったが、今は答えることは出来ない。

ところで、と話を切り替え、依織はバッグに手を突っ込む。

「約束通りフィールドに来ましたよ、円堂さん。──受け取って貰えますか?」
「ああ。勿論だ!」

そう言って彼女の差し出した封筒を、円堂は笑顔で受けとる。
封筒にはマジックで大きく入部届け≠ニ書かれていた。そこで我に返った神童が、慌てた様子で円堂を振り仰ぐ。

「待って下さい監督! 女子は選手としてサッカー部には入れないんですよ!?」
「知ってるよ。だが、特例があるんだ」

「え?」ニッ、と笑った円堂に、神童はさっぱり分からないと言った様子で首を捻る。
円堂は笑顔のまま、依織を振り返った。

「それを着てるってことは……受かったんだろう? 試験には」
「ええ、バッチリですよ」

ひとつ頷いた依織は胸元に手を伸ばすと、首から下げていた赤い紐をスルスルと引っ張り出す。
じゃーん、とセルフ効果音を付け、出てきたそれを指で挟んだ依織は全員に見えるように持ち上げた。

「これ、なーんだ」
「……! それは」

ハッとした様子で、神童は依織からそれを受け取る。
神童の手元を覗き込んだ天馬は、顔をしかめて首を捻った。

「何だろう、これ……免許証?」
「……まぁ、強ち間違ってはいないが」

やや呆れた顔になった神童に、マネージャーたち、そして思わず車田たちもそれを覗き込む。
彼が依織から受け取ったのは、赤い紐にぶら下がるビニル加工を施した丈夫そうなカードだった。
表面には依織の顔写真と、ローマ字で綴られたフルネーム。そして見慣れない英文がプリントされている。
神童はカードを依織に返しながら、天馬たちに言った。

「サッカープレイヤー用のライセンスカードだ。これがあれば、女子は中学を卒業する間、男子サッカー部での活動が認められる。勿論、公式試合に参加することも可能だ」
「ライセンスカード……」

小さく復唱した信助が、あっ、と声を上げる。
特例はある──天馬が依織をサッカー部に誘って断られていた時、彼女は確かそんなことを言っていた。
「しかし……」神童は依織のユニフォームの下にライセンスカードが戻っていくのを見送りながら続ける。

「それは日本で取得した物ではないよな。書いてあったのはイタリア語か?」
「ええ。大変だったんですよ? ライセンス取得は勿論、受付で偽物じゃないかとかフィフスの奴らに疑われたりして」

「まぁ、通りましたけど」べっ、と舌を出してあっけらかんと言った依織を、神童は真剣な面差しで見つめた。
そんな彼の心を、天馬が代弁するかのように口を開く。

「でも……何で? 依織。どうしてそこまでして──」
「そんなの、お前と同じだよ。天馬」

天馬を見て、葵を見て。信助、神童、水鳥たち、車田たち、春奈、──そして円堂と、剣城を見て。
全員の顔を見回し、彼女は堂々と言った。

「私は、私の好きだったサッカーを取り戻したい。自分自身の力で戦う為に、ここにいるんだ」

観客の歓声は止まないにも関わらず、依織の声はテクニカルエリアによく響く。
すっと息を吐き出して、依織はニタリと──剣城に言わせれば何を考えているか分からない顔で──笑った。

「それ以外に、理由が必要ですか?」
「──いや、いい。それだけで十分だ」

数度まばたきを繰り返し、神童は力強く頷く。
差し出された手を、依織はしっかと握った。

「名前、は……そう言えば、まだちゃんと聞いてないな」
「鷹栖依織です。どうぞ、呼びやすいように」

わざとらしく、依織は恭しく頭を下げて見せる。
神童と彼女の背丈は大して変わらない。依織は一瞬品定めするような目をした。

「もう、逃げないんですね」
「……ああ」

小さく頷き、神童はちらりと天馬を横目で見る。
「上等じゃないですか」どこまでも生意気な後輩を演じながら、依織は鼻を鳴らした。

「いつまでも引き込もってうじうじしてる人らとは、ホント大違い」
「ッ何だと!?」

刺々しい言葉に、真っ先に倉間が食って掛かる。
「だってそうでしょう?」しかし依織は相変わらず動じることもなく、しかし前とは違い、より鋭い目になって彼らに容赦なく言葉を叩きつけた。

「本当のサッカーがしたいって思ってるくせに、自分は何も出来ないって決めつけて動こうともしない。文句があんなら逃げてんじゃねーよ!!」

怒気を孕むドスの利いた大きな声に、ビリビリと空気が震える。
天馬と葵は顔を真っ青にして目配せしたが、倉間たちは口を噤んで何も言わなかった。

「……あ。でも、ちょっと待ってくれ」

と、ここで霧野が何かを思い出したのかおずおずと声を上げる。
「何スか?」表情を元に戻して返した依織に、霧野は負傷した足を庇いながらベンチから腰を上げた。

「いくらライセンスがあって入部届けが受諾されても、選手登録がされてなければ試合には出れないだろう?」
「ああ、その辺は大丈夫ですよ」

色々、コネとかツテとかありますんで。
そう彼女が答えた次の瞬間、スタジアムに実況とは違う、女性のアナウンスが響く。

『データ訂正のお知らせです。雷門中学校の選手紹介に、1名記入漏れがあったことをお詫び申し上げます。繰り返します──』

淡々とした調子で響くアナウンスに、ふと円堂が首を傾げた。

「あれ? この声どっかで……」
「ね、大丈夫だったでしょ」

円堂の言葉を遮り、依織はあっさりと言う。
一体何したのよ、と小さく呟いた葵は、一転真剣な目になって依織を見た。

「……依織は、秘密にしてることが多すぎるよ。友達なのに」
「うん、ごめんな。試合が終わったら、いくつか教えられることが出来るから。またその時教えるよ」

「天馬もなー」背中に目でも付いているのか、依織は葵の頭を撫でながら背後でソワソワと落ち着かない天馬に向かって言う。
一瞬ギクリとした天馬は気持ちを切り替えたのか、うん! と大きく頷いた。
水鳥に無言で背中を叩かれながら、振り向いた依織は小さく溜め息を吐く。

「それで、お前はいつまで睨んでんのさ。剣城」
「…………」

至極当然なことのように剣城に話しかけた依織に、一部がギョッと目を見開く。
剣城は目を細め眉間に皺を寄せたが、何も答えない。依織は気にせずに続けた。

「この前みたく聞きたいことありそうだけど……今は教えられない。でも、今日はお前もやるんだろ?」

言って、依織は万能坂ベンチを後ろ手で指差す。
磯崎たちは突然敵チームに現れた女子選手に面食らったのか、じっと依織の背中を睨んでいた。

「同じチーム、クラスメートのよしみってことでさ。仲良くやろうぜ」
「……しつこいんだよ」

一層顔をしかめ、剣城は依織の差し出した手を払い除ける。
依織はムッと眉根を寄せると、素早い動きで剣城の腕を掴んでしっかり自分の手と握手させた。

「何しやがる!」
「状況的に今のは握手するとこだろ、フツー。京介くんは冷たい人ですって言いつけんぞ」
「止めろ!」

その場の緊迫した空気を壊して口喧嘩を始めた2人に(ただし剣城の怒号を依織が受け流しているばかりだが)、信助がポツリと呟く。

「仲が良いのか悪いのか分かんないね、あの2人」
「う、うん……」