02

転校初日、クラスメートに質問責めにあうのはちょっとしたイベントみたいなものだと思って覚悟しておくと良い。
──登校直前、妙に真剣な顔をした従姉の言葉を思い出した依織は、全く以てその通りだと実感していた。

「依織、大丈夫……?」
「むり」

疲弊した様子でぐったりと机に突っ伏す依織に、葵は気遣わしげな視線を送る。
結局彼女はあの後の休み時間は全て他のクラスメートの相手に時間を費やして、葵が口を挟む暇はなかった。時刻は午後2時。5限目も終了し、あとは帰宅するだけだ。
依織についてのクラスメートの印象は、葵曰く3通りに分かれたらしい。物静かな子、大ざっぱな子、面白い子──などなど。いずれにせよ、大して悪い印象は持たれなかったのは良いことだ。

「ね、せっかくだし一緒に帰らない? 私の友達も紹介したいし……」
「ん……帰る」

ふらふらと立ち上がって、依織は「よっこいせ」と鞄を背負う。おばさんみたいだよ、と苦笑いする葵に、依織は肩を竦めるだけだ。

既に踵を踏んで跡のついた上履きから、通学用の靴に履き替える。
学校の門を潜りながら、依織は葵に問いかけた。

「友達、違う学校なのか?」
「ううん、隣のクラス。だけどあいつ、学校終わったらすぐに河川敷に行っちゃうから……」

はぁ、と葵は大げさに溜息を吐いたが、その表情からは嫌悪や呆れは読み取れない。
ふぅん、と返した依織は、少し考えた後ニヤリと何か企むような含み笑いを浮かべる。

「この年で彼氏持ちとはやりますなぁ、葵さんは」
「かっ……彼氏じゃないもん! もう、からかわないでよっ」

赤くなった頬を誤魔化すように膨らました葵に、依織は「あっはっは」と真顔のまま声を上げる。
どんな笑い方よ、と葵がじっとりした目を向けながら呟いた時、丁度河川敷に差し掛かった。

「──あっ、いた。天馬ー!」

葵が声を上げて手を振った方向に依織が視線をやると、そこにはクルクルとした天然パーマの少年が、歩道のタイルをサッカーボールを蹴りながら規則的なステップで駆け回っているのが見える。
彼の名前を呼びながら階段を駆け下りて行く葵を、依織は急ぐことなくのんびりと追いかけた。

「天馬ーってば!」
「1、2──って、うわぁ!」

背後から聞こえた大きな声に、驚いて足をもつれさせた少年は豪快にすっ転ぶ。
「ちょっと大丈夫!?」慌てて葵がそれを助け起こすと、彼は地面に思い切り打ち付けた腰をさすりながら立ち上がった。

「いてて……何だ、葵かぁ。驚かさないでよ」
「ごめんごめん。天馬、またドリブルの練習してたのね」

天馬と呼ばれた少年は、うん、と大きく頷き胸を張った。

「来年から雷門に入るんだ、今の内からもっと練習して……あれ? 葵、その子は……?」

見ない顔だけど、と依織に気が付いた天馬は不思議そうに首を傾げる。
そうだった!と、足下まで転がって来たボールを見下ろしていた依織を振り返り葵は手を打った。

「この子、今日うちのクラスに転校してきた鷹栖依織! 依織、私の幼なじみの天馬だよ」
「あ〜……よろしく」

ボールをちょい、と足の甲に乗せた依織は、挨拶代わりにそれを軽く蹴って返す。
「わわわ!」危なっかしいトラップでそれを受け止めた天馬は、よろしくと返すより先に瞳をキラキラと輝かせた。

「君、サッカーやってるの!?」
「あ? まぁ……ぼちぼち」

ぱちくりとまばたきを繰り返して、ほんの一瞬苦虫を噛み潰したような顔になった依織は小さく頷く。
やっぱりそうだったのね、納得する葵の傍ら、天馬はハッと我に返った。

「あ! 俺、松風天馬って言うんだ!よろしく、えっと……」
「依織でいいよ。……よろしく、天馬」

こくりと頷く依織と満面の笑みを浮かべる天馬を見比べ、葵は嬉しそうに微笑む。
ふとそこで天馬が、「そうだ!」と抱えていたサッカーボールを依織に差し出した。

「ねぇ依織、良かったら練習相手になってくれない!? 俺、ドリブルは一人で練習してるけど、パスとか相手がいなくて……」
「ええ〜、めんどくさい」
「そ、そんなぁ……」

その瞬間、葵と依織の二人は、ガンッと天馬の頭に大きな石が落ちてきたのを見た気がした。
大袈裟に肩を落とし悲しげに眉をひしゃげた天馬に、依織も流石に罪悪感を覚えたのだろう。しばしの沈黙の後、溜息を吐いて軽く肩を竦める。

「まぁ……いいか。少しだけでいいなら、付き合うよ」
「ほ、本当!?」

一転、表情を輝かせた天馬はボールを放り出して、ありがとう、と掴んだ依織の手を大きく上下に振る。
「良かったね天馬!」笑いかける葵と飛び上がらんばかりに喜ぶ天馬を見比べると、依織は一つ咳払いをした。

「──ただ私、そこまでスタミナないから30分くらいしか出来ないんだけど」
「良いよ、全然! 練習相手になってもらえるだけでも助かるし!」
「30分……依織、体が弱かったりするの?」

サッカーをしていると言うには少し心許ない体力量にも思える。尋ねてきた葵に対し、依織は「いいや?」と首を振りながら鞄を下ろし、依織は服の袖を捲る。
天馬は我慢出来ないのか、先程からひょこひょこその場で上下に体を揺らしていた。

「昔はちょっと弱かったけど、今は至って健康。ただちょっとその頃の影響でまだ持久力がついてないってだけ。だから無理すると……」
「無理すると……?」
「最悪死ぬ」
「えっ!?」

ギョッと天馬と葵が目を見開く一方で、依織は軽く屈伸運動をしている。
そしてストレッチを終えて振り返ると、青ざめる2人を見て悪戯が成功したかのようにニタリと口唇を持ち上げた。

「──な〜んてな。嘘だよ」
「あ……もっ、もう! ちょっと本気にしちゃったじゃない!」
「はー、びっくりした」

両手をバタバタさせる葵とホッと胸を撫で下ろす天馬に軽く笑って、依織は「ほら」とボールを顎で指す。

「早く始めようぜ、天馬。言っとくけど私、スタミナはないけどコントロールなら割と自信あるぞ」
「う、うん!」
「頑張れ、2人とも!」

静かな河川敷にボールを蹴る音と3人の声が響く。
天馬は久し振りに誰かとするサッカーに感動していた。以前はクラスメートを誘えば何人か手伝ってくれていたのだが、次第にその熱心さに呆れて誘いに乗ってくれなくなってしまったのである。
そして本人の言ったとおり、依織のコントロール力は高かった。未経験者のクラスメートを相手にしている時とは全く違う、ボールを蹴る度に自分の力になるような感覚。返す度に蹴りやすい位置に飛んでくるボールに、天馬は疲れるどころか時間が経つにつれ気持ちが昂ぶっていくのを感じていた。




──そして宣言通り、持久力もなかった。

「だ、大丈夫?依織」
「……私の骨は海が見えるところに埋めて欲しい」
「冗談を言う気力は残ってるのね……」

荒い呼吸を繰り返しながらもそんなことを言う依織に、葵は少し安心したように小さく溜息を吐く。
しばらくして、大きく深呼吸を最後に息を整えた依織は、ぐぐっと背中を延ばした。

「これでも、チビの頃よりは良くなったんだけどな……」
「依織も大変なんだねー」

靴ひもを結び直しながら言う天馬に頷いて、肩をならした依織はよいしょ、と鞄を背負う。

「それじゃ、私、今日は用事あるから……また明日な、2人とも」
「うん、またね依織!」
「明日もサッカーやろうね!」

にこやかに手を振る葵に対し、天馬は最初から最後までサッカー尽くしのようだ。
階段を駆け上がって、依織は足早に家路へ着く。夕日がゆっくりと山に隠れ、オレンジ色の光が山頂の鉄塔を照らした。