フィフスセクター本部、1階ロビー。
固いヒールが床を蹴る硬質な音に、黒木と並んで待機していた剣城は伏せていた顔を上げた。
そこにいたのは、聖帝の秘書の一人である女性、鷹だ。彼女はサングラスに隠れた目で剣城を静かに見下ろす。
「よく来ましたね、剣城くん。……黒木様は、通常任務に戻られるようにとの聖帝のご指示です」
「はっ」
一礼した黒木は、踵を返しその場から立ち去って行った。
その足音が遠ざかったところで、鷹はすいと手で道を指しながら剣城をいざなう。
「さあ、剣城くん。聖帝がお待ちです」
「……はい」
重たい声で答えた剣城に、何を思ったのか。
鷹はオレンジの口紅の引かれた唇を結び、彼に背を向けて先導した。
「──イシド様。剣城京介をお連れしました」
『通せ』
一つの大扉の前で立ち止まり、脇にあるタッチパネルを鷹が操作すると、機械越しにイシドの声がする。
すると、それをスイッチにして目の前の扉が左右に開いた。
「失礼します」
一歩先へ部屋に入った鷹に続き、剣城もイシドの謁見の間に足を踏み入れた。
前回ここに入ったのは、約1ヶ月半前。しかし、あの時と今日とでは、呼び出された理由が全く違う。
剣城は小さく固唾を呑み、イシドと──幹部たちの集う部屋の中央で、足を止めた。
「ご苦労、鷹」
「は」
僅かに腰を折った鷹が、静かに部屋の隅へ移動する。
イシドは皮張りの椅子で長い足を組み替えると、足元に視線を落とした剣城を見やった。
「──剣城京介。君は我々を裏切ったのかな?」
無駄な前置きも何もなく、直球とも言える問いに小さく剣城の肩が震える。
それに肯定と取ったのか否か、幹部の1人が厳しい声音で言った。
「お前は雷門の勝利に手を貸した。シードとして、あるまじき行為だ」
「……申し訳ありません」
顔を上げることも出来ず、剣城は自分の爪先を睨み付けたまま答える。
もう1人の幹部が、追撃を加えるように口を開いた。
「次に我々の命令に背けば、お前の兄は唯一の希望を失うことになるのだぞ。それでも良いのか?」
ハッと、息を呑むような。にわかに分かりやすく変化した剣城の表情を楽しむかのように、イシドは真意の読めない微笑みを浮かべる。
「……私は信じているよ。次の試合で証明してくれ。君の真意を」
そう、歪んだ笑みで締め括って。
イシドは部屋の隅に待機した鷹に、ちょいちょいと手を振った。
「彼をエントランスまで送ってやれ」
「はい」
ひとつ頷き、鷹は一足先に部屋の扉を開ける。
剣城はギュッと眉間に皺を寄せると、深く腰を折った。
「……失礼します」
最後まで、イシドと目を合わすことはなく。剣城は来たときと同じように鷹に誘われ、謁見の間を後にする。
「(……信じている、なんて)」
鷹の足元を睨むように歩きながら、剣城は唇を噛み締めた。
響きの良い言葉に思えても、それは彼を縛る言葉に過ぎない。鎖で縛り、錠前を掛けるような。逃げ場なんてものはありもしないのだ。
『後悔してるか? 万能坂を負かしたこと』
ふいに、鷹の背を追いながら、今この場にいないはずの人間の声が脳裏に甦る。
──彼女に言ったことは、本心だ。万能坂の傲りを、シードとしてのプライドを潰したことに、後悔は微塵もない。しかし。
「(兄さん──)」
彼の歩く荊の道に、未だ出口は見つかりそうにない。
:
:
──万能坂との試合を終えた、翌日の朝。
「あー……」
ゴキ、ゴキン。回した肩から中学生らしからぬ音が出たのが聞こえ、依織は疲れた顔で嘆息する。
何せ昨日はイタリアから帰国して2時間も経たない内に試合に飛び入りしたのだ。連続で酷使された体がまだまだ休み足りないと悲鳴を上げている。
「……うん?」
ふと、依織は目を細めて、やっと見えてきた校門に注目した。校門の一角が他の生徒に妙に避けられている気がする。
その理由はすぐに分かった。
「──あっ! 見つけたぞ、依織!」
「げぇっ! 水鳥さん……!」
目が合うなり大きく叫んで突進してきたのは水鳥だ。どうやら登校してからずっと校門で依織を待ち構えていたらしい。
「捕まえた!」後退る間もなくがっしりと首に腕を回され、依織は潰れた蛙のような呻き声を上げた。
「あ、あの〜、水鳥さん……?」
「言い訳はフィールドで聞こうか」
どこの刑事ドラマだ。一瞬そう突っ込みたくなったが、今の水鳥には火に油を注ぐようなものだろう。
そのまま依織は彼女に引きずられ──登校中の生徒たちに注目されながら──フィールドへ連行された。
「連れてきたぜ!」
「流石! 水鳥さんに頼んで正解でした」
にっこり、爽やかに笑うのは葵だ。どうやら依織の捕獲を水鳥に依頼したのは彼女らしい。
「ほらよ」ぽい、とベンチに放られた依織は、改めて目の前の状況を理解する。
約1名足りないが、雷門イレブン、そして春奈が、この場に現れた依織に注目していた。
「さぁ、依織! 昨日のことも含めて、色々説明してもらうわよっ」
腰に手を置き、葵は依織の前に仁王立ちする。
「説明ったって……」と、依織は困ったようにウロウロと視線をさ迷わせる。しかし周囲の皆は一様に彼女が話し始めるのをじっと待っていて、依織はやがて味方がいないことを悟り溜め息を吐いた。
「……分かった。なら、どこから説明すれば良い?」
「まずはお前のライセンスのことだな」
真っ先に口を開いたのは神童である。
これですか、と常時首から下げているライセンスを持ち上げると、彼は頷いた。
「ライセンスは、世界各国──勿論日本でも所得出来るはずだ。それを何故、わざわざイタリアに渡ってまで?」
「そりゃあ……まぁ、色々ありますけど」
指先でライセンスをくるくると弄びながら、依織は考え込むように語尾を濁した。
そして頭の中で言葉をまとめると、ちらりと天馬を一瞥して、続ける。
「強いて言うなら、雷門が予想よりも早くフィフスセクターに反抗し始めたから、ですかね」
「フィフスセクターに?」
おっかなびっくりとした風におうむ返しした速水に、依織は小さく頷いた。
神童はその時点で先の話が予測できたのか、それ以上口は開かない。
「雷門がまだフィフスに従ってる内は、私も日本でコレを取るつもりでした。でもそれより先に雷門が……天馬が動いた」
「お、俺?」ギョッとしたように、天馬が自分の顔を指差す。
依織は疲れたように肩を竦めた。
「そっ。フィフスに反抗した学校の人間がライセンスを取りたいなんて言ったら、当然あいつらは怪しむだろ?」
「自分たちに刃向かう危険分子と判断されて、ライセンスを取ることも許されなくなる──と言うことか」
「まぁ、そんな感じです」神童の言葉に頷いて、依織は一旦口を閉じる。
そして目眩くイタリアでの修行の日々を思い出して、彼女は少し顔をしかめた。
「加えて、うちにはシードがいる。迂闊に動けないのも納得だな」
「ええ。幸いライセンスはどの国で取っても万国共通で使えるから……それで知り合いのツテがあるイタリアに行ったわけです」
「今話せるのはこれくらいかな」そう小さく呟き、依織は足元に転がっていたボールをチョイと足の甲に乗せる。
器用に座ったままリフティングしながら、彼女は続けた。
「他にもコネの件とか、色々あるけど……諸事情によりその辺はノーコメント。また次の機会にお願いします」
「……機会があったら、教えてくれるんだよね?」
てん、とボールを小さく蹴って。
コロコロと転がった先にいた天馬が、小さく──しかしはっきりとした声音で尋ねる。
依織は数度まばたきをすると、やがてしっかりと頷いた。
「うん、約束する。──先輩たちも、これで少しは私を信用してくれましたか?」
くるり、立ち上がってスカートを翻しこちらに向き直った依織に、神童たちの肩が揺れる。
天馬と信助に不安げな目で見つめられ、神童はそっと息を吐き出した。
「ああ。別に、疑っていたわけではなかったが……お前が味方である確証がまだ持てなかったのも事実だからな」
「サッカー部にそんだけ色々苦労して入ったなら、努力を認めないわけにもいかねえしな」
「女子にしちゃ良い根性だ」からからと笑った車田にひとつ小さく頭を下げて、依織はハタと思い出したように春奈を振り返った。
「それから──入部しちゃえばこっちのもんなんで、もう他人の振りしなくて大丈夫ですよ、春奈姉さん」
「えっ」
「ね、姉さん?」
すっとんきょうな声を上げて、天馬が春奈の顔を見上げる。
顎に手をやった霧野が、少し目を丸くしている春奈と飄々とした表情を浮かべる依織を見比べて。
「……姉妹にしては似てないような」
「あ、えっと……依織ちゃんはね、何と言うか……私の遠縁の親戚みたいなものなのよ」
「ま、そゆことです」関係性を部分的に端折って説明した春奈の隣に、依織が便乗して頷く。
春奈はそっと、子供たちに聴こえるか聴こえないかの声で彼女に耳打ちした。
「もしかして依織ちゃん、イタリアで兄さんに会った?」
「…………いえ、有兄さんには会ってません」
イタリアも何も、彼は今日本にいるのだから会えるわけがない。そんな言葉は飲み込んで、依織は素早く答える。
溜め息を吐いた春奈はふと、そう言えばと首を傾げた。
「接し方を戻すのは構わないけど、何で急に……?」
「ほら、顧問と仲が良いと色々疑いそうなヤツがいるでしょ。入部するまでは大人しくしときたかったんですよ」
と、そう答えたところで依織はふと口を噤む。
先程から何か足りないような気がしてならなかったのだが──それが何なのか、やっと分かったのだ。
「剣城は来てないんすか? こんな時真っ先に噛みついて来るのに……」
「そういや、今朝は見てないねー」
間延びした声で言いながら、浜野が辺りを見回す。
深い紫色の改造制服はすぐに見つかりそうな物だが、視界にそれが入ることはない。
「もしかして……フィフスセクターを裏切ったから、罰を受けたのかも……」
「えっ」
震えた声で呟いた速水に、天馬の顔色が変わる。
依織は小さく肩を揺らし、ぎゅっと拳を握った。
──万能坂を潰したことを、後悔はしていない。
剣城は昨日、確かにそう答えたが、フィフスセクターにとって彼の反乱は大事件だった筈である。
一度彼らに逆らったことが、どれほどのペナルティーになるかは、流石の彼女にも分からない。
「剣城だけじゃありません! 俺たちだってどうなるか……」
「まだそんな腑抜けたことを言いますか」
自分の両腕を抱いてぶるりと震えた速水に、依織は肩を竦める。
だって、と声を返した速水を遮り、天城がボソリと言った。
「覚悟は、してるド」
「俺たちは自分の意思で、第5条に逆らうと決めたんだからな」
「皆さんはそうでしょうけど……」俯き、速水はこの世の終わりを見るような顔で頭を抱える。
その一方で信助と顔を見合わせた天馬が、控えめに尋ねた。
「あの、第5条ってなんですか?」
「知らないんですか?」
目をクリクリさせて、速水は呆れた返ったように返す。
あれだけフィフスセクターに逆らっておいて、何故知らないんだ──そんな言葉が見え隠れしていそうだ。
「……少年サッカー法、第5条。サッカーは皆、平等に愛されるべきであり、その価値ある勝利も、平等に分け与えられるべきである」
ふいに仲間たちの輪から前へ進み出た神童が、機械的な声でそれを復唱する。
それに続いて、依織が吐き捨てるように言った。
「フィフスセクターが設立された時、少年サッカー協会規定4か条に加えられたのが、この第5条なんだよ」
「少年サッカー法……」
どこか呆然と、天馬はその単語を繰り返す。
依織にとって最も皮肉なのは、この第5条が浸透したお陰で、女子の男子サッカーへの参加がライセンスの所得だけで認められるようになったことだった。
「試合の勝敗を管理し、勝利を分配するサッカーは、もういらない」
左腕にはめたキャプテンマークを握り締め、神童は仲間たちを振り返る。
ウェーブのかかった髪が、風に吹かれてざわりと揺れた。
「俺たちは間違ってはいない。勝ち続けて、取り戻すんだ。本当のサッカーを、俺たちの手で!」
空を掴んだ拳に、薄く青筋が浮かぶ。
彼の決意を否定し、拒絶する仲間は、もう誰1人としていない。
ひたすら勝ち続けるなど、指示通りに試合をこなすよりずっと難しいことだ。しかしそれが本来のサッカーの在り方であり、誰もが真に望むものでもある。
「(お前は、どうなんだ? ──剣城)」
彼の目が語る思いを、依織はまだ信じている。あそこにあるのは、憎しみではない。
スカートの端を握り締め、目を伏せた依織の髪を激しい風が浚っていった。