34

夜も更けた時間帯。円堂と春奈は、鉄塔へ向かう道を並んで歩いていた。
2人の間に会話はない。これから会う人物のことで頭が一杯だったからだ。

「──来たか」

じゃり──足元の砂利が擦れる音に、彼は静かに振り返る。
欄干に手を添え、月を臨むような形で2人を待ち構えていた男。円堂をメールで呼び出した張本人──帝国学園総帥、鬼道有人である。

「しばらくだったな、円堂」
「鬼道……どうして、帝国学園の監督に」

相も変わらず悪役のそれのようにニタリと笑みを浮かべた旧友に、円堂は隣に並んで問いかけた。
鬼道は愚問だとでも言うように、月を眺めながらあっけらかんと答える。

「円堂が雷門の監督なら、俺が帝国の監督になって何の不思議がある?」

10年前のあの日から、雷門と帝国は拮抗した戦いを続けてきた。
宿命の相手、好敵手──まさにそんな言葉が当てはまる。しかし、今の円堂に良い顔をする余裕はない。

「帝国学園は、フィフスの傘下になったと聞いた。鬼道、お前はフィフスセクターの……」
「サッカーには管理する者が必要なんだ」

円堂の言葉を、鬼道はやや語気を強めて遮る。
彼の緑のサングラスに、月光が反射した。

「円堂、お前にもじきに分かる」
「っ兄さんがそんなこと言うなんて! あの人が聞いたら、何て思うか……!」

弾かれたように口を開いた妹にも、鬼道の唇は弧を描いたままである。
「あいつのことは心配ない」と言い添え、彼は黒いスーツの裾をいつかのマントのように靡かせた。

「時代は変わった。サッカーも変わったんだ」
「変わってなんかないさ……!」

歯軋りするように、唸るように。
円堂は低い声で彼の言葉を否定する。

「サッカーはサッカーだ。楽しく、自由に……真剣にやるものだ!!」
「ならば聞こう。フィフスセクターが存在する前のサッカーは、正しかったと言うのか?」

ぐっ、と円堂は口を噤んだ。
フィフスセクターが設立される前、日本のサッカー界は目に見えるほど荒んでいた。
学校や会社のランクが各サッカーチームの勝敗により決定され、敗北した側は人が去り、経営難に見舞われる。廃校や倒産に追い込まれた組織も少なくはない。
そんな危機的状況を打破するために設立されたのが、サッカーへの熱意の維持≠ニ同時に平等≠分け隔てなく与える組織──フィフスセクターだった。

サッカーの優劣は、イコール人間の優劣。いつしかそんな意識が刷り込まれた日本。
しかし、フィフスセクターがサッカーを管理することで、どのチームにも平等に勝利が与えられようになった。
例え負けたとしても、巧妙に操作された情報と世論により、選手たちの心は傷付かなくなった。
だが、それでも。

「──サッカーの勝ち負けはフィールドで決まる。どんな理由があっても、初めから勝負が決まっているサッカーなんて間違ってる!! そのくらい、お前に分からないわけがないだろう!」

円堂の張り上げた声が、閑静だった鉄塔広場一杯に広がる。鬼道は彼から視線を外すと、ふと穏やかに微笑んだ。

「……相変わらず、熱いやつだな。お前は」
「……!」

どこか先程とは違い意味ありげな笑みに、円堂は数回まばたきを繰り返す。
しかしその間に、鬼道はいつものポーカーフェイスに戻っていた。

「だが、熱さだけでは世の中は変わらん。円堂、お前のサッカーが正しいと言うのなら──フィールドで証明しろ」

尤も、雷門が我が帝国に太刀打ちできるとは思わないがな──彼はそう言い残し、さっと踵を返す。

「待って、兄さん……!」

春奈の呼び止める声にも届かず、鬼道は後ろ手に手を振りながら、鉄塔広場から立ち去って行った。
円堂は闇に消えた友の姿を目で追ったまま、眉間に皺を寄せる。

「(フィフスセクターは間違ってる。俺は絶対に、昔のサッカーを取り戻して見せる。──いや)」

あいつらが、きっと。
円堂は不調の続く左の掌を、ぐっと握り締めた。




鬼道との衝撃の再会を果たし、円堂が決意を新たにしたその翌日、夕方のこと。

「──へえ、だからそんなボロボロなんだ」

部活動を終えた、午後5時半。
稲妻総合病院の中庭で、太陽は物珍しいものを見るような目で呟いた。

ベンチに腰かけた彼の隣には、ぐったりと背もたれに体重を掛けた依織の姿がある。
足や腕にはあちこちに絆創膏が貼られ、髪には取り損ねた芝が絡まっていた。
それと言うのも、昨日、帝国への対抗策として神童が提案したアルティメットサンダー──そのラストキッカーに、依織が選ばれたせいである。

昨日は立場上、先輩である神童たちのことを考えて天馬にああして返した依織だったが、神童たちにはお見通しだったらしい。
入部するまで散々言いたい放題言っておいて、今更遠慮なんてしてるんじゃない──どこか悔しげな倉間にそんなことを言われ、結局タクティクスの完成に手を貸すことになったのだ。

いつも飄々とした態度を保っている彼女にしては珍しく、重たく長い溜め息を先程から繰り返している。

「あんな重たい球、私初めて蹴ったんだけど……ホントに成功すんのかな……」
「依織って、限界まで疲れると弱気になるよねぇ」

呻く依織に、昔から変わってないや、と太陽はしみじみと呟いた。
傍観に回るのと実際に自分が参加するのとでは全く違う。パワーの蓄積されたボールはまるで鉛のように重く、神童や倉間が何度も吹き飛ばされたのも納得がいった。

依織はシュートに関しては、限りなくパワータイプに近い選手だ。
吹き飛ばされることは免れても、挑戦する度尻餅を突き、体には絆創膏が増えるばかり。
結局何度やっても、ボールは目標である敵陣には飛ばず、明後日の方向へしか飛ばなかった。

日はとっぷりと落ちて、空は茜色に染まっている。
ふいに吹いてきた突風に、どこかの部屋から何か紙の束のような物が落ちてきた。

「──あ、いたいた。太陽くん、検温の時間よ」

気にする間もなく、中庭の扉が開いて現れたのは冬花である。
あーあ、とつまらなさそうに呟いた太陽は、ゆっくりとベンチから腰を上げた。

「まぁ、とりあえず頑張りなよ。依織なら何とかなるって」
「お前、他人事だと思って」

「だって他人事だもん」睨みを利かせた幼馴染みから逃げ出すように、太陽は冬花の元へ駆けていく。
じゃあね、と手を振った彼に手を振り返し、依織も最後にひとつ溜め息を吐いて立ち上がった。

「(そう言えばさっき、何か落ちてこなかったか)」

ふと気になってそちらへ行ってみると、見覚えのある冊子が落ちている。
拾い上げると、それは先週のサッカー雑誌に付録で付いてきた、世界各チームの必殺タクティクスを纏めた薄い小冊子だった。

「あっ」

何でこんなものが、と呟いた矢先、頭上から2人分の声が降ってくる。
──どこかで聞いたことがあるような声だ。頭の上を見上げた依織は、次の瞬間ポカンと口を開けた。
2階の病室の窓からこちらを見下ろす、2つのよく似た顔。片方の大人びた方がにこりと微笑んだのに対し、もう片方は居心地悪そうに顔をしかめた。




「──すまないね、わざわざ持ってきてもらっちゃって」
「いえ……」

少し汚れてしまった冊子を大事そうに抱えながら、持ち主──優一は、依織に微笑み掛ける。
剣城は依織と会うことを避けたかったのか、「飲み物を買ってくる」と言って早々に病室を出て行っていた。

「それにしても、随分傷だらけだね……どうかしたのかい?」
「あ、いや……私サッカー部なんで。このくらい、日常茶飯事ですよ」

「サッカー部?」絆創膏の張られた腕を隠すように後ろに回すと、優一は一度キョトンとして、あっと声を上げる。

「そう言えば、京介がサッカー部に女の子が選手として入部したって言ってたよ。君のことだったんだね」
「え?」

男子に混じってプレーするなんて凄いな──楽しそうに言った彼に対し、今度は依織がキョトンとする番だった。

「あいつ、サッカー部のこと話すんですか? えっと……お兄さん、に」
「優一で良いよ。──ああ。自分からは中々話してくれないんだけど」

俺がしつこく聞くと、諦めて話してくれるんだ。
優一は悪戯っぽく笑って手持ち無沙汰に冊子を捲りながら、ふと窓の外を眺める。
窓ガラスに、一転して彼の物憂げな表情が写り込んだ。

「でも……サッカー部のことは、あまり楽しそうに話してくれないんだ。どうしてなのかな……」
「……それは」

事実、楽しくないからだろう。
部員と言えど、監視する側とされる側──敵であると言う、絶対的な関係性のせいだ。
そこで依織は初めて、優一がフィフスセクターについて何も知らないという事実に気付く。

「でも、俺はいつかあいつが楽しそうにサッカーの話をしてくれるって信じてるんだ。だって京介は、サッカーが──」
「兄さん!」

途端、優一の言葉を遮る鋭い声。
振り向くと、看護士を連れ立った剣城が顔をしかめて病室の入り口に立っていた。

「──リハビリの、時間だって」
「ん、ああ。もうそんな時間か」

ばつが悪そうに視線を逸らした弟に首を傾げつつ、優一は膝にかかった布団を退ける。
慌てて鞄を持ち直した依織に、彼はまたにこりと笑った。

「依織ちゃん、だったかな。良かったらまた来てくれないか? 学校での京介のこととか、聞きたいんだ」
「それは……勿論、良いですよ」

背中に突き刺さるような視線を受けつつ、断ることも出来ずに頷く。
病室を出ると、先の人気が少なくなった廊下で剣城が待ち構えていた。

「……余計なこと言ってないだろうな」
「──お前が心配してるようなことは話してないよ」

と言うより、話せるものか。
依織は顔をしかめ、嘆く代わりに溜め息を吐く。
優一は弟のことを真っ直ぐに信頼している。それは素晴らしい兄弟愛だが、これに限っては美しいものなど何もない。

「剣城……何で優一さんを騙してまで、フィフスにいるんだ? そうしなきゃならない理由って何なんだよ?」
「……お前には関係ない」
「そんなことねーだろ」

吐き捨てるように言った剣城に、依織は思わず語気を荒げた。目を丸くした剣城から視線を逸らさず、彼女は唸るように言う。

「少なくとも私は、お前を友達だって思ってる。関係ないなんて、言うな」
「……ことごとく変な奴だな。お前」

鼻で笑うように、苦笑したように。
どちらともとれる表情を浮かべ、踵を返した剣城を依織は追いかけた。

「教えてあげればいいではないですか。君が雷門でサッカーをプレーしないわけを」

──ふいに、背後から静かな声がする。
ギョッとして振り向くと、通り過ぎた時はいなかったはずの男が、ゆったりとベンチに座っていた。

「黒木さん……!?」
「あれは──そう。6年前のことです」

声を上げた剣城に構わず、黒木は滔々と話し出す。

──優一が12歳、剣城が6歳の頃。
剣城は兄に怪我をさせた。今後の人生に関わる、大きな怪我を。
引っ掛かったボールを取ろうとして、木から落ちた彼を兄が受け止めたことが原因だった。

当時小さかった彼には、担当医が気の毒そうに話していた内容はほとんど分からなかった。
ただ分かったのは、自分が木から落ちさえしなければ、兄は下半身不全になどならなかった──サッカーを続けられていたと言うことだけ。
その罪悪感だけが幼い彼の心深くに根を下ろし、今も尚、離れずにいる。

「──自分のせいで怪我をした可哀相な兄のため、彼は手術代を作ると決めたのです」

淡々と、科学者が研究結果でも説明するように、黒木は話し続ける。剣城は痛々しい表情で、口をパクパクと動かしていた。

「また彼が雷門の味方をしたら、お兄さんの足は治せません。それでも彼にサッカーを強制させるのですか?」
「っ黒木さん、やめてください!」

ようやっと、剣城が声を発する。
黒木は肩を竦めると、ベンチから立ち上がりすれ違い様に囁くように言った。

「よく考えることですね。兄弟の不幸と勝利を秤にかけるか否か」

一拍置き、2人はパッと振り返る。
そこには既に──初めから誰もいなかったかのように──黒木の姿は消えていた。

「剣城……お前、優一さんの足の治療費を、フィフスに」
「……この話は、忘れろ」

固い声で言い捨てて。ここが病院だというにも関わらず、剣城は静まり返った廊下を駆け抜けていく。
引き留めることも間に合わず、依織は中途半端に宙に浮かせた手を、ぎゅっと握りしめた。