35

鋼鉄を張り合わせたような重厚な造りをした黒塗りの校舎。
吹き抜けになっていることもあるが、今はぴたりと口を閉じた天井のサッカーフィールド。

──10年前と何も変わってない。円堂はじっと、ベンチから見える帝国のスタジアムを見つめる。
雷門中対帝国学園。ホーリーロード地区予選、準決勝と言う舞台で、因縁の対決が始まろうとしていた。

「結局、アルティメットサンダーも完成しなかったし……大丈夫なんでしょうか」
「やれるだけのことはやった。練習の成果を信じて戦うだけだ」

観客席にいるのは帝国学園を応援する人間ばかりだ。酷くアウェイ感の漂うスタジアムに畏怖する速水に対し、神童はどこまでも強気である。
「まぁ、やるしかないですよねぇ」やや間延びした声で、依織が手の甲に中途半端に張り付いた絆創膏を剥がした。

「ちゅーか、練習でダメでも本番でイケるってこと、結構あるしなー」
「そうですよ! 一生懸命やれば、きっと道は開けます!」

「そう簡単に行けば楽だけどな」浜野の言葉に力一杯頷いて同調した天馬に、倉間が鼻を鳴らす。
ちらりと帝国陣内を横目にした神童は、少し声を落としてDF勢に言った。

「アルティメットサンダーに集中するとなると、どうしても守備が薄くなる。守りは頼んだぞ」
「ああ、任せろ!」

お下げを揺らし、久しぶりにサッカーが出来る霧野はしっかりと頷く。
依織はちらりと帝国のベンチを盗み見て、天馬たちに気付かれないようにこっそり溜め息を吐いた。

各選手がポジションにつき、ついにホイッスルが吹き鳴らされる。
キックオフは雷門からだ。

「浜野!」

まずは中盤までボールを運ばなければ。神童はサイドを駆け上がった浜野へパスを出す。
雷門陣内へ侵入してきた帝国のFW勢に視線を走らせ、浜野は素早くボールを神童に戻そうとした。

「神童──」

刹那、滑り込んできた逸見が浜野のパスをカットする。
「やっちゃった!」顔を顰めて彼が振り向く間もなく、帝国イレブンは素早くパスを繋いで中盤を突破した。

そしてボールは雷門陣内深くへ切り込んだ帝国キャプテン、御門に渡る。
流れるような連携に一瞬反応の遅れた雷門DFを掻い潜り、御門は足をしならせた。

「っバーニングキャッチ!!」

何てこともない、普通のシュート。
だがその威力は、とても普通≠ニは言いがたい。三国は寸でのところで御門のシュートを防いだが、その足は最初に立っていた場所から優に1メートルはゴールへ押し込まれていた。

「三国さん!」
「大丈夫だ……!」

大きく息を吐き出しながら答えた三国に、駆け寄ったイレブンもひとまずホッとする。
だが、と自陣に戻った御門を盗み見て、霧野が苦い顔をした。

「あんなシュートを何本も喰らったら、三国さんも保たないぞ……!」
「守りを固めるしかないですね……」

ちらちらと辺りを伺いながら、速水が頷く。
帝国の無駄のない鮮やかなプレーに、観衆は沸き立っていた。

「──いや。積極的に攻めよう」

その歓声があたかも聞こえないように、神童は堂々と宣言した。

「守りに徹して押しきられるより、ずっと勝機がある」
「ああ。ゴールは任せてくれ」

ばん、と拳を手のひらに叩きつけて、三国はまだ戦える意志を示す。
お願いします、と彼に小さく頷き、神童は帝国陣に向き直った。

決意を新たにしたところで、試合が再開される。
神童はホイッスルが鳴るなり、両手で空を切った。雷門の必殺タクティクス、神のタクト≠セ。

「倉間!」

凪いだ手の先から、光の筋が延びる。
闘気が形成した光の道は、フィールドを横切り倉間の元へと届いた。

「鷹栖!」
「はい!」

光の道へ飛び込み、依織が神童からのパスを更に倉間へ渡す。
「良いぞ!」ボールを受け取った倉間は、そのまま帝国陣内へ飛び込んだ。

「決める、っ……!」

シュート体勢に入った途端、倉間の顔が歪む。帝国ゴールの前に、DFが4人がかりで立ちはだかったのである。
しかし、振り上げた足は止まらない。
舌打ちをして打たれたボールはやや勢いがなく、あっさりとゴールへ辿り着くことなく止められた。

「攻撃開始!」
「おう!」

ボールがこちらに回ったのを見るなり、にやりと口角を上げて御門が指示を飛ばす。
「止めろ!」一気に走り出した帝国イレブンに、神童が叫んだ。
雷門がマークにつくも、攻撃パターンに入っていた今は守備が薄くなっている。
マークから唯一逃れた佐々鬼に、御門がパックパスを出した。

「させるかぁーーッ!!」

その瞬間、中盤からつむじ風のごとく舞い戻った天馬が、スライディングでボールをクリアする。
短く吹かれたホイッスルに、ボールを見送った佐々鬼は小さく舌打ちした。

「やっぱり、帝国は強敵だな……」
「ああ。ちょっとやそっとじゃ突破出来そうもない」

目配せを交わし合った仲間たちの視線が、神童へ集まる。
彼はひとつ頷くと、依織を見やった。

「勝つにはアルティメットサンダーしかない。やるぞ、鷹栖!」
「──はい」

ぐっ、と一瞬唇を真一文字に結んだ依織は、すぐに何事もなかったように頷いて見せる。

──本当は、まだ不安でたまらない。成功する兆しすら見えない戦術の、よりによって一番大事な役に選ばれるなど。
だがミステイクなど、今更不満を言っている場合ではない。覚悟はとっくのとうにしたはずなのだ。

「(ホーリーロードで優勝するって──決めた時に!)」

バチン、と両手で思いきり頬を叩く。
目を丸くしてこちらを見た神童に、依織はニタリと笑って見せた。

「さあ、先輩。やってやりましょう」
「……ああ!」

ストップウォッチの数字が、再び動き出す。
帝国のパスの流れを何とかカットした速水が、浜野へパスを出した。

「行くぞ鷹栖!」
「了解!」
「倉間、天馬! 俺たちは上がるぞ!!」

目配せを合図に、依織は雷門ゴールへ、神童たち三人は帝国陣内へとフィールドを蹴る。
バックパスを繋げはじめた雷門に、帝国や観衆に動揺が走ったのが分かった。

「鷹栖ッ!!」

パワーの蓄積されたボールが迫る。
依織は肺に大きく空気を吸い込んで、足を振り上げた。

「アルティメット、サンダああぁッ!!」

ギャギャギャ、とボールを受け止めたスパイクが唸る。
だが、次の瞬間依織の体はフィールドに叩きつけられ、ボールは勢いを無くしながらライン際の芝を抉った。
一度の失敗がなんだ。まだボールは生きている。
依織は弾かれたように体を起こし、ボールの落下地点に一番近かった天馬に向かって叫んだ。

「ッ天馬、ボール押さえろ!!」
「う、うん!」

ハッと我に返った天馬が、ボールを素早くドリブルして帝国陣内へ切り込む。
向かって来た相手DFに、彼の体が風を纏った。

「そよかぜステップ!!」

孕んだ風が天馬の体を運び、ブロックを弾く。
天馬はそのまま神童へ向かってロングパスを出した。

「キャプテン!!」

ボールの落下速度と走るスピードを合わせる。
アルティメットサンダーがダメなら、自力で取るしかない。──しなった足が、ボールを捉えた。

「フォルテシモ!!」

シュートが旋律を携え、輝く光の尾を引きながら帝国ゴールへ向かっていく。
相対した帝国キーパー・雅野は、臆する様子もなく静かに両手を構えた。
バシッ──大きな音を立て、フォルテシモを受け止めた雅野は、冷たい視線で神童を見やって口角を持ち上げる。

「この程度か? 神童拓人」
「くっ……」

挑発するような雅野の声音に、神童が奥歯を噛んだ。
雅野はボールを片手に、一転して真顔になる。

「帝国の壁はお前が思っているよりも遥かに、高く──厚く──硬い」

くるり、指の先でボールを回して足元に転がした彼は、前髪の隙間から鋭い目を覗かせた。

「帝国のサッカー、……甘く見るなよ」

ざわつく観衆を物ともせず言い切った彼に、神童の表情も固くなる。
──その様子を観察していた帝国ベンチの佐久間は、肩越しに鬼道を振り返った。

「やはり、神童さえ押さえれば無力化できます」
「……撹乱しろ」

ただ一言、短く言った鬼道に佐久間は頷くと、フィールドへ一歩近付き、声を大きくする。

「総員、オペレーション・デルタ3だ!」
「了解!」

にやりと笑った御門が素早く答え、選手たちに目配せした。
頷き合い、もしくは意地の悪そうな笑みを浮かべた帝国イレブンは、両サイド側に着く布陣をとる。

「何だ、あの布陣は……?」
「あれじゃ真ん中がら空きじゃん」

尻餅をついた依織を助け起こしながら、霧野や浜野が怪訝そうに首を傾げる。
依織はユニフォームについた芝を払いながら、もう一度帝国ベンチを伺った。

「(有兄さんのことだから、何か考えがあるのは分かってる。中央に誘き寄せるためか……?)」

しかしそれだと、あまりに単純過ぎる。
相手は何せ、かつてイナズマジャパンを勝利へ導いた天才ゲームメイカー≠ネのだ。

「(私にも容赦なしか、こんちくしょう)」

アルティメットサンダーに失敗したあの瞬間、彼がニヤリと──やはりお前はまだまだだとでも言いたげに笑ったのを、依織は確かに見たのである。
全く、どこまでも意地の悪い──依織は霧野たちに聞こえないよう、心の中で舌打ちした。

そうこうしている間に、雅野のスローイングで試合が再開される。
「DFを固めろ!!」我に返った神童が、声を荒げた。

帝国イレブンはサイドをフルに使ったロングパスで、雷門陣内へ攻め込んでくる。
なるほど、あの布陣はそういう意味だったのか──など、感心する暇などはない。
混戦してきたフィールド内に、依織は敢えて帝国がDFに手を抜き、神童を雷門陣内から引き剥がしたことに感づいた。
彼が上がってしまえば、中盤でのゲームメイクは当然難しくなり、雷門は防戦一方になる。これは、雷門にとって最大の弱点だ。

「逸見ぃ!」

センタリングを受け、逸見が高く跳ぶ。
「やらせない!」一瞬遅れ、追いかけるように隣へジャンプした信助に、彼の顔が煩わしそうに歪んだ。

「邪魔だ!」
「うわっ──」

空中で押し退けられた信助が、フィールドにべしゃりと不時着する。
そのままシュートされたボールは、信助のマークで的がずれたかゴールポストに当たってコート外へ転がっていった。

「信助! 大丈夫?」
「うん……」

駆け寄ってきた天馬に、信助は眉を寄せて頷く。
一瞬、こちらを見て蔑むような笑みを張り付けた逸見に、信助は臍を噛んだ。




──所変わり、稲妻総合病院。
優一はいつものようにベッドに座り、テレビを眺めていた。
小さな画面の中では、雷門が帝国相手に苦戦を強いられている。

「──お前は行かなくて良いのか? 京介」

彼はテレビを見つめたまま、ベッド脇のパイプ椅子に腰かけた弟へ語りかけた。
本来なら、彼もこの試合に出ていなければならないはずなのに、どうして。
詳しく聞きたくても、剣城は先ほどから兄の目を見ようとしない。

『アルティメットサンダーッ!!』

スピーカーから聞こえてきた声に、剣城の肩が僅かに揺れた。
画面の中で、フィールドに転がった依織を霧野が助け起こしている。

「……あいつらは、俺がいなくても戦えるよ」
「京介……?」

ようやっと喋った弟は、どこか悲しげな顔をしている。
優一が言葉を続けるより先に、剣城はわざとらしく咳払いをしながら立ち上がった。

「何か……この部屋、暑いな。飲み物買ってくる」

そう言って、剣城は返事を聞かないまま足早に病室を出ていく。
優一は彼の紫の背中と、頬に伝う汗を乱暴に拭う依織の横顔を映したテレビを見比べ──ベッドの傍らに置いた車椅子に、手を掛けた。