締め切った窓から、光がゆっくりと差し込む。
優一はその眩しさに目を細めながらも、テレビの画面から視線を逸らさなかった。
──雷門は、目眩く帝国の技の応酬による猛攻に依然苦しめられている。
「……チームメイトを放っておいて、お前はこんなところで何をしているんだ?」
黒木と別れ、病室へ着くなり目も合わせず厳しい声音で口を開いた兄に、剣城は思わず怯んだ。
小さな画面の中で、依織が髪を靡かせて走っているのが見える。額には汗が滲んでいた。
「お前にとってサッカーはその程度のものだったのか……? 答えろ、京介」
その問いに、即答することは出来ない。
眉根を寄せて俯いた弟に構わず、優一は更に言葉を続ける。
「……お前が男と話しているのを聞いた」
「!」
剣城は一瞬、分かりやすいほど反応を示してしまった自分を呪った。目が合うなり、兄が酷く悲しそうな顔をしたからだ。
優一は突然自分に掛かっていた白い布団を取り払い、真っ白なシーツを握りしめる。
もう6年もの間まともに使っていない両足は、白くて細い。彼はそんな足を擦りながら、痛々しい表情を浮かべた弟を睨んだ。
「京介……俺はお前に頼んだか? この足を元通りにしてくれと、頼んだことがあったか!? 一度でも!!」
「……っ」
言葉が詰まる。
そう──彼はこの6年、そんなことは言わなかった。
また一緒にサッカーがしたいと言うことはあれど、怪我を弟のせいにすることも、ましてや責任を負わせて打開策を見つけさせるようなことも、ただの一度もしなかったのだ。
全ては、剣城が罪悪感を消し去るため。兄の為に、独り行動を起こした結果だ。
膝に握り拳を押し付け、優一が俯く。
その声は、僅かに震えていた。
「サッカーの勝敗を管理する機関、フィフスセクター……お前がそんな奴らと関わっていたなんて」
そんなものが、俺たちの好きだったサッカーなのか──語気を荒げる優一の言葉を否定出来たら、どれほど良かったことだろうか。
しかし、何もかもがもう遅い。剣城は制服を握り締め、ひたすら黙って兄の言葉を聞く。
うまくいったら楽しい。失敗したら悔しい。ドリブルで抜きたい。シュートを決めたい。
優一は指折り、遠い記憶から思い出を引っ張り上げる。弟と一緒に追いかけた、ボールの思い出を。
「──そんなひとつひとつの思いが零れて、胸の奥が熱くなる……サッカーはそういうものだろ、京介!?」
ポタリと、シーツに落ちて滲んだ雫に剣城はハッと顔を上げた。
──優一の目から、静かに涙が滴っている。
「兄さ──」
「お前はサッカーを裏切った」
兄の刺々しい言葉が、剣城の声を遮る。
またひとつ、シーツに染みが出来た。
「お前は俺たちが好きだったサッカーを裏切ったんだ。……出ていけ、京介!」
ふつりと、耳から全ての音が消えてなくなったようだった。
鳥の囀ずりも、廊下からの僅かなざわめきも聞こえない。──聞こえるとすれば、兄の少し荒れた息と、テレビから聞こえる実況の声。
剣城は静かに、病室を後にした。
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:
前半も残すところ僅か。
神童の化身も、使い慣れた龍崎のテディスには今一歩力が及ばない。
「(この展開を打ち破るには、アルティメットサンダーしかない!)」
ボールは帝国がキープしたままだ。
ちらりと目配せした神童に、5人が頷く。
「(今度こそ、決める!)」
まずはボールをこちらの物にしなければ。
神童のアイコンタクトで、車田がDFラインから飛び出した。
「ダッッシュトレインッ!!」
車田の体から蒸気が溢れる。
暴走機関車のような勢いで突っ込んできた車田に一瞬あちらも怯んだか、帝国FWは思いきりダッシュトレインに弾き飛ばされた。
「神童!」
ボールを奪取した車田がパスを回す。
頷いた神童は、走りながら声を上げた。
「行くぞ!」
「おう!!」
布陣を気にしている場合ではない。
神童をファーストキッカーに、速水、霧野、天城とボールを繋いでいく。
今度こそ。倉間と依織はタイミングを合わせ、振り返り様に足を振り上げた。
「アルティメット、」
「サンダー!!」
ぎし、とサポーターが軋む。
次の瞬間、倉間はその場から吹き飛び、依織はそのまま1回転しそうな勢いで尻餅を突いた。
「くっ……やはり即興では無理と言うことなのか……!?」
歯噛みした神童の視界の端で、こぼれ球が御門に奪われる。
御門は邪悪な笑みを浮かべると、見せつけるように両手を広げた。
「どれほど足掻こうと無駄だ! 勝つのは我ら帝国!!」
ぶわ、と広げた両手から黒い影が翼のように噴き出す。
ぐにゃりと形を変えたそれは、鋭利な嘴と爪を持った漆黒の鷲のような化身へと化した。
「《黒き翼 レイブン》!!」
「あいつも化身使い……!?」走りながら、御門の発現した化身に天馬が目を見開く。
レイブンは爪を降り下ろし、雷門のDFたちを一気に蹴散らした。
「ぐッ……!」
「霧野!」
地面に跪き、顔を歪めて足首を見た霧野に神童が目を見開く。治ったばかりの怪我に、御門の攻撃が響いたのだ。
DFがいなくなったゴール前を守るものは何もない。御門が足を振り上げ、レイブンは羽を散らしてその黒い翼をフィールドに広げる。
「ッバーニングキャッチ──!!」
回転を掛けたボールとグローブがぶつかり合う。
ゴムの燃えた臭いがしたその瞬間、御門のシュートは三国ごとゴールにボールを押し込んだ。
「三国さん!」ふらつきながらも何とか立ち上がった三国に、仲間たちが駆け寄っていく。
「すまない……守れなかった」
「いいえ。……まさか化身使いが2人もいるなんて」
ちらりと御門を盗み見て、神童は歯噛みした。
「でも、どうします?」いつになく真剣な声音で、依織が眉間に皺を寄せる。
「化身を持たない選手じゃ、あいつは止められない」
「……ああ。これ以上点を入れられるわけにはいかない。御門には、俺がつく」
声量を落としながらもしっかりと言った神童に、仲間たちが顔を見合わせた。
あちらの化身使いは、FWとDFに1人ずつ。内DFの龍崎は、やはりアルティメットサンダーで突破する以外対処法がない。依織はそっと唇を噛み締める。
スローインは雷門からだ。
そのがたいの良い体を割り込ませ、いきなりボールを奪って行った御門に、神童がスピードを上げ追いかける。
得点差は2点。これ以上離されれば、雷門の敗北は色濃くなってしまう。奥歯を噛み締めた神童に、ふと御門が振り向いた。
「化身を防ぐには、化身が最も有効……! 予測済みだ!!」
「!!」
御門の急な方向転換に、神童がたたらを踏む。
一瞬の隙に、ボールは逸見へと渡った。
「どけぇッ!」
DFラインに躍り出た天馬と信助を激しいタックルで突き飛ばし、天城の巨体を潜り抜けたシュートがゴールを襲う。
ゴールの右上を狙ったシュートをパンチングで弾き、体勢を直せなかった三国はゴールポストに背中を打ち付けた。
がん! と痛々しい音と同時に、前半終了のホイッスルが鳴り響く。
「──ふん……! 簡単だな。他のチームが今までなぜ手こずっていたのか分からない」
ジャグを傾け、雷門ベンチを横目に小馬鹿にしたように鼻を鳴らすのは逸見だ。
御門はニヤリと余裕の笑みを浮かべ、浮いてもいない汗をタオルで拭う。
「油断大敵だ、逸見。獅子は兎を全力で狩る」
「了解、キャプテン」龍崎が歪んだ笑みを浮かべ、3人はその後の戦略について話し始める。
──その様子を、佐久間と鬼道は聞き耳をたてて伺っていた。ちらりと目だけで雷門ベンチを伺い、鬼道は組んだ指先に力を込める。
「(どうした、円堂……雷門の力はこんなものか)」
──一方、雷門ベンチでは、傷付いた選手たちがフィールドに座り込むなりして何とかダメージを回復しようとしていた。
「……霧野くん、足の怪我が再発してる」
ベンチに腰かけた霧野にアイシングをしながら、ぽつりと言った茜に神童が顔をしかめる。
治ったばかりの足で練習を重ね、試合に出したのは自分の判断ミスだ。
「霧野……後半は下がってくれ。癖になったらいけない」
「っでも、俺が下がったら」
食い下がった霧野に、神童は小さく頭を振った。
霧野が下がれば、1人足りない状況で帝国と戦うことになる。だがそれでも、これ以上彼に負担をかけることは出来ない。
「……分かった」押し黙った神童に、霧野は眉根を寄せて頷いた。
「このままじゃ勝てないですよ……せめてアルティメットサンダーを完成させないと──あ」
言い掛けた速水が、ぐっと言葉を詰まらせる。
傍らで、倉間が悔しげに歯軋りしたのが見えたのだ。
ベンチを囲う敷居に背中を預けて立っている依織の表情は分からないが、同じようなものなのだろう。
その時、ふと表情を引き締めた天馬が、倉間に歩み寄った。
「依織、倉間先輩……もう一度挑戦しましょう」
「天馬……」眉根を寄せ、倉間が天馬を見上げる。
こちらへ顔を覗かせた依織と倉間に、天馬は頭を下げた。
「挑戦しなきゃ、何も始まりません。だから──お願いします」
「簡単に言うなぁ、お前は」
依織はやや呆れたようにヘラリと笑ったが、それは天馬のポジティブシンキングに慣れてしまっているからである。
しかし彼女のようにはいかない倉間は、歯を食い縛って俯いた。
「っこれだけやって上手くいかねーってのに、どうやって成功させるんだよ」
語気を強めた倉間に、天馬も眉を下げる。
降りた沈黙を破ったのは、円堂だった。
「諦めるな!」
「!」
ピシャリと言った円堂に、倉間が目をしばたく。
円堂は変わらず力強い口調で、今度は仲間全員に語りかけるように言った。
「諦めないやつだけに、掴めるものがある!」
「…………」
倉間は力無く項垂れ、臍を噛む。それは周りも同じことだ。
諦めなければ、希望を捨てなければ。そうは言っても、どうすれば状況を打破出来るか、思い付かない。
──ピッチに慌ただしい足音が聞こえてきたのは、その時である。
「──俺を出せ!!」
唐突にテクニカルエリアに飛び込んできたのは、剣城だった。
息を切らし、余裕のない表情で叫ぶように言った剣城に、雷門イレブンは目を丸くする。
「俺を試合に出してくれ……!」
息を整え、汗を滴らせ剣城は円堂を見上げる。
1人、冷静になった神童が、円堂の隣へ並んだ。
「……今度は逃げないのか?」
「シードじゃない──1人のサッカープレイヤーとして、頼む!!」
深く頭を下げた剣城に、神童が僅かに息を呑むのが分かる。しかし、それで簡単に状況が変わるわけではない。彼には雷門イレブンを傷付けた、払拭しようのない前科があるのだ。
「そんなの、信用できるわけないだろ!!」
我に返ったように言い捨てた倉間に、剣城は顔を上げてばつが悪そうに眉を寄せる。
他にも難色の色を示すイレブンに、葵がそっと円堂を見上げた。
「円堂監督……」
「……決めるのは、お前たちだ」
ただ一言、そう返した円堂に。
真っ先に言葉を返したのは、じっと剣城を見つめていた彼女だった。
「私は、信じても良いと思いますけどね」
「っ、鷹栖」
堂々と、周りの重たい雰囲気を物ともせず言い切った依織に剣城は目を見開く。
依織はいつもの──彼に言わせれば何を考えているか分からない笑みを、剣城に向けた。
「何があって心変わりしたのかは知らないけどさ、……私は、お前の目を信じるよ」
嘘をついていない、純粋に戦いを望む目。
彼はきっと、決めたのだろう。今、兄の為に本当は何をするべきか。
「俺も剣城を信じます!」
彼女の目に偽りは映らない。
それを十分知っている天馬が、依織の横へ並んだ。
「剣城は、いつも俺たちを苦しめてきたんだ。前の試合で少しは信じられると思ったが……その後は練習にも来ない、今日の試合には遅刻する。それで信じられるか!」
言い捨てて睨みを利かせた倉間に、剣城が怯んだように表情を固くする。
それでも天馬は、頑として首を横に振らなかった。
「信じます。思い出して下さい、剣城のプレーを……!」
万能坂での彼のサッカーは、目を瞑れば今でも鮮明に思い出すことが出来る。
それほど鮮やかで、力強いプレーだったから。
「──サッカーが好きじゃなきゃ、あんなすごいプレーは出来るはずないです! だから俺、信じます!」
サッカーを守りたい、その一心で。
真剣な表情でこちらに頷いた天馬に、剣城は虚を突かれたように口を開けた。
「……分かった。俺も信じる」
「うん、僕も!」
ややあって、神童が頷き、信助が天馬に笑いかける。
キャプテンや後輩たちがそう言うのなら。大船に乗ったような気持ちで、他の仲間たちも小さく頷いた。
「……ちっ。仕方ねえな」
「先輩……!」口を尖らせながらも、僅かに表情を緩めた倉間に天馬が顔を輝かせる。
これで、剣城の加入に異議を唱える者はいない。円堂はニカッと剣城に笑い掛けた。
「剣城、出ろ!」
「……はい!」
剣城の目に、光が宿る。
「頑張ろう、剣城!」握り拳を作った天馬に、剣城がほんの少しだけ──笑った。