開け放した窓から、柔らかな風が吹き込む。
優一は風に髪を靡かせながら、黄色いユニフォームに身を包んだ弟をテレビ画面越しに見つめていた。
「京介……お前はお前の道を行け。そうすれば俺は、お前と同じ夢が見られる」
スタジアムの天井がゆっくりと開き、差し込んだ太陽の光がスポットライトのようにフィールドを照らし出す。
雷門対帝国。後半開始のホイッスルが、空高く響き渡った。
胸のエンブレムを握り締め、呼吸を整えた剣城が走り出す。
キックオフは帝国から。電光石火の素早さで、剣城はあっという間に逸見からボールを奪った。
「倉間、鷹栖! シュートは頼んだぞ!」
「はい!」
「分かった!」
神童の指示に、FW2人が帝国陣内へ切り込む。
「剣城、やり方は分かっているな!」走りすがら言われた剣城は頷いて、神童へパスを出した。
「よし──行くぞ!!」
神童がバックパスを出すと同時に、剣城がゴール前へ逆走する。
エネルギーを溜め込み、向かってきたボールに足をしならせた瞬間──兄の顔が、脳裏に浮かんだ。
「ッアルティメットサンダー!!」
バチバチバチと稲光のような閃光が走る。
光輝くシュートは、この日初めて威力を保ったまま敵陣へと飛んだ。
「やった!」
「このキック力なら行ける……!」
天馬や神童の表情が輝く。
しかし、それも一瞬のことだった。
渾身のアルティメットサンダーは帝国陣内に着弾するなり、風船がはち切れたようにその威力が消え、その場に弾んだだけで終わってしまったのである。
転がったボールに足を乗せ、勝ち誇ったように笑みを浮かべた龍崎に、雷門に動揺が走った。
「え……!?」
「どうやら……剣城を入れた甲斐も無かったようだな?」
鼻を鳴らし、龍崎がMFにパスを出す。
いつでもシュート出来る位置に着いていた依織と倉間は、慌てて自陣へ駆け戻った。
アルティメットサンダーは、敵陣に落ちたボールから衝撃波が放たれることで成功する必殺タクティクス。
技術もキック力も十分な筈なのに、何故失敗したのか。ちらりと剣城を見やると、彼もまた予想外だったのか大きく目を見開いている。
「……ッもう一度だ。今度は決める!」
ぎっ、と奥歯を噛み締めた剣城に、神童と天馬は目配せし合って頷いた。
今は考えている余裕はない。
神童は気持ちを切り替えて、雷門陣内へ侵入してきた帝国FWから素早くボールを奪う。
「もう一度、行くぞ!」
今度こそ。そんな思いを込めて、再びバックパスがフィールドを走った。
迫るボールと向かい合い、さっきよりも力を入れて──足を振り抜く。
「こいつでどうだッ!!」
芝を巻き立てる、二度目のアルティメットサンダー。
しかし、結果は変わらない。着弾の途端に威力は消え、ただのこぼれ球に成り下がったボールに、帝国イレブンたちがニヤリと笑う。
何が必殺タクティクスだ、所詮ただのこけ威しではないか──御門のそんな心の声が聞こえてくるようだ。
「また……何故だ!?」
条件は揃っているはずなのに。
眉間に皺を寄せる剣城の心臓が、嫌な鼓動を刻み始める。
まさか、手を抜いているのでは。雷門イレブンたちの動揺と猜疑心が、直接心に突き刺さっていく気がした。
「(違う……俺は本気だ! 本気で、サッカーを取り戻そうと──)」
ふと脳裏に、幼い頃の優一の姿と、今の優一の姿が甦る。
ひとり、必死に歩けるようにリハビリを続け苦悶の表情を浮かべる兄と、──その思いを揺るがす声が響いた。
『万が一帝国学園が破れ、雷門が勝つようなことがあれば──お前の兄の手術費は諦めてもらうことになるぞ』
ぞわりと、背筋に冷たい汗が伝う。
確かに自分は、フィフスセクターに逆らうと決めた。だがそれは同時に、兄の手術費を失うことになる。
だが、優一は──
「剣城ィ!!」
突如、鋭い声が耳をつんざいた。
ギョッとして振り向くと、依織があの静かな怒りを湛えた表情で、こちらを睨んでいる。
「戦うって決めたからここにいるんだろうが! 気の抜けたプレーしやがって──まだ、優一さんを悲しませるつもりか!!」
彼女はあの日、確かに見たのだ。
優一の瞳に写った、彼の心を。
『でも……サッカー部のことは、あまり楽しそうに話してくれないんだ。どうしてなのかな……』
何も知らない自分に苛立ち、それと同時に何も話してくれない弟に悲しむ心を。
剣城の足元にボールが転がる。
それを浚って行った龍崎に、天馬が飛び付いた。
「どうしたんだよ剣城! 今のお前、ちゃんとサッカーと向き合ってない……!」
そんなんじゃ、サッカーが泣いてるよ!
──いつか馬鹿にした筈の、天馬の切実な叫びが心を貫く。
フラッシュバックする、兄の涙。
きつく握り締めた拳の痛みが、彼を戦場へと引き戻した。
「兄さん──」
小さな呟きは、懺悔か誓いか。
まだ真新しいスパイクが、芝を抉る。
「何ッ──!?」
巧妙なトラップで天馬を欺いていた龍崎の足元から、ボールが消えたように浚われていく。
奪ったのは、目を見張るスピードで自陣へ駆け戻ってきた剣城だった。
「……本気出すの遅いんだよ!」
「うるせえ、文句なら後で聞く!」
すれ違い様、口角を上げた依織に思わず笑い返すと、予想外だったのかキョトンとした彼女にまた少し笑いが込み上げる。
パスを受け取ったのは、神童だ。
「……よし! 行くぞ、みんな!!」
神童の声に、答える10人の仲間たち。
バックパスに追いかけられながら、剣城はもう一度エンブレムを握り締めた。
「(兄さんの涙を、これ以上裏切るわけにはいかない……! もし俺が兄さんに償える方法があるとしたら、)」
──俺と兄さんのサッカーをすることだ!!
心の哮りと共に、剣城は利き足を振り抜く。
「喰らえェッ!!」
閃光が走り、矢を射抜くようなシュートが帝国陣内へ突っ込んだ。
波打つように溢れた衝撃波に、帝国イレブンはおろか、鬼道の表情も僅かに動く。
ドッ──とボールを中心に放たれた衝撃波に、帝国DFが散らばった。
その威力に、天馬や信助が顔を輝かせる。
「これがアルティメットサンダー……!」
「すごい!」
「感心してる場合か!」ピシャリと言いながら追い抜いた依織を、天馬も慌てて追いかける。
ボールはまだ帝国に渡っていない。
「やれ天馬!」一足先に追い付いた依織のバックパスに、天馬は更に加速した。
「マッハウィンド──!!」
巻き上げた風が翼のように砂塵を巻き立てる。円堂と練習した天馬のシュート技だ。
ここに来て初めての雷門のシュートに、雅野が助走をつけて跳躍する。
「パワースパイクッ!!」
振り上げた両手から衝撃波が放たれる。
ギャ、とぶつかり合った力と力に、雅野は一瞬、高揚したように笑みを浮かべた。
ドシュ──鋭い音と共に、マッハウィンドがゴールネットに突き刺さる。
一拍空け、天馬は大きく口を開けた。
「やったああ!!」
予想外の展開に、観客が沸き立つ。
天馬の1点は、仲間たちに大きな希望を与えた。ようやく雷門は反撃の狼煙を上げたのだ。
「勝つぞ、みんな!!」
「おう!!」
惜しみ無く技を繰り出す様は、一様に生き生きと輝いている。
ボールを運び、奪われても奪い返す。にわかに動きの変わった雷門イレブンに、帝国に初めて動揺が走るのが分かった。
「くっ……こいつら、さっきまでと動きが違う!」
「俺が止める!!」
スライディングで強引に浜野からボールを奪った御門が、両腕を広げる。
漆黒の翼を広げ、レイブンが再び姿を現した。
「もう、負けるわけにはいかない!!」
負けじと神童が利き手を振るうと、溢れ出た闘気が四本の腕を持つ異形の指揮者、マエストロを召喚する。
化身は即ち、心の強さ。何があっても負けられないと心に誓った神童の想いが、化身に伝わり、レイブンを打ち砕いた。
「やった、キャプテン!」
「行け、剣城!」
パスを受けた剣城が帝国陣内へ切り込む。
迎え撃つのは、整った顔を怒りに歪ませた龍崎だ。
「お前には決めさせない!!」
「俺には、な」
一瞬、好戦的な笑みを浮かべた剣城が素早くボールを高く打ち上げる。
それを見越して跳躍したのは、DFラインから飛び出してきた信助だった。
「ぶっとび──ジャーーーーンプッ!!」
小さな体に違う、強力なシュートが帝国ゴールに迫る。
雅野のパワースパイクを打ち砕き、信助のシュートは見事帝国のゴールに突き刺さった。
「やったー! やったな、信助!!」
「うん! 僕、決めたよ!!」
飛び付いてきた天馬とハイタッチを交わし、「とうとう出来たな!」と頷いた車田に信助は満面の笑みを浮かべる。
これで同点。あと1点で、強豪帝国を打ち破ることが出来るのだ。
「みんな、行くぞ!! 勝って、俺たちのサッカーを守るんだ!!」
「おーッ!!」
勝ちたい──その気持ちが、11人の心を一つにする。
拳を振り上げて激励し合う雷門イレブンに、滲んだ冷たい汗を拭いながら御門が舌打ちした。
「これ以上点はやれない……!」
呟き、彼が何事か口早に指示をすると、帝国イレブンは揃って自陣へ戻っていく。残り時間は、全員で守りつつ得点のチャンスを伺うつもりらしい。
「(あっちも余裕がなくなったか)」
ちらりと帝国陣内を見やった依織は、次にベンチの鬼道と佐久間へ視線を走らせる。
──定かではないが、佐久間がこちらに向かって合図するようにウィンクしたのが見えた。
一度勢い付いた雷門は、もう止まらない。
二度目の完成されたアルティメットサンダーが、唸りを上げて帝国陣内を襲う。止める術はほぼゼロだ。
ドリブルで攻め上がってきた依織に、弾かれたように身を起こした龍崎が、歯を食い芝って彼女の前へ躍り出る。
「この1点はシードの名に懸けて入れさせん!! 来い、《竜騎士》──」
「同じ手が通じると思ってんなよ!!」
ダ、ダン! と依織の足が、リズミカルに力強いステップを踏んだ。
瞬間、彼女の足元から青い電流が迸る。
「スパークリングウルフ!!」
化身は出す前に封じてしまえばそれまでだ。
電流を纏ったボールは火花を散らすと、荒野を駆ける狼の如く龍崎を翻弄し、あっという間に依織はDFラインを突破した。
「打たせるものか!!」
「鷹栖ッ!!」
中盤から戻った御門が立ちはだかるのと、彼女を剣城が追い越し様に名前を呼んだのはほぼ同時。
一瞬、依織が浮かべた笑みと、御門の記憶に残像として残る監督の不敵な笑みがだぶる。
「剣城ッ!」
パッ──と鮮やかな動きで御門の視界から外れた依織が、剣城へパスを出す。
受け取ったボールは、空へ。
跳躍した剣城は、そのままオーバーヘッドキックを繰り出した。
「デス、ドロップ!!」
デスソードとは比べ物にならない、凄まじい威力のシュートがゴールに迫る。
直撃の瞬間、最後の力を振り絞った雅野のパワースパイクが霧散し、デスドロップが帝国ゴールを貫いた。
一瞬、間。
次の瞬間、観客の割れんばかりの歓声と実況の叫び、そして試合終了のホイッスルがスタジアム一杯に響き渡る。
『雷門、ついに逆転!! 鷹栖のアシストを受けて、勝ち越しの1点をもぎ取ったのは、剣城京介だーーーーッ!!』
着地した剣城と、息を整えた依織の視線がぶつかった。
天馬たちが満面の笑みでこちらに駆け寄ってくるのを視界に捉えながら、ニヒルな笑みを浮かべた依織が片手を翻す。
「やったな、剣城」
「……ああ」
──パンッ!
2人の軽やかなハイタッチの音は、歓声とざわめきの中に溶け込んでいった。