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「試合見たよ、依織! いつの間にあんな技覚えたの!?」

稲妻総合病院、102号室。
興奮気味に体を揺らしながら目を輝かせる太陽に、依織はほんのちょっぴり自慢げに口許を緩ませた。

「イタリアに行った時にな。せっかくの機会だから必殺技の1つくらい覚えて帰れって、……あっちで世話になった人が……」

話しながら、脳裏にルカの爽やかな──依織にしてみれば胡散臭いことこの上ない──満面の笑みが浮かんで、言葉尻が苦々しい物になる。
首を傾げた太陽に何でもない、と頭を振り、依織は溜め息を吐いた。
その時である。

「──太陽くん、お客さんよ」
「あっ、はい!」

扉を開いて顔を覗かせた冬花に、太陽の顔が僅かに綻んだのが分かった。
大方、学校の友達だろう──そう見当をつけて、依織はベッドの縁から腰を上げる。

「じゃ、私は帰るな。そのお客さんに迷惑かけんなよ」
「分かってるよ! またね、依織」

手を振る太陽に頷き、依織は冬花に会釈して病室を後にした。廊下へ出ると、その客とやらはどこか違うところで待っているのか姿は見えない。
まあ良いか、と自己完結し、ふと何となしに右を振り向いた依織は、あっと小さく声を上げた。

「──剣城?」
「っ!」

ビクリと、扉に手を掛けようとしていた剣城が大きく体を揺らす。
「鷹栖か……」強張った表情でこちらを振り向いた剣城は、少し気を緩めたように肩を下ろした。

「優一さんのお見舞いか?」
「……ああ……」
「……」
「……」

しばし、互いに無言が続く。
剣城は不自然な姿勢で自分と依織の足元に視線を落としたまま、動かない。

「……? 中、入んないのか?」
「…………」

問うと、ばつが悪そうに唇を真一文字に結んだ剣城は、そわそわと辺りに視線をうろつかせた。
まるで──と言うより明らかに、病室に入ることを躊躇しているようである。

「何、お前。優一さんに何かやましいことでもあんの?」
「それは……」

剣城にしては珍しく、覇気のない声だ。
依織は腕を組み少し考え込むと、病室のネームプレートを見上げた。

「まぁ、何したのかは知らねーけど、悪いと思ってるなら謝るのが一番だろ。頑張れよ、ぐえッ」

踵を返し、立ち去ろうとした瞬間首根っこを進行方向とは真逆に引っ張られ、喉から蛙を踏みつぶしたような呻き声が漏れる。
何すんだ、と恨みがましく言いながら首だけそちらを向けると、剣城が依織の制服の襟を掴んだまま、妙に切羽詰まった顔をしていた。

「…………分かった、分かったよ」

何も言わずに目でひたすら訴えかけてくる剣城に、依織は病院に来て2回目の溜め息を吐く。
悪い、とどこかしょぼくれた小さな声で言ってきた剣城に肩を竦め、依織は扉を開けた。

「こんにちわー。優一さん、いますか?」
「あれ、依織ちゃん。と──京介?」

「何だ、そんな隠れるみたいにして」依織の背中の後ろで立ち竦む弟にクスクスと笑った優一に、依織はあれ? と首を傾げる。剣城がこんなに部屋に入るのを渋ったものだから、てっきり優一を怒らせたか何かだと思っていたのだ。

しかし、彼の表情を見るにどうやらそれは違うらしい。
優一はニコニコしながら、サイドテーブルのテレビを指差した。

「勝ったな。見てたよ、良いシュートだったぞ。依織ちゃんのドリブル技も、格好良かったよ」
「え? ああ、ありがとうございます」

台詞の前半は剣城へ、後半は依織へ向けて。
称賛の言葉を送った優一に、剣城はまだ俯いたままである。彼の手はいつの間にか襟から裾へ移動して、どうにも離してくれそうもない。

「次は決勝だな。頑張れよ」
「……あんまり、期待するなよな」

激励した優一に、剣城は一瞬顔を上げてつっけんどんに答えた。そんな弟に、優一は笑みを絶やさず、穏やかな声音で続ける。

「それと……天馬くんだっけ? 彼も良い選手だったな。気を抜いたらお前、ポジション取られるぞ」
「天馬じゃあ剣城を抜かすのは無理でしょう……」

「そうかな?」小さく言った依織に優一は小首を傾げた。
ちらりと依織が隣を見ると、剣城はやっと落ち着いたのか、ぎこちなくも少しだけ笑みを浮かべていた。

「──と。そうだ、京介。ちょっと飲み物を買ってきてくれないか?」

「依織ちゃんとお前の分な」と、優一は唐突にサイドテーブルから出した財布を剣城に手渡す。
一瞬虚を突かれたようにそれを受け取った剣城は、一拍置いて「分かった」と頷いて踵を返した。

「あ、いや私は……」
「良いんだよ、気にしなくて。予選決勝に進んだ、俺からのお祝いだから」

にこりと優一が笑ったその先で、剣城が病室から姿を消す。
半身を傾かせた依織は、仕方なく手近にあったパイプ椅子に腰を下ろした。

「──依織ちゃんが、京介のことを聞くと少しぎこちなくなっていた理由が、やっと分かったよ」
「えっ?」

ふいに、落ち着いた声でそんなことを言ってきた優一に、依織は目をしばたく。
彼は苦笑を浮かべると、窓から見える空を仰いだ。夕日が傾き、空は茜色に染まり始めている。

「フィフスセクターがどんな組織か……京介が何をしていたか、知ってたんだろう?」

依織は数度、まばたきを繰り返した。
──優一は、知ってしまったのだ。剣城がフィフスセクターのシードとして活動していたこと、そして恐らく、その理由も。 剣城が病室に入るのを躊躇していたのもこのせいだったのだろう。
きっと知られたからこそ──剣城はフィールドに現れたのだ。シードでなく、一人のサッカープレーヤーとして。
兄の心に、報いるために。

「──私が言って良いことじゃ、なかったから」

すいません──ひっそりと囁くように言って俯いた依織に、優一は小さく頭を振る。

「依織ちゃんが謝ることはないさ。気付かなかった俺も俺だから」

そっと顔を上げると、優一は苦笑とも取れる、悟ったような笑みを浮かべていた。

「わかってるんだ。京介が俺のためにフィフスセクターに従っていたことくらい」

兄の手術費の為に、サッカーをする自分を憎みながら、ただひたすら組織の言いなりになっていたその日々を想像する。
優一を、自分の気持ちを、全てを欺きながら生きてきたその期間は──どれほど辛いものだったのだろうか。

「だけど俺のせいで、京介に自分のサッ カーを見失って欲しくない。……今日の試合で、あいつは思い出してくれたかな」

本当の、自分自身のサッカーを。
慈しむように笑みを湛えた優一に、依織は扉の向こうに気配があるのを背中で感じながら──久し振りに、緩やかに微笑んだ。

「──大丈夫です。剣城なら、きっと」




白熱の試合から一夜明けた帝国学園は、いつも通り閑散としている。
制服に身を包んだ帝国ゴールキーパー・雅野は、歩きながら隣の佐久間を見上げた。

「佐久間コーチ。彼らが来るのはまだの筈ですよね? 俺に会わせておきたい人っていうのは……」
「まぁ、待て。会えば分かるさ」

にこりと微笑んで、佐久間は雅野を制す。
──心なしか機嫌も良さそうだ。
前にもこんなコーチを見たことがあるような。そんなことを考えていると、ふと佐久間があっと声を上げる。

「丁度、来たみたいだぞ」
「え?」

佐久間の視線を追うと、廊下の先にあるエレベーターがポーンと到着のチャイムを鳴らした。
左右に開いた扉からゆっくりと、1人の少女が降り立つ。

「……! 君は──」




──その数時間後。
雷門イレブンと春奈、そして円堂は、再び帝国学園を訪れていた。

「どうして、今日も帝国学園に集合……?」
「何かされちゃうんですかね……」

怪訝な表情で辺りを見回しながら廊下を進む神童に、速水がおっかなびっくり自分の体を抱き抱える。
「何かって何だド」顔をしかめた天城に、分かりませんけど、と速水は頭を振った。

「だって帝国って、シードが4人もいたじゃないですか……」
「音無先生も、聞いてないんですか?」

自分の想像にヒィ、とひきつった声を上げる速水に苦笑を浮かべて、葵が春奈を見上げる。
「ええ……私も何も」眉根を寄せた春奈は、溜め息混じりに言って頷いた。

「依織も、よりによって何でこんな時に遅刻なんか……」
「遅れて合流する、とは連絡もらったんだけど」

呟いた信助に、天馬が頭を掻きながら答える。
今この場にいないのは依織ただ1人だ。いつもならここで彼女がひとつやふたつ軽口を叩くことで緊張が緩むのだが、今日はそれもままならない。
天馬の背後で、剣城が何か考え込むように視線を落とす。

「まあ、心配するな! これは鬼道からの招待なんだ」

雷門イレブンの不安の声が聞こえたか、先頭を進む円堂が笑顔で振り向いた。
「兄さんの?」訝しむような表情で春奈が返した矢先、それを合図にしたかのように目の前の重厚そうな扉が開く。

「雷門イレブンの諸君、待っていたよ」

さあ、入ってくれ──そう言って彼らを出迎えたのは、佐久間と雅野だ。
雅野と目があった神童は、昨日のやりとりを思い出したのか表情を僅かに固くする。佐久間は雷門イレブンを見回すと、ほんの少し声を押さえて続けた。

「ただし、ここから先は他言無用に願いたい。──そこの君、撮影禁止だからね」
「はぁ〜い……」

指摘された茜が、手にしたカメラを下ろして頬を膨らませる。
一同はそれに苦笑いして、中へと誘う佐久間と雅野に続き帝国学園の構内へと足を踏み入れた。