ざわりと吹き抜けた一陣の風が、夕焼けに延びた影を揺らす。
距離を空け、不動の姿勢でこちらを睨め付ける少年に剣城は煩わしげに目を細めた。
「誰だ、お前たちは……」
険しい表情になった神童が、仲間を守るように1歩前へ進み出る。
中央のリーダー各であろう少年は敵意のこもった眼差しを変えないまま、神童の問いには答えず剣城を睨んで言葉を続けた。
「シードファーストランク′撫驪梔。フィフスセクターのルールにより、俺たちがお前に処分を下す」
「何だって?」
霧野が目を見開いたのに対し、剣城は無感動に瞬きを繰り返しているだけである。
寧ろ、彼はこうなることを早くから分かっていたのかもしれない。それ程に今の剣城は落ち着き払っていた。
「……お前ら、海王学園のシードか」
「ヘェ、よく知ってんじゃん」
目を細め、確認するように問いかけた依織に、脇に控えていたドレッドヘアの少年が短く口笛を吹く。
「でしゃばんな、湾田」そんな彼を押し退け、少年が1歩前へ出た。
「そうだ──俺たちは海王学園サッカー部。俺はキャプテンの浪川だ。俺たちは裏切り者のシード、剣城を処罰するために来た」
「処罰だと……? 剣城はもうシードじゃないんだ、お前たちのルールに従う必要など──」
珍しく嫌悪感を剥き出しにした神童が、更に1歩前へ出る。
「無駄ですよ先輩」しかし、それを片手で制したのは静かに浪川たちを睨み付けていた依織だ。
「何言ったって、どうせこいつらはフィフスセクターの犬です。こっちの言い分なんて聞きゃしませんよ」
「……貴様、今何と言った?」
突然、空気が張り詰める気配がする。
浪川は剣城から依織へ視線を移し、憤怒の形相で小脇に抱えていたサッカーボールを中空へ放った。
「フィフスセクターを……侮辱するな!!」
──油断していなかったと言えば、嘘になる。逆光に目が眩んだのもその内のひとつだろう。
一閃、浪川の足が振り下ろされ、次の瞬間鳩尾の辺りに走った強い衝撃に、依織は一瞬目の前の景色が点滅した気がした。
「っ、ぐう……!」
「鷹栖!!」
霧野か神童が叫んだようだったが、どちらの声だったかは定かではない。
ただ、剣城が足に根が生えたようにそこに棒立ちになり、ボールをぶつけられた衝撃で後ろに弾き飛ばされた依織を半ば茫然自失した様子で振り向いたのが見えた。
「俺たちはフィフスセクターの御旗に心から忠誠を誓っている。シードであることに誇りを持っている! 侮辱する奴は例え女だろうが潰す!!」
アスファルトに強かに体を打ち付けた依織を見下ろし、浪川は言い放つ。
まるでフィフスセクターが正義であるのように、それに従うのが自分の正義であるかのように、その瞳は揺らがない。
「……! シードであることに、誇りね……つくづくおめでたい奴らだな」
「──口の減らねえ女だな」
駆け寄った神童と霧野に助け起こされながらも依然強気な態度を保つ依織に、ゴキリと首を鳴らし、集団で最も体格の大きな少年が一歩踏み出す。
「やめろ井出、目的を間違えるな」それを片手で制し、自分を棚に上げた浪川は立ち尽くした剣城に顎をしゃくった。
「来い、剣城。テメーにお似合いな処刑場に連れてってやるよ」
「…………」
静かに依織たちから視線を外し、剣城の足が浪川たちへ向く。
逆光に滲んだその横顔に、依織は反射的に声を上げた。
「っ剣城!」
「……俺に構うな」
釘を刺すような鋭い一言に、思わず動きが止まる。
そのまま剣城を連れ立ち、浪川たちはぞろぞろと道の角へ消えていった。
「──くそ、何だ今のシュートは……大丈夫か、鷹栖」
「大丈夫ですよ……私の心配はご無用です」
即座に彼女はそう返したが、こめかみにうっすらと浮いた冷や汗がそのダメージを物語っている。
衝撃を受けた鳩尾にそっと手をやり、無理矢理片頬を上げる依織に、「無理するなよ」と霧野が眉尻を下げた。
「今は私より、剣城です。どうせ処罰とやらを受けるためにわざと捕まったんでしょ──あいつ、変なとこ真面目だから」
「ああ……立て続けにさっきのシュートを受けるようなことになれば、流石に剣城も無事では済まないだろう」
苦い表情になった神童は、浪川たちの消えた方角を振り返る。少し時間は経ってしまったが、今からならまだ間に合うかもしれない。
「考えてる暇なんてないでしょう。剣城がボコられる前に、行きましょう」
「ああ……そうだな」
二つ返事で頷いた神童と霧野が同時に走り出した。
道端に転がったボールを小脇に抱えた依織は、その後に続きながら鞄からオレンジ色の携帯を取り出す。
「──もしもし、お仕事中すいません。でも、緊急事態なんです……!」
全速力で夕日に照らされた道を駆け抜ける3人の背中を物陰から2つの影が見送っていることには、誰一人として気付かなかった。
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「──どうだ、良い場所だろ。こっからだと町がよく見える。よーく目に焼き付けとくこった」
しばらくはお天道様を拝めねえかもしれないんだからな──鉄塔の麓に腰掛け、浪川は意地悪くニヤリと笑う。
しかし、剣城が今更怯える様子を見せるわけもない。
「……俺はお前の無駄口に付き合ってやるほど暇じゃない。さっさとやれ」
「チッ……強情な奴だ」
にべもなく吐き捨てるように返した剣城に、一斉に敵意の視線が強くなった。
──これで良い。自分1人が傷付いてけじめをつけられるなら、安いものだ。
小さく息を吸い込み、来たる痛みに備えて剣城は目を伏せる。
しかし垣間広場を満たした静寂は、次の瞬間聞き慣れた怒号に切り裂かれることになった。
「忘れ物だぞ、シード共!!」
耳のすぐ横を風のうねりが掠める。
驚いて瞼を開いた剣城の目に飛び込んできたのは、青い電流を纏ったボールが浪川の頭の上すれすれを駆け抜け、鉄塔に激突する瞬間だった。
──ガァン!!
金属が無理矢理変形したような耳障りな音が、鉄塔広場に鳴り響く。
辺りに止まっていた鳥たちが一斉に空へ飛び立ち、舞い散った羽がやけにゆっくりと風に吹かれている気がした。
「雷門のストライカーを、返してもらおうか」
怒気を帯びた、それでいて凛とした神童の声が、鼓膜を震わせる。──試合の中で、何度も聞いた声だ。
ゆっくりと首だけ振り返った剣城が、一瞬──ほんの一瞬、辛そうに顔を歪める。
「お前ら……」
「よっ、剣城」
ボールを放った依織は、相変わらずヘラヘラと口許を緩めていた。それが余計に罪悪感を増長させる。
──バカが、と小さく剣城の口が動く。
「俺に構うなと言ったはずだ! お前らはフィフスセクターの恐ろしさを知らないんだ。奴らは裏切りを許さない。お前らが巻き込まれる必要は……」
「バカはお前だ。一緒に戦うって決めたろ? こんなとこで怪我したら元も子もないだろうが」
剣城の悲痛な叫びにも似た忠告を、依織は顔を顰めてすぐさま一蹴した。
彼の表情に明らかな戸惑いが滲んだのを見て、神童が畳み掛ける。
「剣城、俺たちは仲間だ。仲間を見捨てるなんて雷門イレブンのすることじゃない」
「……!」
剣城の体が完全にこちらを向いた。
帝国戦の後も、彼らとはどこか一線を引いていた。あれだけ散々傷付けて回って、自分1人の都合でそれを無かったことにするなんて出来ない。
──仲間で良いのか、線を越えても良いのか。その答えはとっくに、彼らの中では出ていたのに。
「ほら。早く戻ってこいよ、剣城」
ほんの少しだけ、依織が柔らかく微笑んだような気がした。
「くーっ! 仲間ってか……泣けるぜ。 こいつ解放してやっても良い?」
「バカヤロー、何言ってんだよ党賀!」
ふいに、静寂をコントのような会話が引き裂く。
そう言えばこいつらいたんだったけ──依織は先程からこちらを静観していた浪川をじとりと睨んだ。
「それで──どうすんだ。どうしても剣城をボコりたいってんなら、力ずくで止めるけど?」
「ハン、女相手の脅しなんて、通用しねーよ。剣城は俺たちが処罰を下す。これは決定事項だ」
ピクリと依織のこめかみがひきつる。
立ち上がった浪川は服に付いた土埃を払い、好戦的に──剣城を含めた4人を見下ろした。
「……そうだな。テメーらが俺たちに勝ったら、大人しく剣城は返してやるよ」
「サッカーで、か」
ちらりと神童が、浪川の足元に転がっているボールを見る。
ああ、そうだ──と頷いた浪川は、依織を一瞥して小馬鹿にしたように鼻で笑う。
「まぁ、女なんかが混じったチームになんざ、例え草試合でも負ける気はしねーけどな」
「…………」
その時霧野は、隣の依織からキリキリと糸が張り詰めるような音を聞いた気がした。
まさに一触即発。
沈黙が破れたのは、次の瞬間だった。
──ピロリロピロリーン。
唐突に鳴り響いた間の抜けた電子音に、ガクリと浪川の肩が落ち込む。
「きゃ、キャプテ〜ン! お電話です!」
「テメーの携帯か、海図ぅ! 何だこんな時に……!!」
慌てた様子の仲間──海図に吠えて、彼から携帯をもぎ取った浪川の顔色がサッと変わった。
通話ボタンを押した彼の声は、今までと打って変わって固く真面目なものになっている。
「……っも、もしもし……! ──えっ? いや、しかし…………はい。……わかりました」
苦々しい表情になった浪川は通話を切ると、押し付けるように携帯を海図へ返した。
大きく溜め息を吐き出した浪川は気持ちを切り替えたのか、先程と同じく堂々とした声を張り上げる。
「野郎共、引き上げだ!」
「えー! そりゃねえぜキャプテン!」
「うるせえ!」不満の声を上げた仲間たちに、浪川は不機嫌そうに顔を歪めた。
「イシド様が剣城は放っておけって言うんだ。だったら俺たちは従うだけだ!」
「聖帝が……?」
飛び出してきた名前に、剣城が怪訝そうに眉根を寄せる。
命拾いしたな──口許を歪めた浪川は、じとりとした目で剣城たちを睨め付けた。
「良いか雷門! 明日の試合、必ずお前たちの首はもらう!」
叩きつけるように吐き捨てて、浪川は仲間たちを連れ立って姿を消す。
──一瞬、間。
始めに口を開いたのは、依織だった。
「……何とか、ぎりぎりってとこか」
「え?」
ぱちくりと霧野が目をしばたく。
その言いようだと、まるで彼女がイシドから浪川たちに連絡が来るタイミングを図っていたのようだ。そんな3人の視線を受けてか、依織は軽く肩を竦める。
「言ったでしょ。私は雷門イレブンであって、レジスタンスの一員。多少の情報操作ならどうとでもなります」
「ああ……確かフィフスに侵入しているレジスタンスがいるんだったな」
そう言えば鉄塔に向かう道すがらどこかへ電話していたか。
話の詳しい内容は聞き取れなかったが事情を察した神童は、納得したように頷いた。軽い語り口のわりに、あの時の依織は大分切羽詰まっていたように感じたが──それを言うのは野暮だろう。
「まぁ、何にせよ剣城が無事で良かったよ」
「……助けてなんて頼んでませんけどね」
胸を撫で下ろした霧野に、ツンとそっぽを向いた剣城の脇腹を、「素直じゃねーの」と依織が肘で小突く。
しかし、と表情を一転険しいものに変えた神童が、浪川たちの消えた方角を見て目を細めた。
「全員シード、か……明日の試合も、一筋縄ではいかなさそうだ」
「今になって革命≠フ重さがのし掛かってきたな」
眉尻を下げ霧野が疲れたように笑みを浮かべたが、その声には依然力が籠っている。
相手が誰だろうと関係ない。やることは初めから決まっているのだから。
「さ、とっとと帰って明日に備えましょうよ。あいつらには一泡吹かせてやんないと気がすみませんから」
「……ああ。そうだな」
いっ、と歯を剥いて言った依織に小さく笑って、神童が頷く。
いつの間にか夕日は山の向こうへ沈み、夜の幕が町へ掛かろうとしていた。