「(これが、シードの力……!)」
試合開始から僅か3分。
1対0と表示された頭上の得点を見上げて、神童は奥歯を噛み締める。
しかし、全員シードで構成されたチームと戦う以上、先制点を取られる覚悟はしていた。後は、ここからどう取り返していくかだ。
「まだまだ1点! 試合はこれからだ!」
「っ、おー!!」
開始早々の攻撃に虚を突かれたか、振り返った仲間たちの表情は僅かに固い。
円堂は雷門陣内をザッと見回し、天馬に視線を留める。
その射るような視線に天馬は気付かない。フィールドでは、神童が海王陣内を見据え頭を回転させていた。
彼らの身体能力を考えれば、1対1ではとてもじゃないが太刀打ちは出来ない。
であれば、取るべき手段はひとつだ。
「剣城、天馬! パスを繋いでいくぞ!」
「はい!」
雷門のキックオフで試合が再開される。
倉間から神童へ、神童から天馬へと、雷門も負けじと素早いパスワークで海王陣内へ切り込んだ。
しかし、そのまま雷門の進撃を許す海王ではない。
「行かせるかよ!」
天馬が中盤へ突入するや否や、浪川が彼の前へと飛び出す。
そよ風ステップで避けられるか!? ──生まれた一瞬の隙に、ゴール前から駆け上がったガタイの良いDF陣たちが天馬に迫った。
「天馬!」
「!」
脇から聞こえた鋭い声に、天馬は反射的にそちらへパスを上げた。
受け取ったのは、海王の注目が天馬に行った隙に、中盤深く侵入していた依織である。
「こっちだ、鷹栖!!」
「りょーかいッ!!」
そこから更に針に糸を通すように、DFの合間を縫ったような鋭いパスが、ゴール前に飛び出した倉間に渡った。
パスを受けた倉間が、そのボールを打ち上げる。
「サイドワインダーー!!」
「ハイドロアンカーー!!」
蛇のようにうねりゴールに迫った倉間のサイドワインダーを、海王キーパー、深渕のハイドロアンカーが天高く打ち上げた。
放物線を描いてコート外へ落ちていくボールを見送り、倉間が舌打ちする。
「(やはり、一筋縄ではいかないか……!)」
スローインで再びフィールド内に戻ってきたボールを睨んで、神童は内心滲み出てきた不安と焦燥を無理矢理掻き消す。
点は未だ1対0。当然時間は止まってはくれない。一度シュートチャンスを与えたことが逆に火をつけたのか、海王の攻撃は更に激しさを増した。まさに怒濤の勢いに、雷門は中々ボールに触れることが許されない。
このままでは攻撃に転じることも出来ない。神童は頭を切り替え、前線のFWたちに叫んだ。
「剣城、鷹栖、倉間! 守りを固めるぞ!」
それに応え、海王陣内深くに侵入していたFWたちがこちらの陣へ戻ってくる。
まずはここを守らなければ。神童が頭の中で重ねたゲームメイクに沿い、雷門は懸命に守りを続けて好機を窺う。
しばらくシーソーゲームが続き、戦局が傾いたのは10分ほど時計が進んだ頃。
不幸なことに、天秤が傾いたのは海王の方だった。
「行くぜェ!!」
雄叫びを上げた浪川が速水を抜き去り、雷門陣内へ走り込む。
「行かせないド!」天城たちがマークに着くも、浪川は予想範囲内だとでも言わんばかりにニヤリと口許を歪め、背後へ迫っていた喜峰にバックパスを上げた。
──完全にフリーだ。三国が身構えた次の瞬間である。
「これ以上点はやらない!!」
激しい風を孕み、誰よりも早く中盤から駆け戻った天馬が喜峰を追いかけた。
踏み込んだ足元から、つむじ風が巻き起こる。
「スパイラルっ、ドロー!!」
つむじ風から小さな竜巻に姿を変えた風に、小柄な喜峰の体はいとも容易くボールごと吹き飛ばされた。
「こっちだ天馬!」頭をこちらに傾けながら叫んだ依織に向かって、天馬は高いパスを上げる。
「スパークリング──ウルフ!!」
ボールを受け取るなり、突進してきた海王のDFたちを一掃する青い電撃を纏う獣。
「剣城!」よろめいた人の壁を飛び越えるように、ボールは更に陣内深く、剣城の元へ渡った。
「デス、ドロップ!!」
黒い闘気を放つオーバーヘッドシュートが海王のゴールを襲う。
ハイドロアンカーを捩じ伏せて、ゴールネットに突き刺さるデスドロップ。1対1──雷門のカウンターからの、同点ゴールだ。
「よしっ!」
ぐっ、と神童が拳を固める(茜が怒濤の勢いでシャッターを切った)。
雷門のゴール際では、車田たちがついに完成したな、と天馬の頭をわしわしと撫で繰り回していた。
その楽しそうにサッカーをしている様子≠ェ、彼らの火のついた闘志に更に油を注ぐ。
「へん、ちょっと点を入れたくらいで調子に乗りやがって……」
「ふん……喜んでいられるのも今だけだ。行くぞ、野郎共ォ!!」
おう、と勇ましい声がフィールドの空気を震わせた。
試合は再び海王のキックオフで再開される。
「なっ──!?」
ホイッスルが鳴るや否や、こちらが構える間もなくドリブルで前線を強引に突破してきた海王に、開始からいきなり躱された剣城と倉間が目を剥いた。
今までとまるで動きが全く違う。試されていたのか──神童は奥歯を噛み締めて天馬を振り返る。
「止めるぞ!!」
「はい!!」
並走して立ち向かってきた2人に、ドリブルで切り込んできた湾田がニヤリと口角を上げた。
「遊びは終わりだぜ──《音速のバリウス》!!」
踏み込んだ足元から沸き上がる黒い光。立ち上り収束したそれは、たちまち水色の甲冑を纏う金属質な翼を背負った化身へと変貌する。
「浪川ァ!」バリウスの出現と共に一気に加速した湾田は天馬と神童のマークを蹴散らし、更に中盤へと走り込んだ浪川にパスを上げた。
「行かせるかよ!!」
浪川がパスを受けた瞬間、前線から舞い戻った依織が彼の前へ飛び出す。
1対1は不利だと分かっている。それでも、浪川を止めない理由にはならなかった。
「ハン、女如きに俺が止められると思うなよ! 出て来やがれ──《海王 ポセイドン》!!」
猛りと共に現れた海の王たる姿をした青い化身に、依織は一瞬目を見開く。
「喰らいやがれぇえ!!」浪川がそのまま打ったシュートは依織をも吹き飛ばし、三国の健闘虚しく雷門のゴールに突き刺さった。
「鷹栖!」
「おい、大丈夫かよ!?」
ライン際まで転がった依織に、ギョッとした剣城と倉間が駆け寄っていく。
大丈夫、と呻きながら依織は答えたが、患部を押さえた彼女の額にはうっすらと脂汗が滲んでいる。昨日こさえた鳩尾の痣が、今の衝撃でまた痛みを訴えた。
「くっそ……あのやろ、容赦なく打ち込んで来やがって」
「そんなもんだろ、シードのプレーは。ほら、立てるか?」
呻く依織に肩を貸しながら言った倉間の言葉に、剣城が居心地悪そうに視線を泳がせる。
あの勝ち誇った笑みが余計に腹が立つ。
依織は浪川を睨め付けて小さく舌打ちした。
各選手が定位置に戻り、試合は雷門のキックオフで再開される。
前半も残り僅か。確実に追い付くには神童と剣城の化身が不可欠な筈。しかし、一度下げられたボールを足元に車田が2人に視線をやるも、神童には浪川が、剣城には湾田が、既にぴったりとマークが張り付いている。
負けることを危惧していないとは言え、あちらも無策ではなかったのだろう。2人が化身使いであることは恐らく調査済みだったのだ。
だったら、誰に──顔をしかめた車田の脇を、一陣の風が吹き抜ける。
「車田先輩!」
「!」
天馬だ。その姿を視認した瞬間、ボールは山なりに打ち上がり彼のもとへ届いた。
前線には依織と倉間が控えている。どちらかとシュートチェインすれば、あるいは。
一縷の希望を懸けて海王陣内に飛び込んだ天馬の前へ、海王DFの井出が立ちはだかる。
「お前なんかに行かせるかよ……! 《精鋭兵 ポーン》!!」
胸をドラムのように打って現れたのは、銀の甲冑に身を包んだ歩兵の化身だ。
「負けるもんか……!」ぐん、と更に加速した天馬が雄叫びを上げる。
その瞬間、あの黒い光が彼の背中にちらついた。
「あれは──」
円堂が呟いたのも束の間、あえなくポーンに弾き飛ばされた天馬からボールが奪われていく。
パスを繋がれ、最後にボールが渡ったのは1点目を取った喜峰の元だった。
「フライングフィッシュ──!!」
飛沫を上げ、炸裂したフライングフィッシュが雷門のゴールを貫く。
得点と同時に、鳴り響く前半終了のホイッスル。
3対1──スコアボードを見上げて、速水が絶望的だと言わんばかりに深い溜め息を吐き出す。
「だ、だから無理だって言ったんですよ……化身使いが3人もいるなんて、勝てるはずないじゃないですか……」
「まーた速水先輩はそんなこと言って。まだ負けが決まったわけじゃないでしょうよ」
頭を抱える速水に、やや苛立ちを交えた声音で依織が返した。
とは言え、今の状態が続くのは非常に不味い。後半でどう巻き返せば──一度神童の判断を仰ごうと振り向いた彼女の後頭部に、小馬鹿にしたようなせせら笑いが降り掛かる。
「負けが決まったわけじゃないだと? まさかまだ勝つ気でいるとはな……これだから女選手は気楽で困るぜ」
「……あァ?」
挑発的な言葉を投げ掛けたのは、海王のベンチへ戻ろうとしていた浪川だった。
低い声で返した依織に、浪川は更に見下したように言い捨てる。
「フィールドは男の戦場だ。女は大人しくベンチで応援でもしとくんだな」
ぶちん。
その瞬間、速水は浪川の後ろ姿を見つめる依織から、何かが切れたような音を聞いた。
:
:
「え!? 天馬をキーパーに!?」
そして迎えたハーフタイム。
円堂の突然のポジションチェンジの指示に、選手たちから一斉に声が上がる。
「天馬のポジションには、霧野が入れ」
「は、はい……」
淡々と続けた円堂に、霧野は戸惑いながらも条件反射で頷いた。
円堂は次に、瞠目し薄く口を開いて動かない三国を見やる。
「三国、お前はサイドバックだ」
「……!」
「待って下さい監督!」そこでようやく我に返った車田が、円堂に食って掛かった。
「どういうことですか、一度もキーパーをやったことがない天馬をキーパーにするなんて!」
「勿論、勝つためだ」
「か、勝つためって……」当たり前のように冷静に返された言葉に、一同に動揺が走る。
円堂が何の策も無しにこんな暴挙に出るような監督ではないことは、今までの経験でよく分かっている。しかし、2点差をつけられた今の戦況では、この作戦はあまりに無謀に思えた。
「(……! まさか)」
はたと、1人仲間たちから1歩離れたところに佇んでいた剣城が円堂の横顔を凝視する。
この予想が正しければ、円堂の考えは大きな賭けだ。もしも失敗すれば、雷門の負けは確実。革命は失敗に終わってしまう。
それでも彼が揺らがないのは、絶対の自信と確信があるからだろう。
やがて、ゆっくりと頷いたのは──
「……監督の言う通り、やってみよう」
握り締めていた拳を解いた、三国だった。
「三国!」何か言い掛けた車田を制し、三国は静かな笑みを浮かべて天馬の肩を叩く。
「──頼んだぞ、天馬」
「三国先輩……」
天馬が何か返す間もなく、三国はユニフォームを着替えるためかベンチの裏側へ姿を消した。
眉を下げてその後ろ姿を目で追っていた天馬の背中を、ふいに水鳥が思いきり叩く。
「痛ぁ!?」ばしん、と大きな音に葵や信助が肩を竦め、叩かれた天馬は涙目になって水鳥を振り返った。
「何て顔してんだよ! こうなったらやるしかないだろ?」
「でも!」
「サッカー、守るんだろ?」
間髪入れず返った問いに、天馬は押し黙る。
そうだ──サッカーを守らなければならない。そのためには、この試合にも負けるわけにはいかないのだ。
「俺が、キーパーに……」
自身の手を見下ろして不安げに小さく呟いた天馬を、葵は心配を隠しきれない目で見つめながら隣の依織に問い掛ける。
「天馬、大丈夫だよね……? ねえ、依織」
ちょい、と引いた袖に、依織の肩が僅かに動いた。彼女の瞳は前髪に隠れ、表情を窺うことが出来ない。
「守る、な……そうだな、これってサッカーなんだもんな」
「……依織?」
何やら様子のおかしい友人に、葵は思わず怪訝な顔つきになって彼女の顔を覗き込む。
──依織は笑っていた。唇を三日月のように持ち上げて。ただし、ほの暗い炎を灯したその目は、葵の知っている一般的な笑顔と呼ばれるものとは程遠い。
「そういや明王兄さんと次郎兄さんが喧嘩始めると、いつも姉さんが暴れるならサッカーでやれって叱りつけてたっけなぁ……」
何か呟きながら彼女が片手に持ったボールが、ぎちぃ、嫌な音を立てる。
ずざざ、と後ずさった葵に気付くことなく、依織はそのまま神童に声を掛けた。
「神童先輩。開始2分程、私にちょっと時間もらえませんかね」
「何? 鷹栖、何か策でも……」
こちらを振り向いた神童が凍りつく。まるで、鬼か悪魔でも目の前にしたような表情で。
「ちょっとした牽制と、──仕返しですよ」
ニタリ、と。彼女は鬼も悪魔も真っ青になるような冷たい炎を宿した目を湛え、唇で弧を描いた。