「終わりだ……天馬くんにシードのシュートが止められるはずないじゃないですか……」
後半開始の時間が迫る中、速水は頭を抱えながら呻くように独り言ちていた。
他の選手の打つノーマルシュートならいざ知らず、今回の試合は確実に浪川や湾田の化身シュートで得点を狙ってくる筈。そしたらシュートを打たれれば最後、こちらの負けは確定してしまう。
そうなれば雷門は革命に失敗し、自分たちの未来も闇に閉ざされてしまうのだ。
そんな速水のネガティブな考えも知らずに、天馬はアウェイカラーのユニフォームに着替え、ゴールの前に立つ。
MFとしてセンターサークルの前に立つのとは全く違う。仲間たち全員の背中を見渡すことのできるゴールからの見慣れない景色に、天馬は自ずと唾を飲み込んだ。
「(こうなったらやるしかないんだ……サッカーを守るためにも!)」
それにしても、と天馬はちらりと依織の背中に目をやった。
開始2分、時間が欲しい──神童にそう告げた時の、彼女の般若にも負けない笑顔。天馬、そして葵は、それを過去に一度だけ見たことがある。
あれは、依織が本気で怒った時の顔だ。
そんな彼女の笑顔の意味を知る由もない海王の選手たちは、キーパーにポジションチェンジした天馬を訝しげに眺めている。
「あいつがキーパーだと? 俺たちもナメられたモンだぜ」
「……何にせよ、遠慮はいらねぇ。ぶっつぶしてやれ!!」
おう、と猛々しい声が鼓膜を震わせるのを感じながら、依織は静かに足元に目を落としていた。
頭の中で、イタリアで特訓した日々のこと──そして、ルカの言葉が思い出される。
『良いかい、イオリ。フルで試合にも出れる──とは言ったけど、それはあくまで3%≠フ余力を残した場合の話だヨ』
全力で戦ってはいけない、とまでは言わない。けれど、必ずほんの少しの余力を残しておくこと。
イタリアを発つ際に交わした、ルカとの約束のひとつだ。
『今の君にはまだ力が足りない。だから充分にレベルアップするまでこの約束は破らないでネ? でないと──』
響き渡るホイッスルに、依織は顔を上げる。
倉間から受け取ったボールを足元に、走り出す直前大きく息を吸い込んだ。
「(ごめんルカさん。約束、ひとつ破ります。だって私──)」
ボールを持った依織に狙いを定め、凪沢が突進してくる。
駆ける彼女の体から、青白い電流が迸った。
「女だからとか何だとか──そう言うふざけたこと抜かす奴ら、大ッッ嫌いなんだよ!!」
言葉と共に放たれたスパークリングウルフが、凪沢の体を吹き飛ばす。
そのまま加速して海王の中盤に突っ込んだ依織に、続いてDFの猿賀が前へ飛び出した。
「これ以上は行かせねえ!!」
「邪魔すんじゃねぇよ!!」
短い跳躍の後、一瞬ボールを浮かせる。
瞬きした次の瞬間、猿賀が胸でトラップしたボール目掛けて、依織の足がしなった。
「バーニングサマーーーーーー!!」
貫くような鋭いキックが、ボールごと猿賀の体を蹴り飛ばす。
こぼれ球を難なく受け止め、小さく鼻を鳴らした依織に、神童たちは知らず知らずの内に冷や汗を垂らした。
「(まさに鬼神……と言うか)」
「(ちゅーか、フツーに怖い!!)」
敵はおろか味方にまである種の恐怖を植え付けて、依織はそのまま勢いを殺さず突き進む。
気付けば海王のゴールは目の前だ。
ボールを天へ打ち上げて、依織は高く跳躍する。
「流星──ブレーード!!」
「っハイドロ……!!」
息も吐かせぬ進撃に、一瞬反応が遅れたのだろう。
深渕が技を発動するより先に、依織のシュートは隕石の如く海王のゴールを貫いた。
テン──と空しく転がるボール。一瞬静まり返るフィールド。敵と味方、両方の呆気に取られた視線。
それらを意に介しもせず、依織は胸を聳やかして吼える。
「女だからってナメくさってんじゃねーぞ、シード共!!」
「に、2分……」我に返った神童がスコアボードの下に記された時間を見ると、丁度彼女の言った2分になっていた。
圧倒的な攻撃力を見せつけ、女子だからと言う理由で貶された分を倍にして返す。牽制と仕返し──確かに、依織の宣言した通りだ。
「──これで、あいつらも神童先輩や剣城にばっか構ってる余裕なんてなくなったでしょ」
そう言いながら戻って来た依織は、すっかりいつもの様子に戻っている。
その切り換え振りは、ほんの1分前までファウルすれすれの荒々しいプレーをしていた選手と同一人物とは思えない程だった。
「(そう言えば、昔依織がああなったのも、女子だからどうこうって言われたのが原因だったっけ……)」
確かあの時は、違うクラスのガキ大将が彼女の男のような口調をバカにしたのが切っ掛けだったか。
葵は1年前の出来事を思い出して、ひきつった表情になる。
女なのに男みたいな喋り方でおかしい、本当は男が女装してるんじゃないのか──次の日、絆創膏をいくつもこさえたそのガキ大将がぺこぺこと冷め切った表情の依織に頭を下げている場面を目撃した時の衝撃は、今でも鮮明に覚えていた。
得点への歓声に我に返った浪川はスコアボードを見上げると、憤怒の形相で奥歯を噛み締める。
「どうした野郎共、お前らそれでもシードか!! シードの誇りはどこへ行った!?」
「──!」
「シードの、誇り……!」
力を発揮できず、負け続け、泣いたあの日。絶望にうちひしがれているところをフィフスセクターに拾われた。
自分たちをここまで鍛え上げ、絶望の縁から救ってくれた組織に報いなければならない。
ピリッ──と海王の選手たちの空気が変わるのを感じた神童は、鋭い目線でそちらを見やる。
「(鷹栖が取ってくれた2点目……早々にくれてやるわけにはいかない!)」
試合再開のホイッスルが吹き鳴らされる。
音の余韻が消える間もなく、海王は浪川と湾田を中心に、ロングパスを繋いで雷門陣内深く斬り込んだ。
躊躇なくDFラインに接近してきた湾田に、天城と三国が進路を阻む。
「俺たちゃシードだ……! てめぇら何かに負けるかよ!!」
爛々と闘気に目を輝かせた湾田が喚び寄せた化身、バリウスを伴うチャージに、雷門の守りが崩された。
サイドを守っていた車田と霧野のサポートは間に合わない。ゴールにはキーパーである天馬、ただ1人である。
止められるのか──天馬の肩が僅かに強張った、その瞬間だった。
「怯むな!!」
「えっ?!」
突如として怒号がフィールドの空気を震わせる。
こちらを睨むように声を上げたのは、剣城だった。
「サッカーを守るんじゃなかったのか!! お前の好きなサッカーを!!」
「──!」
その声が、言葉が、天馬を貫く。萎縮していた心が、落ち着いていくのを感じる。
以前は自分からサッカーを奪おうとさえしていた剣城が、今は彼の背中を押している。その事実に、天馬は静かに細く息を吸い込んだ。
「(そうだ……ここで点を入れられたら、今までやってきたことが、みんなでやってきたことが、全部無駄になっちゃうんだ)」
何を躊躇う必要があったのだろう。
例えポジションが変わったとしても、自分のすることはいつだって決まっているのに。
「絶対──止めてやる!!」
湾田の化身シュートが打ち放たれる。
眼前に迫るボールに、天馬は猛った。
「サッカーは、俺たちが守るんだあーーーーッ!!」
叫びと共に、激しい風が吹き荒れる。
背中から翼が生えるように膨れ上がった黒い光が、その姿を形成する。
真っ赤な翼を広げ、雄叫びを上げながら発現したそれは、正しく化身だった。
「だああああああああ!!」
迫り来るシュートを、振り抜いた天馬の足が、化身の力が弾き返す。
大きな放物線を描いて、てん──とコートの外へ落ちたボールに、スタジアムは一瞬沈黙に包まれた。
そして次に、爆発的な歓声がフィールドに降り注ぐ。
驚いた顔で自分の手を見下ろす天馬に、仲間たちがワッと駆け寄った。
「天馬ー!」
「俺、今……」
「ああ! 化身を出したんだ!」
「やったァー!!」一拍置いてようやっと頭が追い付いたのか、天馬は顔を明らめて飛び上がる。
神童はちらりとこちらを見て笑顔を浮かべる円堂を見やった。
化身の力を出すには、意識を前に集中し闘気を膨らます必要がある。
だからこそ円堂は、前方に闘気を一転集中するに相応しいキーパーのポジションを天馬を任せたのだろう。
全く、なんて人だろうか──ふ、と詰めた息を吐き出して、神童は今も跳び跳ねて喜ぶ天馬に視線を移す。
「──天馬。お前の化身の名前はなんだ?」
「え?」
ふいに落ち着いた声音の神童に問われ、天馬はキョトンとした。
神童は声に違わず、穏やかな表情で彼を見据えている。
「化身は言わば自分の分身。だから、考えなくても分かる筈だ。俺もそうだったからな」
「化身の、名前……」
天馬の手が拳を作る。
自分の背中に羽が生えたような感覚。そのままどこまでも飛んでいけそうな、あの高揚感。
天馬の口は、自然と言葉を紡いでいた。
「ペガサス──《魔神 ペガサス》。それが、俺の化身の名前です!」