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紆余曲折、円堂の奇策を以てようやく開花した天馬の力は、その翼を青空の下に羽ばたかせた。

だが、これはまだ1歩前進しただけに過ぎない。
まずは海王学園を倒すこと──天馬は喜びをひとまず心の奥に押し止め、こちらを睨む浪川に目をやる。その姿は既に、ドリブルしか長所のない素人のものではない。
またひとつ大きく成長した天馬の姿を見つめて、三国は着慣れない黄色いユニフォームを見下ろした。

「(全てをボールにぶつける、あの気迫……)」

あいつには教えられてばかりだな──僅かに苦笑を浮かべながらも、彼はどこか晴れやかな表情で円堂を振り向く。

「監督! 俺にもう一度、キーパーをやらせてもらえませんか!?」

にっ、と笑った円堂は、こうなることも予想していたのだろう。天馬と三国は顔を見合わせると、元のユニフォームを着込むためベンチへ走った。そして──

「やっぱり、こうでなくっちゃな!」

ゴール前、いつものユニフォームに戻った三国に、車田が嬉しそうにはにかむ。
三国は手に馴染むグローブを叩き合わせ、フィールド全体に轟くような大きな声を上げた。

「みんな、逆転して行くぞ!!」
「オー!!」

点は未だ3対2のまま。
それでも希望を捨てずに立ち向かってくる雷門に、浪川は顔をしかめて舌打ちする。

「化身が出たくらいで浮かれやがって……喜峰!!」

コート外から浪川が大きくボールを振りかぶる。予想外のロングスローだ。
しかし一瞬早く反応した霧野が、ボールと喜峰の間に割り込みパスをカットする。

短く跳ねたボールを受け取ったのは、反射的に足を伸ばしてしまった速水だった。
白縁の眼鏡の奥で、見開かれる小さな目。ボールを見つめた瞬間、化身を出した時の天馬の姿が脳裏に甦る。

──いつもの彼なら、どうせ負けてしまうのだからと諦めていただろう。だが、今の彼は違う。暗闇の中、微かに輝く光が確かにあることを、この身を持って知ったから。

「(俺は今まで、何でもやるまえから決めてました……やりもしないで出来るわけないって。──でも)」

天馬はやってのけた。キーパーとしてゴールを守り、化身を発現させた。
諦めることなんか、一度もしなかった。

「(やってみなきゃ──出来るか出来ないかなんて分からないんだ!!)」

ようやく見えた未来への小さな希望を、彼の目がしっかりと見据える。
向かってきた凪沢に速水は腰を深く落とすと、クラウチングスタートの体勢を取った。
息を詰め、一気に───加速する。

「──ゼロヨン!!」

一度のまばたきの間に速水に抜き去られた凪沢が瞠目した。
目に光の灯った速水に、天馬が表情を輝かせる。

「やろうと思えば出来るじゃないッスか先輩!」

「こっちです!」皮肉混じりの称賛を置いて追い抜いた依織に、速水は一瞬苦笑してパスを回した。
そのまま海王陣内中盤に侵入した依織に、またあの時のような攻撃に入られては堪らないと一気に守備が集中する。
ニタリと唇を持ち上げた依織に、まさかあのオフェンス技を───と猿賀たちが青冷めた瞬間。

「釣られ過ぎだってェの!!」

ポン──と高いバックパスが視界にちらつく。受け取ったのは剣城だ。依織に守備が集まった今、剣城は完全にフリーの状態でゴールに迫る。
「戻れ、お前ら!!」浪川が声を張り上げると同時に、ボールが高く打ち上げられた。

「デス──ドロップ!!」

海王のゴールネットに突き刺さったシュートに、ホイッスルが鳴り響く。
3対3。同点ゴールだ。

「いえーい。ナイスアシスト、剣城」
「……ふん」

満更でもなさそうな表情で軽いハイタッチを交わす剣城と依織に対し、浪川は半ば呆然とスコアボードを見上げている。

「(バカな……この俺たちから3点も! そんなはずはない、俺たちシードと互角に戦うなど──そんなことあるはずがない!!)」

試合再開直後から、化身を発現させた湾田が雷門陣内に突っ込んだ。
鬼気迫るそのプレーに押され侵入を許してしまった雷門のゴール前に立つのは、一層表情を引き締めた三国ただ1人。

「雷門のゴールは、俺が守る!!」

放たれるバリウスの化身シュート。迫り来る弾丸のようなボールに、三国が構える。
猛りと共に足元に叩きつけられた掌底に、山のように盛り上がった地面がゴール前に大きな壁を作った。

「フェンス・オブ・ガイア──!!」

数瞬、鎬を削った後、ばちん──と山なりに弧を描いて弾かれたボールに、湾田が大きく目を見開く。

落ちてきたボールを受け取った神童はホッとしたような表情でゴールを一瞥すると、そのまま天馬にパスを上げた。
「行かせるか!!」ドリブルで海王陣内に切り込んだ天馬の前へ、必死の形相の浪川が飛び出す。

「貴様の化身など、この俺が葬り去ってやる!!」
「行ッけええええええ!!」

赤と青、発現した天馬の魔神ペガサスと浪川の海王ポセイドンが、それぞれ拳と槍を振りかざした。
ぶつかりあった大きな力に、2人を中心に激しい風が巻き起こる。

「俺たちは負けない──絶対に!!」

天馬が叫んだ次の瞬間、腕を凪いだペガサスにポセイドンが吹き飛ばされた。
続けざまに加勢に向かってきた井出のポーンを蹴散らし、ゴール前に向かってパスを上げる。
着地点に待ち構えるのは──

「依織!!」

無言で小さく頷いた依織は、ボールを一度高く打ち上げそのままそれを追って跳躍した。
イメージする。流星よりも早くて強い、自分自身のシュートを。

「貫け──エレクトリック、カノン!!」

青い電流が激しく迸り、依織渾身のシュートが、芝を焦がし火花と光を散らしながら海王のゴールに迫る。
深渕のハイドロアンカーを押し込んで、エレクトリックカノンは海王のゴールに突き刺さった。

次の瞬間、フィールドに高らかにホイッスルが鳴り響く。後半が終わったのだ。
スコアボードが示す得点は──3対4。

「っ依織ー!!」
「ぬあっ!?」

依織の背中に飛び付いた天馬が、彼女を思いきりフィールドに押し倒す。
剣城が天馬をひっぺがし、神童が依織を助け起こし──そんな光景を見詰めながら、速水はポツリと呟いた。

「勝った……勝ったんですね……」

全員シードで構成された海王を打ち負かした。その事実が、ゆっくりと彼の心を前へ向かせる。
やれば出来るんだ、出来ないことばかりじゃないんだ。にかっと笑った浜野が、彼の薄い背中を叩いた。




「よくやったな、みんな!」

1時間後、ジャージに着替えた雷門イレブンは地区大会優勝の表彰式を終え、控え室に集まっていた。
円堂は神童が持つ小さなトロフィーを懐かしそうに一瞥して、賛辞と激励を投げ掛ける。

「全国大会は再来週の頭だ。それまでにもっと強くなるぞ! とりあえず、今日はしっかり休んでおくように! 以上っ」
「はいっ」

明るい返事と共にこちらを向く笑顔に、円堂もにかっと笑った。
「それじゃ、学校に帰るぞ!」拳を振り上げた円堂を筆頭にぞろぞろと選手たちが控え室を後にする中、ふと葵が背後を振り返る。
そこには、ぼんやりと宙を見つめたまま立ち竦む依織がいた。

「どうしたの依織、帰るよ?」
「……ん。ああ、ごめん葵。私ちょっとこの近所で用事済まさなきゃ行けないから、しばらく残るよ。監督にもそう伝えといて」

足元に視線を落とす依織の表情はどこか固い。
もしかするとレジスタンス関係の用事だろうか──そう見当を付けた葵は、ならばあまり突っ込んで聞かない方が良いだろう、と大人しく頷く。

「うん、伝えておく。じゃあ依織、また明日ね」
「ん……」

葵の後ろ姿が廊下へ消える。扉が閉まった瞬間、依織は勢い良く崩れ落ちるようにベンチに倒れ込んだ。
試合中に出続けていたアドレナリンが落ち着いてしまったのだろう。体が重い。足が動かない。ルカの約束を破った代償である。

『今の君にはまだ力が足りない。だから充分にレベルアップするまでこの約束は破らないでネ? でないと──』

体力が切れて次の日までまともに動けなくなってしまうからネ──そう言った時のルカの無駄に爽やかな笑顔が脳裏を過り、依織は重たい溜め息を吐く。

用事があるなんてただの大嘘。心配を掛けたくないと言うのも少しはあるが、大多数は弱っているところを見せたくないと言うただの意地だ。
みんなを騙すようで申し訳ないが、今は指先を動かす気力すら惜しい。
スタジアムはまだ閉まらないはずだ。このまま20分程休んでもバチは当たらないだろうと、改めてベンチに横になり目を瞑ったその時である。

「──何してんだ、お前」
「っつ、……るぎ?」

突然扉が開き、頭上から降ってきた声に依織は思わず目を開けた。
不機嫌そうな表情の剣城が、じっとりとした目でこちらを見下ろしている。

「用事があるんじゃなかったのかよ」
「あ、ああ……うん……お前は何で戻ってきたんだよ」

「……タオル忘れた」そう言って剣城は依織から背を向けたが、ロッカーに向かう様子はない。
そのまま彼女の隣に腰掛け、じっとくすんだ床を見つめている。

「剣城、」
「お前も、……少しは周りに頼って良いんじゃないのか」

こちらの声を遮り、唐突にそんな言葉を投げ掛けてきた剣城に、依織は目を瞬いた。
剣城は彼女から視線を外したまま、呟くような声で続ける。

「仲間で、……友達なんだろうが」
「…………」

剣城から見れば、仰向けになったままこちらを見上げて瞠目する依織の姿は少し滑稽だった。
依織はそのまま驚いた表情で、じっと剣城の目を見つめる。

「……剣城が……剣城が、友達って言った……」
「蹴り落とすぞ」

何故今の台詞からわざわざその単語だけチョイスするのか。剣城は羞恥と苛立ちに、依織の額に向かって手刀を振り落とした。
うぐぅ、と額を押さえて丸まった依織に、剣城は溜め息を吐く。

「とにかく、今回だけ監督たちには言わないで置いてやる。連れてってやるから、しばらく医務室で──」
「大丈夫、その必要はない」

ふいに、落ち着いた声が控え室に響いた。
見ると、開け放した扉の縁に寄りかかるように、見知った大人が佇んでいる。

「次郎兄さん……何でここに」

ベンチに歩み寄ってきたのは、帝国イレブンのコーチである佐久間だった。
佐久間は穏やかな笑みを剣城に向けた後、呆れたような溜め息を吐く。

「お前たちの試合は中継で見ていたよ。……依織。お前、ルカの約束を破ってフルスロットルで行っただろう」
「うっ」

青冷めた依織に全く、と苦笑して、佐久間はあっさりと彼女を抱え上げた。
驚く依織と剣城を後目に佐久間は言う。

「こいつのことは心配いらない。剣城、君も帰っても大丈夫だ。……あと、依織は体力が戻ったら鬼道からお説教だそうだ」
「!?」

ひいっ、と息を詰めた依織は慌てて佐久間の腕から逃げ出そうとしたが、如何せん体が動かない。
「じゃあ、気を付けて帰れよ」そう言い残した佐久間は、そのままぐったりとした依織を抱えて控え室を後にした。

「…………何だよ」

大人には頼る癖に。
どこか不満げに呟いた剣城は、ありもしないタオルを探すようにロッカーの扉を開けた。