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「……何だ、その顔」

海王戦から一夜明けた朝、午前7時30分。
朝練にグラウンドへとやって来た剣城は、依織と目が合うなりそんなことを言ってきた。

「そんなって……?」
「いつも以上に目が死んでる」
「それは私の目が毎日死んでるって言いたいのか? ん?」

依織は少し声にドスを効かせたが、如何せんいつもの覇気がない。
試合から半日近く経ち、休息は取れたはずなのに、何故か彼女は全体から疲労のオーラが滲み出ている。

そう言えば依織が佐久間に抱えられて去る寸前、何か言われていたような。剣城は眉根を寄せた。

「あの後、何かあったのか?」
「……何かっつーか……」

「どうしたの?」言い淀んだ依織に、異変に気付いた天馬や信助たちも寄ってくる。
依織は目一杯顔をしかめた後、重たい溜め息を吐き出した。

「……詳しくは分からないんだけど、昨日、有兄さんが──」

スタジアムを出て、鬼道の待つ帝国学園へと連行された依織。
今後独断で判断しての無茶は止めるように、と滔々と説教をした鬼道は、話の締め括りにこんなことを言ったらしい。

『まぁ、あんな無茶も今日限りで終わらせてやる。お前の戦力は革命の為にも必要なものだからな』

明日を楽しみに待っておけ、と。
そこまで話し終えたところで、依織はぶり返した悪寒に体を震わせた。

「あの人がああやって笑う時はぜってー良くないことが起きるんだよ……! ああもう今日何が起きるってんだ!!」
「何て言うか……依織も色々苦労してるんだね……」

生暖かい目になった天馬を他所に、依織は頭を抱えて来るその時を今か今かと恐れている。
世界広しと言えど、彼女をここまで恐々とさせる人間は鬼道以外にそうそういないだろう。無論、例外はあるのだが。

「おーい1年、早く集合しろー」
「あ、はい!」

いつの間にか勢揃いしていた部員たちと円堂、そして春奈に、天馬たちは依織を現実に引き戻して駆けていく。
全員が揃ったのを改めて確認した円堂は、ひとつ咳払いをしてから口を開いた。

「始めにみんなに言っておく。これから雷門中は、フィフスセクターが送り込んだ全国の強敵と戦うことになると思う」

ここまで勝ち上がってきた雷門を、フィフスセクターは確実に潰しに来るだろう。本戦へ勝ち上がり知名度も比例して更に高まった今、相手も正攻法で対処するしか手だてはない。

目には目を、歯には歯を。卑怯な手で雷門を潰しに掛かれば、きっと世間は嫌でもフィフスセクターに疑いの目を向けるはずだ。
しかし、円堂からすればそんなことは些細な問題でしかない。

「だが、絶対に倒せない相手なんてどこにもいない! みんなで力を合わせれば、必ず勝てる! そうだろ!?」

「はい!!」ニカッと太陽のように笑って見せた円堂に、自ずと応える声も大きくなる。
天馬たちの世代の知っているところ、もしくは知らないところで、円堂は数々の強敵と戦ってきた。その培った経験が、説得力になっているのだろう。
円堂の言葉で、改めて地区大会を突破した実感が沸いてきたところで──ふと、車田が思い出したように俯いた。

「こんなことになるなら、南沢も戻ってくればよかったのによ……」
「転校なんて信じらんないド」

続いた天城のぼやきに、2年生と1年生が「えっ」と目を丸くする。

「ミナミサワって言うと、あの……何かエロい雰囲気の人ッスか」
「そ、その印象はさておき、まぁ………そうだ」

明け透けな尋ね方をした依織に、三国はごほん、と大きく空咳をして答えた。
「南沢さん転校したんですか!?」息急ききったように尋ねた天馬に頷いたのは、固い表情の車田である。

「ああ。行き先も言わねえでな……」
「そうなんですか……」

南沢がサッカー部を辞めたのは、万能坂戦よりも前のこと。
ついていけない──そう呆れたように、もしく諦めたように呟いてグラウンドを去った彼の背中は、今もまだ瞼を閉じれば鮮明に思い出すことが出来る。

「このサッカー部で、一緒にやってきたのによ……」
「……あいつには、あいつの考えがあるのさ」

曲がりなりにも3年間、同じ場所でサッカーをしてきた。内申書の為、と言いつつも、勝敗指示のないサッカーをしている時の彼は楽しそうだった。
三国や神童たちと、同じように。

「南沢さんも、いつか俺たちのやろうとしていることを分かってくれますよ」

神童がゆっくりと伏せていた顔を上げる。
そうだな、と三国が頷くのを、苦い表情の倉間が足元を見つめながら聞いていた。




「倉間先輩、今朝から何か様子おかしくないですか?」

時計の針は進み、放課後。所変わり部室棟にて。
倉間が神童たちと話し込んでいるのを良いことに、依織は気取られないよう小声で浜野と速水に尋ねた。

「えー? あー……そう言われりゃ、そうかも?」
「浜野くん……」

のんびりと首を傾げた浜野に、速水はずり落ちた眼鏡を押し上げる。
そしてちらりと倉間の方を窺い、そっと声を落とした。

「……多分、南沢さんの件だと思います。倉間くんは何だかんだで、南沢さんのこと尊敬してましたから……」
「でも、そんなに気にすることでもなくね? ちゅーか、あいつはそのせいで元気ないって思われたくないだろうし」

「そうッスか」弱味見せるの嫌いだしねぇ、とカラカラ笑った浜野に、依織は目を細めて倉間を脇見する。
南沢の転校に落ち込んでいるだけならまだ良い。倉間のことだ、浜野の言う通りそれを指摘されることはよしとしないだろうし、何より今の彼は私情を挟んでプレーを疎かにするようなことはしない。

問題は、彼女が昼休み仕入れた新しい情報にあった。

「(月山国光はフィフスセクター側についてる。それだけなら別に予想の範囲内だけど、聞いた選手の名前の中に──)」

そこまで考えて、依織は軽く頭を振る。
あちらの情報管理が厳しくなっている中、聞いたものもかなり虫食いの状態だった。必ず全てが正しいものだとは限らない。

「同姓ってことも有り得るし……」
「え、何が?」
「いえ、独り言です」

首を捻った浜野から視線を逸らして踵を返すのと、部室の扉が開くのはほぼ同時だった。

「──ここが部室だよ」

そんなことを言いながら、天馬と信助が誰かを連れ立って中に入ってくる。
猫のようなつり目をした男子生徒だ。物珍しげに部室を覗き込んだ彼に、神童がぱちくりとまばたきをする。

「君は?」
「あ……サッカー部に入りたいんです」

「転入生なんです。狩屋マサキくん」仲間が増えることがよほど嬉しいのか、天馬と信助はにこにこしながら彼を紹介した。
彼は──狩屋は、小さく微笑んで頭を下げる。

「よろしくお願いします」

──顔が陰ったその一瞬、彼の目が僅かに冷えきったものに変化したのを、依織は見逃さない。
ちらりと依織が円堂の方を向くと、円堂は僅かに表情を引き締めて狩屋を観察している。

「そんじゃー、今日の練習はまず入部テストッスか?」
「え、テスト?」

はい、と挙手して尋ねた浜野に、元の表情に戻った狩屋はキョトンと首を傾げた。
「そうだった……!」うっかりとでも言いたげに口許を押さえた天馬と信助は、入部テストのことをすっかり忘れていたようである。

小さく椅子を鳴らして、円堂が立ち上がった。
ゆっくりと狩屋に歩み寄った円堂は、彼を見下ろす。心の奥底を覗き込むような目で。

「狩屋。お前はサッカー好きか?」
「え」

瞬間、狩屋の表情が固まった。
暫し間が空き、狩屋は数度のまばたきの後、口を動かす。
その鋭い目には、小さな炎が灯っていた。

「──はい」

その答えを聞いた途端、円堂の表情が緩くなる。

「よし、入部を認める!」
「えっ、入部テストは?」

「今のが入部テストだ!」目を丸くした浜野たちに、円堂は当然とでも言わんばかりにどうどうと言ってのけた。

「サッカーをやりたい奴が入るのがサッカー部だからな!」
「監督……」

目をまたたいた神童が、顔を綻ばせる。
円堂はいつもそうだ。自分たちが忘れていた当たり前≠フことを思い出させてくれる。
「さ、練習始めるぞ!」意気揚々と部室を出て行った円堂に、天馬たちもつられて元気良くその後を追った。

「そう言えば依織の時も、入部テストしませんでしたもんね」
「ん? ああ、鷹栖は入部より前に、実力を見せてもらったしな」

「えっ」天馬と葵の目がパッと依織の方を向くと同時に、依織の目は明後日の方向を向く。

「俺が来たばっかりの時、全員にシュートを打たせたろ? みんなが帰った後に、鷹栖の流星ブレードを見せてもらったんだ」
「ずっ……ズルい依織! 俺たちには見せてくれなかったのに!」
「ズルくない。タイミングの問題だ、あれは」

きゃんきゃんと噛みつく天馬たちに耳を塞いだ依織は、狩屋がほんの少し頬をひきつらせたことには気が付かなかった。




グラウンドへ出て、ストレッチを終える。
全員の体が適度に温まったのを確認して、円堂は小脇に抱えたボールを持ち上げた。

「これから、2対2で攻撃と守備の練習だ。攻撃側はシュートを狙い、守備はそれを阻止する!」
「はい!」

ぽん、とボールを叩いた円堂に、選手たちが大きく頷く。
「最初の攻撃は……」円堂は少し視線をさ迷わせ天馬と神童を攻撃に指定した後、守備を決めるためにもう一度全員の顔を見回した。

「守備は……霧野と、狩屋だ」
「!」
「はい!」

入部したての狩屋を指定したことで、周囲が少しざわつく。
狩屋は少し表情を険しくしたが、すぐに穏やかな笑みを浮かべて頷いた。

「大丈夫か? 入部したばっかなのに……」

真剣な眼差しでフィールドに目を向ける選手たちに対し、口をへの字に曲げるのはテクニカルエリアの水鳥である。

「入部したばかりだから、試すんじゃないかしら」
「チームに馴染ませようとしてるのかも!」

「……始まる」葵が春奈の意見に同調し手を打った瞬間、呟いた茜が愛用のカメラを構えた。

「行くぞ」
「はいっ」

神童と天馬が短く言葉を交わす。
両者の準備が整ったのに頷き、円堂がボールを蹴り上げた。

フィールドにボールが弾む。
素早くそれを拾った神童を霧野がチェックし、互いに数秒フェイントを繰り返した後、隙を突いた神童がパスを上げた。
ボールを受け止めゴールに走った天馬の後を、狩屋が追い掛ける。緊張を感じさせない、しなやかな動きだ。

「……猫みたいなヤツですね」
「あ? ああ……狩屋の動きか。確かに、そんな感じだな」

呟いた依織に、隣にいた倉間が納得したように頷く。
「動きも、だけど」独り言ちた続きは、聞こえなかったらしい。

「(なーんか、一癖ありそうっつーか……)」

狩屋の目は──表情は、猫を彷彿とさせる。
人に懐かない、もしくは懐かなくなった野良猫のような、ひねくれたものを感じるのだ。
油断していると手痛い傷を追わされるような、そんな危うさを。

フィールドの半分を天馬が全力で駆け抜けても、狩屋は半歩後ろをぴったりとついてきている。

「(振り切れない……!)」

ちらりと天馬が背後を振り向いたその時、狩屋の唇がにやりと弧を描いた。

「うわぁっ!」
「天馬!」

次の瞬間、狩屋のタックルを受けた天馬が勢い余って転倒した。
てん、と転がったボールを、狩屋は平然とコート外に蹴り出してクリアする。

「いたた……やられたよ、すごいね狩屋!」
「練習だから何とか止められたんだ。マグレだよ」

狩屋は何事も無かったように、ぶつけた腰を擦る天馬を引っ張り起こした。
「そう謙遜するな」離れた場所から駆け寄ってきた神童が、狩屋の肩を叩く。

「あのスピードとボディバランスは中々のものだ」
「どうも……」

頭を掻き、はにかんだ狩屋は照れたように俯いた。
「ちょろいもんだぜ……」蚊の鳴くような小さな呟きは、神童たちの耳には届かない。

「実力は認めるけど……ちょっと強引だったぞ」
「……」

褒め言葉を並べる神童たちに対し、顔を顰めて注意した霧野に、狩屋は不服そうに眉根を寄せた。
その様子を眺めながら、ベンチの水鳥がヒュウと口笛を鳴らす。

「結構やるじゃねーか、あの新入り」
「ええ、驚きです!」

「でも、何か……」カメラ越しに狩屋を見た茜が、ふと呟く。
フォーカスに収まった狩屋は、細めた目で霧野の後ろ頭を眺めていた。

「──怖い、感じ」
「えっ?」

「よぉし、次の組行くぞ!」天馬たちと入れ替わりに、続いて車田と天城、速水と倉間がフィールドに出る。

しかし先程と同じように円堂がボールを蹴り上げた次の瞬間、突然現れた人影がボールを浚った。
その時、依織の左右に佇んでいた剣城と霧野は聞いた。彼女が「うげぇっ」と今にも何かを吐き出しそうな呻き声を上げたのを。

「き──鬼道さん!?」
「兄さん!?」

黒いスーツの裾が、マントのようにはためく。
特徴的な眼鏡を太陽の光に反射させ、にやりとした笑顔で現れたのは、帝国学園総帥、鬼道有人その人だった。

「鬼道! 何でお前がここに……!?」
「……俺が雷門のコーチをすることになった」

目を白黒させて尋ねた円堂に、鬼道は肩に掛かった髪を払い除けて平然と答える。
「ええっ!?」驚く天馬たちに、鬼道はドッキリが成功したとでも言いたげな自慢げな笑みを浮かべた。

「本当か鬼道!?」
「兄さんどういうこと!?」

同時に詰め寄る旧友と妹に、落ち着け、と一言言い添えて、鬼道は続ける。

「これから戦いは更に厳しくなる。……俺も力を貸したいんだ。響木さんからも、頼まれていた」
「そうか……!よぉし、また一緒に、サッカーやろうぜ!」

ニカッと笑って拳を突き出した円堂に、鬼道も僅かに表情を和らげそれを突き合わせた。
「鬼道さんがコーチ……」旧友同士の慣れたやりとりに感嘆の溜め息を吐いて、天馬が呟く。監督に円堂、コーチに鬼道。どちらも有名なプロ選手だ。一介のサッカー少年として、これほど恵まれたことはない。

「もしかして依織が言ってたのって、このことだったん──って、あれ。依織?」

振り向くと、そこにいたはずの依織の姿が見えない。
辺りを見回してみると、彼女は女子にしては高い背を少し屈めてこそこそと天城の後ろに隠れていた。

「それで俺の目から逃れられると思ったか、依織」
「うぐぅ……!」

目敏く眼鏡を光らせた鬼道に、呻いた依織は頭だけ天城の背中から出す。
小さく鼻を鳴らした鬼道は、彼女を一瞥しながら腕を組んだ。

「言っただろう、お前の無茶もこれで終わりだと。今日から昔のようにしっかり特訓をつけてやるから、覚悟しておけ」
「地獄みたいな練習メニュー組む人に無茶とか言われたくない……」
「何か言ったか」

「イイエ何も」さっ、と顔を横に向け依織は即答する。
天馬たちは鬼道がコーチになることを純粋に喜んでいるようだが、それもきっと今のうちだけだ。

「(有兄さんの言う通りにすりゃあ確かに強くはなれる、だろうけど……問題はその内容がなぁ)」

せめて、過労で倒れない部員が出ないことを祈るばかりである。依織は何も知らずに喜ぶ天馬たちに、心の中で合掌した。