52

用意された控え室で支度を終え、ピッチへ向かう。
ライトに照らされたフィールドに出た瞬間、彼らを出迎えたのは割れんばかりの歓声と──異様な光景だった。

「これは……!」

天井を見上げ、神童が唖然と溢す。
それを掻き消す実況の拡大された声が、スタジアム一杯に反響した。

『雷門対月山国光! 試合会場は……サイクロンスタジアムだーーッ!!』

天井と壁。フィールドを囲むように設置されたのは、そのスタジアムの名の通り巨大なファンである。
不気味なまでに静かにこちらを見下ろすそれに、嫌でも警戒心が募った。

「何でしょう……」
「空調、……にしちゃデカ過ぎるな」

だとすれば、何のために。考えても正解が見つかる気配はない。月山国光の選手たちは、雷門ほどこの状況に動転していないようだ。

「月山国光……」
「えらく落ち着いてますね、あっちは。……フェアな試合は期待しない方が良さそうッスね」

月山国光のテクニカルエリアを見やった神童に、依織は眉根を寄せて小さく言う。
特に、あちらの監督である近藤はフィフスセクターがサッカー界に蔓延る前から策士として有名だ。そこにあちらしか知らない情報があるとすれば、雷門は圧倒的に不利だろう。

「……何があろうと、勝つしかない。行くぞ」
「うぃっす」

アップを済ませ、打ち合わせも程々に、ついに試合がその幕を上げる。

キックオフは雷門からだ。まずは様子見に、剣城と倉間が先陣を切る。表情険しく徐々に距離を縮める2人に、ゴール前の兵頭が口唇を僅かに持ち上げたのが見えた。

「壱の構え!」
「なっ──」

次の瞬間、剣城たちは目を疑う。兵藤の指示に従うように動いた月山国光の選手たちがフィールドの左右に別れ、中央ががら空きになったのである。
あれでは攻めてくれて言っているようなものだ。だが、かと言って相手がそんなことを望んでいるわけがない。
たたらを踏んだ2人に、痺れを切らした神童が声を上げる。

「……行くぞ!」

何にせよ攻め込まなければどうにもならない。小さく頷き合った2人は思い切って、その空いた空間に飛び込んだ。
その後方から神童、依織、天馬が続く。その時、神童は見た。兵頭──そして近藤が、確かにニタリと笑うのを。

「……備えよ!」

兵頭が手を掲げると同時に、応じた月山の選手たちがその場に片膝を突きしゃがみ込む。
「備える?」一体何に。走りながら目を細めた依織の視線が、ゆっくりと音を立てて動き始めた天井のファンへ向いた。

動き始めたのは天井のファンだけではない。壁に設置されたファンたちが、ゆっくりと──徐々にスピードを上げて回り出す。
吹いた風と風がぶつかり合う。フィールドの芝を大きく揺らしながら、たちまちそれは巨大な竜巻へと変貌して天馬たちの前に立ちはだかった。

「何だ……うわぁっ!?」
「倉間先輩!」

真っ先にその餌食になったのは、一番小柄な倉間である。
大きな竜巻はいとも容易く彼の体をボールもろとも天高く吹き飛ばし、中空に投げ出された倉間は受け身を取る暇もなく、次の瞬間フィールドに叩きつけられた。

「倉間!!」

鈍い呻き声を上げた倉間に神童たちが駆け寄ると同時に、ファンが止まり竜巻がその姿を潜める。
大丈夫ですか、と冷や汗を掻く天馬に、倉間は苦い顔で頷き起き上がった。

「何なんだ、あの仕掛けはよ……!」
「サイクロンスタジアム……その名の通り、ってことですね。厄介なギミック作りやがって」

舌打ち混じりにこちらを見下ろすファンを見渡した依織の目が、ふと月山のテクニカルエリアに留まる。
「ねえキャプテン」声を顰めた彼女に答えるように、神童もまたその目を忌々しげに細めた。

「さっき……あいつら、竜巻が出てくるのを予測してたように見えたんですよね」
「ああ──恐らくあちらは、台風のパターンを事前に知らされているのだろう」

竜巻が生まれたのは丁度彼らが意図的に空けた中央のスペース。そして構えを取った瞬間、動き出したファン。
近藤が常にタブレットとフィールドを見比べているのも、彼が兵頭と逐一アイコンタクトを取り合っているのも、それが理由なのだろう。
「そんな!」ここまで来ても正々堂々戦うことを望んでいたのだろう、愕然とした表情で天馬は月山陣を──特に、南沢の方を見つめる。

「それじゃあ、雷門が圧倒的に不利じゃないですか!」
「くそっ、せめてもっと小さい竜巻なら避けようがあんのに……!」

「小さい竜巻……」ふいに、倉間の毒づきを反復した剣城が顎に手を添えて考え込む。
数回のまばたきの後、彼は険しいままの表情でその面差しを仲間たちに向けた。

「──松風なら、攻略出来るんじゃないか?」
「え?」

つまり、と声を落とした剣城を中心に5人は額を近付ける。
「話し合いなど、無意味なことを」言葉を交わし合う彼らを見て、兵頭は力強く握り拳を作った。

「急拵えの作戦で、我らの陣を切り崩せるものか。なぁ、南沢」
「……ああ」

冷ややかに、つとめて落ち着いて、南沢はひとつ年下のキャプテンに短く返す。
どこか読めないその瞳の見つめる先で、5人は改めて月山陣に向き直った。

「──試す価値はあるんじゃないか? 剣城の案で行ってみようぜ、天馬」
「うん、やってみる!」

──何か思い付いたか。
自身を鼓舞するように膝を叩いた天馬に、テクニカルエリアの円堂は笑みを深める。
ボールは先ほど台風によってライン外へ飛ばされてしまった為、月山側に移っている。神童はじりじりとポジションに移動しながら、ボールを振りかぶろうとしている柴田に視線を留めたまま小声で依織に言った。

「良いか、風が吹く前がチャンスだ。頼んだぞ、鷹栖」
「アイサー、神童キャプテン」

頷き、依織はその双眸を細める。
相手の一挙一動を、その瞳から窺う。やがてある1点に定まったその目に、彼女の足はホイッスルと同時に地面を蹴った。

「もらった!!」
「ぬぅっ!?」

ボールとの間に瞬時に体を割り込んできた依織に、柴田からそれを受けとるはずだった一文字の反応が一瞬遅れる。
──佐久間にしごかれた1週間は、無駄にはならなかったようだ。ベンチに腰を下ろした鬼道が、僅かにその口角を上げた。

「む……! 邪魔立て無用、女子とて容赦はせんぞ!!」
「ご忠告ありがとよっ!」

「スパークリングウルフ!!」礼を口ずさみながらも、一切容赦はしない。
一閃、迸る青白い電流で一文字を弾き飛ばし、向かってくる月島や南沢に気を止めながら、依織のバックパスが天馬に渡る。

「行け、天馬!」
「うん!!」

「……参の構え!!」天馬がボールを受け取った瞬間、兵藤が再び手を掲げた。
月山の選手が一斉に右側へ寄ったことにより、左半分のフィールドはがら空きになる。
天馬は一瞬唇を引き結び、その隙間へ飛び込んだ。──神童たちの予想が正しければ、あと数秒もしない内に。

「構えよ!!」
「はっ!」

その瞬間、また回り出したファンが天馬の眼前に巨大な竜巻を発生させる。
「天馬!」ユニフォームの裾を押さえながら叫んだ依織に、天馬は頷いた。

「負けるもんかぁ!!」

雄叫び、天馬はそのまま竜巻へ正面からぶつかっていく。
「馬鹿な、やけになったか!?」兵頭たちの愕然とした声も、風の音に掻き消され今の彼には聞こえない。天馬は風に吹き飛ばされないよう必死に足を踏ん張りながら、ボールを操った。

「行く手を阻む向かい風も、乗ってしまえば追い風になる! 行くぞ──そよかぜステップ!!」

竜巻の流れに身を任せながら、背中を押すように吹いた風に乗り、足を踏み出す。

──剣城の立てた作戦、仮説はこうだった。
スパイラルドローもそよかぜステップも、天馬の必殺技は風ありきのもの。であれば、竜巻の風も向きさえ把握すれば利用出来るのではないか。

そしてそれは、見事に正解した。
体を吹き飛ばされることなく竜巻を見切り、あまつさえその風を利用してそのまま加速した天馬に、観客席から歓声が上がる。

「やった、天馬!」
「良いぞー! そのまま上がれ上がれェ!」

ベンチからの応援にも熱が入る。
風は止み、DFラインを突破した天馬に、月山のDF陣が慌ててポジションに戻ってきた。

「ここは通さん!!」
「っ倉間先輩!」

目の前に立ちはだかった巨体に、天馬は反射的に左サイド端を駆け上がってきていた倉間にパスを上げる。
「おう!!」瞬時にそれに反応した倉間はボールを打ち上げると、直ぐ様サイドワインダーを繰り出した。

「そう易々と点が取れると思うな──見よ、我が力! 《巨神 ギガンテス》!!」

迫る蛇のような弾道のシュートに、兵頭が吼える。
「あいつが化身使いか!」険しい表情で、兵頭の体から噴き上がった闘気に神童が眉根を寄せたが、今さらシュートは止められない。
溢れた闘気は形を成し、岩の体を持った巨人──ギガンテスへと姿を変える。

「ギガンティックボム!!」

臆することなく繰り出された強固な拳は、サイドワインダーの威力をあっという間に押し潰した。
ちぃっ、と舌打ちした倉間に目もくれず、兵藤は再び現れた竜巻を見上げて口角を上げる。

「ふふ……! 良き風だ」

言うや否や、兵頭はボールをあろうことか竜巻の中に投げ込んだ。
「何だと!?」驚愕の表情でそれを見上げる雷門を嘲笑うかのように、竜巻はボールを巻き込んだままフィールドを縦断する。

「弐の構え!」
「はっ!」

月山が移動を始めた。先程のような自陣に腰を据えるフォーメーションではないく、彼らは直接雷門陣に切り込んでいく。
雷門もそれを防ぎたいのは山々だが、竜巻に巻き上げられたボールを目で追うのが精一杯だ。

「ダメだド……コースが読めないド!」

迫る竜巻に気圧されながら、天城の叫ぶ声がする。神童は自陣に駆け戻りながら、月山の選手たちの挙動に目を走らせた。
月山国光は竜巻の動きを知っている──ならば、それを利用しない手はない。

「みんな、相手の動きをよく見るんだ!!」

神童の指先が宙を切る。
光の筋を生み出した神のタクトが、フィールドを駆けた。

「ボールが来るのは……あそこだ!!」

光が指し示したのはDFラインの中頃。既に月山が竜巻を壁に迫ってきている。
天城や信介は逆サイドの竜巻に阻まれている──ならば、と霧野は髪を強風に煽られながら走り出した。しかし。

「俺が行きます!」
「っ狩屋……! 俺に任せろ!」

走り込んできた狩屋に叫んでも、彼は止まる素振りを見せない。
「くっ……!」竜巻から弾き飛ばされ、落ちてきたボールに2人は同時に跳躍した。それに一瞬遅れ月山の月島が続く。

その瞬間、誰もがボールは雷門側の物になると予想した。だがそんな予想を裏切るように、中空で霧野と狩屋の体がクラッシュする。
タイミングが合致してしまった故のミスだ。宙でバランスを崩した2人の間を縫うようにボールを奪った月島が、冷静にゴールに迫っていた南沢にパスを出す。

「このシュート、止めてみせろよ──三国!!」

打ち放ったソニックショットが、竜巻の中に突っ込んだ。
風に煽られ軌道を変えたシュートが、三国の動きを僅かに鈍らせる。
それはほんの僅かな隙だったが、雷門のゴールを貫くのには十分な物だった。

『南沢のソニックショットが決まったァーー! 月山国光、先制点です!!』

きん、と実況のけたたましい声が鼓膜を刺激する。
どうにか難なく着地して睨み合った霧野と狩屋に、月島が冷ややかな視線を送って呟いた。

「この得点、15番の手柄だな」
「──!」

狩屋は立ち去る月島の背中を横目で睨む。
──しかし、それ以上に今自分を見つめる霧野の視線の方が、余程刺々しかった。

「狩屋……」
「……霧野先輩の言うとおりですよ」

「何だと?」狩屋は膝を払い、立ち上がる。
細めた目に、霧野の険しい相貌が映り込んだ。

「俺、──シードなんです」
「なっ……!!」

絶句。その一言に尽きる。
言葉を失った霧野に満足したように、狩屋は細めた目を猫のように曲げて見せた。

「……なぁんて、冗談ですよ。本気にしちゃいました? やだなぁ、先輩ってば」
「……っ」

瞬間、頭に血が昇る。
怒鳴らなかったのが不思議なほどだった。
霧野が握り締めた拳が白むのをちらりと窺い、狩屋はそそくさとポジションに戻っていく。
深く息を吐き出し怒りを静めた霧野は、遠ざかる15番の背中を睨んだ。

「あいつ、どういうつもりでシードなんて……何が狙いなんだ」

今の雷門は、確実に噛み合っていない。
それはほんの一部の綻びだが、亀裂はそのうちチーム全体に広がることだろう。
南沢はゴール前に崩れた三国や、それに駆け寄る神童たちに一瞥をくれて冷えきった声音で呟いた。

「ふん──良いザマだな」
「待てよ南沢!」

激昂する車田の声も、南沢は聞こえない振りを決め込む。
その時、天馬は確かに見た。去り際、南沢が自分のことを憎々しいものを見る目で睨むのを。