フィールドに足を踏み入れるなり、霧野は真っ直ぐに狩屋の元へ向かった。
「狩屋! 俺の指示通りにやるんだ」
「……俺が先輩の指示を受けると思いますか?」
霧野が一度ベンチに下げられたことで、もう隠し立てする必要を感じなくなったのだろう。小馬鹿にするような笑みを湛えた狩屋に、霧野は意にも介さず頷いた。
「受けるさ。お前が本当に勝ちたいと思ってるならな」
狩屋の眉が小さく跳ねる。
──どういうことだ。さっきまであんなに疑心暗鬼に陥っていたのに。
円堂に何か言われたのだろうか、とベンチに目をやるが、円堂は今までと同じく仁王立ちしてフィールドを見守っているだけだ。
こちらを見つめる霧野の目は、どこまでも真っ直ぐで、少し居心地が悪い。
「お前にしか出来ないことだから、俺は信じる。お前は必ず、あのタクティクスを破る!」
「へェ、信じるんだ……すげぇや」
皮肉にも、霧野は動じなかった。
「狩屋、頼んだよ!」霧野の声しか聞こえていなかったのだろう天馬たちが、遠くから声を掛ける。
その声に込められた、信頼と期待。
勝手にプレッシャーを掛けないで欲しい、と狩屋は内心舌打ちしたが、何故か嫌な気分にはならなかった。
そして少し間を置き、月山国光のスローインで試合が再開される。
ボールを受けとるなり前へ出た甲斐を筆頭に、再びタクティクスサイクルの陣形を取った月山国光に、来た、と霧野が目を光らせた。
バックパス1つ加速し、陣形はやがて菱形から縦一列へと形を変え始める。その僅かな隙を、彼は見逃さない。
「今だ狩屋! 一列になる前に8番に突っ込め!!」
「……!」
霧野の声を合図に、狩屋が丁度前から2番目に移動した甲斐に向かってその陣の中へ切り込んだ。
間に合わなければ、甲斐は先程までと同じく後ろにいる月島にバックパスを出してしまうだろう。その数秒の内に、緊張が走り──
「お前に渡すものか!」
甲斐は狩屋からボールを奪われまいと、前方にいたパスを上げた。
「させない!」その瞬間、走り込んだ霧野がそのボールをスライディングでカットし、直ぐ様狩屋へ。そして息つく間もなく、狩屋がまた中盤へ抜けたボールを戻す。
「ほらよ、これで良いんだろッ」
「よし!」
唖然とする月山国光の選手たちの合間を潜り抜け、霧野はボールを打ち上げた。
「天馬ァ!!」
「はい!!」
ボールを受け取り力強く頷いた天馬の背中から、光の翼が羽を散らす。
赤い巨大な翼を広げ、ペガサスが撃ち抜いたシュートに兵藤が雄叫びを上げた。
「その程度のシュートで、我が化身ギガンテスは破れはせぬ!!」
顕現した岩の巨人、ギガンテスが、ペガサスのシュートを押し潰さんとその固い拳を奮う。
一瞬の鍔迫り合いの後、勝ったのは。
『ゴォォーール!! 雷門、再び同点に追い付いたァア!!』
ぐわ、と歓声と実況が入れ混ざり鼓膜を揺らした。
2対2、と表示されたスコアボードに拳を握り締めた天馬は、明るい笑みを惜しげもなく狩屋に向ける。
やったな、と。声にしなくても天馬がそう言うのが分かった気がして、狩屋は照れを隠すようにそっぽを向いて頭を掻いた。
2人の様子を遠目から眺めていた依織は、ちらりとベンチの鬼道を一瞥する。
鬼道が満足げな笑みを浮かべてこちらに頷いて見せたのを見て、依織は眉間にギュッと皺を寄せた。
「っとにもう、回りくどいんだから……」
「? 何か言ったか」
首を傾げた倉間に「何でもないですよ」と返し、依織は再び前を向く。
すると、憤怒と焦りの形相でこちらを──雷門勢を睨み付ける南沢と目が合った。
「……倉間せんぱぁい、あっちに般若がいますよ。どうしましょ」
「あ? ……んなもん、決まってんだろ」
勝つんだよ、何があっても。
南沢の表情を見ても尚、分かりきっていた答えに依織はニタリと唇を持ち上げる。
「ですよね〜。……じゃあ、私らもいっちょ頑張りますか。な、剣城」
「……当然だ」
淡々と答える剣城の目には戦意の火が燃えているままだ。
ポジションへ戻って間もなく、月山国光からのキックオフで試合が再開される。
「柴田!」
「甘いんだよ!」
南沢から柴田へのパスを、開始早々倉間がカットした。
どうだ、と言わんばかりにちらりと向けられた倉間の三白眼に、南沢は奥歯を噛み締める。
「(認めない──認めてやるものか、雷門のサッカーなんて!!)」
「月島!」背後を振り向くと同じく、神童の指示が雷門勢に飛ぶ。
間に合うことなく倉間から浜野へ渡ったボールに、南沢は僅かに瞠目した。
──動きが鈍すぎる。仲間たちの顔を見回してみると、皆一様に焦りの表情を浮かべ、ボールを目で追っている。
しかし、前半と比べその気迫はあまりに少ない。まさか、と南沢は浮かんだ予感にゾッとした。
「(まさかこいつら、タクティクスサイクルと兵頭の化身が破られたことで……)」
その予感は、まさかの正解だった。
月山国光はベスト8に名を連ねる通り、強いチームではある。だがそれは、あくまでフィフスセクターの管理下にいる場合に過ぎない。
勝敗を管理されて来た試合の中では逆境に立たされることはなく、ただ淡々と筋書きを辿るだけ。怯まぬ強い心は育たないのだ。
「……管理サッカーのもろさが、こんな形で出てくるなんてな」
走りながら、依織は小さく呟く。
チームの真価が問われるのは、逆境に立たされた時。佐久間が特訓中に何度か言っていた言葉だ。このまま行けば、雷門は月山国光に勝てるだろう。
そう、このまま行けば──の話だ。
「(ダメだ……こいつらに頼ってたんじゃ、勝てる試合も勝てやしない!)」
その時南沢は、自らプライドを捨てる決心をした。
どんな時でも冷静な第三者として振る舞うことを止めて──走り出す。
「よし、完全にフリーだ!」
「……っ」
浜野の前に、飛び出してきた南沢がボールをカットした。
突然視界に入ってきた南沢に反応が間に合わず、浜野は一瞬呆然とボールを奪い去っていく南沢を見送ってしまう。
「(この試合……俺1人でも戦ってやる!!)」
「倉間、天馬!」南沢の空気が変わったのを肌で感じたのだろう、神童が指示を飛ばすも、南沢は後輩2人のマークを強引に振り払って雷門陣内に切り込んだ。
「(この試合、負けるわけにはいかないんだ! ここで負けたら、雷門を辞めた意味が……!!)」
ボールを奪い奪われ、南沢は懸命に体を張って単身雷門陣内へ攻め込んでいく。
汗と土にまみれながらもボールに食らいついていくその姿は、雷門にいた彼とは結び付かないものだった。
「あれが、あのクールな南沢さんのプレー………!?」
試合を見守る青山たちが呆然と呟く視界の先で、前へ出た霧野が月山国光のDF2人を抜き去る。
展開が変わったのは、ここからだった。
「……長船ぇ!!」
「応!!」
機能を停止していたDFが息を吹き返す。
2人がかりのツインミキサーで、華奢な霧野の体は簡単に吹き飛んだ。
ボールを奪い、こちらを凝視する南沢に2人は擦れ違い様笑って見せる。
「南沢……我らも共に闘うぞ!」
「お主のおかげで目が覚めたわ……!」
「長船、兼平……」ぐっと唇を噛み締めた南沢の背後で、兵頭がふいに声を上げた。
前半と違わぬ、気迫と勢いを持って。
「皆のもの! この試合、必ず勝つ!!」
「応!!」
「上がれェ!!」
南沢は仲間たちを見回した。もう誰も、道標を失ってはいない。
彼は改めて雷門と、かつての仲間たちと相対する。今≠フ仲間たちと、自分のサッカーを信じるものを示す為に。
「どういうことだ!? 急に奴らの動きが戻ったぞ……!」
「南沢だ──あいつのプレーが、チームをひとつにしたんだ」
驚愕の声を上げた車田に、円堂はそう返した。
ボールを奪い、奪われ、闘志を燃やし尽くしフィールドを駆け回る。その光景が、今も昔も、彼の一番愛するもの。
「勝ちたいって気持ちが、全力でぶつかりあってる。──これがサッカーだ!」
神童のボールが小早川に奪われる。そしてそれを更に信助が取り返し浜野に回し、更に霧野へ。そこへすかさず長船たちのツインミキサーが炸裂する。
両者共に一歩も引かない。しかし、一進一退の攻防と言うのはいつか必ず終わりを迎えるものだ。
「甲斐、月島!」
2人がかりのマークを狩屋が持ち前の身体バランスで躱し、そのまま月山国光陣内へ侵入する。
しかし目前に迫るのは壁のように巨体を連ねる3人のDFたち。
「ダメだ、止められる!」天馬の悲痛な声に被せ、霧野が叫んだ。
「狩屋!!」
「……チッ」
小さな舌打ちをひとつ。
それだけして、狩屋は戸惑うことなく霧野へ大きく弧を描くバックパスを出す。
「よし!!」
受け取ったボールは、直ぐ様後ろから走ってきた依織に追い抜かされ様回された。
「行かせるか!!」汗を散らし駆け戻ってきた南沢が、依織の進路を阻むべく踊り出す。
「こっちだって、こんなとこで負けるわけには行かねえんだよ!!」
瞬間、依織は利き足を強く踏み込んだ。
踊るような足取りで南沢のタックルを潜り抜けた彼女の背に、黒とも紫とも取れる、不思議な色の光が翼のようにちらつく。
「あれは──」
「やれ剣城!!」
驚くのも束の間、依織からロングパスを受け取った剣城は、ゴールを見据え気を高めた。
沸き上がる闘気に形作られた化身、ゴールを貫く剣を構えるランスロットを見上げ、兵藤も負けじとギガンテスを発動する。
「ロスト──エンジェル!!」
「ギガンティックボム!!」
鋼と岩がぶつかり合い、幻の火花がフィールドに散った。
凌ぎを削る2人の戦いに手を出すことも出来ず、両チームの仲間たちは固唾を呑みそれを見守るのみ。
やがてとどめと言わんばかりに力を振り絞った剣城が、フィールドに轟くような雄叫びを上げた。
「行け──ランスロット!!」
ギャギャギャ──と最後に金属が抉れるような音を残し、ギガンテスの岩の装甲を貫いたランスロットの剣が、ゴールを切り裂く。
その瞬間、試合終了のホイッスルが高らかに鳴り響くと同時に、天馬たちが飛び上がった。
スコアボードの数字は3対2。雷門が次の試合へ駒を進めたのだ。
「やった! やったー!!」
跳び跳ねる天馬や信助の後ろで、聖帝選挙のホログラムが上空に映し出され、響木への票が入る。
これで雷門は、また1歩革命へと近付いた。円堂と鬼道は顔を見合わせ、互いに小さく頷いた。
「負けた……」
「……顔を上げろ!」
芝生を見つめ俯いていた南沢たちの頭上に、近藤の厳しい声が降り注ぐ。
彼はゆっくり教え子たちの顔を見回した。
「確かに試合には負けた。だがお前たちは全力を出し切った。お前たちは今日、初めてサッカーと本気で向き合ったんだ」
近藤は鍔を摘まみ、帽子を脱ぐ。
その表情は監督と言うより、子を見守る父のようだった。
「私もお前たちのおかげで、忘れていたサッカーを思い出した」
「監督……」
ちらりと近藤は円堂へ目配せする。
小さな会釈に、円堂は敬意を持って頷きで答えた。
南沢はしばらく考え込むように足元を見つめた後、ふとこちらを見ていた神童に歩み寄る。
ほんの少し身構えた風の神童に、沈黙の後、彼はゆっくり口火を切った。
「……今頃、気付くなんてな」
「え?」
落とされた声に、神童は目を瞬く。
南沢は諦めたような、しかし、すっきりとした笑みを浮かべて続けた。
「神童。ようやく分かったよ……お前たちがやろうとしてたことが」
「南沢さん……」
彼の名前を呼んだ神童の声は、僅かに震えている。
「相変わらず涙腺が緩いな」からかい混じりに言った南沢は、次に天馬に視線を向けた。鋭くもなく、かと言って柔らかくもないその視線に、天馬は反射的に姿勢を正す。
そして彼は言った。素直に、今思っていることを。この先にまで、託したいことを。
「次も頑張れよ、……天馬!」
「えっ──」
一瞬虚を突かれたように目を丸くした天馬の表情が、徐々に明るくなっていく。
「っはい!!」大きな返事に満足そうに頷いた南沢は、そのまま雷門に背を向けたが──
「南沢さん!」
ふいに神童がそれを引き留めた。
南沢は数回まばたきをした後、ゆっくりと振り向く。
「南沢さんは、月山国光にとって必要な存在かもしれません。……でも俺たちは、みんないつでも待ってますから!」
「……!」
瞠目した南沢に頷いたのは、同級生と2年生たち。1年生たちは顔を見合わせて、彼の答えるのを静かに見守った。
そして最後に、南沢は前髪をさらりと掻き上げて、柔らかく微笑む。
「……ありがとう」
──その言葉を最後に、南沢は月山国光の仲間たちを伴い、今度こそスタジアムを後にした。
「……何だよあいつら。喧嘩してたんじゃなかったのかよ」
わだかまりの溶けた笑顔でそれを見送る上級生たちに、狩屋は1人輪から外れボソリと呟く。
そんな彼に、ふと霧野が彼の名前を呼びながら近付いた。
「ありがとな、信じてくれて」
「信じる? ……別に、信じていたわけじゃないですよ」
狩屋は一瞬目を見開いた後、唇を尖らせそっぽを向く。
霧野はそんな態度も慣れてしまったのか、爽やかな笑顔を浮かべたままだ。
「分かってる。お前は勝ちたかった──それだけだよな。でも俺には分かるんだ。お前がサッカーを好きだってこと」
「……良いんですか? そんなこと言って」
そこで狩屋は今までのようにほくそ笑んで見せる。甘く見ていると痛い目に合うぞ──言外に、そんな言葉を伝えたかったのかもしれない。
「俺はシード。──今度は何をするか分からないですよ」
「お前はシードじゃない」
即答だった。今度こそ目を丸くした狩屋に、霧野は自信に満ちた笑みを向けた。天馬や依織たち後輩に向けるのと、寸分違わない笑みだ。
「何せ、お墨付きだからな」
「は? お墨付きって、誰の……ちょっと、先輩!?」
さあ誰だろうな、と霧野はからから笑いながらベンチへ戻っていく。
狩屋は問い詰めるのを止めて、溜め息を吐いた。後悔しても知らないですよ、と呟いてみても、完全に負け惜しみだと言うことは嫌でも分かっている。──どうにも自分は、あの先輩には勝てなかったらしい。
「おーい狩屋! 早く来いよー」
「……ああ、今行くよ!」
しかしその代わり、ここに居場所が出来た。暖かくて、遠慮なく羽を伸ばせる、心地よい居場所が。
狩屋はその日初めて、本当の意味で雷門イレブンの一員になったのだ。