年季の入った木造のアパートに、弾けるような笑い声が響く。
「そしたらキャプテンがボールを取ってさー!」
「あれはすごかったよね〜、完全に抜かれたと思ったもん」
興奮した様子で今日の試合を率先して振り返るのは、天馬と信助だ。
時折葵がそこに茶々を入れ──その輪の中には、秋お手製のケーキを黙々と頬張る依織と、居心地悪そうに胡座を掻く狩屋も混ざっている。
あの試合の後、狩屋の歓迎会も兼ね、木枯らし荘で小さいながらも第2試合出場決定のお祝いをすることになったのだ。
依織は剣城と共に病院へ直行するつもりだったのだが、たまには一緒に、と葵と天馬にせがまれた上、行ってこいと剣城に背中を押されてここにいる次第である。
最大の理由は、「秋ネエがケーキ焼いてくれるって」と食い気に釣られたことだったが。
「……こいつら、いつもこうやってつるんでるのかよ」
「まあ、その内慣れるだろ」
ぼやいた狩屋に、依織はケーキをつつきながら答えた。
今の彼女の脳内は、ケーキと試合と、それから明日太陽に今日のことをどう報告するかの3点が占めている。
狩屋からすればこっそり呟いた独り言が拾われて気が気ではないのだが、これもその内慣れなければならないことなのかもしれない。
「もっともっと練習して、キャプテンたちみたいにならないとなー」
「じゃあ、僕も頑張って必殺技作ろ!」
「必殺技?」おうむ返しした葵に、信助は少し苦い顔になって頷いた。
「僕、DFなのにぶっとびジャンプだけで、ディフェンスの必殺技持ってないからさ」
「ああ、そっか。あれはシュート技だもんな」
DFラインからそのまま上がってゴールできる能力がある、と言えば聞こえは良いが、それもボールを奪うことが出来てこそだろう。
思い出したように言った依織に続き、葵と天馬は首を捻る。
「ディフェンスの必殺技かぁ……」
「どうせなら、2人技作ったらどーよ?」
唇に付いた生クリームをぺろりと舐め、ふと狩屋が提案する。
しかしその目に浮かんでいるのは良心ではなくからかいの色で、これはこう言う奴なんだな、と依織は心の中で溜め息を吐いた。
「2人技?」
「天馬くんが信助くんを蹴り上げる、とかさ」
「俺が信助を蹴り上げる……?」2人は顔を見合わせ、中空に視線を投げる。
きっとそのシーンを想像しているのだろう、2人の表情は何故か徐々に明るくなっていった。
「それ良いよ! それなら信助のジャンプ力がもっと生かせるし!」
「え、」
「うん!」
やはり冗談だったのだろう、すっかりやる気になってしまった2人に、狩屋は一瞬呆けた顔になる。
「そうと決まれば、早速明日から練習ね!」
「ああ!」
「からかうだけ無駄だぞ」と、我関せずの顔で紅茶を啜りながら声を落とした依織に、狩屋は内心そうかもしれない、と頷いた。
「ねぇねぇ、名前は何にする? 天馬が蹴り上げるから、そよかぜジャンプとか!?」
「え〜、ダメだよそんな普通なの」
即座に出された天馬からのダメ出しに、葵は頬を膨らます。
依織は、と聞いても「ノーコメント」と即答され、葵は頬が膨らんだまま目を吊り上げた。
「も〜。じゃあ天馬たちはどんなのが良いのよ?」
「う〜ん……狩屋はどう思う?」
「え、俺!?」
ここで話の矛先を向けられるとは思わなかったのだろう、狩屋は一瞬喉にケーキを詰まらせそうになりながら声を上げる。
紅茶を飲んで一息、落ち着いた彼は首を捻ると、ややあって答えた。
「んー……ドカーンて跳ぶから……ドカーンジャンプ、とか!」
しん、と室内が沈黙で満たされる。
どうだ、と言わんばかりの狩屋の顔が発言と合わないことがまたシュールで、次の瞬間耐えきれなくなった天馬を皮切りに3人は思い切り噴き出した。
「ださーい!」
「!? お、お前らが言えって言ったから言ったんだろー!?」
まさかそんな判定を下されるとは予想もしていなかったのか、狩屋はカッカしながら立ち上がる。
天馬に至っては笑いのツボに入ってしまったのか、ケーキを潰さないように頭上に皿を持ち上げて体をくの字に折り曲げて震えていた。
「で、でも、ドカーンジャンプって……!」
「ぐっ……ちょっと、依織ちゃんも何か言ってやってよ!」
「あ? ああ、良いんじゃないか? ドカーン、……ふっ」
「お前もかよ!!」
空になった皿で口元を隠して目を反らした依織に、「味方がいない!」と狩屋は地団駄を踏む。
笑い声と怒声で溢れる天馬の部屋に、階下でお茶を飲んでいた秋は、賑やかね、と1人穏やかな気持ちで微笑んだ。
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──その同時刻。
こつ、と僅かに骨張ったしなやかな指が玉座を叩く音が響く。
そこに座した男──イシドは、目の前で頭垂れる部下の後頭部を見下ろし、今しがた受けた報告を反復した。
「……悪い報せ?」
「はい……聖帝に対し、反旗を翻した学校があるようで……」
答える部下の声は苦々しい。
その傍らに控えたまた別の部下が、顔をしかめながら続けた。
「思いのほか、響木にも票が入っています。雷門が勝ち続けていることが影響しているかと」
「ならば潰すしかないな。手段は選ばない。雷門を叩き潰せ」
手をひらりと翻し顔を背けたイシドに部下たちは声を揃え短く返事をしてその部屋を後にする。
それと入れ替わりになるように、イシドの秘書の1人である鷹が姿を現した。
「聖帝にお会いしたいという者が来ております」
「……通せ」
数瞬思考を巡らせた後、答えたイシドに頷いた鷹は、抱えていたタブレット何度か指を滑らせる。
数分もしない内に、部下たちに伴われその部屋に入ってきたのは──
「……円堂守。来ると思っていたよ」
雷門の円堂守監督、その人だった。
唇で弧を描いたイシドに、円堂はギュッと眉間に皺を寄せる。まるで、今自分の見ているものが信じられないかのように。
円堂はややあって、ゆっくりと、覚悟を決めたように口を開いた。
「──豪炎寺。やっぱりお前だったんだな」
小さく鷹の肩が揺れたのに対し、イシドは玉座の上から彼を静かに見下ろしているだけである。
円堂はイシドが言葉を発する前に、畳み掛けるように続けた。
「何でだ! 何でお前がフィフスセクターなんかに!!」
「……」
「豪炎寺!!」
イシドはふと、玉座に突いていた肘から顎を上げる。
「私は豪炎寺ではない。……イシド、シュウジだ」
やっと円堂に返ってきたのは、突き放すような拒絶の言葉だった。
目を細めたイシドの耳元で、イヤーカフスが微かな明かりに怪しく煌めく。
「一体……何があったんだ」一瞬言葉を失った円堂は、瞠目しながら苦しげに彼を見上げた。
「こんなことをして、みんなからサッカー取り上げて……! サッカー出来ない辛さは、お前がよく知っていたはずじゃなかったのか!?」
──彼の知っている豪炎寺修也と言う男は、こんな人間ではなかったはずだ。
実直で、仲間思いで、クールなように見せかけて熱い魂を持っている男。中学校の頃から、プロになっても幾年か共に同じチームに所属していた円堂は、それをよく知っている。
だと言うのに、何故そんな彼が管理サッカーなどと言う子供の夢を奪うような真似事をしているのか。
ホーリーロードの開会式でイシドを見つけた時、円堂は絶望と同時に疑問を覚えたのだ。
「もう止めよう……こんなことするより、どうすれば昔のサッカーが取り戻せるか、一緒に考えよう!? みんなで考えれば、必ず答えは見つかる!!」
もう一度、同じフィールドへ。子供たちに、あの頃の自分が夢中だった頃のサッカーを。
過去と未来を繋ぐ思いで、円堂は切望する。
しかし、返ってきたのはひどく冷めきった声だった。
「……分からないのか? サッカーは変わったのだ」
イシドは玉座から立ち上がる。
それは自分が豪炎寺修也≠ナあると言うことを認めるのと同じ発言だったが、彼がどんな意図を持ってそう答えたのかは分からなかった。
「もう昔には戻れない。ならば私はサッカーを支配して、皆にサッカーを平等に分け与える」
「豪炎寺……!!」
玉座のすぐ後ろにあった扉が開き、イシドはその闇の中へ踏み込んでいく。
「お引き取りしてもらえ」最後にその指示を受けた鷹が、彼を追おうと走り出しかけた円堂の背後に立った。
「失礼します」
「ぐ──!?」
あっと言う間に両腕を後ろに捻り上げられ、円堂はハッと彼女を振り向いた。
振り払えない。その細腕のどこにそんな力があるのか、鷹は円堂を拘束したまま彼を玉座の間から引きずっていく。
「──ごめんなさい、円堂さん」
「っえ?」
空気を微かに揺らす程度の声は、扉が閉まる音に掻き消される。振り返った頃には、既に玉座の間への扉は静かに彼を拒絶していた。