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「あれ、その内化けそうだよな」

夕暮れの色に町が染まった時間帯。
部活を終えいつものように病院への道のりを辿りながら、不思議そうな顔でこちらを一瞥した剣城に、依織は「輝だよ」と付け加える。

「完全にパワータイプだろ。いつか飛んでもないことになるぞ、あれ」
「……そのいつか≠ェ来週末までに来れば良いがな」

剣城の言う来週末は、第2回試合の開催日だ。
いくら化けそう、と一概に言っても、その時点で戦力にならなければ仕方がない。輝の為にも、チームの為にも。

「来るさ、絶対」何故か自信ありげに答えた依織のポケットから、不意にピリリ、と小さな電子音が響く。
剣城は一度だけ、その着信を聞いたことがあった。

「──悪い剣城。私、今日はパス」
「あ?」

尚も音の鳴り続けるオレンジ色の携帯を見るなり、依織は踵を返す。
いくら剣城でも、この電話相手との会話を聞かれるのは彼女からすると少々都合が悪い。

「太陽が聞いてきたら明日はちゃんと来るって伝えといて。じゃーなっ」
「あ、おい──」

声を上げた剣城をスルーして、依織は急ぎ足で元来た道を戻って行った。




途中で何度か角を曲がり、人気のない道に出たところで、彼女はやっと携帯のボタンに指を掛ける。

「──もしもし。ごめんなさい、出るの遅れて」
『ううん、大丈夫』

電話の主は穏やかに、しかし密やかな声で答えた。ほっと息を吐きながら、依織は先を促す。

「それで──今回は何か分かったんですか」
『ええ。……あまり、良いニュースではないけど』

そう前置きして、受話器越しの彼女≠ヘ訥々と語り始めた。
何度かの相槌のち、話のあらましを聞き終えた依織はやがて溜め息を吐く。

「そう、ですか。……それで、その人って今は……」
『行方知れず、だね。探したいのは山々なんだけど、今は動ける状況じゃなくって』
「ううん、それで奴らにバレたら大変ですし……気にしないで下さい」

焦りを僅かに滲ませる口振りに、依織は慌ててそうフォローした。
彼女がこれ以上危険な目に合うことは、出来る限り避けたい。そんな思いが声に籠ったのか、電話の向こうでありがとう、と小さく笑うような礼が聞こえる。

『ああ、そうだ──実は今日、急に出張が決まって。冷蔵庫に昨日の残りもあるから、今晩はそれで済ませてくれるかな?』
「はい、分かりました。お仕事頑張って下さい」

「うん、ありがとう」最後にもう一度そう答えて、ぷつりと通話は終了した。

「……はぁ」

携帯を鞄に突っ込み、依織は再度大きな溜め息を吐く。自分達の行く道は、どう足掻いても前途多難らしい。
いや、それは初めから分かってたことか──と独り言ちて、依織は鞄を担ぎ直す。

「とりあえず、目下の目標は化身発現だな。うん」

自分に言い聞かせるように呟いて、いつもの帰り道に戻ろうと踵を返したその時だった。

「……うん?」

数メートル先の路肩に、景色に馴染まない大きな黒塗りの立派なリムジンが停まっている。
先程通ったときには見かけなかったところからして、電話に応対している時に駐車したのだろう。

それでも違和感を拭いきれないまま、何となくそれを避けつつ道を戻ろうとして──足が止まる。車内から人が出てきたのだ。
出て来たのは2人組の男。依織はその年齢に規則性のない男たちの着た服に、見覚えがあることに気が付いた。

「……フィフスセクターが、私に何か用か」

男たちが着込んでいたのは、開会式で警備を行っていたフィフスセクターの制服である。
依織は背中に嫌な汗を掻きながら、1歩後退する。まさか、先程の会話を聞かれてやしないだろうか。

「鷹栖依織。我々は君を、招待しに来たのだ」
「招待?」
「そう──今よりも遥かに強くなれる、神の特訓場へな!!」

答えると同時に、男たちは弾かれたように一斉にこちらに向かって走り出して来た。
依織は虚を突かれながらも、培った反射神経でこちらに伸ばされた1人目の手から逃れ、追撃されるより先に素早く鞄に手を差し込む。

「──ぐあっ!!」
「!?」

次の瞬間、突然声を上げてその場に倒れた仲間に、男は思わず動きを止めた。
見ると、彼女の手には警棒に似た黒い棒が構えられている。

「残念でした。ただで捕まえられるとでも思ったか?」
「ちっ……!」

ただの警棒で、しかも少女に殴られた程度で大の大人が気絶するなど余程のことだろう。
男の推測通り、依織が構えていたのは警棒ではない。去年の誕生日、従兄の和樹から貰った警棒型のスタンガンだ。
当初護身用に、と渡されたこれを見た時は彼のセンスを疑ったが、よもやこんな形で活躍することになるとは思ってもおらず彼女自身も少し驚いている。

「(どうする……このまま逃げ切れるか……?)」

依織はじりじりと後退しながら考える。
不幸なことに人気のない道に入ったせいか、これだけ騒いだと言うのに人が来る気配は全く感じない。
相手が自分を捕まえる為に来たなら、他にどんな手を使うか分からない以上、背を向けるのはあまりに危険だ。

しかしその考えが仇になったと、彼女は次の瞬間思い知ることになる。

「大人をあまりなめるなよ」
「え──」

背後から突然ぬうっと伸びてきた腕が、依織の手からスタンガンを叩き落とした。
振り向いて間もなく、振り抜かれた大きな手が彼女の頬を遠慮なく張り飛ばす。

「ぐ、う……ッ」

受身を取れなかったこともあり、依織の体はあっさり吹き飛んだ。
コンクリートに打ち付けた膝や額から、血が滲む気配がする。地面這いつくばりながら、依織はクラクラする頭で必死に瞼を抉じ開けた。

──後ろにも、いつのまにかリムジンが控えている。彼女が男2人を相手にしている間に近付かれていたのだろう。

「何を手こずっている。教官も言っていただろう、無傷で連れていく必要はないと」
「ああ……そうだったな」

ざり、と2人の足音が近付くにつれ、どくりと心臓が嫌な跳ね方をするのが分かった。

「さあ立て、一緒に来るんだ」
「っ、触るな……!」

頭を打ったせいか、上手く力が出ない。
夕日はすっかり山の向こうに隠れ、男たちの顔は夜の闇に覆われて真っ黒だ。

──こわい。
その瞬間、依織は自分の動きを阻害するのが恐怖だと理解する。
腕を乱暴に掴まれ、無理矢理引っ張り起こされた体が痛みと恐怖に悲鳴を上げる。なのに、大きな声が出ないのが酷く歯痒い。

ぶわ、と歪んだ視界で、男たちの三日月のように笑った赤い口が見える。喉の奥から、自分のものとは思えないほど掠れて頼りない声が零れた。

「──だれか」

助けて、と震える唇が微かに紡いだ瞬間。

「──ぶっ!!」

ズバン! ──と、どこからともなく飛んできたサッカーボールが、依織を捕まえていた男の顔面に直撃した。
跳ね返ったそれを、男より頭1つ分小さな人影が受け止めた瞬間──頼りなく建っていた街灯に丁度明かりが灯り、その顔を照らす。

支えるものがなくなり、その場に勢いよく崩れ落ちた依織の瞳が、彼の姿を映した。

「──つる、ぎ」
「ちっ……」

小さく舌打ちした男の1人は、剣城を見るなり気絶した仲間を抱えてリムジンに乗り込んで行く。
鼻から鼻血を滲ませた男も先程までの威勢はどこへやら、慌てて自分の乗って来たリムジンに転がり込んだ。

そうして2台のリムジンは、その優雅な外装に似合わない乱暴な運転で、ギュルギュルとタイヤを鳴らしながら走り去っていく。
やっと静けさを取り戻した景色に──依織は、駆け寄ってきた剣城を視界に入れながら、無意識の内に詰めていた息を吐き出した。

「お前の後を妙な車が追いかけて行ったからまさかとは思ったが──おい、大丈夫か」
「──……ああ。うん、平気平気。流石にちょっとビビったけどさ」

一拍間を空け、依織はひらひらと片手を振りながら目の前に跪いた剣城にあっけらかんと答えた。
彼女が足下に転がった警棒を鞄に戻すのを確認し、剣城はリムジンの走り去った方向を睨みて舌打ちを零す。

「……シードだった頃、嫌な噂を聞いたことがある」
「嫌な噂……?」

首を傾げた依織に、顔をしかめた剣城は吐き捨てるように続ける。視線は未だ道の向こうだ。

「フィフスセクターは、裏で才能のある選手を拉致しては、シードになるまで訓練場に軟禁している──そんな話だ」
「!」

今よりも遥かに強くなれる、神の特訓場へ。そんな男の言葉が脳裏に甦った。剣城は呆然とする依織を振り返り、僅かに痛ましい表情をする。

「眉唾物だと思ってたが、どうやら本当だったらしいな。……正体が割れた以上、もうあいつらも迂闊には動かないだろう」
「あ〜……間一髪だったわけだ。ありがとな、剣城。……助かった」

溜息を吐くように言って、依織はそろそろ立ち上がろうと手を地面に突いた。
しかし、そこから彼女は動かない。肩を強張らせて真顔になった依織に、剣城は怪訝そうに眉根を寄せた。

「どうした」
「…………いや……剣城、私なら平気だからさ。早く病院行ってやれよ」
「1日くらい平気だ。それより、いつまでもこんなとこで座ってる訳にもいかねえだろ。ほら、」

ぐ、と依織の腕を──先程の男とは違い出来る限り優しく掴んだ剣城は、すぐに違和感を感じて目を細める。
まさか、と依織を見ると、彼女は居心地悪そうに剣城から目を反らした。

「……腰抜かしたなら、そう言え」
「う、るさい! 言えるわけないだろ、こんな──無様なこと」

俯いた依織に、剣城は目を瞬く。
握りしめられた依織の拳は、僅かに震えていた。

──ふと、彼女を見つけた瞬間のことを思い出す。
あの時依織は、悲鳴も上げず、ただ恐怖と嫌悪を表情に滲ませながら唇を震わせていただけだった。
剣城の知っている鷹栖依織と言う人間は、いつも強気で男勝りで、あの時もきっと容赦なく反撃して自分が助けに来る前に逃げおおせていただろう。

だが、彼女はそれをしなかった。出来なかったのだ。
今彼の前に座り込み、未だ残る恐怖で体を震わせて──強がり、それを必死に隠すその姿は、何てことのない普通の女の子≠サのものだった。

「……っとにかく、移動するぞ」
「移動って──きゃあっ!?」

半ば強引に肩を抱き、体を少し浮かせた依織の膝裏に手を差し込んで勢いをつけて持ち上げると、思いの外高い悲鳴が上がって剣城は切れ長の目を丸くする。
そしてすぐに気を取り直すと、そのまま歩き出した。

「ど、どこ行くんだよ!?」
「俺の家」
「は!?」
「ここから5分も掛からない。その怪我、どうにかしなきゃならないだろ」

剣城はちらりと、乾き始めた血が滲む彼女のこめかみや膝、赤く腫れた頬を見やる。
フィフスセクターは警察の一部に取り入っていると言う話もある。きっと通報したところで大した意味はないだろう。なら、せめてあと少し早く助けに行くことが出来ていれば、と後悔が募った。

「……鷹栖」
「な、何だよ……」
「万が一あいつらがまたお前を捕まえに来たら、……今度はちゃんと、守ってやるから」

突然の剣城の宣言に、依織はポカンと目を見開く。
そしてすぐに我に返り剣城から目を逸らしたが、ほんの少し赤くなった耳はしっかりと彼に見られてしまっていた。

「何、気障ったらしいこと言ってんだよ……ばか」
「うるせえ」

──ありがとう。
微かに聞こえた声は、確かに剣城の鼓膜を震わせる。
依織は剣城の視線から逃れるように、彼の制服の裾をギュッと掴んで固く目を閉じた。