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「多分奴らは、お前が化身使いに目覚めようとしていることを嗅ぎ付けたんだろう」

日も暮れた道中、剣城はふいに沈黙を破り、そんなことを言った。
辺りはすっかり暗くなり、最早すれ違う人間もいない。自分で歩くことを諦めて彼に大人しく抱えられた依織は、「化身使いに?」とおうむ返しする。

「大方、化身が目覚める前に手中にしようとしたんだろうな」
「……手中に、か」

ぼそりと言って、依織は目を伏せた。

剣城の言っていた噂が自分の体験した通り真実なのであれば、今まで他にもフィフスセクターに拉致された中学生がいたと言うことになる。
一度、彼女≠ノ相談しておいた方が良いかもしれない──勿論、自分が巻き込まれかけたことは濁して。

「──おい、インターフォン開けてくれ」
「え」

渦巻く思考を遮られ、顔を上げると、いつの間にか1軒の住宅の前にいた。
インターフォンの横には、剣城≠ニ刻まれた表札がある。

「…………なぁ、本気で入んなきゃダメか」
「ここまで来て今さら何言ってんだ。早く──」

少し呆れたような剣城の言葉が、唐突に途切れた。
見ると、彼はインターフォンではなく、道の先を凝視して顔をひきつらせている。不思議に思い、視線を辿ると──

「京介……?」
「……母さん」

買い物袋を抱え、ポカンとした顔でそこに立ち竦む、彼の母親がいた。




剣城の母親は、まず実の息子が見知らぬ少女を抱き抱えていることに驚き、次にその少女──つまり依織が生傷だらけであることに驚いた。
その経緯を、『彼女が自転車に撥ねられたところを目撃し、手当ての為に連れて帰った』とやや無理のある設定で説明した剣城は、着替えるために早々に自室へ戻ってしまっている。

1人、彼の母と共にリビングに残された依織は、かつてない居心地の悪さを感じながら柔らかいソファに座って俯いていた。

「ちょっと染みるからね」
「は、い」

消毒液の染み込んだ脱脂綿で膝の傷を押さえられ、依織は僅かに顔をしかめる。
剣城の母は慣れた様子で依織の怪我を着々と治療しながら、彼女の様子を窺った。

「こんなに傷だらけになって、痛かったでしょうに。自転車で轢き逃げなんて、酷い話ね」
「い、いえ……私が、油断してたせいもあったんで……」

もごもごと言って、依織は改めて自分の失態に眉根を寄せる。
そうだ、あの時もっと落ち着いて対処していれば、ここまで手酷くはやられなかった。剣城や彼の母にも迷惑を掛けなかったはずだ。

「歩けない程痛いってことは、足の筋か何か痛めたのかしら……お家の人に迎えに来てもらう? それとも病院に……」
「い、いえ、病院は大丈夫です! それに、その……今日は家に誰もいないから」

事実、依織の現在の保護者である従姉は出張で家を留守にしている。
なら念のため携帯に連絡を、と食い下がった彼女に、依織は項垂れた。

「お父さん、海外に単身赴任してて」
「じゃあ、お母さんは……」
「…………」

一瞬固く唇を結んだ依織に、剣城の母は何を察したか僅かに目を見開く。
そして、彼女が何か言うよりか先に依織が答えたのと、剣城が自室からリビングに戻ってきたのは同時だった。

「お母さんは、いません。……小さい頃、亡くなりました」
「……ごめんなさいね」

それは、深く追求してしまったことへの謝罪なのか、それとも彼女の口から言わせてしまったことへの謝罪なのか。あるいは両方なのかもしれない。剣城の母は俯いてしまった依織の肩を、優しく叩く。

「──歩けなかったのは、びっくりして腰が抜けちゃったからです。だから、もう大丈夫。迷惑かけてすいません」

息を小さく吸い込んだ依織は、頼り無さげだった表情から一転、いつもの顔に戻って剣城の母へ頭を下げた。
剣城は呆然としながら、それを眺める。
彼女が片親と言うことも驚きの一つだったが、自分の母に対し素直に振る舞っていることが、とてつもなく意外だったのだ。

「ううん、迷惑なんて掛かってないわよ。まあ、初めは京介が彼女を連れてきたってことにびっくりしたけど」
「母さん!」

思わぬ方向に転がり掛けた会話に我に返った剣城は、ギョッとしながら母の話を遮る。
依織は彼女の言ったことに驚いたのか、ポカンと目を丸くしている。それが余計に、剣城の羞恥心を煽った。

「……っ鷹栖は、そんなんじゃないから。クラスメートで、部活の仲間だ」
「あら、そうなの? 残念……」

言葉通りがっくりとした母に、剣城は溜め息を吐いてちらりと依織を一瞥する。
瞬間、丁度こちらを窺ったらしい依織と目が合って、つい目を逸らした。

「鷹栖さん、下の名前を聞いても良いかしら?」
「……? 依織、です」
「依織ちゃん」

剣城の母は彼女の名前を言い直すと、にっこり笑って見せる。
その暖かみのある笑顔に、依織は似ていないはずの母の笑みを重ねてしまった。

「このくらいで、迷惑なんて考えなくて良いのよ。子供は大人に頼っても良いんだから。ね」
「……ありがとう、ございます」

答えた彼女の目が僅かに潤んでいる気がして、剣城は見てはいけないものを見てしまった気分になってその光景から顔を背ける。
しかしそれを引き戻したのもまた、母だった。

「そうだわ、せっかくだから夕飯食べていかない? 学校での京介のこととか聞きたいわ」
「は!?」
「……嬉しいお話ですけど、本人が反対のようなのでまたの機会に」

苦虫を噛み潰したような顔になった剣城に、依織はいつもの表情で彼の母に返す。
「そう? じゃあ約束ね」剣城の母は全く諦める素振りも見せず、楽しげに微笑んだ。




「優しそうな、良いお母さんじゃん」

暗くなったから、送っていってあげなさい──と母に家から押し出され、剣城は依織の半歩後ろを歩くように元来た道を辿っていた。
鞄をプラプラさせながら何となしに言った依織に、剣城はそうか? とぼんやり答える。

「どこも、あんな感じじゃないのか」
「さあ。ああ……でも、うちの叔母さんもあんな感じだったな……」

呟いた依織は、自身の母を引き合いには出さなかった。
彼女の母が亡くなったのは小さい頃と言っていた。当時の記憶が曖昧なものになっているのかもしれない。
それは仕方のないことではあったが、酷く寂しいことにも思える。

『そうだな──私も、今のと逆のことを言われたら、切れたかも』

ふと思い出したのは、まだシードだった頃に彼女から聞いた言葉だ。
今まで、あれは太陽のことを考えて出た言葉だと思っていたが──ひょっとすると、母のことも含まれていたのかもしれない。

「……お前のお母さん、あの言い訳信じたと思う?」
「自転車の件か。……まあ、半々だろうな」

思い出したように尋ねた依織に、剣城は曖昧に返す。
彼女は横っ面を張られて赤くなった依織の頬も治療している。自転車に轢かれたところで、あんな怪我を作ることは中々ないだろう。それでも剣城母は、それを言及しなかった。

「……隠し事は、自分の口から」
「あ?」
「少し前に、言われたんだ。……自分から話さない限り、必要以上に問い詰めることはしないと」

シード時代のことだろうか。依織は反射的に考えた。
フィフスセクターに従う代わり、兄の治療費を払う。そう簡単に言っても、大きな資金が動く話だ。子供である彼1人が隠し通せるようなものではない。
彼の両親は、息子が何かを隠していることを悟りつつ、それを打ち明けてくれる時を待っていたのだろうか。

それも今となっては、知りようのないことだが。

「……痛むか」
「あ? ああ……傷のこと? 別に、大したことねーよ」

ふと話を変えるように尋ねた剣城に、依織はガーゼの上からそっと頬に手を当てて肩を竦める。
彼女のことだ、どうせ明日には絆創膏もガーゼも取り払って、天馬たちには何事もなかったかのように振る舞うのだろう。

無傷の振りをして、ひとつも大変なことはなかったような顔をして。その身1つで、また戦いに身を投じるのだ。

「──そういや、私も聞きたいんだけど」
「何をだ」
「お前、何であんなこと言ったんだ?」

あんなこと、と言われても思い当たる節が有りすぎてどれか分からない。剣城は眉間に皺を寄せる。
彼女をフィフスセクターたちの手から助けてから、何かと色々なことを言った覚えはある。

まさか彼女じゃない≠ニ母に言った件についてだろうか。そう思いかけた矢先、依織は半ば呆れたような目で彼を見た。

「言ったろ。あいつらが逃げた後、恥ずかしい台詞」
「恥ず……」
「今度はちゃんと、守ってやる。ってさ」

──そう言えば、言った。言ってしまった。
あの時は真剣に告げたはずの言葉だったが、改めて他人の口から聞いてみると成る程確かに恥ずかしい。今更ながら、カッと頬が熱を持つ。

「……あいつらがお前に目をつけたのは多分、化身以外に、俺のせいだと思う」
「は?」

気を取り直した剣城の言葉は、依織からすれば予想もしていなかった答えだった。
しかし剣城は至極真面目な顔で、続ける。

「シードの頃から、お前はしょっちゅう俺の傍にいた。黒木……さんとも、会ったことがあるだろう」
「黒木? …………ああ、あの黒尽くめの」

そう言えばあれ以来表舞台に姿を見せていないようだが、彼はまだフィフスセクターにいるのだろうか。
そんな考えは頭の隅に押しやって、依織は話の続きを促す。

「俺は力で雷門を支配しようとした。そんな俺の傍にいたお前は、あいつらからしてもイレギュラーだったはずだ」

イレギュラー。変則的。
確かにあの頃、他のクラスメートやサッカー部の面々も、自分から進んで剣城の傍に行こうとはしなかった(天馬は時たま話し掛けていたようだが)。
それでも依織が剣城と一緒にいたのは、彼が何故悔やむような思いを抱えながらボールを蹴るのか──それを知りたかったからに、他ならない。

「そんな中、お前はライセンスを取って選手として認められた。化身も発現しようとしてる。……あいつらの中で、予感が確信になったんだろう」

依織は瞬きを繰り返し、しばし剣城の横顔を見つめる。
つまり、彼が言いたいのは。

「自分が切欠を作ったから、責任持って守るってか。──バカじゃねーの」

吐き捨てるように、依織は答えた。
剣城の意思を、でなく、自分自身を卑下するような声音だった。

「剣城と一緒にいたのは私の意思だ。何もしてないお前が罪悪感感じるなんて、勘違いもイイトコだっての」
「お前……よくも人の気遣いを、」
「私は!」

ふいに立ち止まって声を荒げた依織に、剣城は少し目を丸くした。
試合に関すること以外で彼女がこうして怒りに似たものを露にして叫ぶのを聞いたのは、初めてな気がする。

「私は、誰かに守られるお姫様ポジションは嫌いなんだ。可愛げも可憐さも、いらないんだよ」

彼女の声は、僅かに震えているように思えた。

ああ、そうか──と、剣城はそこでぼんやりと理解する。
彼女がこうまでして虚勢を張る理由。天馬たちに、弱味を見せたくない理由を。

「──なんて。ちょっとムキになっちゃったな。悪い悪い」

ころりと表情を変え、依織はひらひらと手を振る。
面食らったように目をしばたく剣城を見上げ、ふと依織は穏やかな色を声に乗せ、唇を震わせた。

「けど……ありがとな。私、剣城のそういう不器用で分かりにくいけど、優しいとこ。好きだよ」
「え」
「……あ。私の家、あれだから。見送りもここまでで良いや」

じゃあな、と虚を突かれた剣城の肩を叩いて、依織は軽い足取りで去っていく。
その背中が、少し距離はあったがきちんと1軒の住宅に消えるのを確認して──剣城は大きく、溜め息を吐いたのだった。