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フィフスセクターによる拉致未遂から一夜明け、次の日。
剣城はまず、登校してきた依織が予想していた通りガーゼも絆創膏も取っ払って教室にやって来たことに顔を顰め、次に別れ際、彼女から言われた言葉を思い出して頬を僅かに赤らめた。

『けど……ありがとな。私、剣城のそういう不器用で分かりにくいけど、優しいとこ。好きだよ』

──あれに特に深い意味はない。
深い意味はないと理解はしているのだが、どうしても頭にこびりついて離れない。
朝から1人、あの言葉を思い出しては心の中で葛藤しているのだが、染み付いたポーカーフェイスのお陰か周囲が彼の異変に気付くことはなかった。

「(言葉の綾、そうアレは言葉の綾だ。だから思い出すな、思い出すな……!)」
「おい、剣城」
「!!」

突如視界に割り込んできた依織に、剣城は椅子を揺らして若干仰け反る。
過剰にも見えるその反応に彼女は訝しげに眉を跳ね上げたが、気にしないことにしたのかそのまま言葉を続けた。

「悪いんだけど、キャプテンに伝言頼めるか。今日の部活、来れないかもしれないって」
「あ?」

何で、と反射的に問い掛けた口を噤む。
依織が平常時より、些か緊張したような面持ちを浮かべていたからだ。「レジスタンスの仕事か」と小声で短く聞き返すと、彼女は小さく頷く。

「……平気なのか」
「ん? ああ、大した仕事じゃないしな」
「そうじゃなくて」

ぱち、とまばたきを返した依織に、剣城は眉間に皺を寄せた。
するりと出てこない言葉に、自分で自分に苛立つ。

「忘れたわけじゃないだろう、昨日のこと」
「……当然。でも、気にすんな。ただの人探しだし……それに、暗くなる前には終わらせる」

一瞬、依織は苦虫を何匹も噛み潰したような表情になったが、何か言葉を掛ける前に直ぐ様いつもの様子に戻ってしまう。
そして、じゃあ頼んだぞ、と鞄を担ぎあっという間に教室から走り去ってしまった。

放課後を報せるチャイムの音をバックに、剣城は猛スピードで離れていく背中を見送りながら舌打ちする。

「何て顔してんだよ……」

どうやら昨晩のことは、予想していたよりも遥かに彼女の中で大きなトラウマとして残ってしまったようだった。




午後3時を回った稲妻町は、丁度学校帰りの途中の小学生や買い物途中の主婦たちでごった返している。
その中をテクテク歩きながら、依織は辺りを見回しつつ手元にある記事の切り抜きに目を落とした。

いつかのサッカー雑誌の切り抜き。大きな写真のピントに合わせられているのは、甘いマスクで女性ファンを虜にしている通称雪国の王子>氛汾$瘤m郎である。
本来なら北海道の母校でサッカー部の指導に当たっている吹雪を、何故彼女が探しているのか。
それが今回依織に与えられた仕事だからだ。

『可能性としては、近々東京で──稲妻町で見つかるかもしれない。その時は、本部でバックアップしてあげて』

吹雪が母校・白恋中学校のコーチを解任され、学校自体から追放された後、所在が分からなくなったと聞いたのは、昨日の帰り道──フィフスセクターに襲われる直前のこと。
スパイをしているレジスタンスが言うには、所在が分からなくなる直前、彼に東京行きのチケットを郵送したらしい。
もしもの時、東京にいるレジスタンスたち──円堂を、頼れるように。

もちろん、チケットがあると言っても彼が稲妻町に来ると言う確証はない。
吹雪にも吹雪の事情があるし、ひょっとするとレジスタンスではなく他の誰かを頼りにする可能性もあるのだ。
だから彼女≠焉Aあくまでもしも見つけたら──仕事、と言うよりも頼み事と言うスタンスでこの件を伝えたのである。
とは言え、一度頼まれたからには成果を出したいわけで。

「探すっつっても、まず稲妻町にいるのかどうかが問題だよな……」

世間は狭いとよく言うが、都市1つ、体1つで人間1人を探し出すなど到底出来るわけがない。
ひとまず近場の駅前までやって来たのは良いが、まだ日の高い平日。人もまばらで、とてもじゃないが探し人がいるようには思えない。

「(見た人がいないか聞くのも手だけど、どこにフィフスに関わってる奴がいるかも分かんない場所で堂々と聞いて回るのも……)」
「ねえ君、ちょっと良いかな?」

うんうんと唸っていると、ふいに背後から声を掛けられた。まさか補導か何かか、と内心ギクリとして振り返ると。

「それ、雷門中の制服だよね? 良ければ学校までの道を……」
「…………い」
「?」

依織はポカンと口を開けて、目の前にいる男性と握っていた記事の切れはしを見比べる。
そして、思わず叫んだ。

「いたーーーー!?」
「えっ」
「あなた吹雪さんですよね!? 何でこんな狭い路地裏から出てくるんですか!?」

そう、見間違いでなければこの男、探していた吹雪士郎は、今しがたそこの路地裏からひょっこり出てきた。
町に住み慣れた住人がショートカットに使うならともかく、北海道在住の人間がこんなところから現れるなど誰が想像しようか。

「うーん、雷門中に行こうとしたんだけど、道に迷っちゃって。あれ、君どこかで見たことが……?」
「え、あ。ああ、すみません……」

はたと我に返り、依織は落ち着いて息を整える。
どうも元イナズマジャパンのメンバーはキャラが濃くて、思わず対応が地になってしまう。

「私、雷門中サッカー部の鷹栖依織と言います。レジスタンスの仕事で、あなたを探していました」
「レジスタンス……」

ほんの少し声を落とした依織に、吹雪は数度まばたきを返して微笑む。

「じゃあ君が、彼女の言ってた妹さんで、僕の案内人なんだね?」
「そう言う紹介を受けてるなら、そうですね。まあ正確には、妹分なんですけど」

どうやら吹雪にもある程度の説明は行っていたらしい。雷門はこっちです、と依織は先程吹雪が出てきた方向とは真逆を指しながら、歩き始めた。
吹雪は町を見渡しながら、ほっとした様子で息を吐く。

「でも良かった、道案内してくれる子がいて。一度友人の働いてるお店に辿り着きはしたんだけど、今日は定休日だったんだ」
「ああ、もしかして雷雷軒ですか?」

そうだよ、と頷いた吹雪に納得しかけて、依織は一瞬顔をひきつらせそうになった。
雷雷軒のある商店街は学校を過ぎた場所にあるのだ。もしかして吹雪は結構な方向音痴なのではないか、と依織は彼を探しに来た自分を誉めてやりたくなる。
あのまま吹雪を1人放って置いたら、当分雷門に辿り着くことが出来なかった気がする。

「君のことも、試合の中継で見たことがあるよ。ライセンスの試験は昔より厳しくなっているのに……沢山特訓したんだね」
「そうですね、スパルタな師匠が4人もいますから」

基礎は鬼道、理論は佐久間、技術はルカと言ったところか。応用とその他諸々を教えてくれたアウトサイダーとはもう3年近く会っていない。
過剰すぎない飴と鞭が恋しい。1人思い出に馳せる傍らで、吹雪は町並みに懐かしそうに目を細める。

「でも、懐かしいな。もう何年も来ていなかったけど、鉄塔広場も河川敷グラウンドも、そのままで変わらなかったよ」
「(何で学校を探して鉄塔に辿り着くんだ……)」

そう思ったが、口には出さなかった。

「……白恋中も、変わらないで欲しかったんだけど」
「……」

依織はちらりと吹雪を見上げる。
物憂げな表情になった吹雪に、道行く女性たちがチラチラと熱っぽい視線を向けていた。

「でも、それを元に戻したいからここに来たんでしょう、吹雪さんは。……さ、着きましたよ」
「うん……。わ、懐かしい! 学校の方は随分改築したんだね」

校門の正面から見える校舎を見るなり、吹雪は明るい声を上げる。
表情の忙しい人だ、と思いながら、依織はグラウンドに視線を投げ掛けた。

「丁度みんなグラウンドにいますね。早く行きましょう、有兄さん……鬼道さんも心配してたんですよ」
「兄さん……あれ? 鬼道くんたちってもう結婚、」
「してません」

ただ昔からそう呼んでいるだけです、と口早に付け加え依織は吹雪を先導する。
グラウンドのサッカー部は、紅白戦に夢中でこちらに気付く気配がない。

「とりあえず、先に円堂監督たちに──」
「あっ、危ない!!」

突然聞こえてきた天馬の叫び声が、言い掛けた依織の言葉尻を掻き消す。
振り向いたところで既に遅く、「避けろ!」と剣城の声が聞こえた頃には目の前にボールが迫っていた。

「よっ──と」

反射的に依織は目をギュッと瞑ったが、予想していた痛みはいつまで経っても感じない。

そろりと目を開けると、吹雪の背中が自分を庇うように広がっていた。
彼の手には、先程誰かが蹴り損なったボールが収まっている。どうやらトラップで受け止めたらしい。

「……うん! 気持ちの籠った、良いシュートだったね。大丈夫かい、依織ちゃん」
「は、はい……」

驚きを隠す暇もないまま、依織は肩越しに微笑み掛ける吹雪を見つめ返す。
やはり、迷子になろうが方向音痴であろうが、流石元日本代表と言ったところか。反射神経は一級品だ。

誰? と言う視線を集めながらグラウンドに降りていく吹雪に、慌てて依織も続く。
倉間が悪い、と口パクでこちらに言ってきたところから、彼が先程のボールを蹴ったのだと分かった。

「吹雪……? 吹雪じゃないか!」

一番初めに彼に気付いたのは円堂である。
吹雪はかつての仲間とマネージャーに向けて、「久しぶりだね、みんな」と嬉しそうにあの頃と変わらぬ笑顔を浮かべた。

「吹雪って、……ええっ! この人が、吹雪士郎さん!?」
「な、何で依織と吹雪さんが一緒に……!?」

天馬と葵が顔を見合わせ、依織と吹雪を見比べる。
この視線を受けるのも久しぶりだ、と依織は少し居心地の悪い気分になりながら肩を竦めた。

「レジスタンスの指示で、道案内……っつーか、保護? してきた」
「保護って……」

何だそりゃ、と言った風に倉間が三白眼を半目にする。あのまま放置していたらいつ雷門中に辿り着くか分からなかったのだから、強ち間違ってはいない。

「心配していたぞ。白恋中のコーチを外され、行方が分からなくなっていたと聞いたからな」
「えっ!?」

一同が一斉に、吹雪に問い掛けた鬼道に注目する。
そう言えば鬼道たちには吹雪の所在が分からなくなった件だけ伝えて、何故そんな事態になったのかを報告していなかったことを依織は今更思い出した。

何があったんだ、と険しい表情で問う鬼道に、吹雪は太めの眉を下げる。
そして彼は苦渋に満ちた面持ちで、ゆっくりと口火を切った。

「白恋中は、……──白恋中サッカー部は、フィフスセクターの手に落ちた」