吹雪が雷門中に現れて早5日。
新しい必殺タクティクスの完成は難航していた。
「ドリンク皆さん回りましたー? まだの人言って下さーい」
休憩時間に入ったスタジアムに、ジャグの積まれたカゴを抱える葵の声が響く。
タクティクスの要である天馬と剣城は他よりも運動量が多いせいか、言葉には出さないが随分疲れているようだった。
「俊足と決定力の両立か……」
「はいよ。これ飲んで元気出しな」
顎を指で支え小さく呟いた神童に、水鳥が後ろからドリンクのジャグを差し出した。
「ああ、ありがとう」薄く微笑んでそれを受け取った神童に、続いて茜が歩み寄る。
「あと、これも……」
「?」
茜が差し出してきたのは、1通のエアメールだった。
首を傾げ、裏返した封筒に書かれた名前を読み上げた神童は僅かに目を見開く。
「リョウマ=c…まさか、錦か?」
「え?」
声を上げた神童に、天馬たちは顔を上げ、ジャグを傾けていた聞き覚えのある名前に依織は眉を顰めた。
神童から中身の便箋を受け取った三国が、一度仲間たちを見回してからその内容を読み上げていく。
「皆の衆、まっことご無沙汰ぜよ。錦竜馬じゃ>氛氓セってよ」
「相変わらずぜよぜよ言ってんのか」
小さく笑った三国に呟いたのは、予想外なことに水鳥だった。手紙を覗き込んで、懐かしむように微笑んでいる。
とは言え、彼女は錦が在部していた頃は、まだサッカー部と関わりはなかった筈だ。
「錦を知ってるのか?」と不思議そうに尋ねた霧野に、彼女は頷いて答える。
「竜馬とは、1年の時同じクラスだったんだ」
「竜馬だってぇ〜、随分親しげ〜」
間髪入れず、からかいモードのスイッチが入った浜野が口を挟む。にやにやと持ち上がる口許をわざわざ片手で半分隠す辺りがまた演技臭い。
「べっ、別にそんなんじゃねーよ!」
「え〜」
「っ浜野ぉ! そこ動くなよ!!」
「え? ──うわぁごめんなさいもう言いませんっ!!」
長いスカートを翻し飛び掛かっていく水鳥に、浜野は悲鳴を上げて慌てて逃げ出す。
それを3年生と2年生が呆れ混じりの目で眺める一方で、おずおずと天馬が手を上げた。
「あの……誰からの手紙なんですか?」
「ああ──お前たちには、紹介したことがなかったな」
納得したように返した神童は、自分の鞄から手帳を取り出す。
そしてその中から抜き取った1枚の写真を、天馬たちに差し出した。
「これは、俺たちが新入部員だった頃の写真だ。そして、こいつが──」
「げっほ!」
瞬間、ドリンクを飲んでいた依織が、写真を見るなり突然大きく噎せ込む。
「だ、大丈夫か?」目を白黒させる神童や天馬たちに、依織は空咳を繰り返し息を整え、引きつった表情で口許を拭った。
「に──錦さんて、この、色黒ちょんまげの……?」
「え? ああ、そうだ。よく分かったな」
「分かるも何も……私、会いましたよ」
えっ、と傍観していた他の部員たち──瀕死になった浜野除く──が依織を振り向く。
同姓同名かと思った、とぼやいた依織に、「お前そのパターン多いな」と倉間が突っ込んだ。
「錦は才能を認められて、イタリアにサッカー留学したんだが──そうか、鷹栖はイタリアでライセンスを取ったんだったな」
「サッカー留学!?」
「へぇ〜……すごい人なんですね!」
目を輝かせた天馬と葵が、一層写真の中で笑う錦を見つめる。
錦竜馬。かつての雷門イレブンのエースストライカーだった選手。イタリアでは元日本代表の染岡を師匠と仰ぎ、厳しい特訓を受けている。
「初めて会った時は詐欺師に絡まれてるような人だったから想像つかなかったけど……うん、確かに強かったかな」
「何をしてるんだ、あいつは……」
呆れ顔で額を掌で押さえた神童に対し、「まあ、錦らしいと言えばらしいな」と三国は苦笑いした。
「とんでもないキック力の持ち主でな。あいつのシュートには何度痛めつけられたか……」
「自分のこと、雷門の点取り屋って言ってたっけ?」
三国の言葉に続き、復活した浜野が思い出したように付け加える。
そこから更に芋づる式に、足も速かった、着いていくのに苦労した、ボールキープだって上手かった──と錦の思い出、と言うよりも仲間の自慢がつらつらと滑るように出てきた。
「ホントにすごい人だったんですね、錦さんて……」
技術だけでなく、この離れていても慕われている──信頼されている、人徳含め。
噛み締めるように呟いた天馬に、ふと浜野がフィールドに視線を投げ掛けて言った。
「あいつがいれば、このタクティクスも完成したのかな?」
「ああ!」
確かにそれは有り得ますね、と手を打ったのは速水である。
しかし、その錦は今や遥か海の向こう。そんなことを言ったところでどうにもならない。長く息を吐き出した神童が顔を上げた。
「いない奴のことを言っても始まらない。休憩は終わりだ、やるぞみんな!」
「はい! 今度こそ必殺タクティクスを完成させよう、剣城!」
勢い良く立ち上がりこちらを振り向いた天馬に、言われなくても、と剣城は鼻を鳴らす。
勇み足でフィールドに戻っていく天馬と剣城に感化されたのか、信助も小さな体を揺らして立ち上がった。
「よーし、僕も新しい必殺技頑張らなくちゃ! 狩屋、行くよ!!」
「えっ、俺!? 何でだよぉ」
小さい割りに力の強い信助に手を引かれ、狩屋はずるずると引っ張られていく。
それを眺めながら自身も立ち上がった依織は、ちらりと観客席の方を見上げた。
円堂と鬼道、そして吹雪。3人が真剣な表情で、何か話し込んでいる。
「(私も、──ちゃんとなれるかな。化身使いに)」
「なれるか、じゃなくてなるんだよ。依織」
時間は少し進み、日が大分傾いた頃。
病室にて大真面目な顔をして言った太陽に、依織は煩わしげに眉根を寄せる。
「分かってら、そんなこと」
「でも、依織も面倒臭い性格してるよね。弱音くらい、天馬くんたちに聞いてもらえば良いじゃないか」
太陽はここにはいない天馬のことを引き出した。
何故病室に缶詰めの彼が天馬を知っているのか。何のことはない、テレビで毎回中継されているホーリーロードを追い掛けているからだ。
「……そんなこと出来たら、とっくにやってる」
「面倒臭い性格してるなぁ、ホントに」
「うるせえ、土産没収すんぞ」
目尻を釣り上げ、依織はサイドボードに置いておいた蜜柑を取り上げた。
「ああ、嘘! もう言わない!」慌てた太陽は自分の頭と同じ色をした蜜柑を取り返し、また奪われる前にと皮を剥き始める。
「3つ買ってきたけど、一気に食うなよ。栄養片寄るから」
「うん、ありがと」
それからしばらく話し込んで、面会時間終了のアナウンスが鳴り終えてすぐ依織は太陽の病室を後にした。
面倒臭い性格。言われたことを反芻して溜め息を吐く。そのことを否定はしない。事実、弱音を吐けるのは身内か、幼馴染みである太陽だけだ。
天馬たちには──言わない。言えない。
「──?」
階段を降りて、顔を上げる。
他の患者に混じり、剣城が壁に背を預けて立っていた。しかし、偶然そこに居合わせた風ではない。
剣城は依織を見つけると、ゆっくりと体を起こす。
「……帰るぞ」
「え、……あ、うん」
待っていてくれたのだ、と分かるのに数秒掛かった。前までは、偶然鉢合わせて帰路を共にしたことも何度かあったが、それ以外は各々特に何を言うでもなく勝手に帰っていたのに。
守ってやる≠ニ言う言葉は、勢いだけで言ったわけではなかったらしい。
「──試合まであと3日ある」
「あ? ああ……」
夕日に照らされる中、剣城はふいに口を開いた。視線は前に留めたままである。
「それまでに、どうにか物にすれば良いだけの話だ。松風みたいに、試合の中で完成させたって良いんだから」
「……!? お前、さっきの話聞いてたのかよ!?」
一瞬必殺タクティクスのことを言っているのかと考えて、はたと気付いた依織は声を上げる。
剣城は少し呆れの混じった目をこちらに向けた。
「窓開けてると、勝手に聞こえてくるんだ。お前らの声が無駄にデカイせいでな」
「な、何だと……」
それは初耳だった。しかし太陽と優一の病室は、壁1枚を隔てた隣。声が聞こえるのも仕方のないことかもしれない。
「化身は、心の強さだ。お前が自分を信じてなきゃ、出来るものも出来なくなるぞ」
「……ああ、もう。分かったよ! 2人して同じようなこと言いやがって」
つんとそっぽを向いて、依織はぼやいてみせる。しかし、剣城から背けたその顔はどこか晴れやかでもあった。
自分を分かってくれる人間は、身内以外にもいるのだと思い知らされたような気がする。
「……でも盗み聞きは許さん」
「じゃあ、もう少し静かにするんだな」
ぱち、と頭上の街灯が明かりを灯す。うっすらと輝く月が、紫の空を照らし始めていた。