一歩踏み出す度に、じゃり、とスパイクが氷の表面を削る音がする。ここに来ての選手交代に、神童は注意深くその選手を観察した。
まず、縦と横に体が大きい。しかしそれは肥えていると言うわけではなく、肩幅が幅広く、隆々とした筋肉がそう見せているだけのことだ。
そして、目つき。濃い隈の付いた小さな目は、緩慢な動きに反して忙しくギョロギョロと動き回っている。
──正直、あまり良い印象は抱けそうにない。眉を顰めた神童の肩越しに、ふいに依織が声を掛けた。
「気を付けて下さいよ、神童先輩。あいつはシードです」
「! 何……!?」
大きな声を上げそうになって、寸でのところでそれを喉の奥へ押し込める。
一呼吸置いて振り向くと、依織は険しい表情で、その選手──石岩を観察していた。
「まだ本戦の試合には一度も出てないみたいですけど、シードにスカウトされる前からラフプレーの目立つ選手だったとか」
そして付いた異名が、フィールドの壊し屋──グリズリー。大袈裟なあだ名ですよね、と依織は鼻で笑いながら言ったが、視線は依然鋭いままだ。白恋の選手たちも、フィールドする石岩を遠巻きに怪訝な顔をしている。
「要注意人物と言うわけだ……」
「万能坂戦の時みたいにならないように、注意して下さい」
そう告げて、依織は天馬たちにも注意を促す為神童の元へ離れて行った。
相手チームに自分の性質を理解している選手がいるとは思っていないだろう石岩は、のそのそとチームメイトたちに近付いて何か話し掛けている。
しかし、いくら危険な相手だからと言って遠くから観察を続けるようでは試合にならない。
「行くぞ!」響くホイッスルに、神童は仲間たちを伴い走り出した。
雪村がドリブルで雷門陣内に走り込んでくる。
その隣を、先程までの気怠げな様子はどこへいったのか、体型にそぐわない素早さで石岩が足音荒く追い抜いた。
「雪村、寄越せェ!!」
「ッ分かってるよ!!」
一瞬顔をしかめた雪村が、大きくボールを蹴り上げる。
氷を蹴り中空へ跳び出し、センタリングを受け取った石岩はそのままヘディングで雷門のゴールへシュートを打った。
「そう易々とゴールさせると思うなよ──!」
膝を曲げた三国が、負けじと中空へ跳びシュートを受け止める。
よし、と仲間たちが安堵したのも束の間のことだった。
「ぐ……ッ!?」
落下途中だった石岩が、体勢を崩しそのまま三国を押しつぶすようにフィールドに落ちる。バランスを崩して背中から落下した三国は、反動で氷の上を滑りゴールポストに激突した。
「三国さん!?」がつん、と響く痛々しい音に、試合中であることも忘れた神童たちが大急ぎで走り寄っていく。
天城や車田に支えられベンチへ運ばれていく三国を、雪村たちは愕然とした様子で見つめていた。
「大丈夫ですか……!?」
「平気だ、このぐらい……っ」
葵に手渡された氷嚢で打ち付けた肩を冷やしながら、三国は眉根を寄せる。
額に滲む汗がその痛みを物語っているのが分かって、天馬は眉をひしゃげた。
「あいつ、今のは狙ったプレーだな……!」
「まさか真っ先にキーパーを狙ってくるなんて……」
迂闊だった、と依織は大きく舌打ちする。
「汚い真似をするぜよ!」抗議でもしようとしたか、石岩の元へ行こうとする錦を、水鳥が彼の髪を掴んで押しとどめた。
「いてっ! 何するがじゃ、水鳥!?」
「文句言ったって白切られるに決まってんだろ!審判も分かってないんだから……!」
顔をしかめる水鳥も、口ではそう言っているが内心は錦と同じく石岩に食って掛かりに行きたくて溜まらないのだろう。
しかし、それは出来ない。フィフスセクターの支配しているこのフィールドでは、雷門がファウルを指摘しても受け入れてもらえないのは火を見るより明らかだ。
「これが今の白恋か……」
「……っ」
低く呟いた鬼道に、吹雪は唇を噛み締める。
一考し、俯かせていた顔を上げた円堂が、三国の元へ歩み寄った。
「──三国。交代だ」
「っ大丈夫です! まだやれます!!」
ハッと三国は円堂を見上げるなり、食い気味に切り返す。しかし、依然として円堂の表情は優れない。
「……その状態では無理だ」
「でも、俺の他にゴールキーパーはいないんです……!」
悔しげに三国は氷嚢を握り締める。
円堂も伊達に長年キーパーを務めてきたわけじゃ無い。周りが見えなくなったこともあったし、自分を見失ったこともあった。
彼の悔しさはよく分かる。だからこそ、ここで止めなければならないのだ。
「そうだ。雷門のゴールキーパーはお前しかいない。これからもな」
「だったら……!」
「ホーリーロード優勝まで、まだまだ戦いが続く。そのゴールを守るためにも、今は無理をするな」
三国はハタと口を噤む。
確かにこの体では、次のシュートを止められる確証はない。よしんば止められたとしても、後々残ったダメージが1日2日で回復するとは限らないし、下手をすればキーパーとして復帰できなくなる可能性も有り得るのだ。
三国はゆっくりと詰めていた息を吐き出す。悔しさは収まらない。しかし、頭は十分に冷えた。退き際を間違えてはならない。
「分かったな?」
「──はい」
一転し、落ち着いた様子で頷いた三国に、円堂は内心ほっとする。
それをおくびにも出さず、彼はやりとりを見守っていた天馬を振り返った。
「天馬。キーパーのユニフォームを着ろ。キーパー経験者はお前だけだ」
「!! はい……!」
ごくりと唾を飲み込み、天馬は力強く頷く。
茜から差し出されたのは、アウェイカラーのキーパーユニフォーム。腕にそれを抱えた天馬に、DF陣は顔を見合わせ頷き合った。
「天馬ならやれる! 頑張れ!」
「俺たちも全力で守るからな!」
天馬はチラリと三国を窺う。
頼んだ。──短く、しかしハッキリとした口調で告げられた言葉に、天馬は表情を引き締めた。
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:
「オーケー、良くやった」
キーパーのユニフォームに着替えた天馬を尻目に、白咲はニヤニヤとした笑みを貼り付け自陣に戻ってきた石岩の背を叩く。
それが聞こえた白恋イレブンは、信じられない気持ちで白咲を振り返った。
「何が良いもんか。さっきのは避けられたはずだぞ!?」
噛み付いてきた雪村に、石岩は煩わしそうに目を細める。寄ってきた羽虫を払うような表情だった。
「命令だ……潰せってな」
「何──!?」
愕然として、雪村は白咲を見る。
白咲は悪びれもなく、肩を竦めるだけだ。あたかもこれが、当たり前と言うように。
「フィフスセクターのサッカーをやると言うことは、こう言うことだ」
「……!!」
思わず言葉を失う。元から、フィフスセクターから派遣された白咲や石岩のことはいけ好かなかった。
だが、それでも選手としての実力はあったし、サッカープレイヤーとしての誇りも持ち合わせていると信じていたのに。
「フィフスセクターは、こんなことまでやらせるのか……!」
テクニカルエリアに憎々しげな視線をやるも、監督である熊崎は満足そうな顔でベンチにふんぞり返っている。
もう、進むしか無いのか。どうすることも出来ず、雪村は憤りを発散できないまま雷門イレブンを睨み付けた。
「ゴールラインを割らせるなよ。気持ちで負けるな!!」
「はいっ!!」
円堂の応援とも言える指示に、雷門イレブンは大きく返す。
天馬はキーパーの経験があると言えど、完全に初心者だ。ノーマルシュートならともかく、必殺技を使われれば勝ち目は無いに等しい。
「大丈夫……何とかなるさ。──行きます!」
守ってくれる仲間たちの為にも、志半ばで控えに戻った三国の為にも、失敗は出来ない。ばちん、と両頬を叩いて声を掛けた天馬は、ゴールから大きくボールを蹴り上げた。
「雷門のゴールは俺たちが守る!!」
「ふざけんな!! ぶっ倒してやる!!」
熊のように突進してくる石岩に対し、霧野や三国に代わりフィールド入りした車田が筆頭に、DF陣は果敢に立ち向かっていく。
ボールを奪われても、何度でも食い下がり進行を阻む。そんな中で打たれたシュートに威力は無く、天馬でも何とか止めることが出来た。
「守り切るんだ──絶対に!!」
転び躓き、身を呈して必死に守りに徹する雷門イレブンはボロボロになっていく。
「うわっ!」崩れた体勢でどうにかボールをクリアして信助に、石岩は隠すこと無くわざとらしく噴き出した。
「ダセぇ奴らだ……がっはははは!!」
「笑うな!!」
ピシャリと叩き付けるように諫められ、石岩はピタリと笑うのを止めて振り返る。
制したのは雪村だった。雪村はゴールに正面から向き合いながら、横目で石岩を睨んだ。
「そのダサい奴らから、俺たちはゴールを奪えないんだぞ」
「何だとぉ……!?」
食ってかかろうとした石岩は、刺さるような視線を八方から感じて足を止まる。
白恋イレブンが、皆一様に自分を睨み付けている。シードである自分を──味方である自分を、敵を見るような目で。
「(今だ──!!)」
白恋イレブンのプレーに乱れが出たのを感じた神童が、行動に出た。
零れたボールを奪い、腕を薙ぐ。指先で描かれた光の筋が、フィールドを駆け抜けていく。軌跡を辿り、ボールを前線へ繋いでいく。
「行け、錦!」
「おう! このチャンス逃さんぜよ!!」
大きく頷いた錦は、イタリアで編み出したドリブル技──アクロバットキープで、白恋のDFを切り抜けた。ボールが跳ね、パスが渡る。受け取ったのは依織だ。
「かましてやれ、鷹栖!!」後方から聞こえてきた倉間の声に、依織は加速する。
「行かせるか!!」
と、彼女の進行方向へ雷門陣内から舞い戻ってきた雪村が飛び出してきた。
流石フィフスセクターが目を付けるだけの身体能力の持ち主だ。内心舌を巻きつつ、依織は足を止めない。
「(負けられないんだ、こんなところで……! あの人を見返すためにも!!)」
目は口ほどに物を語る。依織は見た。雪村が、自分と相対しながらも、吹雪の方を睨むのを。
──気に入らない。瞬間、彼女に中に生まれたのは、沸き立つような怒りだ。
「──さっきからどこ見てんだよ。あんたたちが今戦ってんのは……雷門イレブンだろうがッ!!」
ぶわ、と雪村は総毛立つのを感じた。雪村だけでは無い。他の白恋イレブンも、仲間である雷門イレブンでさえ──彼女から膨れあがった力の波に、目を見張る。
哮る依織の体から天へ昇ったのは、化身を形作る紫に輝く闘気だった。
瞬間、依織の視界は真っ白な光に包まれる。
だが、不思議なことに、目の前に雪村が──倒さなければならない敵がいることだけは分かった。
その時、依織はようやっと理解する。鬼道のもっと自分の気持ちに素直になれ、と言う助言の意味を。
フィフスセクターに襲われた時、依織は漠然と自分たちが相手にしている組織の大きさを改めて思い知らされた。
人を傷付けることを厭わず、警察すらその一部を取り込まれていると噂されるような強大な組織に、無意識の内に畏怖していたのだ。
そして、革命と言う大きな責務で自分を鼓舞することに必死になって、本当にやりたいことを忘れていた。
鬼道や神童たちが言うような、過去の輝きや未来への影響に対する言葉なんて、ただの建前だ。
ただ、自分が自由にサッカーをやりたいだけ。誰からも抑止されずに、戦えるようになりたかっただけ。──今も昔も、それだけの為に戦っている。
「(後からぶっ倒れても良い──今出せる力の全部、絞り出す!! 最後の一滴まで!!)」
光の中に、大きな影が揺らめいた。
力強く、優しい輪郭をしたその影に、依織は手を伸ばして──掴み取る。
「うわっ──!!」
波打つ力の波紋に巻き起こった風は、ゴールまで届いた。
咄嗟に顔を覆った天馬は、そっと指の隙間からフィールドを見て──大きく目を見開く。
煌めく光を身に纏うように現れたのは、氷で覆われた白い空間で一際異彩の輝きを放つ姿。
宙を舞う微細な氷の粒を光のベールのように纏い、女神と呼ぶに相応しい柔らかな相貌をした──煌びやかな化身だった。
「あれが、依織の化身……?」
「──きれい」
短く呟いて、茜がシャッターを切る。
フレームの中で、依織が化身に手を伸ばした。
具現化された力は、依織に向かって微笑む。もう大丈夫だと言うように。
「──《星女神 アストライア》」
無意識の内に口にした名前に、化身が頷くのが分かる。
伸ばした指先を握り締めた依織は、髪を翻し雪村に向き直った。
「っ!!」
予想もしていなかった出来事に放心していた雪村の横を、依織は容赦なく抜き去って行く。
振り向いた頃には、依織は既にゴール前に飛び出していた。
「──アステリスフィア!!」
アストライアの翳した掌から、いくつもの光球が現れ、依織の周りを旋回する。
光の玉はシュートと共に、流星群のように白恋のゴールへ降り注いだ。
「ぐぁ──!?」
アステリスフィアがクリスタルバリアを打ち砕く。
氷の欠片と光を散らして白恋のゴールネットに突き刺さったシュートに、一拍空けて観客席が沸き立った。
「よっ……し!! よくやった鷹栖!!」
「ちゅーか、ホントに化身出しちゃうとかビビった〜……」
「ども、いた、ちょ、倉間せんぱっ、いてえ!」
自分より背の低い倉間に頭を掻き混ぜられ、依織は断続的に抗議する。
やったな、と驚きながらも微笑んだ神童に、彼女は倉間を押しのけながらグッと親指を突き立てた。
「これが……雷門なのか……」
ボロボロになっても、限界を超えても、ボールを追い掛ける。どんな状況になっても、勝利を諦めない。
雪村は、もう一度吹雪の方を見た。目のあった恩師は、優しい表情で自分を見つめ返してくる。──昔と、同じように。
「(俺は、あんたに勝つためにフィフスセクターのサッカーを選んだ。でも、間違ってたんだな……)」
3対2になったスコアボードを見上げて、雪村は大きく息を吸い込んだ。
そして、仲間たちを振り返る。もう、迷う必要もなくなった。だとすれば、やることはひとつしか無い。
「行くぞ……絶対逆転してやる!!」
「──おう!!」
高らかにホイッスルが響き渡る。
白恋イレブンは後半開始直後とは変わり一丸となって雷門陣内へ攻め込んできた。
ただ、その中に石岩の姿はない。いくら石岩がパスを強請っても、ボールは彼の元へ届かない。彼らが敢えて石岩を無視していることに気が付いた白咲は、焦りの表情を浮かべながらゴール前で叫ぶ。
「っお前たち、石岩にボールを回せ! 言うことを聞くんだ!!」
「無駄だよ」
静かに返したのは、DFラインの中枢を担う真狩だ。
顔の下半分を隠した真狩は、瞠目する白咲を前髪の隙間から僅かに見える目で鋭く射貫く。
「もう誰も、フィフスセクターには従わない……!」
「ぐ……」
ここに来ての反乱に、白咲は思考を鈍らせる。
──何故。どうしてこうなった。
奥歯を噛み締めている間にも、時間は進んでいる。試合終了まで、残り2分を切った。
「今度こそゴールを奪う!!」
木瀧からボールを受け取った雪村は、雷門のDFラインを突破してゴール前に飛び出した。
ゴールとの間を隔てるのは、最早天馬1人。その瞬間、吹雪は思わず立ち上がっていた。
「ッ頑張れ、雪村!!」
「──!」
誰が応援してくれたのか──そんなことは、見なくても分かる。
ずっと先を歩いていた彼が、やっとこちらを向いてくれた気がした。
「来い、《豪雪のサイア》!! ──アイシクルロード!!」
「やらせねぇよ!!」
咄嗟に、寸でのところでゴール前に戻ってきた狩屋がハンターズネットを繰り出す。
光の網を突き破り接近してくる氷槍のシュートに、天馬は腕を伸ばした。狩屋のお陰で、威力が幾分かダウンしている今なら──あの時と同じように、止められるかもしれない。
「何とか、するんだ!!」
叫んだ天馬の体から闘気が沸き上がり、雄叫びを上げながら魔神ペガサスが姿を現す。
迫るシュートに、天馬は足を振り抜いた。ぎり、と拮抗した力が音を立ててぶつかる。
そして──
「だあああああッ!!」
一際大きな音を響かせ、ボールが高く弾かれた。
放物線を描いたボールが、ライン外へ落ちていく。
テン──とボールが弾んだのは、フィールドの外。その瞬間、ホイッスルと割れるような歓声が、スタジアムを包み込んだ。
「や、った……! 守り切ったー!!」
「やったね、すごいよ天馬ー!!」
腕を突き上げた天馬に、信助や輝が飛びついていく。
肩で息をしながら、雪村はその様子を眺めた。まさか、化身で蹴り返すなんて思っていなかったのだ。悔しいとは思う。けれど不思議と清々しい気持ちで一杯だった。
「これで──また、前に進める」
ふらり、依織の体が後ろへ傾く。
充分な体力を付けたと思っていたが、まだ少しだけ足りなかったらしい。予測していた衝撃に目を瞑った次の瞬間、背中と肩を誰かに支えられた。
「! 神童先輩、剣城……」
「──お前も、良くやった。鷹栖」
肩を支えたのは神童だった。反対側で、剣城が無言で背中を支えてくれている。
力の入らない指先を見つめて、依織は深呼吸した。──大丈夫。アストライアは、確かにあの時依織の心に語りかけてきたように思える。
大事なことを、忘れないように。仲間がいれば大丈夫。輝く星の化身は、依織にそれを思い出させてくれたのだ。
「さぁ、行こう」
両者揃って、整列する。一礼して顔を上げた白恋イレブンは、約2名を除き晴れやかな表情をしていた。
「雪村──」
「吹雪先輩。……これが、あなたの言っていたサッカーなんですね」
フィールドを出て声を掛けてきた吹雪に、雪村は久しぶりに純粋な笑みを浮かべる。
「久しぶりに先輩って呼ばれたな」微笑んだ吹雪は、教え子に向かって手を差し出す。雪村は数度瞬きを繰り返した後、ほんの少しだけ目尻に浮かんだ涙を拭い、固く握手を交わした。
「サッカー、またやろうな。雪村 」
「はいっ!」