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最低限の照明が灯る薄暗い室内に、大きなホロビジョンが映し出されている。
そこにあるのは、ホーリーロード本戦のトーナメント表だ。数ある線を視線で辿り、目に入った学校名に──彼、イシドは薄らとした笑みを浮かべた。

「失礼します」

両開きの扉を潜り、硬いヒールの音を響かせて鷹が謁見室に入ってくる。
顔をそちらに向けたイシドへ、彼女は小腰を折ながら告げた。

「聖帝、お客様がお見えになられました」
「通せ」

鷹が数歩脇へ下がると、それに続くようにすらりとした人影が謁見室に足を踏み入れる。

下ろし立てであろう涼しげなスーツ。女性の様に整った面差し。絹糸のように滑らかな金髪は肩の辺りで1つに結われ、毛先だけ違う色に染められている。
ただ変わらない、ルビーのように真っ赤に輝く双眸に、イシドの唇は緩やかに弧を描いた。

「──久しぶりだな」




同日、午後3時半。
雷門サッカー部はいつものように、次の試合に向けて練習を重ねていた。

「はぁ……じゃあ行くよ、2人とも!」
「うん!」

フィールドから外れた一角。疲れた溜息を吐いた狩屋が、天馬と信助に向かってボールを蹴り上げる。

「どっか〜ん……!」
「ジャーーンプ!」

──直後に響き渡る、痛々しい音。
頭から地面に突っ込んだ2人は、痛みにもんどり打って唸り声を上げた。
「ちょっとぉ、大丈夫?」呆れ返りながらも近付く狩屋に頷きながら、起き上がった天馬は辺りに散乱するボールを横目に頭を掻く。

「やっぱり、中々上手く行かないなぁ……」

現在2人が編み出そうとしているのは、2人がかりのディフェンス技。天馬が信助を蹴り上げて、中空のボールをカットする──と言ったイメージなのだが、中々どうして思ったように事は進まない。
発案者である狩屋を巻き込んでの特訓だが、2人は狩屋が冗談のつもりでこの技の提案をしたことにはまだ気付いていなかった。

「狩屋、もう1回!!」
「はいはい……」

響く声、ボールを蹴る音。
神童はふいにフィールドを走る足を止めて、ふと微笑んだ。

「どうかしたか? 神童」
「ああ、いや……ちょっと、思い出していたんだ」

「思い出した……?」尋ねてきた霧野に緩く頭を振り、神童はピッチを見渡す。

ついこの間まで、ここは天気の良し悪しに関わらず暗い空気が充満していた。それは、彼らがいつもモヤモヤとした気持ちを抱えてボールを蹴っていたからだ。
けれど、全ては天馬が来てからガラリと変わった。衝突して、思いを吐き出して、今はみんなが革命と言うひとつの目標に向かって心がひとつになっている。

それもこれもサッカーが繋いだ縁だと思うと、嬉しく思うのだ。

「お前ら、足が止まってるドー!!」
「はいっ!」

天城の怒号に、2人は弾かれたように走り出す。

──監督が変わって約1週間が経ったが、選手たちはあれから弱音も吐かずに頑張っている。円堂の不在と言う点は未だ若干の不安があるが、雷門はまた更に良いチームへと育っていた。
選手たちの様子を眺めていた鬼道は、ふと水分補給しにベンチへ駆けてきた依織に視線を向ける。

「──依織」
「はい?」

ジャグから口を離し、葵から渡されたタオルで額から流れ落ちる汗を拭う彼女を、鬼道はじっと観察した。
別段、怪我をしている様子もなく、顔色も悪くない。しかし、長年の付き合いのせいだろうか。今日の依織はどうもいつもと様子が違って見える。

「今日は少し調子が悪そうだな。……何か気掛かりでもあるか」
「……いいえー? 私はいつでも絶好調ですよ、監督様」

タオルに半分顔を埋めて目を細めた依織は、わざとらしく肩を竦めた。
葵は鬼道の言葉を受けて、首を傾げながら彼女の横顔を窺っている。そして自分の目にも依織が不調であるとは映らなかったのか、更に首を捻った。

「葵、ありがと」
「うん」

髪を翻し、依織はそれ以上鬼道が何か言う前に踵を返しフィールドに駆け戻って行く。

「(相変わらず目聡いったら……)」

ボールを追い掛けながら、依織はそっと眉間に皺を寄せて鼻を鳴らした。
鬼道に答えた通り、今日は別に不調と言うわけではない。しかし強いて言うなら1つだけ、気掛かりなことがあった。

「(……これはまだ、言っちゃいけない)」

まだ報告はしないで、と言われた。 何故このことに限って秘密にしなければならないのかは分からないが、 それなら自分は知らぬ存ぜぬを貫くしかない。それが仕事だからだ。
頭の隅に残る疑問を追い払うように、依織はただひたすらボールを蹴ることに集中した。




「次の対戦相手が決まったわ!」

書類を片手に緊張した面持ちの春奈が部員たちに告げたのは、次の日の放課後のことだった。

「相手校は、木戸川清修よ」
「木戸川清修……!」

名前を聞いた部員たちの表情が、僅かに強張ったものになる。ただ1人を除き。

「木戸川清修って、そんなに強いとこなの……?」
「えっ!?」

首を傾げて尋ねてきた輝に、直立不動の体勢になっていた天馬と信助は大きく目を見開いて輝を凝視した。
「木戸川を知らないの!?」信じられないような顔をする2人に、輝は戸惑いながらも頷く。しかし、彼がその名前を知らないのも仕方のないことだ。何せ輝はサッカーを始めて2ヶ月の初心者なのだから。

「強いも何も、サッカーじゃ名門中の名門!」
「去年のホーリーロードじゃ決勝で雷門に勝って優勝したチームだよ!」
「ほ、ホントに!?」

サッカーの名門、イコール雷門だった輝からすれば、この情報は顔色が変わるほどの衝撃的な事実だったようだ。
そんな学校と戦うのか、と冷や汗を掻く輝に、「でもさぁ」と狩屋が欠伸を噛み殺しながら口を開く。

「勝ったって言っても、フィフスセクターの勝敗指示があったからだろ?」
「あ……」

すっかり頭から抜け落ちていたことに、輝や天馬、信助の表情から少し緊張がなくなった。
それなら、相手の力量は分からない。怯える必要はない──そう思っていた矢先、それを否定したのは三国だった。

「あの試合は違う」
「え?」
「あの時はもう、聖帝選挙の結果が既に決まっていたからな……勝敗指示は出ていなかったんだ」

ホーリーロードは時期聖帝を決めるための戦いでもある。その聖帝が早くに決まってしまえば、そこから先は勝敗指示を出して情報を操作する必要もなくなるのだ。

「それじゃあ……」
「ああ。俺たちは、本気の勝負で負けたんだ」

グローブを嵌めた手は固く握り締められていたが、三国の表情はどこか精悍で、多少の悔しさは感じられど後悔をしている様子は見られない。
しかし、負けは負け。神童はその時のことを思い出し、そっと唇を噛む。

「私も、その試合は中継で見てました」

「良い試合だった」ぽつりとその場に落とすような声音で、依織が小さく呟いた。
彼女がここで口を開いたことも、その内容も意外で、3年生と2年生は揃ってキョトンと依織を見つめる。

「うわぁ、びっくりした。ちゅーか、鷹栖も素直に人のこと褒められるんだなー」
「ちょっと、どう言う意味ですかソレ」

真顔の頬を面白げに突いてきた浜野を肘で押しのけて、とにかく、と彼女は少しばかり眉間に皺を寄せて言った。

「その力量もあって、木戸川はフィフスに殆ど侵略されてるような学校です。今年も多分、一筋縄では行きませんよ」
「う……」

不安がぶり返したのか、顔色をまた悪くした輝に釣られて今度は狩屋の顔も苦々しいものになる。
でも、と重々しい空気の中で言葉を発したのは、それまで黙っていた2年生──青山と一乃だった。

「今年は案外、楽勝かもしれませんよ」
「え?」

思わぬ言葉に、選手たちやマネージャー、そして鬼道と春奈の視線もそちらへ向く。
2人は顔を見合わせると、怖ず怖ずと口火を切った。

「──ちょっと、調べてみたんですけど……今の木戸川清修は、革命派とフィフスセクター派、2つの派閥に別れているそうなんです」
「はばつ……?」

天馬と信助が顔を見合わせ、首を傾げる。

雷門に乗じ革命に参加するか、それともこのままフィフスセクターの指示に従い続け安定した将来を手に入れるか。
綺麗に分かれた相容れない思想を持つ選手たちは、ここ最近はずっとギスギスしているそうだ。

「つまり、仲間割れってことか……」

そんなチームが出来てしまうことも、想定の範囲内ではあった。しかし、それがよもや次に戦うチームに起きていたとは思ってもみなかったのだろう。三国や神童は神妙な顔つきになる。

「ま、いずれにせよこれで次の試合は楽勝だド!」
「いくら木戸川でも、そんなバラバラのチームじゃ勝てっこないからね〜」

肩の荷が下りたのか、天城や浜野は2人の情報に満足したらしく先程から一転リラックスした様子で言った。
けれど、ホーリーロード本戦を進んできて、ここに来て美味しい話が簡単に舞い込んでくる筈もなく。

「……そう上手く行きますかね」

低く呟いた剣城に、「どう言う事だ?」と神童たちは眉を顰めた。剣城の表情はいつものように鋭い。それに答えたのは、彼ではなく鬼道だ。

「──先程依織が、……鷹栖が言った通り、木戸川清修はフィフスセクターの力が特に強く働いている学校だ」

傍らの依織の肩を叩きながら、鬼道は一歩選手たちへ歩み寄る。
その様子は、雷門の監督としてだけではなく、レジスタンスとしての風格も孕んでいた。

「その木戸川清修に、俺たちが勝つような事があれば……」
「! 革命が一気に勢いづく……!?」
「奴らがこのまま放っておく訳がないと言うことですね……」

はたとその事実に気付いた三国や神童を皮切りに、雷門イレブンは一気にざわつき始める。
これまでフィフスセクターの息が掛かった学校と戦ったことは何度もあった。だが、今回は今までとは格が違う。相手は昨年本気の雷門を下したチームなのだ。

「レジスタンスも、恐らくこれまで以上に活動がし難くなるだろう。頼んだぞ、依織」
「……はい」

依織の肩を掴む鬼道の手にも、自ずと力が入る。
自分の手を軽くそこに添えながら、依織はどこか固い表情で頷いた。




時を同じくして、場所は変わり木戸川清修。
サッカー部の部室は、痛いほど張り詰めた空気が充満していた。

「何が革命だ、下らない」

雷門の試合を映し出したテレビの画面に、FWの2年生──滝総介が冷たく言い放つ。
「下らない……!?」テレビに集中していた滝快彦は、兄のその言い草に表情を歪めて振り向いた。

「ああ、下らないね。そんなことして何になる」

フィフスセクターの思想に傾倒する兄と、仲間たち。今の木戸川は昔と違い、2つの派閥に別れてしまっている。
快彦は同じようにサッカーをして来た兄を、信じられないような目で見上げた。

「言われた通りやってれば、俺たちはプロリーグのユースに行ける。中学サッカーなんて、所詮はそれまでの繋ぎだろ」
「ッだからって、兄さんは雷門のサッカーを見て何も思わないのかよ! 本気のサッカーをしたいって思わないのかよ!?」

滝兄弟が1日に何度も衝突することは、今となってはそこまで珍しいことではない。
だが、昔はもっと下らない理由で、一緒にサッカーをすればすぐに言い争ったことも忘れるような小さな喧嘩だった。
それなのに、今は。キャプテンである貴志部は、革命側とフィフスセクター側──どっちつかずの状況で、1人兄弟の争いを見守ることしか出来ない状況が、酷く歯痒い。

「だったら本当のことを言ってやる」

その間にも、総介と快彦の言い争いは段々とエスカレートしていく。

「結局お前は僻んでるんだよ。実力がなくてレギュラーになれないのを、フィフスセクターのせいにしてな!」
「ッ言ったな!!」

目を溢れんばかりに見開いた快彦が、ついに総介に掴み掛かった。
兄の半分しかない小さな体は勢い余って、総介をその場に音荒く押し倒してしまう。

「もっかい言ってみろ!! おれが何だって!?」
「そ、総介!」
「落ち着け、2人とも!」

とうとう掴み合いにまで発展した喧嘩に、これ以上はいけないと仲間たちが止めに入る。部内の流血沙汰で試合出場停止などと言うことになれば、それこそ笑えない。
お互いを罵り合う兄弟を宥めながら、貴志部はこの状況に頭痛を覚えた。




「はぁ……」

その日の帰り道。貴志部は帰路に着きながら、本日何度目かも分からない疲れた溜息を吐いた。

「(総介だって、あんなことを言っていても……サッカーを愛する気持ちは同じなのに)」

キャプテンである貴志部は知っている。総介が毎日、黙々と自分のスパイクを大事そうに磨いていることを。快彦が、そんな兄の背中を寂しそうに時折見ていることも。
根本はみんな同じなのだ。ただ、サッカーがしたい。そこに辿り着くのに、安全圏から事を見送るか、未来の後輩たちの為にも革命を成功させるのか──その過程が、今の木戸川の心を分断してしまっている。

革命を始めた雷門が悪いとは言わない。貴志部だって、言ってしまえばどちらかと言うと心はそちら側に傾いている方だ。
しかし、キャプテンの自分がその意見を言ってしまえば、チームに更に亀裂が入ることは目に見えている。

「どうすれば良いんだ……」

板挟みの状況に苦しんで、もう何週間経っただろう。キリキリと痛む胃に腹部を押さえそうになりながら、彼がぽつねんと呟いた時だった。

「──ねぇ、君。道を聞きたいのだけど……木戸川清修って、こっちで合っているかな?」

絹のような金髪を風に揺らして、まるで今し方そらから現れたような唐突さで──1人の人影が目の前に現れたのは。