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練習を重ね、新しい必殺タクティクスの特訓も積んだ日々は矢のように過ぎ去り、いよいよ木戸川清修との試合の日がやってきた。

「いよいよ木戸川との一戦か……!」
「去年の雪辱、晴らしてやるド!」
「……」

ホーリーライナーに乗り込みながら、刻々と迫る試合に意気込む三国や天城に対し、前回の試合でレギュラーから外されている車田はやや緊張した面持ちを崩さない。
そんな先輩たちの様子には気付かず、天馬や信助は柔らかな座席に腰掛けながら胸を躍らせている。

「今度はどんなスタジアムなのかなぁ。待ち遠しいね!」
「うん!」

初めこそ戸惑ったロシアンルーレットスタジアムのシステムだが、今となってはもう慣れたものでどんな仕掛けが用意されているのか予想するのが楽しみになりつつある。仲間たちとそのフィールドをどう攻略するか知恵を巡らせ、勝利を掴み取る。入部当初は考えもしていないことだった。

「──どけよ!」

その時、車外から苛立ったような声が聞こえてくる。
驚いてそちらに視線を向けると、丁度ガラスで隔てた向こう側から、木戸川イレブンがホーリーライナーに乗り込んでくるところだった。

「……貴志部」

静かな面差しでやって来た木戸川キャプテンの貴志部に、神童が殆ど唇を動かさずに呟く。
目の合った貴志部の表情は動かず、寧ろ精悍としているように見える。神童はその違和感に怪訝に眉を顰めた。

「(何だ、あの顔は……迷いどころか、この一戦に懸ける強い思いを感じる)」

向かい合って席に着き、しばし雷門イレブンと木戸川イレブンはそのまま睨み合うような形になる。
沈黙が降りる中、それを破ったのは意外なことに鬼道だった。

「アフロディ……!?」
「え?」

思わず座席から腰を浮かせ、鬼道はホーリーライナーに乗り込んできた人物の名前を口走っていた。

絹のような金髪、真紅の瞳。中性的な容貌は何ひとつ変わらず美しく、ただ昔よりもスラリと伸びた手足に彼もまた大人へ成長したのだと思い知らされる。

しかし、驚く鬼道に困惑するのが天馬たちだ。日本人らしからぬ名前にアフロディと鬼道を見比べる彼らに、兄と同じく驚いていた春奈が動揺しながらも答えた。

「雷門中と戦ったこともある、最高のプレイヤーよ……!」
「えっ!?」

改めて天馬はアフロディを注視する。
女性と見紛うような容姿は、とてもじゃないが最高のプレイヤーと言う称号には結びつかない。

「──韓国の選手だからな、照美さんは。日本じゃそこまで知られてないんだ」
「韓国の……」

へぇ、と納得しながらも、天馬は「ん?」と首を捻った。
振り向くと、それを教えた依織は珍しく真剣な顔で座席に着いたアフロディを見つめている。

「依織……お前、知っていたなら何故」
「このことは話しちゃいけないって言われてたんです」

やや咎めるような小さな声で鬼道に問われた依織は、軽く頭を振った。

「この試合はフェアであるべきだ、って」
「……フェアに、か」

アフロディがあの場にいると言うことは、やはり彼が木戸川清修の監督に就任したのだろう。恐らくフィフスセクターは、彼が雷門に縁があることを利用したのだ。
相手はアジアリーグで活躍する選手だ。元より強豪である木戸川が相手であることも相俟って、超えるべき壁が更に高くなったと言うべきか。

それでも不可解なのは、依織がこの試合をフェアに≠キる為に情報を寄越さなかったことだ。
フィフスセクターに従っている以上、アフロディもまた今のサッカー界のシステムに賛同していると考えられる。それなら、この試合の会場となる仕掛けもその攻略法も知らされている筈だ。それがフェアであるわけがない。

「(あいつもそれは十分理解している筈なのに)」

今頃フィフスセクター本部でくしゃみをしているだろう密偵の考えが分からず、鬼道は深く席に座り直す。
ホーリーライナーが試合会場に辿り着いたのは、それから20分後のことだった。




ホームへ降り立ち、両チームの選手たちはスタジアムへ入る。
準備を済ませ、整列してフィールド入りすると、彼らの目の前には信じられないような光景が広がっていた。

「えーーーーっ!?」
「これが、今度のスタジアム……!!」

現れたのは、湖の上に分厚い木の板を繋げて設置した──1度ボールを落としてしまえば泳いで行かない限り2度と戻ってこないような、水上のフィールド。
おかしな仕組みのフィールドに慣れたとは言え、こうしていきなり度肝を抜くような景色を見てしまうと驚かざるを得ない。

「──行こう」
「……行くぞ」

両チームの監督は数瞬沈黙した後、静かに選手たちを伴い歩き出した。




継ぎ目を沢山の金具で固定された足場を踏みつけ、スパイクの感触を確かめる。
多少の揺れは感じるが、スパイクの裏が金具に引っ掛かるようなことはなさそうだ。

「思ったより足場はしっかりしてるド」
「氷に比べりゃ楽勝ッスね!」

巨漢の天城が飛び跳ねても揺れない足場に、ボールを転がしながら浜野が鼻を鳴らす。
ウォーターワールドスタジアム。そう名付けられたスタジアムをぐるりと見渡して、鬼道は眉間に皺を刻む。ここにどんな仕掛けが施されているのか分からないが、初手は慎重に行くのが妥当だろう。

「──先発メンバーを発表する」

その言葉に、それまで散らばってアップをしていた選手たちが一斉にベンチに駆け寄ってきた。
全員が集まったのを確認したところで、鬼道はクリップボードに挟んだ書類を確認しながら口を開く。

「FW、剣城、倉間、鷹栖」
「はい」

真ん中に立った倉間が拳を持ち上げる。2人はそれに倣い、自分の拳をそこへ軽くぶつけた。

「MF、神童、錦、松風」

神童と天馬は顔を見合わせて大きく頷く。任せるぜよ、と錦が胸を叩いた。

「DF、西園、狩屋、車田、霧野。キーパー三国」

「以上だ」淡々と先発メンバーを発表して、鬼道はベンチに戻って行く。
それぞれが決意を改め、フィールドへ入る。選ばれなかったメンバーはやや意気消沈してベンチへと向かう。
その中で、初めてレギュラーから外された天城は信じられないような面持ちで棒立ちしていた。

「外された……外されたド…………」

──逆に、フィールド入りを許された車田は落ち込む天城の背中を一瞥して臍を噛む。
雷門イレブンにも部員が増えた。3年生だからと言って、必ずしも試合に出して貰えるとは限らない。それを身をもって知っているからこそ、彼は天城に何も言えない。

様々な思いが交錯する中、とうとう雷門対木戸川の試合が開始される。

「行くぜよ!」
「お前らなんかに負けるかよ……! 神童ぉ!!」

錦のキックオフから始まり、倉間、神童、そして天馬へと、雷門はボールを繋ぎ木戸川陣内へと突撃した。
だが天馬が木戸川陣内へと足を踏み入れるなり、向かってきた跳沢が彼の足元からボールを浚っていく。

「天馬のドリブルからボールを奪うなんて……! やっぱりすごいや!」

信助が感嘆の声を上げたが、それでも崩壊寸前のバラバラのチームだ。巻き返すことなど容易い──そう思っていたのだが。

「和泉!」

分け隔て無く、木戸川イレブンはパスを回し合いボールをキープし続ける。中盤を突破されてしまったところで、神童は思いも寄らなかった状況に瞠目した。

「どう言うことだ……! 仲間割れをしていたんじゃなかったのか!?」
「ああ──してたさ」

後ろから神童を追い掛けてくる形で走ってきた貴志部が、その疑問に淡々と答えた。走り続ける彼の目に迷いはない。これが本当に仲間割れをしていたチームのキャプテンなのか──神童は信じられない気持ちで彼を振り向く。

「けど今は違う。今の俺たちはフィフスセクターの為でも、革命の為でもない……俺たち自身の為に戦ってるんだ!!」
「……!」

神童の目と鼻の先で、貴志部は和泉から渡ってきたボールを更に前方へと打ち上げる。
ともすれば去年以上にしっかりと回っているチームに、アフロディはフィールドを見つめながらつい先日までのことを思い出していた。

アフロディが木戸川の監督に任命されたのは、雷門が白恋を下したその次の日のこと。
自国での仕事を粗方済ませた彼はそれから数日後、数年ぶりに日本へ降り立ち木戸川の監督になった。

しかし木戸川イレブンは、チーム内で対立し合い正に崩壊寸前の状態だった。
フィフスセクターに従うか、革命の波に乗るか。どちらにせよこのままでは、みんな愛するサッカーに潰されてしまうと確信したアフロディは考えたのだ──彼らを助けたいと。

木戸川は雷門が動揺から動きが鈍ったのを良いことに、パスを繋いで雷門陣内を突破していく。
信助と狩屋、2人のDFの隙をかいくぐった総介は完全フリーの状態で三国の待ち構えるゴール前へと飛び出した。

「もらったぜ──!!」

取った。そう確信したのだろう、総介は足を振り上げて、ニヤリと笑う。
だが、彼のシュートはゴールを貫くことも、それどころかゴールに向かって放たれることも叶わなかった。

「何ッ!?」

突如フィールドが軽く振動し、次の瞬間彼の目の前に大きな水しぶきが打ち上がる。
打ち上がった水は小雨のように降り注ぎ、反射で目を瞑ってしまった総介は、目を開けて視界に入った光景に愕然とした。

「何だ、こりゃあ……!?」

──目の前にあった筈の地面がなくなっている。
そこにあったのは、フィールドの周りを囲んでいた筈の水だった。
単にそこに水が溜まっていると言うわけではない。ゴールのある部分を切り離したように、そこだけフィールドの板が湖の中に沈んでいたのである。

振動で湖に転がり落ちたボールは、ぷかぷかとのんきに流れていく。
それを呆然と見送る彼らの耳に、実況の大きな声が入ってきた。

『えー……ウォーターワールドスタジアムには一定時間、縦と横にフィールドが落ちるピッチダウンの仕掛けが組み込まれています!』

落ちる場所、時間は全てランダム。つまり予測は不可能だと言う。
ガコン、と水の中で音がして、湖に沈んでいたフィールドの一部が元に戻ってきた。

「こんな仕掛けがあるなんて……!」
「ああ……」

雷門と同じく、木戸川の選手も驚いたように濡れそぼったフィールドを見つめている。
それに気付いた鬼道は、ちらりとアフロディの──目を僅かに見開いた彼の横顔を窺った。

「(木戸川もこの仕掛けを知らされていなかった……?)」

──この試合はフェアであるべきだ。
依織から伝えられた言葉が、ふいに脳内に蘇る。
木戸川イレブンもアフロディも、今まで試合をしてきたチームとは違いこのフィールドの仕掛けも攻略法も、何の前情報も与えられないまま戦いに臨んだ。これまでの雷門と同じように。

何故アフロディがそうしたのかは分からない。だが、フェアに──そう伝えられた理由は理解できた。

雷門と木戸川は、この試合を同じ条件下で戦う。
鬼道が何かしら対策を練る機会を与えないため、アフロディが監督になったことは伝えずに、対等に、正しい形で、かつてのサッカーがそうであったように。

「全く……中々粋なことをしてくれる」

それがアフロディに向けた言葉なのか、それとも密偵へ向けた言葉なのかは彼自身も分からない。
しかしそれでも、鬼道はそう呟かざるを得なかった。

「ピッチダウン……まずはあれをどう攻略するかだな」

一方で、アフロディもまた思わぬ仕掛けの施されたフィールドに顎を摘まみ思案していた。彼は鬼道と敵対した時期も仲間であった時期もあるが、鬼道の監督としての手腕は全く知らないと言っても過言ではない。
イシドからこのフィールドのことを聞かなかったのは、雷門と同じ条件で戦いたいと願った彼の意思だ。だがここまで大がかりな仕掛けがあるとなると、先に大事になるのは選手個人の能力よりも監督の采配だろう。

新しいボールがフィールドに入り、雷門ボールで試合が再開される。前半は変わらず0対0のままだ。

「勝負だ!」

霧野から神童へパスが回り、水の乾かないフィールドを蹴り貴志部が立ち向かってくる。
それを素早くプレストターンで躱した神童は瞬時に天馬へパスを回すも、その瞬間タイミングを見計らったようにピッチダウンが発動した。

「うわわわわわわわ!」

バランスを崩し寸でのところでフィールドから落ちそうになった天馬の足元から、ボールが虚しく水の中へ落ちていく。

「(駄目だ……! これじゃあ戦略が立てられない!)」

流れるボールに歯噛みして、神童はベンチの鬼道を振り仰いだ。
鬼道は真一文字に唇を引き結び、険しい表情でフィールドを見つめているままこちらに何か指示を出す様子はまだ見られない。
鬼道もこのフィールドをどう攻略するか考えあぐねているのだ。仮にピッチダウンに備えて攻めと守りの2つに分けて距離を取ったとしても、一気に攻められた時、人数が足りず守り切れることが出来ない。

「(一筋縄ではいかないとは分かっていたが、ここまでとはな)」

一抹の楽しさのようなものを覚えながら、鬼道は考えを巡らせる。それはアフロディにも言えることで、彼もまた鋭い目でフィールドを観察しつつゆったりと口角を上げている。
監督2人がどう采配を振るか考えている間にも試合は進んでいる。跳沢へと渡ったボールを剣城がスライディングでクリアしたところで、アフロディが思い立ったように口を開いた。

「──貴志部!」
「!」

短く名前を呼ばれた貴志部がアフロディの元へ駆け寄っていく。
それを横目で見ながら、鬼道は貴志部へ何か指示を伝えるアフロディに目を細めた。

「(攻略法を見つけたと言うのか……)」

アフロディと二言三言交わした貴志部が、フィールドへ戻って行く。
木戸川のスローインで試合再開される。振り上げられるボールに、アフロディは艶やかに微笑んだ。

「(何をするつもりだ……?)」

貴志部、跳沢、和泉が目配せを交わすのが分かって、神童は身構えながら周囲の様子に気を配った。
アフロディが何か貴志部に指示をしたのは分かっている。それなら、ボールが渡った瞬間木戸川は何か仕掛けてくるはずだ。

そしてボールがフィールドへと投げ入れられる。
それを受け取るなり、貴志部は仲間たちへ声を張り上げた。

「行くぞ……! 必殺タクティクス、ゴッドトライアングル=I!」

規則性のある並びで木戸川イレブンが突撃してきたその時、フィールドが僅かに軋んだ。
ピッチダウンの予兆だ。それを察した次の瞬間、貴志部たちの進路を阻むかのようにフィールドが湖に沈む。

ボールが落ちる。それを確信して来るカウンターのチャンスに身構えたのも、束の間のことだった。

「何だ……!?」

先程まで翻弄されていた筈のピッチダウンに、木戸川は臆することなく進撃をやめない。それどころか、落ちるフィールドに反応し先頭から後方へ素早くバックパスを回し、巧みにピッチダウンを避けながら攻め上がって来ている。

「……! キャプテン、あいつら攻略法見つけちまったみたいですよ!」
「そうらしいな……!」

ギョッと目を見開いた依織に続き、神童は舌打ち混じりに返し木戸川の進路を阻みに走った。
瞠目していた鬼道はしばらく木戸川イレブンのプレーを観察した後、やがて合点が言ったように呟く。

「……! そう言うことか」
「そう言うことって……?」

それまで息を詰めて試合を見守っていた春奈が、ハッとしたように顔を上げた。
それに釣られ、マネージャーや控えの選手も鬼道の方へ視線を向ける。

「ゴッドトライアングルは、三角形を1つの塊としてドリブルで上がるフォーメーションになっている──」

常にスリーマンセルで動くことで、どこでピッチダウンが起きようと対応出来る。それは瞬時の判断力と、それに対処出来る技術を持つ木戸川清修だからこそ可能な必殺タクティクスだ。
きっと元々の突破力を高める為に作られた必殺タクティクスだったのだろう。それを彼は今日この日、正にぶっつけ本番でウォーターワールドスタジアムに応用し、成功した。

「(選手の力を正確に把握しなければ作れない必殺タクティクス……。木戸川の監督になってからの短い期間に、これほどの仕事をやり遂げるとはな)」

これではますます負けていられない。
鬼道がニヤリと笑うその一方で、霧野が貴志部に抜かれ「危ない!」と葵が叫ぶ。
車田がフォローに入るも再びボールは奪われ、狩屋が向かったところをイリュージョンボールで躱されボールをこちらのものにすることが中々出来ない。

「跳べ天馬ッ!!」
「えっ、う、うん!!」

走りながら依織が叫ぶ。次の瞬間起きたピッチダウンに、天馬はあのままあそこにいたら──と体を震わせた。
こんな調子が続けば、ただでさえ雷門はこのフィールドに手をこまねいてしまっている状況なのだ。今は防戦一方になっているが、このままでは点を取られるのも時間の問題だろう。

木戸川のセンタリングで、ゴールにほど近い中空へボールが打ち上がった。
太陽の光に目を細めながらも、歯を食い縛った信助がその場から思い切り跳び上がる。

「渡すもんかーーーーッ!!」

不幸なことに、彼がジャンプするのと次のピッチダウンが発動したのは同時だった。驚いてバランスを崩した信助はボールを受け損ね、フィールドの縁ギリギリのところに着地した。
木戸川イレブンも信助のプレーに虚を突かれたか、行き場をなくしたボールはそのままライン外へと転がっていく。

「(今の動きは──)」

様子を窺いに駆け寄った天馬に苦笑いする信助に、鬼道は瞬時に頭を回転させた。
──行ける。この方法なら、彼らのチームワークと、彼女の観察眼があれば。

ベンチから徐に、堂々と立ち上がった鬼道は、フィールドの2人へ向かって声を張り上げた。

「──神童、鷹栖!」