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「ここか……」

前半戦も中頃に差し掛かった時間。観客席の一角に、白いスーツを着込んだ男性が佇んでいる。
彼はサングラスを掛けたまましばらくフィールドを見回し、ややあって雷門イレブンのベンチにその視線を止めた。




「──つまり、私に馬車馬の如く働けと」
「まぁ有り体に言えば、そうだな」

神童と共にテクニカルエリアへ呼ばれた依織は、鬼道からの指示を聞くなりこれでもかと言うほど盛大に顔を顰める。
それでも鬼道は全くそれを意にも介さず、頷きながら言葉を続けた。

「ほんの数秒、確実に木戸川よりも有利な瞬間を作る。それが出来るのは依織、お前だけだ」
「……出来るのか? 鷹栖」

尋ねる神童の声音は、心配するようにも、はたまた訝しんでいるようにも聞こえる。
依織は唇を尖らせしばらく考えた後、ゆっくりと頷いた。

「出来なくはない……です。でも、本当に一瞬ですよ」
「ああ、構わない。神童、俺からの指示は以上だ。みんなにも同じ事を伝えてくれ」
「はい」

顔を見合わせ、フィールドに戻っていく神童と依織を見送り、アフロディは表情の変わらない鬼道の横顔を一瞥する。

「(動いてくるか……?)」

鬼道からの指示が仲間全員に行き渡ったのを確認し、神童は前方で構える依織の後頭部を見た。
視線を感じたのであろう彼女は首だけ彼を振り向くと、珍しく真面目な表情で頷く。
それが合図となった。

「行くぞ──必殺タクティクス、フライングルートパス=I!」

ホイッスルが鳴り響き試合が再開された瞬間、神童は声を張り上げる。
「何をするつもりだ?」身構える木戸川イレブンの待ち構えるフィールドへ、雷門イレブンは一斉に駆け出した。

「天馬、剣城、ダッシュ!!」

貴志部はすぐ真横を駆け抜けた依織が、何か叫んだのを聞いた。振り向いたその瞬間、発動したピッチダウンの水飛沫が彼の視界を奪う。
フォーメーションが乱れ、木戸川イレブンがピッチダウンに翻弄されている間にも、雷門はジャンプを繰り返しパスを繋いでいく。

「右です倉間先輩ッ!!」
「おう!!」

まるで水没するフィールドを予知してかいくぐるかのように、するすると木戸川陣内へ駆け上がる雷門イレブンを観察したアフロディは、やがてハッと声を上げた。

「成る程……そう来たか」
「? そう来たか、って……」

首を傾げるベンチの選手たちに、アフロディはにこりと微笑んで雷門イレブンを──丁度跳び上がってパスを受け取った天馬を指さす。

「雷門はパスに合わせてジャンプするのではなく、ジャンプをした相手に合わせてパスをしているんだ」

その上、 自らが着地するよりも先に。そうやって空中でパスを繋いでいけば、ピッチダウンに邪魔されることはない──これが鬼道の考え出したウォーターワールドスタジアムの攻略法だった。
木戸川イレブンは3人一組のフォーメーションを保っているため、一定間隔でフィールドに隙間が空くせいでパスを出すコースには困らない。
極めつけは、先程から誰よりも運動量が多い依織だ。

「どうやら彼女は、フィールドのどの部分がピッチダウンするか予測出来ているみたいだね」
「えっ? でもさっき実況で、あれはランダムだから予測は不可能だって……」
「ああ。でも彼女にはそれが出来ている」

依織の視線は常にフィールドと選手を交互に向き、ボールの方は殆ど見ていない。そして彼女が名指しし、指示した選手がいたフィールドは、その僅か数秒後にピッチダウンで水没している。

「どの部分が水没するか見極め選手に伝えることで、パス回しを更に円滑にしている。……また腕を上げたようだね、依織ちゃん」

これはベンチにいては気付かない、フィールドにいる選手たちですら気付いていないことだが、ピッチダウンは発動する数秒前、フィールド同士を繋げる金具部分が僅かに隆起する。
試合が中断される直前、依織がそれを見極められるようになったことを察した鬼道は、急遽彼女をこの必殺タクティクスの要に採用したのだ。

「(その頭脳、衰えていないな。天才ゲームメーカー──鬼道有人)」

パスを繋ぎ、雷門は徐々に木戸川のゴールへと近付いていく。
「9番と10番をマークしろ!」貴志部の指示が飛び、神童と剣城の進路を木戸川イレブンが阻む。途中から必殺タクティクスに参加していた依織は、パスのルートが潰れたことに舌打ちしながらも仕方なくフィールドに降り立った。

「着地した!」
「今だッ!」

そこを狙った和泉と貴志部が左右から迫ってくる。
依織は息を整える間もなく、さっと周りを窺いその場でスパイクを数度鳴らした。

「スパークリングウルフ!!」
「! しまっ──」

狼を象る青い電流が2人の間を駆け抜けていく。
どうにかマークを突破した依織は、そのまま真っ先に視界に入った天馬へ向かってボールを打ち上げた。

「行け、天馬!」
「うんっ!」

低くもスピードのある球は、天馬の元へと飛んでいく。
けれど、そのパスが彼に渡ることはなかった。

「総介!」

前線から飛び出してきた総介が、天馬の前へ割り込んで落ちてきたボールを奪い去っていく。
「こっちだ総介!」後ろから聞こえてくる貴志部の声に、彼は顔を背けて鼻を鳴らしそのまま雷門のゴールへと駆けた。

「こんな奴ら、俺1人で十分なんだよ……!」

ニタリと口角を上げた総介が雄叫びを上げる。
哮りと共に彼の体から溢れるのは紫に輝く闘気、化身の光。それは形を成して、槍を携えた銀の鎧に身を包む馬の戦士と成る。

「うおおおッ!! 《鉄騎兵 ナイト》!!」
「なっ──」

予想していなかった事態に神童たちは思わず総介の化身を見上げて瞠目する。
鉄騎兵ナイトは装備した槍を構えると、ゴールへ向かって強力な突きを繰り出した。

「ギャロップバスターーーー!!」

激しい風を巻き起こす強力な突きは、三国が咄嗟に繰り出したフェンス・オブ・ガイアの防壁を軽々と突き崩す。
そして鳴り響く、得点のホイッスル。天馬たちは思わず落胆しながら、1対0に変わったスコアボードを見上げた。

「総介、今のは……」
「悪い悪い。でも、チャンスだったからな」

先取点を取れたことに仲間たちが喜んでいるその一方で、貴志部はやや困った顔を隠せないまま総介に声を掛ける。
しかし、当の総介はどこ吹く風で手をヒラヒラと振って、悪びれる様子が微塵もない。
いくら先取点を取ってリードしたとは言え、まだ油断は出来ない。相手だってまだ全く諦めていないのに、さっきのようなプレーが続けばきっとどこかに綻びが生じるに決まっているのだ。

「まだまだ1点、挽回していくぞ!!」
「はい!!」

──雷門の統率力は、以前にも増していると言うのに。貴志部は歯痒い気持ちを噛み殺しながら、ポジションと戻る。

しかしキャプテンである彼の心配も杞憂に終わったのか、木戸川イレブンはそこから更に勢い付き積極的に雷門陣内に攻め上がるようになってきた。

「行かせないぜよ!」

雷門もそのまま指を咥えて見ているだけと言うわけには行かない。
ゴッドトライアングルに強引に割り込んでいった錦が、何とか相手のキープが続いていたボールを奪い取る。

「錦先輩そのまま前線へ!!」
「おう!!」

遠くから聞こえてきた依織の指示に短く答え走り出した瞬間、ほんの数秒前まで立っていたフィールドがピッチダウンにより湖へと沈んでいくのが背中で分かった。
小雨のように降り注ぐ水飛沫を浴びながら、錦はドリブルで前線へと切り込んでいく。
──そこまでは良かったのだが、問題が起きた。

「んん……!?」

眉を顰め、彼は周辺を見渡す。前線にいた仲間たちには、いつの間にかマークがぴったりと張り付いている。
これではパスが回せない。だが、だからと言ってここまで来て戻ることも出来ない。

「こうなったら……」

自分がやるしかない。小さく唾を飲み込んだ錦は、そのまま自らドリブルで切り込んで行く。
しかし依織は錦がゴールを見据えたその瞬間、何故か彼が失速したように見えた。

「もらったァ!!」
「!!」

その違和感の理由に気付く間もなく、ゴール前へ舞い戻った総介が錦からボールをカットして行く。
そのまま彼は先程と同じように、周りの声に聞く耳を持たず雷門陣内深く進入した。

「させるかよ! ハンターズネットォ!!」

そう何度も抜かされては溜まらない、と総介の進路へ飛び出した狩屋の手から、光の糸が迸り彼の行く先を阻む網になる。
けれど、やった、と信助が呟いたのも束の間、次の瞬間死角から迫っていた貴志部が、スライディングで狩屋からボールを攫って行ってしまった。

「行くぞ!!」

そのまま貴志部は、和泉と跳沢を伴い前線へと駆け上がる。
ゴッドトライアングルを初めて見た時と少し似た陣形だか、やはり何かが違う。
「みんな戻れッ!!」脅威を感じた神童が鋭い声で叫んだが、それも後の祭りだった。

「トライアングル──Z!!」

次の瞬間三位一体の強烈なシュートが爆音と共に放たれ、三国の伸ばした手も届かずトライアングルZは雷門のゴールネットを突き破らん勢いで突き刺さる。
そして、追い打ちを掛けるように前半終了のホイッスルが両チームの鼓膜を揺らす。前半戦は2対0、木戸川のリードで終了と相成った。

「2点差かー……やっぱり厳しいなぁ」
「そうだな……」

溜息を吐く天馬に同調しながら、依織はようやく息を整える。
ちらりと錦の方を窺うと、いつもシャンと胸を張っている彼の後ろ姿が、今日はやけに小さくなっているように見えた。




「兄さん、何勝手なことしてんだよ!」

テクニカルエリアに戻るなり、総介は噛み付いてきた弟に煩わしそうに顔をしかめた。

「良いだろ? 点入れたんだから。──どけ!」

快彦を押しのけて、総介は控えの後輩がおっかなびっくり渡してきたジャグを半ば引ったくるように受け取る。
「監督……」それを視界の端に留めながら、貴志部はそっとアフロディに進言した。

「ん? どうしたんだい、貴志部」
「後半、総介は外した方が良くないですか……? あいつがいたら、せっかくまとまってるチームが、またバラバラに……」

あくまで総介には聞こえないよう、声は最小限に。険しい表情で告げた貴志部に、アフロディは一瞬目を細め、やがてゆっくりと頭を振る。

「いや──このままでいい」
「けど、このままでは……!」
「雷門を甘く見てはいけない」

思わず声を荒げかけた貴志部に言い聞かせるように、アフロディは言葉を続けた。
彼の目は、雷門のベンチに腰掛け神童や依織に何かを指示している鬼道へと向けられている。

「追い込まれれば追い込まれるほど、それが新たな力になり更なる成長を遂げる。……それが雷門サッカーだ」

事実、自分もそれに苦しめられた過去がある。
彼らは決して諦めない。何があろうと挫けない。1つの試合をする中で、必ず前進する。

「そしてそのサッカーは、今も彼らに受け継がれている。この試合、必ず総介の力が必要になる」
「ですが、監督……」

そう言われても、やはりすぐに納得することは出来ないのだろう。言い渋る貴志部に、アフロディは優しく微笑んだ。

「それに全員で勝ち取ってこその勝利。そして、本当の勝利を勝ち取ってこそ、君たちの進むべき道は見える」
「俺たちの、進むべき道……」

小さく反芻した彼らに、アフロディは笑顔のまま頷いてみせる。
何故フィフスセクターから派遣された彼が、ここまで自分たちのことを考えてくれているのかは分からない。だが、不思議とアフロディの言葉は信じても良いように思える。だからこそ──貴志部もまた、笑顔を取り戻して頷くことが出来た。

「──はい!」




一方の雷門イレブンのテクニカルエリアでは、木戸川のそれと比べ穏やかな時間が流れていた。

「みんな、ちゃんと水分取ってね」

顧問である春奈は率先してマネージャーの手伝いをしている。鬼道は先程何度か選手にそれぞれ意見を述べた後、フィールドのあちこちを隈無く観察し考えを巡らせている。
喉を潤し、タオルで汗を拭った依織は、先程からフィールドに胡座で座り込み俯いている錦の隣へしゃがみ込んだ。

「……ねぇ、錦先輩。何であんた、あの時シュートするのを躊躇したんですか」
「!」

責めるわけでもなく、ただ淡々と尋ねた依織に、錦は真一文字に結んでいた唇をへの字に曲げる。
「まっことすまんかった……」そして更に深く頭垂れてしまった彼に、依織は別に怒ってはいない、と付け加えた。

「ただ気になっただけですよ」
「それは……」

俯いたまま、錦はごにょごにょと語尾を濁す。
このままでは表情は愚か、目を見ることすら適わない。諦めかけたその時だった。

「……ん?」

ごつん、とスパイクにしては重々しい音に、依織は首だけそちらを振り返る。
単調に聞こえてくるその音は、よく聞くと足音だと分かる。だが、革靴を履いた鬼道やヒールの付いた靴を履いた春奈は先程からベンチに座ったままだ。

では、これは誰の足音か。
その疑問に答えるように物陰からゆっくりと現れたのは、白いスーツに身を包んだサングラスを掛けた恰幅の良い男性だった。

「誰?」
「さぁ……?」

何の遠慮もなくズカズカと雷門のテクニカルエリアに入ってきた白スーツの男に、天馬や信助は顔を見合わせ首を捻る。
他の選手やマネージャーたちも、その正体が分からず不思議そうに男性を見るばかりだ。

「あれ……もしかして…………」

ふと、眉根を寄せた依織が口を開き掛けたのを見て、男は人差し指を立てて静かに、とジェスチャーする。
そして彼は1人周囲の異変に気付かないまま落ち込んでいる錦の後ろに立つと、すっと息を吸い込んだ。

「──錦」
「! し……師匠ッ!?」

飛び上がって振り向いた錦は、男を視界に入れるなり正座の姿勢になる。
「師匠……!?」思わぬ言葉に目を丸くする選手たちを後目に、男はサングラスを外して鬼道を振り向いた。

「久しぶりだな──鬼道!」
「染岡!」
「染岡さん!?」

見知った顔に鬼道や春奈もついついベンチから立ち上がる。
染岡と言えば、現在イタリアリーグで活躍しているプロのサッカー選手だ。何よりも1番大事なのは──

「そ、染岡さんって、あの伝説の雷門イレブンの!?」
「ああ、そうよ」

頷いた染岡に、天馬と信助は目を輝かせて小さく歓声を上げる。
かつての雷門イレブンは今や世界的な有名選手になった者も多く、中でも海外に進出した選手と会えることなどそうそう無いのだ。

「お久しぶりです、染岡さん」
「よう、鷹栖。ちっと背が伸びたか?」

小さく会釈した依織に、染岡はからから笑いながらその頭を掻き混ぜる。
ルカもお前に会いたがってたぞ、と言う彼に、「私はあまり会いたくない」と依織は死んだ魚のような目になった。

「ところで染岡さん、何で日本に……?」
「ああ。ちょっと弟子の背中を押しに……な。これ、ちょっと借りるぞ」

それを聞いた錦の肩が、一瞬強張る。
染岡は足元にあったボールを拾い上げると、唐突にジャケットの内ポケットから赤い水性ペンを取り出すと、ボールの白い部分にグリグリと赤い丸を描いた。

「──よし。錦」
「!」

放り投げられたボールを、錦は反射的に受け取ってしまう。
戸惑いがちに頭上を振り仰ぐと、染岡は口角を上げてフィールドの外を指さした。

「そうだな……あの木に蹴ってみろ」

指さされたのは水中に無造作に立つ、短い木の柱。直径は20センチあるかないかと言うほどだろう。
錦はしばらくその柱を見つめた後、覚悟を決めたようにしっかりと頷いた。

「──ふんっ!」

錦の放ったシュートは、寸分の狂い無く柱にぶつかりテクニカルエリアに跳ね返ってくる。
柱の中央には、先程染岡が描いた赤い丸のインクが薄らと移っている。戻ってきたボールを受け止めて、染岡は満足げに笑った。

「──言った通りの練習はこなしたみたいだな」

嬉しそうに染岡を振り返った錦の表情には、既に憂いの色は見えない。完全に迷いを振り切った顔をしている。

「錦、お前ならもう大丈夫だ。あとお前に足りないものは……ずばりメシだ!」
「はいっ!!」

そのまま2人はその場に座り込んで、錦は染岡がわざわざ作ってきたらしいおにぎりを頬張り始めた。
──しばしその様子を静観していた仲間たちからすれば、一体何がどうしてそんな状況になったのか理解しがたい。

「えっと…………つまり、どういうことだよ」
「さぁ……?」

首を捻った倉間が言うも、神童も答えられず曖昧な笑みを浮かべることしか出来ない(すかさず茜がシャッターを切った)。

「やっぱ師匠の握り飯は最高ぜよ!」
「そーかそーか!」

「わけわかんねぇ……」思わずと言った風に呟いた水鳥の言葉を否定することは誰にも出来ない。
だが、おにぎりを口いっぱいに頬張る錦は確かに嬉しそうで、いつもの調子に戻ったのが分かる。
何かを察した鬼道は、しばらく一考した後困惑する選手たちの背中に指示を飛ばした。

「──後半はポジションを変えていくぞ!」