りん、と鈴を鳴らすような音がする。
その音に引き寄せられるように重たい瞼を開けると、墨汁を垂らしたような闇の中に、黒髪をひとつに結い上げた少女がぽつねんと佇んでいるのが見えた。
反射的に声を発しようと口唇を開けたが、不思議なことに言葉が音として出てこない。
ただ吐き出された空気に、眼前にいた少女が振り返る。彼女は髪の色と同じく黒曜石のような瞳を揺らすと、朧気ながらに言葉を発した。
『お兄ちゃんを、──』
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「──い、起きろ」
遠くから聞き慣れた声がする。
その声は段々と近付いて、体を揺さ振られる感覚に深く沈んでいた依織の意識はゆっくりと覚醒した。
「しっかりしろ、鷹栖」
「………………つる、ぎ?」
乾ききった口内が嫌に気持ちが悪くて、依織は唇を真一文字に引き結んだ。
やけに重たい頭を抱えながら、どこかに横たわっていた体を起こすと、「起きたな」と目の前に座り込んでいた剣城が少しホッとするのが分かる。
しばし間を開け、口の中が適度に潤ったのを感じながら伏せていた瞼を開けた依織は、その瞬間我が目を疑った。
「…………どこだ? ここ」
海。見渡す限り広がる海。水平線は遠く、船は見当たらない。
どうやら体が横たえられていたのは、穏やかな傾斜の野原のようだった。彼方此方には花も自生しており、天気が良ければさぞ美しい景色だっただろうことが窺える。
そんな現実逃避をしてしまうほど、この状況は異常だった。
辺りは海と野原、見るにどうやら島のようだが、自分たちは先程まで都会の高速道路を走るバスの中にいた筈だ。
否、今となってはその先程≠ェ、何分何時間前の出来事なのかも分からない。時計代わりになるものは鞄の中。彼女たちの荷物は全て、バスと共にどこぞへと消えていた。
「うっ……ここは……?」
「! 神童先輩」
混乱しながらも辺りを見回していると、丘の向こうで神童の緩やかにウェーブの掛かった頭がふらふらと起き上がるのが見える。
剣城を伴い駈け寄ってようやく、依織はその丘のあちこちに眠りこけた仲間が体を投げ出していることに気が付いた。
「大丈夫ですか?」
「ああ……どうも、罠に嵌められたようだな」
険しい表情をした神童は、早くも状況の一旦を理解したようだった。そう言えば彼は強制的な眠りにつく直前も、「嵌められた」と零していたな、とぼんやり思い出す。
「う、ううん……」
無造作に転がった大きな岩の傍で起き上がったのは天馬だった。
彼もまた不思議そうに辺りを見回して、仲間たちに気付きふらつきながら歩み寄ってくる。
「気付いたか、天馬」
「キャプテン……! どこなんですか、ここ」
「分からない」困惑しながら尋ねた天馬に、神童は首を横に振り短く答えた。
すると、先に目を覚ましていたらしい信助が、野原の先──海の方から走ってくるのが見える。
「天馬! 大丈夫だった!?」
「信助」
真っ先に心配してくる親友に笑みを零し、天馬は改めて身の回りを見回した。
自分を中心にするように集まった仲間たちの顔は、不安がるなり怪訝そうに歪められるなり様々だ。ただ、周囲の景色──野原と丘の向こうに見える森、そしてさざ波を立てる海だけが異質である。
「いつの間にか、眠っちまったらしいな」
「それどころか、爆睡ですよ」
まだ頭がはっきりしないのか、依織は前髪を掻き上げて頭をぶるぶると振った。
神童の発言や意識を失う直前の状況、そして今の体の状態を鑑みるに、あのバスに睡眠ガスか何かが仕掛けられていたのだろう。
「もしかして、ここが合宿所……?」
「でもここ、なーんにもないよ」
海の方に行ってみたけど、ただの崖っぷちしか無かった──と、海岸を指さして信助が輝の呟きに答える。
「とにかく、まずは状況の確認だ。みんな、揃ってるか?」
「みんな……」
その言葉に、一同は互いに友人が隣にいることを確認し合ってひとまず安堵の息を吐く。そんな中、はたと天馬が気付いた。
「──葵。葵たちがいません!」
「何?」
眉間に皺を寄せた神童を始め、焦りの滲んだ天馬の言葉に全員が辺り一帯をぐるりと見渡す。
しかし、どれだけ目を凝らしても、マネージャー3人と鬼道、そして春奈の姿は見当たらない。
「……恐らく、鬼道監督たちは奴らの手の中だ」
その時、1人離れた位置に立ち島の中央を見ていた剣城が、忌々しげな声音でそんなことを言った。
その視線の先には、鬱蒼とした森の中腹に聳え立つ、奇妙な形をした巨大な要塞のようなものが見える。
「何だよ、あれ……」
「特訓施設だ──フィフスセクターの」
その異様な威圧感にゾッとしながら呟いた狩屋に、剣城はその要塞を睨みながら答えた。
明らかに何か知っているような口振りの彼に視線が集中すると、剣城は塔を睨んだまま吐き捨てるように言う。
「ここは、通称ゴッドエデン=B神の楽園と言う名を持った、──地獄だ」
「知ってるの? 剣城」或いは噛み締めるように苦々しげに眉を歪める剣城に、天馬が尋ねる。剣城はちらりと一瞬依織の方を見て、言葉を続けた。
「シードを生み出す為の特訓施設がある孤島だ」
「孤島だって!?」
目を剥いた三国が、思わず驚愕の声を上げる。
孤島と言うことはつまり、逃げ場がないと言うことだ。
「剣城……知っていることを、全部話してくれ」
「…………」
どこか気遣うような口調で話し掛けてきた神童に、視線を足元に落とした剣城は小さく目を細める。
彼のスパイクは、いつの間にか野原に咲いた名も知らぬ花を踏みつけていた。
「俺がここにいたのは、僅かな期間。聖帝イシドシュウジの勅命で、すぐに俺は島を出ることになったから詳しいことは分からない」
勅命。その単語に、一乃や青山が視線を交わして苦い顔をする。きっとその内容こそ、剣城が雷門にやって来て始めに行おうとしたこと──雷門サッカー部の乗っ取りだったのだろう。
「ただ1つだけ言えることは」そこで言葉を切り、剣城は一瞬ごくりと息を飲み込む。
思い出す。脳内にこびり付いた記憶、あの凄惨な光景は、簡単に消えはしないのだろう。
「この島で行われる特訓は、尋常じゃない──シードになった者たちは、この島に来ることを恐れている。この島だけは、特別なんだ」
荒い口調で吐き捨てる剣城に、息の詰まるような緊張が走る。
そんな危険な島で、彼らは人質を捕らえられた状態で孤立してしまったのだ。
「でも、だからってここでじっとしてる訳にもいかないだろ。どうにかしないと……」
「ああ。だが──」
肩を竦めた依織に、顎を摘まみ神童が思案した、その時である。
「……? 何か、地面が揺れてない?」
「え?」
足元に視線を落とした輝の言う通り、足元から体に僅かな振動が伝わってきた。
その原因を感じる間もなく、揺れは次第に大きくなり、それに伴いどこからか低い重低音が迫ってくる。
「何か来る──!?」
そんなことを言った次の瞬間、轟音を響かせ森から重厚な装甲車が幾台も土煙を巻き上げて飛び出してきた。
「何だ!?」野原の花を踏み荒らした装甲車はイレブンたちを取り囲むようにして停車すると、中から次々と黒服の男たちが降りてくる。
じりじりとこちらに迫る男たちに、後輩を後ろ手に庇いながら神童が果敢に言い放った。
「っお前たちは何者だ!?」
「ほう……それが教官に対する口の利き方か」
それに被せるように、どこからか野太い声が反響して野原に響き渡る。
出所は頭上だ。反射的に空を仰ぐと、野原に無造作に転がる巨岩、その上に──
「静ッ、粛ッ、にィッ!!」
ピンク色の派手なスーツに身を包み、重力に逆らう口髭と髪を聳やかす図体の大きな男が仁王立ちしていた。
「お前は……!」目を見開いた剣城が、小さく声を漏らす。
男は風に乱れた髪と髭を整えながら、ニタリと口角を持ち上げた。
「ようこそ、究極を生み出す島──神の特訓所ゴッドエデンへ。私は牙山。この特訓所を預かる者だ」
牙山と名乗った男は、高圧的な態度を取りながら岩の上でバランスを取り恭しく一礼してみせる。
一瞬呆気に取られていた神童は我に返ると、岩から数歩退きながら牙山を睨み付けた。
「鬼道監督や音無先生、他のみんなをどこへやった!!」
「──我々が欲しいのは、選手のみ」
神童の言葉に興味なさげに、牙山は髭を撫でつけながら答えにならないことを返す。
そしてイレブンたちの顔を順々に、値踏みするように見下ろしながら──ふとある一点に目を留めて、続けた。
「この合宿で君たちが目指す者は、フィフスセクターの専属選手シードだ。ホーリーロードでの活躍は見せて貰った……中々のものだ」
ふんぞり返りながら話続ける牙山は、そこでわざとらしい溜息を吐く。
「しかし残念なことに君たちは、少年サッカー法第5条に背き続けている。よって君たちには、我々フィフスセクターに寄る教育を施すことが決定された!」
「何だと?」
剣呑な目付きを保ったまま、威圧感を振りまく牙山に剣城が歯を食い縛る。
ここで行うことは、休み暇も与えないない過酷な特訓。 教育と銘打ち、牙山たちは雷門イレブンたちの反抗心を砕くつもりなのだ。
「誰がお前たちの手先になるものか!」
「ふん──君たちの指導者は、どうやら子供の教育がなっていないようだな」
鼻を鳴らし、牙山はふと足元にあった拳大の石を掲げて見せる。そしてそれを、一息に握力で握り潰してしまった。
「ひぇっ!?」
「子供はただ、大人の言うことに従っておれば良い。つまり、だ。言いたいことは分かるな、諸君」
ぱらぱらと砂利に成り果てて頭上から降り注いだ石だったものに、引き攣った悲鳴を上げた輝と信助が身を寄せ合う。
「反抗は認めない──そう言うことか」
頭上には牙山、周囲は黒服たちに囲まれて逃げ場はない。憎々しげに神童は呟いたが、ここで逃げ切れる策はどう足掻いても思いつきそうになかった。
「幸い、一度獲り逃した小鳥もおるようだ」
「!」
そこで、依織は気付いた。こちらを見下ろす牙山の目が、先程からやけに自分の方に集中しているその意味を。
「これより、雷門イレブンの教育≠行うッ!!」