07

「おい、サッカー部が何か大変なことになってるらしいぞ!」
「ああ、試合だってよ」

桜の舞う道を、野次馬たちがこぞって駆け抜けていく。
それに混じり1人表情を険しくしていた依織は、視線の先に見知った顔を見つけてハッとした。

「葵!」
「あ、依織!」

人の流れに逆らうようにしてこちらにやって来たのは、小学校からの友人である葵だ。彼女は周りを行く生徒たちに視線を向けながら問った。

「ねぇ依織、サッカー部に何かあったの? まさか天馬にも……」
「ああ……」

葵の目は僅かに不安そうに揺れている。
依織はサッカー棟の方を見やって、顔をしかめた。
今までの経緯を説明するよりも、一緒に現場に行った方が早い。そう判断した依織は、困惑する葵の手を取る。

「……行きゃあ分かるよ、多分。さっ、こっち」
「えっ? あ、うん!」

驚きながらも頷いた葵の手を引いて、依織はサッカー棟へ走った。




既に話を聞きつけた生徒で、棟内にあるスタジアムは満員になっている。
入ってすぐの階段を降りながら、2人はスタジアムを見回した。

「うわぁ、広い」
「流石、サッカー名門校雷門って感じだな……」

私立の学校でこれほどの施設を設けるとは恐れ入る。半ば感心しながら呟いていると、ふいに下の方から自分達に向かって声がした。

「──お前ら、新入生か?」

2人は少し驚きながら、声のした方を見下ろした。

観客席の1つにどっかりと腰を下ろした女子生徒が、興味深げにこちらを見上げている。
頭頂部で揺れる大きなリボンは可愛らしいが、着崩したカッターシャツと踝の隠れる長いスカートを履いた姿は、さながら昔ながらのスケバンのようだ。

「あ、はい! あのぅ、何が始まるんですか?」

その風貌にほんの少し虚を突かれながらも、すぐに立ち直った葵が問えば、彼女は鼻を鳴らしてスタジアムを顎で指す。

「サッカー部のお家騒動さ」
「お家騒動……?」

葵が怪訝そうに眉根を寄せる中、依織はじっとフィールドを見下ろした。

剣城の率いる、黒のユニフォームを纏った11人。
全員がフィフスセクターの息が掛かった精鋭だ、雷門イレブンの勝機は薄いだろう。
負けたら当然、現サッカー部は事実上の廃部。そしてメンバーは総入れ替えとなる。要するに、乗っ取られるのだ。
この状況で、彼らはどう出るか──眉間に皺を寄せていると、ふいに観客席の際に駆け寄った葵が、あっと声を上げるのが聞こえた。

「依織、あれって……」

あれ? と首を傾げ、依織は葵の指さす方を見下ろす。
そして、彼女の口から「げっ」と引きつった声が漏れた。

「あいつ、あんなとこに……!」

葵が指した先──フィールドの脇にあるベンチの傍らに、不安そうに顔を歪めた天馬が佇んでいる。
スタジアムに行ったことは分かっていたが、ピッチにまでついて行っているとは予想外だった。依織は面倒臭そうな顔を隠さずに小さく舌打ちした。

「どうして……? 天──」

その瞬間、ウワァンと突如マイク越しに大きく響いた実況の声に、天馬を呼ぼうとする葵の声がかき消された。
スコアボードに、両チームの名前が映し出される。
雷門イレブン対──黒の騎士団=B

「……随分とまぁ、身の丈に合わないカッコつけた名前つけちゃって」
「言うなぁ、1年」

皮肉った依織の声が聞こえたのか、隣にやってきた先程の女子生徒がニヤリと笑った。どーも、と軽い調子で返しながら、依織は再びピッチの様子に集中する。

キックオフは雷門からだ。
実況者──角馬の叫ぶような実況に、雷門イレブンたちの名前を把握していく。
FW、3年の南沢。そしてMFはキャプテンである2年生の神童。2人は黒の騎士団たちの合間を縫うように切り込んでいく。

「わぁっ、すごい! これなら点も取れるんじゃない?」

手摺りから身を乗り出す葵とは対照的に、依織は冷静にフィールドを見つめている。全員が剣城レベルとは行かずとも、腐ってもシードだ。それがああも簡単に抜かれるわけがない。

「(……わざと抜かせている?)」

神童のセンタリングを受けた南沢が、向かってきた敵の隙を突いて直接シュートを打つ。
空気を切り裂くようにゴールへ向かったシュートは、一瞬誰もが決まったと思った。

「何……っ!?」

顔をしかめた南沢の動揺が、観客席にも伝わってくる。
彼の打ったシュートは、いとも容易く受け止められていた。しかも、姿勢を変えずに片手で──だ。
相手キーパー、鉄雄田は口角を持ち上げると、ボールを大きく振りかぶって剣城に投げる。ボールを受け取った剣城は冷笑を浮かべて跳躍すると、雷門DFたちを軽々と飛び越えた。

「なっ──」

剣城を見上げる雷門イレブンの表情が、驚愕に染まっていく。
そのままダイレクトシュートを空中で繋げていった黒の騎士団は、あっという間に先取点をもぎ取った。

「そんな……まだ5分ちょっとしか経ってないのに?」
「それだけ力の差がある、ってことだよ」

目を丸くする葵に、依織は手摺りにもたれ掛かって頬杖を突く。
雷門イレブンはフィフスセクターの力を知っている筈だ。それでも、直接戦うのは初めてだったのだろう。
その間にも、黒の騎士団の猛攻は止まらない。ボールをカットした剣城が、素早くゴール前へ進撃した。

黒い剣がゴールを切り裂く。
0対2と記されたスコアボードに、観客席から溜息のような落胆の声が漏れ始めた。

「っまだ負けた訳じゃない──しっかりしろ!!」

神童が声を張り上げ檄を飛ばす。
しかし、それでも緩まぬ攻撃に、雷門イレブンは1人、また1人と痛めつけられ、ついに10点目のゴールが決まった。

「こりゃあ、ダメだな」
「サッカー部もここまでか……」

周囲から諦めと蔑みの混じったような呟きが聞こえてくる。
果てには、試合に見切りをつけ席を立つ生徒まで現れ始めた。

「何だよあいつら、最後まで見てもいねーくせして」

依織の隣の女子生徒が、舌打ちして悪態を吐いく。
しかし、守ることも出来ていないこの状況と大きく開いた点差では、諦めたくなるのも無理はない。

だがそれでも神童はまだ諦めてはいなかった。
ボロボロになりながら、よろけながら、敵陣を睨みつけている。

「(どうすんの、久遠さん)」

依織はそっと神童から視線を外し、ベンチの久遠を見た。
声は聞こえないが、天馬が何か久遠に抗議しているように見える。

やがて彼は、徐に片手を上げた。
一瞬の静寂の後、続いた言葉を誰が予想できただろう。

「……選手交代。南沢篤志に変わって──松風天馬!」
「…………えっ」

ええええーーッ!? ──と、天馬の驚愕の叫びがスタジアムに木霊した。
「天馬!?」葵が大きく目を見開いて身を乗り出す。

「ね、ねぇ依織っ、どういうこと!?」
「や、私にもさっぱり……」

──本当に、久遠の考えることがさっぱり分からない。たまに突拍子もないことを言い出す人だとは聞いていたが、こればかりは無茶としか思えない。それとも彼は、天馬に何かを感じ取ったと言うのだろうか。
心配そうな顔をした春奈にユニフォームを渡された天馬は、おどおどしながらそれに着替える。突然現れた新入生に、観客席もざわめいた。

天馬と入れ替わりに、険しい表情をした南沢がベンチへ下がった。フィールドに入った天馬は神童に何か言いながら頭を下げている。
それを見やる剣城が、僅かに眉間に皺を寄せる。またお前か、と彼の口が動いたのが見えた。

「天馬……」

不安に満ちた表情で、葵が手摺りをぎゅっと握り締めた。
口癖のように、サッカー部に入るのだと毎日の言っていた天馬。その夢がこんな形で叶うなど、彼も予想していなかっただろう。

「何とかなる──何とかなるさ!」

大きく深呼吸した天馬の声が、ピッチに響く。吹き鳴らされたホイッスルに、両チームは走り出した。
ボールをドリブルする剣城に、天馬が果敢に立ち向かっていく。しかし彼はそんな天馬を嘲笑うかのように、無駄のないボール捌きで天馬を翻弄しては、雷門イレブンたちを倒していった。

「(レベル差が有りすぎるんだ)」

こんなことならもう少しだけ練習に付き合ってやるんだった──そんなことを考えても後の祭だ。依織は1人、小さく歯噛みする。
そして状況は変わらないまま、前半終了のホイッスルが鳴った。スタジアムの観客は、始まった頃より半分も減っている。
「何なの、あの人たち」葵が悔しげにスコアボードを睨んだ。

「サッカーの名門校の雷門が、手も足も出ないなんて……」

観客たちが見守る中、やがて後半開始のホイッスルが鳴り響く。
点差は依然縮まらず、雷門の選手は傷だらけ。
絶望的な状況が変わることはなく、黒の騎士団は圧倒的な力を見せつけて点をもぎ取っていく。

「俺たちに勝つことなど有り得ない。お前たちのサッカー部は終わりなんだ」

それに拍車をかけるように、神童のスライディングを避けた剣城は目を細めた。
「サッカー部は終わらない!」じわじわと毒のように広がる絶望の中、1人──天馬は、前を見る。

「雷門サッカー部は誰にも渡さない──絶対に!!」
「──じゃあ奪ってやるよ!!」

天馬を憎々しげに睨みつけた剣城が、雷門陣内へ切り込んだ。
ドリブルする剣城を止めることも出来ず、雷門イレブンたちが吹き飛ばされていく。

「ひでーな、こりゃ」

顔をしかめた依織の隣で、女子生徒が呟いた。
一方的に傷つけられたイレブンたちはフィールドに崩れ、最早まともに立っているのは天馬と神童ばかりである。

「理解したか? お前が憧れた雷門は所詮この程度だ」

砂塵の巻き上がるフィールドで、天馬はまばたきも出来ずにただそれを見つめた。
「もうダメだ……」ふいに聞こえた震える声に、天馬と神童はハッとそちらを振り向く。体を押さえた顔を歪めた選手──水森が、ふらりと立ち上がったのだ。

「あいつら俺たちに、怪我させてでもサッカー部奪う気だ……」

苦々しく呟いた水森の足は、フィールドの外へ向かう。
神童の制止も虚しく、彼の姿はスタジアムの外へ──消えていく。

「くそっ……このままじゃ、みんな潰される──!」

虚空を見つめ、神童が絶望に満ちた声で呟く。
その様子にニヤリと笑った剣城は、ふいに天馬にボールを蹴って寄越した。
──挑発だ。天馬は少し目を見開いて、剣城を見つめる。冷笑を浮かべた剣城に、天馬はギュッと拳を握り締めた。

「あっ、天馬が!」

ボールをドリブルし始めた天馬に、葵が声を上げる。
天馬は相手のスライディングを避けて、剣城の隣をすり抜けた。

「へぇ、うまいじゃん」
「ドリブルだけは、人一倍練習してたから……」

呟いた女子生徒に、葵が少し懐かしむような声音で返す。
相手DFを風のようにかいくぐった天馬は、ゴール間際で進路を変え、再び雷門陣内へ戻ってきた。

「? 何してんだ、あいつ」
「…………」

数瞬、思考を巡らせた依織はスコアボードを見上げる。
刻々と減っていく残り時間に、天馬がやらんとしていることに気がついた彼女は目を細めた。

「……タイムアップまで、サッカー部にボールが回らないようにしてるんだ、あいつ」
「え? それって……」

フィールドと依織を交互に見た葵が、小さく口を開く。
天馬は黒の騎士団と雷門イレブンにボールを渡さないことで、1人でサッカー部を守っているのだ。

「天馬……」
「でも、それをあいつらが許すわけがない」

舌打ち混じりに依織が呟いた途端、剣城が指を打ち鳴らした。瞬間、集結した黒の騎士団が、天馬を囲むようにマークする。

「……松風天馬。その顔──気に食わねえ。下らねえんだよ、サッカーなんて!!」

激高した剣城が、突如雄叫びを上げた。
瞬間、彼の全身から放たれた紫に輝くオーラが、長大な剣、盾──そして鎧を結晶化させていく。
そこに現れたのは、赤いマントを翻した、巨大な鋼の騎士だった。

「──これが俺の化身=B《剣聖ランスロット》だ」

誰もが呆然として、巨大なそれを見上げる。
けしん──目を見開いて呆然と呟いた依織の肩を、葵が慌てたように揺さぶった。

「な、何? 化身って何あれ!?」
「──選手の戦う意思、闘気の具現化された姿。私も、見たのは初めてだ……」

思わず息を呑み、依織はランスロットを見つめた。
化身>氛汾lの力が極まった時、目に見えるものとして現れる。
それは都市伝説として実しやかに囁かれ、その化身を使役する選手は、化身使いと呼ばれるのだ。

ランスロットが、鋼の剣を振り上げた。剣城のシュートが天馬に向かうと同時に、振り下ろされた剣が剣圧を巻き起こす。

「天馬!!」

吹き飛ばされた天馬に、葵が悲鳴を上げた。
眉根を寄せ立ち上がった久遠に、天馬はふらつく体を腕で支えながら起き上がる。

「監督……っ、お、俺は大丈夫です。最後まで続けさせて下さい」
「無茶だ、壊れてしまうぞ!」

立ち上がった天馬に、神童が声を張り上げた。
天馬の膝はガクガクと震え、立つのもやっとの状態だ。それでも──彼は、頑として頷かない。

「最後まで……戦いたいんです」

神童の肩が揺れる。
ゆっくりと振り返った天馬は、剣城と対峙した。

「最後まで、最後までやりとげれば……きっと道は見えてくる!!」

ランスロットの装備した兜のスリットから、赤い光が漏れる。剣城が咆哮し、ランスロットの剣が再び天馬を吹き飛ばした。

「松風!!」

「無茶なことを……!」目を見開いた神童が、傷だらけになった彼の体を助け起こす。
天馬は息も絶え絶えに、苦痛に表情を歪めながら神童を見上げた。

「俺……やりたいんです、みんなと一緒にサッカーを……!」
「お前……そこまで……」

神童の瞳が揺れる。
天馬は膝を突き、震える手で神童のユニフォームのエンブレムをすがるように掴んだ。

「お願いです、キャプテン……サッカー、諦めないで下さい……!!」

神童が大きく目を見開く。
お願いします──繰り返した天馬の手をゆっくりと解いた神童は、俯きながら立ち上がった。

「……俺だって、諦めたくない……!」

ポタリと、フィールドに雫が零れ落ちる。
神童はポロポロと涙を零して、歯を食い縛って泣いていた。

「何で……何でだよ……! 俺は、チームメイトさえ守れない……!」

パッと顔を上げた神童の頬から、涙が散る。
彼は腕に着けたキャプテンマークを握り締めて、吼えた。

「何がキャプテンだ! こんなもの──!!」

ざわりと、神童の髪が風に吹かれたように舞い上がる。
「ちくしょおおおおッ!!」彼が咆哮した次の瞬間、ドン──と力の波が辺りの空気を揺らした。神童の体から紫に輝くオーラが立ち上っていく。
風を巻き起こして収束していく光は、やがて1つの形に結晶化した。

「これは……」

目の前に現れた姿に、天馬も雷門イレブンも、そして観客席の依織たちも息を呑む。
タクトを奮う、4本の腕。光が迸り、威圧感を放ち発現したそれは──紛れもなく、化身だった。