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薄暗い洞窟を這い出て円堂たちの用意した拠点に移る頃には、島はすっかり夜の帳に覆われていた。
きっとアンリミテッドシャイニングと戦ってから、かなりの時間気を失っていたのだろう。その時間を正確に知る術は、今の彼らにはないのだが。

「はぁぁ……」

海が一望できる崖の上。平たい岩の上に膝を抱えて座り込み、依織は疲れ切った溜息を吐く。

円堂たちが拠点として新たに用意したのは、廃れた廃墟と化した古い灯台だった。とは言え、入り口のぽっかり空いた湿っぽい洞窟と比べれば、まだ居心地の良い場所ではあるだろう。
しかし、今彼女が気にしているのは決してそんなことではない。

「──随分、長いこと絞られてたな」
「ほっとけ……」

ざり、と背後から聞こえてきた地面を踏み締める音に意識を向けると、続けざまに剣城の声が聞こえてきた。

拠点を灯台に移して間もなく、依織は不動の宣言通り滔々とした説教をかれこれ30分ほど受けていたのである。
要約すると、他人に頼るタイミングを間違えるな、子供が必要以上に無理をするな──と言った内容だ。どん底まで打ちのめしてくる鬼道のそれとはまた違い、上げて落としてを繰り返す(ともすればしつこくもある)不動のお説教は、依織の苦手とする物の1つだ。

「不動さんの言ってたことは大体正しかっただろ。何ふて腐れてるんだ」
「別に──って、お前聞いてたのかよ?」
「聞こえてきたんだよ」

はたと気付いた依織がジト目でこちらを振り返るのと同時に、剣城は目を逸らして軽く肩を竦める。
灯台の中は決して広くはない。加えて都会の雑踏も聞こえてこない環境となれば、2人の会話は嫌でも耳に届いた。

「それで? 説教で疲れ切った私を、お前はからかいに来たと」
「誰がそんな悪趣味なことするか。あまり1人になるなって言われた矢先にここに来たお前を、見張りに来ただけだ」

喉の奥から何とも言いがたい唸り声を漏らした依織の隣に腰掛けて、剣城もまた月明かりが落ちた海に視線を投げ掛けた。

「分かってんだろ。今は俺たち全員が目を付けられてるとは言え、前みたいなことが起きないとも限らない」
「……分かってるよ」

波のさざめく音が耳を擽る。空を見上げると、満点の星空が広がっていた。目の前にあるのはただ雄大な自然と美しい風景なのに、その心が落ち着くことはやはりない。

「私は、ここに連れてこられそうになったんだな」

ぽつりと独り言のように漏らした依織に、剣城はちらりと横目をやる。
依織の目はぼんやりと、空で輝く星を眺めていた。星の輝きが映り込んだその瞳は、丁度目の前に広がる海のようだ。

「あいつら──アンリミテッドシャイニングの奴らも、私みたいに連れ去られてここにいるのかな」
「いや……多分、違うだろう」

その疑問に、剣城は首を振る。
アンリミテッドシャイニングの中には自分が島を出る頃にはいなかったメンバーも何人か参入していたが、少なくともそれ以前の顔見知りたちは、それぞれフィフスセクターから正規のスカウトを受けてここに来た人間であったはずだ。
そう、それは彼も例に漏れず。

「…………お前、白竜をどう思う」
「はくりゅう?」

ふと思い出すことがあって、剣城はほぼ無意識の内にそんなことを問い掛けていた。
依織は一瞬キョトンとすると、「ああ、キャプテンの奴か」と小首を傾げる。

「どうって、何だよ。馬鹿みたいに強いって感想以外、特にないんだけど」
「いや……その」

後ろ頭をがしがしと掻いて、剣城は言葉を濁す。どう話を続けるべきか分からない。彼の目から見て、白竜が依織に向ける意識は明らかに他と違っていた。
言葉にするなら、まるで──

「……ああ、そういや変なこと言ってたな。気の強いのが良いとかどうとか」
「!」

ぴくり、と剣城の肩が不自然に揺れたことにも気付かず、依織はその時のことを思い出していた。
戦意の炎を瞳に灯し、彼はこちらを見据えていた。手加減はしないと宣言した通り、依織にも容赦しなかった。態度はいけ好かなかったが、1人の選手としては確かに最高ランクなのだろう。

「強い奴が好きなんだろ、多分。戦闘民族みたいな」
「……ああ……うん……」

──違う、多分違う。お前の思う好きと奴の思う好きは、多分種類が全く違う。
欠伸を噛み殺す依織に剣城はそう言ってやりたかったが、寸での所で言葉を飲み込む。彼女は人の感情と言うものに、異常なほど聡い。しかしそれは何にでも気付くと言うわけではなく、自分の興味が向いたものだけ≠ノ限られているようだ。
だからこそ、白竜の個人としての感情には気付いていないのだろう。気付いたところで、何がどうなるのかは予想も付かないのだが。

「──明日も早い。いい加減寝ないと、朝起きられなくなるぞ」
「お前、人のこと言えんのかよ」

徐々に瞼が降りてきている依織の腕を引き立ち上がらせて、仄かにカンテラの灯りが漏れる灯台へ戻る。

出来れば、そのまま白竜の気持ちには気付かないままでいて欲しい。
そんな願望が胸の隅にあることに、彼自身はまだ気付いていない。




翌朝、島は昨日までの曇り空が嘘のように、快晴に恵まれていた。
腹が減っては戦は出来ぬ、と真っ先に腹の虫を豪快に鳴らしながら笑った壁山を筆頭に、依織たちは朝食の準備をしている。

「よしっ、これで準備は完璧っす!」
「それにしても……こんなに沢山の食材、どこで手に入れたんです?」

まな板に乗っているのは、色取り取りの野菜たちだ。調理器具は勿論のこと、敵だらけの島で食料を調達出来るとは思っていなかった分、霧野が不思議そうに尋ねる。

「たまに隙を窺って、吹雪さんや風丸さんが本島に戻って調達してくるんす。あの2人が行くと、おまけして貰えることが多いっすから」
「ああ、成る程」

食事の準備を進める吹雪と風丸をちらりと窺った車田が、「イケメンは特だな」と苦虫を噛み潰したように呟いたのを霧野は聞き逃さなかった。
そこで、一連の会話を聞いていなかった依織が辺りをキョロキョロしながら口を開く。

「天馬と信助はまだですかね。あいつら来ないと、薪が足りねえってのに」
「もうそろそろじゃないか? ……ほら」

霧野が階下を指さすと同時に、丘の下から2人がはしゃぐ声が聞こえてきた。大方、競争でもしているのだろう。
階段の下を覗き込むと、案の定薪を抱え危なっかしい足取りで走り回る天馬と信助の姿が見えた。

「遊んでんな、2人とも! 飯に有り付けないぞー!」
「ごめーん!」

全く、と零した依織に、その場にいた霧野たちが面白そうに笑みを零す。
しかしその和気藹々とした空気は、突然のけたたましいサイレンの音によって粉々に打ち砕かれた。

「何だ!?」

突然の騒音に、灯台の中にいた神童たち、そして天馬と信助も慌てて集まってくる。
どうやら音は島のあちこちに立つスピーカーから発せられているようだ。その内の1つ、灯台から程近い場所に立つスピーカーを、円堂は険しい表情で睨み付けた。

「──フィフスセクターだ」

やがてサイレンが鳴り止み、それに引き続き拡大された野太い声が響いてくる。それは昨日聞いたばかりの、牙山の声だった。

『円堂守と雷門の愚かな少年たちに告ぐ。3日後、お前たち雷門と、我々フィフスセクター公認チームによるスペシャルマッチを行う』

「スペシャルマッチ……」反芻した剣城が、忌々しいものを見る目になって歯を食い縛る。
どうせ牙山たちの考えることだ。スペシャルマッチと称しておいて、その実態は実験を兼ねた公開処刑のようなものに決まっている。

『場所は島の中央にある我々の施設、ゴッドエデンスタジアムだ。こちらには人質がいる。お前たちはこの試合を拒むことは出来ない。──では』

その言葉を最後に、スピーカーはぶつんと音を立てて静かになった。
木霊も消え、再び訪れた静寂の中、誰かの舌打ちが聞こえてくる。

「くっ……卑怯な」
「円堂監督が島にいるってことも、バレてたんだ……」

顔を顰める神童の傍ら、天馬は不安げな表情を隠せないまま灯台の上に佇んでいる円堂を見上げた。

「みんな、聞いてくれ!」

突然大きな声を上げた円堂に、天馬だけではなく神童や剣城たちも、ハッとそちらを見上げる。
円堂の表情には、一点の曇りもない。いつも通り自信と希望に満ち溢れた顔で、彼は子供たちへ語りかける。

「奴らが試合で挑んでくると言うなら、俺たちはそれを迎え撃つ!」
「えっ……」

堂々としたその様に、天馬たちは虚を突かれた。
昨日の戦いで雷門がアンリミテッドシャイニングに歯が立たなかったことは、円堂たちも知っているはずだ。

「迎え撃つったって……!」
「監督、勝算はあるんですか?」

驚きの入り交じる車田や狩屋の言葉に、円堂は一瞬キョトンとした目をそちらに向ける。
そして、彼はにっこりと笑った。彼らを安心させるように、信じ切っているように。

「忘れたのか? 俺たちは今まで、どんな困難も乗り越えてきた! これからも、今までと同じ勝利を目指して戦う!それだけだ!」
「円堂監督……!」

臆することもなく檄を飛ばす円堂に、天馬たちの表情にも輝きが戻ってくる。
その様子はまるで昔の自分たちを見ているようで、風丸たちは顔を見合わせて笑った。

「今日からこの島で大特訓! 行くぞォ!!」
「おおーッ!!」

円堂の鼓舞に、天馬たちも声を上げ拳を突き上げて答える。
──その様子を、森の木陰からじっと観察している影が1つあった。




斯くして3日後の試合に向けて特訓を始めることにした雷門イレブンだったが、まずは特訓所になるような場所を探さねばならない。
彼らは大人と子供たち、それぞれ数人ずつのグループに分かれて、広い島の中を散策し始めた。中央に聳えるゴッドエデンスタジアム以外に、特訓施設がないことは明白だろう。ならばこの自然を相手に強くなってやろう──と言う考えだ。

森を行くのは、天馬、信助、依織、剣城のチームである。
ところどころ開けた場所に目星を付けて、あそこはどうだここはどうだと話す天馬や信助の後ろを歩きながら、依織は辺りを見回していた。

鬱蒼と木の生い茂った森の中には、所々に古ぼけた遺跡のような物の名残が佇んでいる。
灯台もかなり年代を重ねていたが、その遺跡はもっと古い物のように感じた。

「あれ、これって……」

ふと声を上げた信助が、道を外れて大きな木の根元に走って行く。
これ見て、と彼が指さしたのは、木に寄り掛かるようにして立った小振りな石像だ。
頭にはボールのような球体が乗っていて、見たことのない文様が刻まれている。よくよく見れば、辺りは同じような石像があちこちに佇んでいた。

「これってお地蔵様かなぁ? 剣城、見たことある?」

尋ねてきた信助に、先をぼんやりと歩いていた剣城が怪訝な顔をして戻ってくる。
そして信助が指さした物を見ると、ああ、と納得しような声を漏らした。

「そいつは、この島を守る神様だと言われている。この島には古くから、サッカーに似た……球を蹴り合う競技が伝えられていたらしい」

剣城も詳しいことを知っているわけではない。島を調べた研究員たちが興味深げに話しているのを、偶然耳に挟んで知っている程度である。
「神様かぁ……」伝馬はしゃがみ込んで石像を観察する。石像の表情は穏やかに笑っているようにも、光の当たり具合で陰鬱に塞ぎ込んでいるようにも見えた。

「じゃあ、この球はサッカーボールってことかな?」
「サッカーの神様ってことかもな」

言われてみると、頭に乗った球体は石像の大きさと比較するとサッカーボールくらいの大きさにも思える。
苔むした球体に、依織は何と為しに──吸い寄せられるように、掌で触れた。

『──お願いだ!! 僕が代わりになるから、その子だけは……!!』

その瞬間、突然頭に直接響いてきたような声に、依織は大きく目を見開いて石像から手を放す。
「どうかしたか、鷹栖」まるで触った箇所に静電気が走ったような反応をした依織に、剣城も思わず目を瞬いた。

「いや……お前ら、今何か言ったか?」
「? ううん、何も」

そう、と依織は呆然と返しながら、石像に触れた手を握り締める。
疲れて幻聴でも聞いたのだろうか。聞き覚えのない少年の声だった。切羽詰まって、まるで何かを懇願するような。

何か考え込むように俯いた依織に、剣城が言及しようとしたその時だった。
空気が張り詰め、それまで耳を擽っていた木々のざわめきや鳥の囀りが遠離る。それを皮切りに、木漏れ日を切り裂いて1つのボールが彼ら目掛けて飛来したのである。

「剣城!」

反応の遅れた依織たちが見たのは、突然襲い掛かってきたボールを剣城が蹴り返す姿だった。
渾身の力で蹴り返したのにも関わらず、威力を持ったボールは彼の足に痺れるような余韻を残す。
ボールは放物線を描くと、森の中へと落ちていった。

「誰だ!!」

ボールが飛んできた方向を睨み、剣城は威嚇するように声を荒げる。
ざわざわと木々が風に揺れ、やがて木陰の間から姿を現したのは、黒い服に身を纏った1人の少年だった。

「へぇ、少しはやるじゃないか」

彼の右手には、今し方剣城が蹴り返したものであろうサッカーボールが抱えられている。
彼は服と同じく黒い髪を靡かせて、黒曜石のような瞳で静かに彼らを見据えた。
まさか、アンリミテッドシャイニングのメンバーか。剣城は一瞬身構えたが、後ろ手に庇った依織は怪訝な表情を保ったまま何も言わない。

「い、いきなり危ないじゃないか!」
「どうしたんだ?」

我に返った天馬が少年を諫めると同時に、騒ぎを聞きつけて他の場所を散策していた神童たちが駈け寄って来た。

「あっ、キャプテン……!」
「大きな音がしたから、来てみたんだが──」

言いながら、神童の視線が黒衣の少年に定まる。
抱えられたサッカーボールに、彼は音の正体が少年の蹴ったボールにあることを本能的に察した。

「君たちのことは、この島に来てからずっと見てたよ」

少年の目が、より一層冷ややかなものになる。
発せられた声は、僅かに苛立ちを含んでいるようにも感じた。

「君たちがボロボロにされて負けちゃったところも、ね。許せないんだよぁ……あの程度の実力でサッカープレイヤーぶってるのは」
「あの程度だと……!?」

怒りと憐憫の入り交じった言葉に、神童たちも顔を顰めて返す言葉に怒気が籠もる。
少年はそれを意にも介さず、踵を返して雷門イレブンに背を向けた。

「ここは僕たちエンシャントダーク≠フ森だ。よそ者は出て行ってもらおう」
「エンシャントダーク……?」

目を凝らすと、木々の影に少年と同じように黒い服──ユニフォームに身を包んだ少年たちが佇んでいるのが見えた。
それならば、少年の左腕にあるのはキャプテンマークなのだろう。ハッとした天馬が、彼の背中に向かって反射的に声を上げる。

「待って! 君たちの森なら、頼みたいことがあるんだ!」

ピタリと足を止めた少年が、頭だけ天馬を振り向く。暗い闇の底のような目で見つめられ、怯みそうになりながらも天馬は続けた。

「俺たちは仲間を助けるために、あるチームに勝たなきゃならない。だからここで俺たち、特訓したいんだ!」
「特訓ね……」

「あんな甘いサッカーで……」低く呟かれた言葉は、天馬たちの耳には届かない。体ごと振り向いた少年は、改めて天馬と向き直る。

「どうしても、強くなりたいの?」
「なりたい!!」

間髪入れずに答えた天馬に、少年はゆっくりと微笑みを浮かべる。どこか満足げで、裏のある笑みだ。
そして彼は、じっとこちらを睨んでいた神童に向かって持っていたボールを転がした。

「分かった。もしサッカーで僕たちに勝つことが出来たら──認めてあげるよ」

少年の言葉はどこまでも棘があり、挑発的だ。
「キャプテン……」足元に転がったそれを睨み付ける神童を、天馬は怖々と窺う。

「……良いだろう。やってやる!!」

神童もここまで挑発を受けて黙っていられるほど温厚な性格はしていない。語気を荒げて答えた彼に、仲間たちも頷いて答える。
それを見た少年はエンシャントダークの仲間たちと視線を交わすと、三日月のように唇を歪めて見せた。

「じゃあ──見せてもらおうか。欲しいものを勝ち取ると言うからには、それ相応の力があるってことを」