重たい空気の満ちた狭い部屋で、葵は鉄格子のはまった小さな窓から見える空を見上げていた。
「何してんだよ、茜」
「ちょっとした記録」
聞こえる音と言えば、外から僅かに聞こえてくる鳥や虫の鳴き声と、先程から茜が切っているシャッターの音ばかりである。
鬼道と春奈、そしてマネージャー3人がこの部屋に閉じ込められて既に一晩が経過している。定期的に食事を出しにやって来る黒服の男は終始口を閉ざしたままで、ここはどこだと問い掛けても答える気配は一切無い。
水鳥などは始めこそここから出せと固いロックの掛かった扉を叩いていたが、流石に一晩も経てば大人しく軋む長椅子に座り込むしかなかった。
「天馬たち、大丈夫でしょうか……」
「あいつらのことも気になるけど、こっちだって大ピンチだろ」
そうですけど、と葵は溜息交じりに言った水鳥に頷いたが、気になるものは気になるのだ。朝方にあった牙山のアナウンスは、この暗い独房にも届いている。どうやら天馬たちは、この島に潜伏していた円堂と合流出来たらしい。それだけが彼女の心を落ち着かせた唯一の情報だ。
3日後、雷門とフィフスセクター公認チームによるスペシャルマッチを行う──今彼らが知っているのは、ただそれだけ。
「(3日後……それまでに、何とか春奈たちだけでもここから逃がさなければ)」
掌で額を抱え、鬼道は長考する。
扉は相変わらず固く閉ざされたままだった。
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「エンシャントダークか……」
一度森から戻った天馬たちは、シュウと落ち合う約束をして円堂たちと合流した。
円堂は改めて天馬からシュウたちの話を聞いて、考え込む。彼はこの島に1ヶ月近く潜伏しているが、エンシャントダークのメンバーを島で見掛けたことは一度もなかった。
「そいつら、本当にフィフスセクターのチームじゃないのか?」
「そこは断定できません。これと言って、肯定も否定もなくて……」
尋ねてきた不動に、依織が首を振る。
答えを誤魔化されたのもあるが、彼女はどうもシュウと言う存在に何か違和感のようなものを感じていた。
考え込む依織を一瞥し、とにかく、と円堂は手を打ち鳴らす。
「やることは始めから1つだ。お前たちは今からこの島で特訓をする。この自然の中に、レベルアップのヒントが必ずある! しっかりやってくれ!」
「ハイッ!」
森の中に、子供たちの大きな返事が木霊する。
すると、それに応えたかのように木々の奥から何かが蠢く音がした。
「何だ──?」
身構えたのも束の間、木々の間から人影が近付いてくる。
シュウだ。木々から降りている蔦から蔦をアクロバティックな動きで軽々と渡り、縦横無尽に森を飛び回っている。
「よっ──と。やぁ、天馬」
「シュウ!?」
器用に地面に着地したシュウは、息も切らさずにっこりと笑いかけた。
「ターザンかよ……」思わず呆然と呟いた狩屋に、シュウは事も無げに答える。
「僕はこの島で育ったんだ。だから島の地形のことはよく知ってる。今みたいに、ここの自然と遊んでいればきっと君たちも出来るようになるよ」
「それホント!?」
先程のシュウの動きを思い出してか、天馬が目を輝かせた。一方で、円堂はちらりと吹雪の方を見る。そう言えば、彼も昔同じようなことを言っていたな、何てことを考えて。
しかし、天馬が期待に胸を膨らませるその一方で、神童はまだシュウの事を信じ切れなかった。始めに顔を合わせた時は、あんなに敵意を剥き出しにしていたのに。それに、彼が雷門にここまで協力してくれる理由が分からない。
「そうならスゴいよ! やってみたい!」
「じゃあ僕も……!」
そんなキャプテンの心配など露知らず、信助や輝も目を輝かせている(分かり難いが狩屋も心なしかそわそわしている)。
森から吹く風を受けながら、天馬は握り拳を固めた。
「よーし、絶対出来るようになってやる!!」
斯くして、3日間のタイムリミットが設けられた特訓が始まった。神童、霧野、車田には風丸が、天城、信助、狩屋には不動が、影山、依織、剣城には吹雪と、 選手たちは数人ずつのグループに分けられて、大人が1人コーチにつく。
三国のキーパー特訓には一乃と青山がシュート役を務め、コーチは壁山がついた。円堂は単身ゴッドエデンを探りに出て、シュウに気に入られた天馬は彼に付きっきりでコーチをしてもらうことになった。
「こ──これを登るの?」
天馬が目の前にしたのは、6メートル近い高さがあるであろう大きな岩壁だった。傍には滝が流れており、水飛沫が岩を濡らし続けている。
「ここは水に濡れて、普通の岩場よりも昇り難くなってるんだ。だけどその分、バランス感覚が養われるんだよ」
僕らはこうして強くなったんだ、とシュウは手近な出っ張りに足を引っかけて、ひょいひょいといとも容易く壁を昇っていく。
「さあ、やってみて!」あっと言う間に頂上に辿り着いたシュウを呆然と見上げた天馬は、大きく深呼吸して岩場に足を掛けた。
濡れた岩に足を掛け、すぐにまた上に足を掛ける。手は常に上を掴んでいなくては下へ落ちてしまう。
多大な集中力を使う特訓に、天馬は一心不乱になって岩壁を昇り続ける。そして、やっと体が順応する感覚を覚えてきた頃には、辺りは夕日で真っ赤に染まり、空にうっすらと月が見えていた。
「それじゃあ俺、そろそろキャンプに戻るよ」
「うん。また明日、ここで待ってるよ」
──そう言えば、シュウはこの島のどこに住んでいるのだろう。
尋ねようとして振り返った先には、既に彼の姿はそこにはなかった。
「おーい、大丈夫か?」
「ハードです……」
すっかり日も落ちた灯台跡で、天馬たちは車座になってぐったりとしていた。疲労が溜まりすぎて口に運ぶカレーの味もよく分からない。
だろうな、と散策から戻ってきた円堂が苦笑するのに対し、不動が自分のカレーを盛りつけながら鼻で笑う。
「お前らあれくらいでへばってんのか?」
「この島に慣れてないだけですよ」
煽るような言葉に、剣城が間髪入れずに返す。その隣で、依織がカレーにスプーンを突っ込んだまま船を漕いでいた。
「さぁさぁ、まだおかわりはあるっスよ!」
「う〜〜……」
元気が有り余っているのは、コーチ役だった大人たちくらいだ。丼一杯分はあるだろうカレーを手にニコニコしている壁山を見て、天馬たちは思わず脱力したのだった。
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りん、と鈴を鳴らすような音がする。
その音に引き寄せられるように重たい瞼を開けると、墨汁を垂らしたような闇の中に、黒髪をひとつに結い上げた少女がぽつねんと佇んでいるのが見えた。
『お願い……誰か、お兄ちゃんを──助けてあげて』
「──!」
ハッと依織はそれまで固く閉じていた瞼を開ける。
何か妙に息苦しい。ちらりと視線をやると、眠りこけた天馬の腕が自分の腹に乗っているのが見えた。
「う〜〜ん、あおい……」
「……寝相、悪」
起こさないようにその腕を退かし、依織は上体を起こした。
月はまだ青く輝いている。どうやらまだ夜は明けない時間に目が覚めてしまったようだ。
──何か、夢を見たような気がする。最近一度見たことのある夢だ。
すう、と小さく深呼吸をすると、頭が落ち着いていく。鼾や寝息が木霊する灯台跡から、依織はそっと抜け出した。
「(知らない女の子の声だった)」
夜の風に髪を靡かせ、依織はぼんやりと海を眺める。
ハッキリと覚えているわけではないが、助けを求める声だったことは確かだ。
りん、と夢の中で聞いた鈴の音が聞こえた気がして依織は森の方向を振り返る。
──暗いところはあまり好きじゃ無い。人ではない何か≠ェ蔓延っているような、そんな想像をしてしまうから。
しかし、風に揺られる木々は不思議と彼女を誘っているようにも見えて、依織の足は自然と、無意識の内に、そちらに向いた。
「…………あれ」
しばらく歩いたところで、依織の足は止まる。
目の前には、丁度彼女の背丈の半分ほどの大きさの石碑が佇んでいた。
ところどころにひびの入ったそれは、苔むして伸び放題の雑草に覆われている。今朝森を散策した時に気付かなかったのは、これが原因だろう。
──何故そうしようと思ったのかは分からない。
気付くと彼女は、その石碑に手を伸ばしていた。
「こんな夜更けに1人で出歩くとは、感心しないな」
「っ!」
石碑に触れる寸前、突然上から降ってきた声にびくりと手が止まる。
それと同時に、それまで夢現を彷徨っていたような意識が覚醒する。さっと辺りを見回すと、少し先の巨木の上に、白竜が腰掛けているのが見えた。
「お前……アンリミテッドシャイニングの」
「白竜だ」
1歩後退った依織に律儀に答え、白竜は軽々と木から飛び降りる。
こんな夜中だと言うのに、彼はユニフォームを着ている。それはほんの少し前まで特訓に明け暮れていた証拠だった。
「何でこんなとこに……試合は明後日の筈だろ」
「別に、勝負をしに来たわけじゃない。クールダウンがてら、少し歩いていただけだ」
「しかし、丁度良かった」口唇を持ち上げた白竜に、依織は思わず身構える。
周りに人がいない今、頼れるのは自分だけだ。彼があの時の黒服たちのように強硬手段に出るとは思えなかったが、もしもの時は従姉から教わった武術の数々を披露せねばなるまい。
「我々のプロジェクトに協力しないか。君なら、良い結果を残せる気がする」
「……は?」
目を剥いて気の抜けた声を上げてしまったのも、仕方のないことかと思える。それほど白竜の提案は突拍子もなく、脈絡がなかった。
我に返った依織はポカンと開けていた口をへの字に曲げて白竜を睨む。
「……お断り。何の話か知らないけど、どうせろくでもないことだろ。それに、何で私がお前らに協力しなきゃなんないんだよ」
「君は雷門の中でも、特殊な人間のようだったからな」
突っぱねた依織に、白竜は勿体振って答えた。
特殊。その言葉に、依織の警戒心は更に強まっていく。
「剣城も、雷門の連中に絆されてすっかり牙をもがれてしまった。だが──君は少し違う。君の目には、野心がある」
何をしてでも強くなる──そんな野心が。
囁くような声に、依織はつい握り拳を固めた。
ざあ、と一際大きな風が吹いて、木々をざわめかせる。月は薄い雲に隠れ、森は一層暗さを増した。
「弱さは罪。究極であるからこそ、選手として一級品。君はプロジェクトに加わるに相応しい野心を持っていると俺は思う」
──雷門はただのぬるま湯だ。白竜はそう思う。
例え本人たちが真剣に厳しい特訓を積んでいると思っているとしても、このゴッドエデンでの特訓には遠く及ばない。
彼は試合で依織を見た時、確信したのだ。彼女なら、ここで特訓すれば至高の強さを手に入れられる。自分と同じ、究極の選手になれる。
その姿はきっと、美しいものだろうと。
「──野心なんて、そんな甘っちょろいもんじゃねえよ」
「何?」
依織は小さく、しかし低い声で言う。
面差しを上げた彼女の表情に、白竜は肌が粟立つのを感じた。
「これは、執念≠セ。私は強くなる。誰よりも、上に行く」
それは、まるで猛禽類のように鋭い眼光だった。大凡女子からぬ悪どい笑みは、獲物を狙う肉食獣そのもの。
──ああ、やはり自分の目は間違っていなかった。白竜は足元から頭までぞくぞくと高揚感が昇ってくるのを感じた。
「ふ……ならばその執念とやら、試合で示して見せろ」
雲が千切れ、再び月が顔を出す。
眩しさに目の眩んだその一瞬の内に、白竜の姿は木々の合間に消えていった。
「──私は強くなる。そう約束したんだ」
小さく、噛み締めるように呟く。
石碑のことなど頭から抜け落ちて、依織は灯台跡に戻るべく踵を返したのだった。