85

海から吹き荒ぶ風は昨日よりも冷たく、激しい。
潮風を肺に一杯吸い込み、吐き出す。スパイクの紐をキツいほどに締めれば、気持ちも一緒に引き締まった。

「いよいよです……」
「ああ」

灯台を後にし、森を抜けた先の一本橋を前に、雷門イレブンと青年たちが並ぶ。
古ぼけた橋の向こうに聳える巨塔──ゴッドエデンスタジアムを睨み、吐き出すように呟いた神童に三国が頷いて応えた。

「この先は奴らの指定した場所ですね」
「敵のチーム、アンリミテッドシャイニングとか言ってたよな……」

行く手を窺い零した霧野に、彼らの強さを思い出したらしい車田が表情を強張らせた。それにつられたように、輝が小さく身震いする。

「あいつらの強さは半端じゃありません。特訓の成果で、どれだけ戦えるようになっているのか……」
「今更怖がったって仕方ないだろ。腹括れ、輝」

16番の背番号を依織が強めに叩けば、勢い余った輝は数歩前につんのめった。
痛いよ、と涙目になって抗議する輝に苦笑して、円堂は子供たちを見回す。いつものように、力強い笑顔で。

「──いつも通りだ。いつも通りのプレーをすれば良い」
「……はい!」

円堂の言う通りだ。無駄に緊張していてば、取れる点も取れなくなる。いつも通り、いつものように──必死に、がむしゃらに戦えば良い。
「行くぞ!」勇気を一握り、彼らは円堂の号令でゴッドエデンスタジアムへの道へ足を踏み出した。




──一方、天馬たちがスタジアムへ向かっているその最中。スタジアム内部では、鬼道たちがついに行動を始めていた。

「……ん?」

3日目の見張りも慣れたもので、監視を任された職員は欠伸を噛み殺しながら彼らを拘束した部屋へ向かう。
鉄格子越しに見える彼らは大抵項垂れているか、こちらへ向かって声を荒げるかの2つ。牙山からは雷門イレブンがこちらの傘下に下ったら彼らを解放するように≠ニ言われていたが、それを知ったらさぞ絶望することだろう。
そんなことを思いながら鉄格子越しを覗き込んだ男は、思わぬ光景に絶句した。

「何だと……!?」

室内はもぬけの殻だった。男は通信のスイッチを入れながら、大慌てで扉のロックを外し中へ飛び込む。
中にあったのは、床にポツンと置かれたデジタルカメラただ1つ。ジー、と言う何かの音を耳が拾った、次の瞬間。

「うわ──……ぐうッ!?」

突然パッと激しく焚かれたフラッシュに、視界が白く塗りつぶされる。そしてそれと同時に、鳩尾に走る強い衝撃。
肺の中の酸素を一気に叩き出された男は、かは、と最後の空気すら口から落としてその場に崩れ落ちた。

「──ひゅーっ、大成功!」

椅子の下から這い出るなり興奮した様子で飛び跳ねた水鳥に、男を気絶させた鬼道は殴った利き手をプラプラさせながら肩を竦める。

「上手くいったわね、兄さん!」
「こう言うのはあいつの専売特許なんだがな……」

この2日間、鬼道はじっと脱出の機会を窺っていた。監視がやって来る時間を読み、自分たちは椅子の下に身を潜め室内の無人を装い、茜のカメラで相手の視界を奪った隙に襲撃、失神させる。
頭の中で何度もシミュレーションしたとは言え、上手くいったことに鬼道は心底安堵していた。

こういう時に彼女がいれば、もっと上手くやっていたのかもしれないが──そんなことも考えつつ、鬼道は春奈たちに逃走を促す。
勿論、伸びきった監視員を部屋に閉じ込めるのも忘れずに。

「恐らく、すぐに追っ手が来る。行くぞ!」
「はい!」




ゴッドエデンスタジアムの内部は、まるで迷路のようだった。途中途中、走りすがら茜が撮った写真はフィフスセクターの闇を暴くには良い材料になるだろう。
物陰に身を潜め窺った練習場は、正に地獄だ。強さを求めることに盲目的になった少年たちを逃さないための牢獄──これのどこが神の楽園だと言うのだろう。

「いたぞ!!」
「チッ……」

いくら隠れようが逃げようが、スタジアム内には何十人もの職員が控えその目から逃れることは出来ない。
闇雲に走り続けて数十分、彼らはやっと外へ繋がる道へ行き当たった。

「あと少しよ、みんな頑張って!!」
「──あっ!」

早く外へ、天馬たち仲間の元へ。気持ちが逸ったことも災いしてしまったのだろう、職員の追っ手が迫る中、汗ばみ始めた茜の手からツルリとカメラが滑り落ちる。
カシャン──冷たい床を滑り、カメラが遠ざかる。立ち止まり掛けた茜の手を強引に引きながら、水鳥は視界に入った後ろ姿に咄嗟に声を上げた。

「やめろ葵、戻れッ!!」
「証拠なんですよ!!」

出口を目前に踵を返したのは葵だった。しかしその手がカメラを拾い上げた瞬間、追いついた職員が彼女の腕を乱暴に掴み上げる。
「茜さんッ!!」葵が自由の利く右手で咄嗟にカメラを投げると、茜は反射的にそれを受け止めた。

「葵ちゃん!」
「行って下さい!」

次の瞬間、藻掻きながら叫ぶ葵の姿は、通路の上部から降りてきた隔壁の向こうへ隠された。大方あの場にいた職員がスイッチを入れたのだろう。
鬼道たちは何とか中へ戻ろうと隔壁を手で探り、冷たい表面を叩いたが、鉄製のそれはびくともせずに虚しく固い音を響かせるだけだ。

「葵ちゃん……」
「っ泣くな、茜」

唇を震わせて涙ぐんだ茜の肩を、強い口調で言った水鳥が抱き寄せる。彼女の体もまた、怒りで小さく震えていた。

「兄さん、どうしたら……」
「……空野は、必ず助け出す」

戻ることも出来ない。かと言ってここに留まれば、やがてまた追っ手がやって来るだろう。
煮えくりかえるような悔しさを押し殺し声を絞り出した鬼道は、こちらへ向かっているであろう天馬たちと合流すべく、隔壁に背中を向けた。




真っ暗な洞窟を抜け、鬱蒼とした森を歩く。
眼前に聳え立ったゴッドエデンと呼ばれる施設は、自然に溢れたこの島に存在するにはあまりにも不釣り合いに見える。黒々とした塔のような造形は、要塞そのものだ。

「これが、ゴッドエデン……」
「これはさしずめ、地獄の門ってとこか」

ゆっくりと開いていくスタジアムの扉に、不動が皮肉を込めて呟いた。確かに真っ黒い鋼鉄製の門は、中に潜んでいるもののことを考えれば言い得て妙だろう。

「僕たちは招待されてないけどね」
「それでも行くしかないッス! みんな、トイレは大丈夫ッスか!?」
「そう言ってるお前はどうなんだ」

「大丈夫ッス!!」青年たちに取っては慣れたやり取りも、今の雷門イレブンからすれば十分緊張を解くものになったのだろう。少しだけ落ち着いた様子になった彼らを見て、円堂が先陣を切り一歩進み出た。

「さあ、行くぞ」
「はい……!」




その頃、ゴッドエデン内部の空中楼閣では、幾台もの監視カメラの映像を眺めながら牙山がニタニタと唇を曲げていた。

「いよいよです、イシド様。我らの進めてきたプロジェクト・ゼロ≠フ完成が近付いてまいりました」

仰々しく頭垂れた牙山の視線の先には、玉座のような大きな椅子に腰掛けたイシドが、選手のいない真っ新なフィールドを見下ろしている。
プロジェクト・ゼロの研究は、イシドが聖帝になる以前から進めていたものだ。故に彼はここで研究の為に行ってきた実験のことは、まだ知らされていないことの方が多い。牙山が本部には内密に、才能のある子供を拉致してはこの施設に軟禁している件は特に。
だからこそ、これは好機だ。ここでプロジェクトの結果を提示し、イシドに認められれば、自分は更なる高みの地位を獲得することが出来るだろう。俯かせた牙山は、髭の下で殊更笑みを深くする。

「──楽しめそうだな」

表情を変えず、低い声で囁いたイシドのイヤーカフスがキラリと光に反射する。
監視カメラの映像に、強張った表情の天馬たちと、それを見守る円堂たちの姿が映っていた。




動く通路に運ばれながら、天馬たちは眼下の光景に息を飲んでいた。通路の下には、選手たちを養成する個別の部屋がずらりと並んでいる。
檻に囲まれ、床や壁には何かがめり込んだような跡がいくつも残っている。今はシード候補生たちこそ不在だが、彼らが日頃どれだけ凄惨な特訓を受けているかが見て取れた。

「……ここを無事に出られる者は、極僅かだと聞いたことがある」
「お前もあんな所で特訓してたのか?」

呟いた剣城に、依織が眉を顰める。
剣城はいいや、と一言否定した後、眉間の皺を深めて続けた。

「あそこは、ファーストランク以下のシードたちが入れられる場所だ。俺は……」

そう言えば、いつか誰かが剣城のことをファーストランクと呼んでいた。下手をすれば、自分も今頃あの牢獄に閉じ込められていたのだろうか。
そう考えると依織はゾッとしたが、今は自分1人どころかここにいる雷門イレブン全員がその危機に瀕している。今更恐れている暇などない。

「フィフスセクターは、こんな酷い環境で選手を鍛えていると言うのか……!」

目の前にした現実に、神童が奥歯を噛み締める。
その間にも、通路は雷門イレブンたちを要塞の中心に建つ塔の中へ運んでいく。先の隔壁がせり上がり、そこを抜けた先にあったのは──既に観客席が一杯になった、広々としたスタジアムだった。

「ここが……!」

雷門イレブンたちが入るなり、それまで響いていた歓声が一斉にブーイングへと様変わりする。
一瞬それにたじろいでいると、向かいの入り口からやって来た牙山が嫌らしい笑みを湛えながら野太い声を轟かせた。

「ようこそ、ゴッドエデンへ! 君たちにとっては、スタジアム全員が敵と言うことですねぇ」
「全員が、敵……」

唾を飲み、天馬はスタジアムを見回す。
観客席にいるのは、全員シード──もしくは、シードになろうとしている選手たちだ。黒いヘッドギアを付けた少年たちは、天馬たちに向かって罵詈雑言を投げつけている。

「改めて言うが、この試合で君たちが負けた場合、シードになるための教育を……」
「何度言われても、俺たちの答えは決まってる!!」

牙山の言葉を掻き消して、天馬は撥ね付けるように叫んだ。天馬でなくとも、きっとこの場の雷門イレブンの誰かが同じ事を叫んだだろう。
どれだけ罵られ、アウェーな状況に立たされたとしても、もう二度とフィフスセクターに屈することはしない。
確固たる信念を持ってこちらを睨む雷門イレブンたちに、牙山は口髭を撫で付けながら笑った。

「拒否することなど出来ん。そしてお前たちは、勝たない限りここから出ることも適わないのだ! 出でよ、究極の戦士たち!!」

ぱきん、と牙山の指が鳴ると、それを合図にしてスタジアムの両サイドにあったモニュメントが激しく輝き始める。
2対の光がフィールド上で交差すると、観客席の熱狂は更に大きくなった。天馬たちは眩しさに思わず視界を覆う。目が慣れると、光の中に11人の人影が整列しているのが見えた。

「……!」

光は徐々に収束していき、まず認識できたのは中央に立っていた白竜の顔だった。
しかし、その姿は前回と戦った時の白を基調としたユニフォームではなく、白と黒のユニフォームに変わっている。

「どう言う事だ……?」
「待て。前のチームと何か違う」

訝しげに目を細めた剣城に、依織がすかさず相手選手たちの様相を見て言った。
勿論、11人の中にはアンリミテッドシャイニングのメンバーも入っている。だが、その数は半々だ。ただ、その残り半分にも見覚えがある。けれど、それは。

「……!? シュウ……!!」

不敵な笑みを浮かべる白竜の影から現れたのは、シュウだった。顔を上げた彼は、白竜たちと同じように黒と白のユニフォームを身に纏っている。
動揺に目を見開き、瞳を揺らした天馬が信じられないように口を開く。彼だけではない。整列した半分は、エンシャントダークのメンバーだった。

「何で? 何でシュウがあいつらと……!」
「洗脳されちまってるのかもよ……」

眉根を寄せる天馬に、狩屋が声を掛ける。
けれど、それを聞きつけたらしいシュウは快活に、淀みのない声で言った。

「誤解のないように言っておくけど、僕は自分の意思でこのチームに参加しているんだ」
「っどうしてだよ、シュウ!」

「止まれ、天馬!」声を荒げシュウに駈け寄ろうとした天馬の肩を、依織が押さえる。
ゴッドエデンのチームなのか──彼は最後まで、その問いに答えなかった。つまりは、そう言うわけだったのだ。

「せっかくだ。究極の力を求める我々の計画、プロジェクト・ゼロについて話してやろう」

大仰に身振り手振りしながら白竜とシュウの背後に立った牙山が、天馬たちの反応を楽しむかのように笑いながら語り始める。

「アンリミテッドシャイニングとエンシャントダーク。2つのチームは別々に特訓を行ってきた。君たちが森でエンシャントダークと戦ったのも、計画の一部だったのだよ」
「……!」

その時から、既に。天馬はシュウを凝視した。黒曜石のように黒く輝くその瞳は、何も語ってくれない。
シュウは強くなることに協力してくれた、友達になれたと思っていた。だがそれも、全部嘘だったと言うのか。騙されていたと言う事実に、天馬の心臓が嫌な音を立てる。

「光と影、静と動、プラスとマイナス。この2つが融合した時、究極のチーム──ゼロ≠ェ誕生する!!」

牙山が両手を広げると、白竜とシュウの体から爆発的な闘気が噴き出した。
一方は白い光、一方は黒い闇。混ざり合った2つの闘気は弾けて、周囲に圧力を掛ける。
シード候補生のフィフスコールが沸き上がる中、スタジアムの壁の一部が開き、中から小さな檻がせり出てきた。

「天馬ァーッ!!」
「葵!?」

檻に閉じ込められていたのは葵だった。鉄格子を揺らし、葵は眼下の天馬に向かって叫んだが、空中の檻はビクともしない。

「葵に何してやがんだこの筋肉髭達磨!!」
「汚い真似を……!」

目を見開いた依織の暴言も、風丸の軽蔑を込めた眼差しも、牙山は取るに足らないものだとでも言いたげに髭を撫でて笑うだけだ。

「円堂!!」
「鬼道、みんな……!」

そこに駆けつけてきたのは、包囲網をかいくぐりどうにかスタジアムに入ってきた鬼道たちだった。
鬼道は風丸たちがこの場にいることに目を見開いたが、一瞬で気を持ち直し頭を振る。

「すまない円堂、俺がついていながら……!」
「……今は、雷門の戦いを見届けよう。この天馬たちの一戦に、サッカーの未来が掛かっている──そんな気がするんだ」

険しい表情で、円堂はチームゼロを振り返った。
春奈や水鳥、茜たちは戻ってきた。あとは囚われている葵だけ。彼女を助け、天馬たちを雷門に無事帰らせなければならない。ホーリーロードも、まだ終わってはいないのだ。

「さあ、始めるぞ!! プロジェクト・ゼロ、最後の仕上げを!!」
「はい!!」

声を張り上げた牙山に、ゼロイレブンたちが応える。
目を爛々と輝かせ、敵意を露わにする彼らに、雷門イレブンも向き直った。

「今度はこの前のようには行かないぞ!!」
「フン……! 思い知らせてやるぞ。常に頂点を目指し続けてきた、俺たちの力を!!」

吼える神童に、鼻を鳴らした白竜が揚々と胸を聳やかす。気を高ぶらせる白竜とは対照的に、彼の隣に立つシュウはあくまで落ち着き払っている。

「天馬。サッカーは人の価値を決める道具でしかない。力がなければ、大切なものさえ守ることも出来ないんだ!」
「シュウ……!」

天馬は怯んだように表情を強張らせて、ちらりと上を仰ぎ見た。
檻に閉じ込められた葵は、不安げにこちらを見下ろしている。力がなければ大切なものさえ守れない──シュウは今、それを証明しようとしている。天馬たちを打ち負かすことで、力こそ絶対だと言うことを見せつけようとしている。

「(確かに、ここで勝たなきゃ葵は助けられない。革命だって成し遂げられない。でも、俺は……)」
「天馬!」

ばん、と突然思い切り背中を叩かれる。
勢い余って前につんのめり、咳き込みながら振り返ると、依織が仁王立ちして天馬を見下ろしていた。
──依織も、今朝からどこか様子がおかしかった。正確に言うと、昨晩シュウの話をしてからだ。何か思い詰めているような表情をしていた。けれど今は、そんな面影は一欠片もない。何もかも吹っ切れたような顔で、依織は闘争心に瞳を燃やしていた。

「悩む事なんてないだろ。あいつらを蹴散らして、葵を助けて雷門に帰る。それだけだ」
「──うん」

差し出された手を取ると、ぐんと勢いよく体を引っ張り起こされる。
しっかりと立ち上がり、数度深呼吸を繰り返すと、気持ちも落ち着いた。揺らいでいたものも、霞掛かっていたものも、全部。

「葵は絶対に助け出す。……シュウにも、ちゃんと俺の思うサッカーが何なのか、伝える」

「そうこなくっちゃな」ニタリと、依織はいつもの笑みを唇に浮かべる。力強く頷いて2人は拳を突き合わせた。