ゴッドエデンでの目まぐるしい3日間を経て、雷門イレブンは無事本島に戻ってきた。
あの島での牙山たちの非道な行いはすぐにでも公になるだろう。そうすれば選挙を待たずしてイシドを聖帝の椅子から引きずり下ろすことが出来るかもしれない。
そう天馬たちは踏んでいたのだが、事が上手く運ぶことはなかった。どうやらフィフスセクターの行動が一足早かったようで、警察の一部にも取り入っていると言う依織の言葉通りあの件は方々からの力で完全にもみ消されてしまったらしい。
茜のカメラも意味を成さなくなってしまった、と葵が悔しげに眉根を寄せていたことは記憶に新しい。
結局、現状は何も変わらないまま厳しい特訓や戦いの中で負った傷も癒えて、彼らがやっといつもの日常へと戻ってきた3日後のことである。
「剣城ってさぁ、いつもどうやって化身出してる?」
「……あ?」
まだ生徒も疎らな早朝、朝練の時間。
ぼん、とボールをトラップして一旦止めた剣城は、依織から投げ掛けられた今更な質問に眉を顰める。
彼女がまだ化身を出せる前ならともかく、今の依織は化身を自由に顕現できるようになった立派な化身使いだ。今になって気になることでも出来たのだろうか。その疑問を視線から察したのか、依織はゴール付近──天馬とボールを競り合っている信助を顎で指した。
「信助に自分も化身を出せるようになりたいから、コツを教えてくれって聞かれてな。でも言葉じゃ上手く説明できなくてさ」
「それは……まぁ」
一瞬考え込んで、剣城は諦めた。どうすればランスロットを顕現出来るか、それはもう体が覚えている。けれどそれを他人にも分かり易く説明しようと考えると、どうしても言葉が出てこない。
「やっぱり剣城でも無理かぁ。何の気配もない今の段階じゃ共鳴反応も意味ないだろうし」
「地道にやってくしかないだろうな──っと、悪い」
軽く蹴り返したボールが依織の横をやや高めな放物線を描いて飛んでいく。
それを走って追い掛けようとした依織は、数歩足を踏み出したところで「イテッ」と顔を顰めた。
「……依織」
「あ〜、はい! 分かってますよ!」
直ぐさま飛んできた鬼道の険しい声に、依織は嫌そうな顔で空を仰ぎゆっくりとボールの転がったところまで歩いて行く。
やや気遣わしげな視線を向けてきた剣城に、ボールを抱え溜息交じりに戻ってきた依織は片目を眇める。
「……大丈夫か」
「剣城まで……大丈夫だって、みんな大袈裟にし過ぎなんだよ」
肩を竦め、依織は頭を振る。
それと言うのも、彼女はゼロとの戦いで背中の筋を痛めてしまったようで、病院に──鬼道に連行されたと言っても過言ではない──行ったところ、1週間は安静にするようにと釘を刺されてしまったのだ。
試合中に痛みを感じなかったのはアドレナリンが迸っていたからだというのは依織本人の弁である。
とは言え、じっとしていられないのが依織の性分と言うもので、軽いパス練習くらいなら参加しても良いと鬼道から言質を取ったのはほんの10分前のことだ。
「1週間って長いよなぁ。そのせいで次の試合もベンチなんて……」
「──怪我が治るまでの話だド。それくらい我慢しろ」
ふいに背後から落ちてきた暗い声に、2人はギョッとして振り返る。
語尾から察してはいたが、そこにいたのはやはり天城だった。けれど、声の気配以上に彼の表情は暗い。どうやらただ依織を叱咤するつもりで声を掛けたわけではなかったらしい。
「何だ……? どうしたんだ、天城先輩」
「少し気が立ってるんだ、気にしないでやってくれ」
思わず呟いた依織の肩を、追い越し様に車田が軽く叩いて行く。
はぁ、と気のない返事を返して、2人は肩を落とし気味な天城の後ろ姿を見送った。
「次の対戦相手が決まった」
時計の針は進み、夕方の部活動の時間。
ミーティングルームに揃った雷門イレブンたちの顔を見回すようにして、鬼道が口火を切る。
「次の相手校は幻影学園≠セ」
「げ、幻影学園?」
突然、腰を半分椅子から浮かした天城に自ずと仲間たちの視線が向く。
「天城?」三国の怪訝な声に我に返ったのか、直ぐさま何でもない、と答え天城は大人しく席に戻る。一部始終を見守った春奈が、ノートパソコンのキーボードを叩きながら口を開いた。
「幻影学園は、優れたテクニックを持つチーム。そのプレースタイルは、マジシャンにも例えられるわ」
説明と共に、目の前のスクリーンに幻影学園の選手データをまとめたパワーポイントが表示される。
「──彼がキャプテンで、エースストライカーの真帆路正くん。最強の必殺技を持つプレイヤーだと呼ばれているわ」
拡大されたのは、ピンと尖った耳が特徴的な赤髪の少年だ。真顔でカメラに写る彼の相貌には、大凡感情というものが感じられない。
「彼の別名は笑わないストライカー=Bどんな時も、シュートが決まった時でさえ、感情を出さないそうよ」
「笑わないストライカーってんなら、ウチにもいるけどなぁ」
な、と浜野が叩いたのは隣の席に着いた依織の肩だ。
失礼な、と鼻に皺を寄せながら浜野の手を払ってぐいっと口角を持ち上げてみせる。
「誰が笑わないストライカーですか。ほら、笑ってるでしょニッコリ」
「お前のそれはニッコリじゃない、ニヤリだ」
呆れた様子の倉間が突っ込むと、それで?と後ろの席にいた狩屋が依織の方へと身を乗り出して来た。
「依織ちゃん側からの情報は? 何かあるんだろ?」
「……ない。もう試合相手の情報は貰えないんだ」
途端、唇を尖らせ不機嫌そうに答える。何故、と誰かが問い掛けるよりも先に、前方に立つ鬼道が口を開く。
「先日のゴッドエデンの件で、フィフスセクターが予想していた以上に方々に力を伸ばしていることが分かったからな。今はそちらを探ってもらっている」
試合を重ねるに連れ、あちらから流れる情報は少なくなっていた。ここが潮時だったのだろう、と付け加えた鬼道も心なしか機嫌が悪くなったように見える。
あまり2人をこの件で突かない方が良さそうだ。瞬時にそう判断した神童は、改めてスクリーンに目を向ける。
「笑わないストライカー……感情をコントロールすることで、常に冷静な判断をすることが出来る、か」
「次の試合も、一筋縄では行かないだろうな」
呟いた神童に応じた霧野の声が、ミーティングルームに漂っていた緊張感をより張り詰めたものに変える。
そんな中、天城が1人周りとは違う様子でスクリーンに映る真帆路を見つめていることには、誰も──否、影山以外誰も、気付かない。
「(真帆路……)」
他の仲間たちが天城の変化に気付いたのは、その後の練習中の時間だった。
「止めろ、天城!」
「っ!」
ミニゲームの最中、三国の張り上げた声に天城の肩が大きく揺れる。明らかにゲームに集中していなかった反応に、三国は怪訝そうな表情をした。
「いただきッ!」
「あ……!」
呆然とした天城の横を、ボールをドリブルした狩屋がするりと駆け抜けていく。
半身を捩ってそれを見送りしか出来ない天城に、ついに鬼道が立ち上がった。
「──天城。グラウンドから出ろ」
「っすみません!! もう一度……!」
「今日は帰れ」
取り付く島もなく、天城が言い終えるより先に畳みかけた鬼道は再度ベンチに腰掛ける。
ああなればもう、どんな弁明も聞いて貰えないだろう。天城は頭垂れたまま頷いた。
「……っわかりました……」
とぼとぼとスタジアムから出て行った天城の代わりに、指示を受けた青山が少しおどおどとした様子でフィールドに入る。
「鬼道監督、どうして……」
「いつもの天城さんじゃなかったからだ」
扉の向こうへ消えた天城に対し、呟いた天馬に神童が難しい顔で答えた。
みんな天城の様子が気になったのだろう、ゲームを中断して神童と天馬を中心に仲間たちが自然と集まっていく。
「ここのところ、悩んでいるみたいだな……」
「先輩たち、気付いてたんですか? なら、どうして……」
「話せるなら、とっくに俺たちに話してるさ」
緩く頭を振って、車田はピタリと閉じた扉に視線を向けた。
元々、天城は感情に左右されやすい性格の人間だ。木戸川清州との試合でレギュラーから落とされたこともまだ引き摺っているのだろう。
加えて、先程のミーティング。
『げ、幻影学園?』
──あの時の天城は、誰がどう見ても様子がおかしかった。
「多分、今あいつが抱えてる問題は、あいつ自身で解決するしかないんだろう」
ぽつりと呟く車田も、分かり難くはあるが悔しそうだ。友人の悩みの解決を手助けできない歯痒さがあるのだろう。
釣られたように肩を落とす三国を見て、1人──輝がぐっと拳を握り締めた。
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天城が不在の中、どこか重苦しい雰囲気のままその日の練習は終わった。
夕日が差し込み、赤く染まった病院の廊下を依織は剣城と並んで歩いて行く。
「──じゃあ、今日からリハビリなのか」
「ああ。まだ少しの時間だけしか出来ないらしいが……」
周りの迷惑にならないように配慮して、2人はなるべく小さな声で会話する。夕日に照らされた剣城の横顔は穏やかで、ハッキリと言葉にせずとも優一の体調が良いことを喜んでいるのは明白だった。
「じゃあ、今日は優一さんに着いててやれよ」
「あ? でも──」
大丈夫だって、と依織は剣城の横っ腹を肘で小突く。
剣城がわざわざタイミングを見計らって依織と放課後を過ごすようにしているのは、フィフスセクターの誘拐未遂があったせいだ。
しかし、あれが牙山の指示だった以上、あの様な暴挙に出る職員は恐らくもうフィフスセクターの内部にはいない。彼女の放課後の安寧は、既に戻ってきているのである。
「何だ? 私と一緒に帰りたいの、剣城クン」
「…………馬鹿か」
途端、苦虫を噛み潰したように眉間に皺を寄せた剣城の平手が軽く依織の額を叩く。
お返しに眉間を指で思い切り押してやって、一頻り無言で押し合いへし合いして少し疲れた後、2人はようやく別れた。
「はぁ……太陽〜、いるか〜?」
ガラリと扉を開けるも、ベッドはもぬけの空だった。首を傾げ、依織はくしゃりと中途半端に捲れた掛け布団を直す。
ベッドはまだ温かい。今日は検診の日だと聞いていたから、もうそちらに行っているのかもしれない。
タイミングが悪かったな、と踵を返した時だ。
「太陽くーん、検診の時間…………あら、依織ちゃん。いらっしゃい」
「あ、冬花さん」
クリップボードを片手に入ってきたのは太陽を担当している看護士の冬花だ。彼女が数歩病室に入って首を傾げたところで、依織はハッとする。
「〜〜あいつ!! また逃げたな!?」
「──うーん、今日はちょっとタイミングが悪かったな」
一方、ほぼ同時刻、病院の中庭。てくてくと歩きながら、天馬は溜息交じりに呟く。
ふと思い立って、しばらく前に知り合った優一の見舞いに来たのは良かったが、彼は今日からリハビリが始まったらしく一足先にやって来ていた剣城の手を借りて懸命に足を動かしている最中だった。
頑張っている兄弟に水を差すわけにもいかない。天馬はしばし2人の様子を見守って、無言でその場を去ったのだ。
「(元気そうで良かった)」
噴水の周りを、退院間際であろう寝間着姿の子供が2人楽しそうに走り回っている。
追い掛けているのは天馬の部屋に飾ってあるのと同じサイズのサッカーボールだ。微笑ましい気分でそれを眺めていると、突然後ろにあった植え込みがガサガサと大きな音を立てる。
「──うわぁッ!?」
「おわ!?」
どん、と背後からの衝撃に仰向けに倒れた天馬は芝生で強かに後頭部を打つ。鈍い痛みに顔を顰めながら目を開くと、自分を押し倒したらしい寝間着姿の少年が慌てて謝ってきた。
「ごめん! 大丈夫?」
「な、何とか……」
芝生が柔らかかったお陰で、痛みはするが特に怪我はしていないらしい。
ちょっと勢い余っちゃって、と頭を下げる彼の頭には、緑の葉が絡まっていた。猫か何かと思ったが、植え込みに隠れていたのはこの少年だったらしい。
「君──」
「あっボールが!」
口を開くと、同時に子供の焦ったような声が重なってくる。
思わずそちらに目を向けると、ボールが高く飛んで噴水の真上に落ちようとしていた。夕日を受けて落下していくボールに、自然と体が動く。
「肩借りるよっ」
「おわ!?」
けれど、ボールを追って足を踏み出した天馬の肩を踏み台に、同時に跳び上がった少年が更に高く跳ぶ。
驚く彼の頭上で、少年は軽やかに空中で体勢を立て直しボールを雑木林の中に蹴り込んだ。
「あっ……危ない!」
その鮮やかな動きに感心したのも束の間、木で跳ね返り軌道を変えたボールが病室の窓へ一直線に飛んでいく。
あわや窓ガラスにぶつかってしまう寸でのところで、天馬はボールとの間に体をねじ込んでそれを受け止めた。
1度軌道が変わったにも関わらずボールの威力は落ちていない。着地した天馬は、思わず興奮した面持ちで少年を見る。
「……!」
「あっ」
駈けてきた少年はボールを片足で持ち上げると、挑発的な笑みを天馬に向けて走り出した。
やろうよ──声に出さずともその意図を汲み取った天馬は、すかさず目を輝かせ彼を追い掛ける。
精密なボール捌き、トリッキーな動き。どれを取っても申し分ない。天馬は1つ息を整えると、一気に加速した。
「あっ──」
すぱ、と小気味良い音を立てて攫われていったボールに、少年が目を瞬く。
にっこりと笑った天馬に、彼もまた清々しい笑みを浮かべた。
「やるね!」
「君こそ! ……っと、ボール返すね!」
そこでようやくボールの持ち主の存在を思い出した天馬が振り向くと、子供たちはそんなことは意にも介さなかったようで「格好良かった!」とキラキラとした視線を向けてくる。
こそばゆくなって照れ笑いしながら子供たちを見送っていると、少年が天馬のジャージを見て声を上げた。
「君、雷門中の選手だね?」
「うん!」
頷くと、彼はやっぱり!と顔を綻ばせた後すぐさま唇を尖らせる。
「いいなー、思う存分サッカーが出来て! 僕入院中でサッカー止められてるんだ」
「えっ?」
その事実に、天馬の顔は一転青ざめてしまう。入院中というなら、先程の彼の動きはかなりの負担になるのではないかと気付いたのだ。
「じゃ、じゃあこんなことしたら良くないんじゃ……」
「良いの良いの、たまにはね」
天馬の心配を他所に、彼はあっけらかんと笑う。
その様子に無理をしているわけではないらしいと察した天馬は、安堵しながら改めて名前を聞こうと口を開いた。開いた、のだが。
「たぁいよぉお!!」
「ひぃッ!?」
突然中庭に響いたドスの利いた声に、2人は一緒になって身を竦める。
反射的に声のした方を見ると、中庭の入り口で仁王立ちになり肩で息をする依織の姿があった。
「げっ……依織……!」
「依織? ──え、依織??」
何で、と問う間もなくドスドスと足音荒くこちらへやって来た依織は、問答無用で太陽の耳を思いっきり抓った。
「お前はまた! 性懲りもなく病室抜け出して!!」
「いたたたただ! だって、寝てばっかで退屈なんだよ!」
悲鳴を上げる彼──太陽に構わず、依織は「冬花さん、見つけました!」と顔を顰めたまま声を上げる。
白衣姿の女性が駆け足でやって来たところで、彼女はようやく呆然とする天馬の存在に気が付いた。
「──あれっ。何でお前がここに?」
「お、俺は剣城のお兄さんのお見舞いに……それより、依織の知り合いだったの?」
ああ、と答える依織の手は、まだ太陽の耳を引っ張ったままだ。とは言え流石に力一杯摘まむのは止めたらしく、若干の余裕を取り戻した太陽が頷く。
「僕ら、幼馴染みなんだ。あ、僕の名前、雨宮太陽。よろしくね天馬!」
「あ、う、うん。よろしく」
「太陽くん! 病室に戻るわよ!」
これもまた足音荒く、冬花が相当怒った様子で太陽を迎えに来る。
再び体を捩って逃げ出そうとする太陽に、依織は真顔でヘッドロックを掛けた。
「どーぞ、冬花さん」
「ありがとう、依織ちゃん」
踏まれた蛙のような呻き声を漏らす太陽を引き取った冬花は、「もう逃げちゃダメよ!」と釘を刺して院内に戻っていく。
太陽は彼女に引っ張られながら、最後に「天馬!」と大きく声を上げて振り返った。
「退院してサッカー出来るようになったら、一緒にプレーしようよ!」
「! うんっ!」
次の試合も勝ってくれよ、2人とも──そんな声を木霊させながら、太陽は今度こそ病室に戻って行った。
太陽≠ニ言うより、嵐≠フようだったな。そんなことを言いながら天馬は改めて溜息を吐いている依織に視線を投げ掛けた。
「あの、依織……あの子、すごく元気に見えたんだけど、ホントに病気なの?」
「え? ──ああ……あんなんでも一応な。よくああして病室抜け出すんだ」
毎回探しに行くこっちの身にもなれば良いのに、と依織は呆れているものの、純粋に彼を心配しているのだろう。天馬はまた1つ友人の知らなかった部分を知れた気がして、少し嬉しくなった。
「まぁ、時々遊びに来てやってくれよ。201号室が太陽の病室だから」
「うん、そうする」
そのまま彼女は、背中の痛み止めの薬を貰わないといけないから、と中庭を後にする。
天馬が何故名乗る前から太陽が自分の名前を知っていたのかと言う疑問を抱いたのは、木枯らし荘に帰った頃だった。