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数年前、天城がまだ小学生だった頃の話である。

彼はクラスのいじめられっ子だった。図体が大きな割に気が小さい、臆病者だとからかわれ、抵抗する力も度胸もまだ持っておらずされるがままだった天城は、正にいじめっ子の格好の的だった。

それを助けてくれたのが、同じクラスの真帆路だ。

『天城をいじめるな!』

彼は1人で複数人のいじめっ子たちを追い払い、天城の手を引いてくれた。彼の友人である隣のクラスの香坂とも親しくなり、次第に天城は明るくなっていった。
毎日放課後になれば3人でサッカーをした。日が暮れて公園の遊具たちが茜色に染まりきるまで遊び回った。家に帰れば、また2人に会える次の日が待ち遠しかった。

けれど、いつもと違う次の日≠ヘある時唐突に訪れる。

『──もう、おれに話しかけるな』

何の理由があってか、真帆路が突然天城を避けるようになったのだ。勿論天城もそれを問い質そうとしたが、真帆路は彼を突き放すばかり。香坂もまた、悲しそうに首を振るだけで何も教えてくれなかった。

やがて天城は家の事情で東京に引っ越すことになり、真帆路や香坂とはそれきり会うことはなくなった。




「(……そう、思ってたんだド)」

ジャグを持つ手が僅かに震える。仲間たちの輪から外れた場所に座りこんだ天城は、背中を丸め奥歯を噛み締める。

──同じだった。幼い頃最後に見た真帆路の目と、試合で見た真帆路の目。冷たく、何もかも捨てたような目。昔はあんなに正義感に溢れ表情豊かだった彼が、今は笑わないストライカーなどと呼ばれていることが天城はまだ信じられない。

お前には、革命なんか無理なんだよ──脳裏に甦るその声に、天城は眉間に皺を寄せる。

「……無理じゃないド。絶対に……!」

言い聞かせるように低く呟いた、その時だ。

「天城先輩……」

聞き慣れた控えめな声に、天城はハッと顔を上げる。見れば、いつの間にか傍らに来ていた輝が固い表情で自分を見上げていた。
お話があるんです、と更に声を落とした輝は、そっと彼に耳打ちする。

「……!」
「天城、どこ行くんだ?」

小さな目を見開いた天城が慌てた様子で入場口へ走って行くのを目に留めた車田が、咄嗟に声を掛ける。天城は「と、トイレだド!」と肩越しに振り返りつつ返し、そのまま走り去って行った。

その背中を見送り、ほっと息を吐いた輝の背後へ一つの影が忍び寄る。

「ひーかるっ」
「うぎぃッ!?」

突然後ろから肩を掴まれた輝は、飛び上がりそうになって奇声を上げる。ドッドッと早鐘を打つ心臓に冷や汗を掻きながら振り返ると、そこには片手にジャグを抱えた依織がいた。

「お前の用事はあれで済んだの?」
「あ──う、うん。多分……」

彼女には何も話していないはずなのに、見透かしたような口振りだ。いや、実際見透かしているのだろう。依織に嘘は通じないのだと、輝は天馬や葵から聞いていた言葉をやっと痛感する。

「大丈夫……だと、思う……」
「何だよ、やけに自信無さげだな」
「だって……」

依織から渡されたジャグを握り締めて、輝は不安げに俯いた。

真帆路の声は、天城だけでなく輝にも聞こえていた。この問題は、天城のものであると同時に真帆路の問題でもあるのだ。氷のように冷えきったあの声。あれを聞けば、溝は一生埋まらないのではないかと疑ってしまう。

それから5分としない内に、天城は神妙な顔つきを携えて戻ってきた。
輝は依織の一瞥を受けて、困った様子で首をかしげる。やはり一筋縄では行かないと言うことだろうか。やがて全員が揃って十分な休息を取ったことを確認した鬼道が、声をやや張り上げた。

「みんな聞け。後半からの指示を伝える」
「! はいっ」

集まった選手たちを前に、鬼道の隣に立つ春奈が彼らに見やすいようノートパソコンを開く。
画面一杯に再生されたのは、つい先程まで繰り広げられていた前半戦だ。ただ一つ気になる点を挙げるなら、そのフォーカスが選手ではなくフィールドのギミックに合わせてあることだろう。
ここだ、と鬼道が止めたのはバンパーが迫り上がる瞬間だ。

「バンパーやポールが反応するまでには、一瞬だがタイムラグがある」
「タイムラグ?」
「ああ。そうだ」

おうむ返しした天馬に頷きながら、鬼道は映像をスロー再生する。選手たちは改めて、その瞬間をじっくりと観察した。

「センサーがボールや選手を捉えてから、実際に作動するまでの僅かな時間だ。その一瞬を利用する」
「どういうことです……?」

にたりと鬼道は不敵に口角を持ち上げる。
次に飛び出した指示に、彼らは一様に瞠目した。




ハーフタイムを終え、選手たちはフィールドへ駈け戻っていく。
それを見送り、鬼道は肩越しにベンチの控え選手たちを振り返った。

「お前たち、良いな。いつでも出られるよう、しっかり準備をしておけ!」
「はいっ!」

今回の作戦はいつもとはまた毛色が違う。選手を交代せざるを得ない場面が必ず出るだろう。彼らの表情もより引き締まる。

ホイッスルが鳴り響き、仲間たちが見守る中後半が開始された。
ボールは神童から天馬へ渡る。猛然と迫る真帆路に、辺りをさっと見回した天馬はサイドを走る剣城へとボールを送り出した。
剣城がいるのはバンパーの目と鼻の先だ。今はフィールドに沈んでいる状態だが、剣城がシュートを打てばギミックが反応し、ボールは弾かれてしまうだろう。

「ふん……! バンパーの前じゃ、すぐには攻撃できないぞ」
「今だ!!」

キーパーの虚木が鼻を鳴らしたその瞬間、鬼道が鋭く声を張り上げた。それとほぼ同時に、跳躍した剣城の強烈な一撃がボールに叩き込まれる。

「デスドロップ!!」

間髪入れず放たれたシュートは、バンパーに弾かれる──幻影イレブンの誰もが、監督の宝水院さえもがそう思っていた。
勢い良く迫り上がったバンパーは剣城の前髪を掠め、彼の視界を隠す。けれどボールはどこにも弾かれていない。

あろうことか、バンパーが起動したのはシュートがその上を通過した直後だったのだ。

「何だとッ!?」

当然そんなことを予想もしていなかった虚木は、ギョッとしながらも咄嗟に右手を構える。

「くそっ──かげつかみ!!」

虚木は必殺技を繰り出したが、時既に遅し。地面から現れた影は空を掴み、剣城のデスドロップは幻影ゴールに突き刺さる。

「やったぞ剣城ー!」
「ふっ……」

完全に相手の不意を突いたゴールに、興奮した様子の天馬が拳を振り上げる。それまでピンと気を張り詰めていた剣城も、僅かばかりに表情を緩めた。

「至近距離から超高速シュートを打てば、バンパーが反応する前にボールが通過する。相手ディフェンスは、バンパーがあるために油断して隙が出来るんだ」

剣城が一番適任だな、と腰掛けた鬼道は満足げに口角を上げる。
ちらりと幻影学園のテクニカルエリアに視線をやれば、それまで余裕綽々と言った様子で試合を見守っていた宝水院がわなわなと唇を震わせていた。

「く……っまさか失点するとは!」

「真帆路!」短く名前を叫ばれた真帆路は、そちらを向くことなく小さく頷く。
その瞳から冷静さは消え、爛々とした好戦的な光が宿っている。固く結ばれた唇は、彼が焦りを覚えた証拠だった。

その動揺は仲間たちにも伝わり、プレーにも綻びが見え始める。その好機を神童は見逃さない。
試合が再開されると同時にボールを奪取した神童は、攻め込むぞ、と仲間たちに吼えた。

「浜野!」
「おー!」

神童からボールを受け取った浜野が、軽やかな足取りで走り出す。
そこへ突進してきたのは真帆路だ。横っ飛びに繰り出されたスライディングはまるで弾丸のようで、的確に浜野の足を抉る。

「ぐぁ──」

その拍子にボールはライン外へ放り出され、勢い良くフィールドに転がった浜野が、喉から絞り出すような声を上げた。
ファウルのホイッスルは鳴らない。けれど、真帆路のあまりに危険なプレーに雷門イレブンたちにも動揺が走る。

「俺たちは、絶対に勝たなくちゃならないんだ。フィフスセクターのサッカーを続けるために……!」
「真帆路……本当にそれがお前のサッカーなのか……」

肩で息をしながら呟いた真帆路の横顔に、天城は呆然とする。こんなんじゃなかった。俺の友達は、こんなサッカーをする奴じゃなかった──天城のそんな表情から逃れるように、真帆路は彼に背を向けた。

「大丈夫か、浜野!?」
「ん、んー……何とかね」

神童の手を借り、足の具合を確かめるように立ち上がった浜野はひきつった笑みを浮かべる。
審判は浜野が再び歩き出したのを確認すると、試合再開のホイッスルを鳴らした。

天馬のスローインを受け神童が走り出すが、その一瞬の隙を突き体を捩じ込んできた相手MFの小鳩がボールを奪っていく。
「真帆路さん!」小鳩からのパスを受け、ゴールを狙う真帆路の進路へ浜野が立ちはだかった。

「通しちゃダメっしょ……!」

だが、足を踏み込みいざ走り出そうとした浜野の様子が急変する。
ぐう、とまたもや喉から絞り出すような声を漏らし、片膝を押さえその場に踞ってしまったのだ。

「浜野先輩!?」
「ふん──」

動けない浜野やその様子に動転する天馬らを尻目に、真帆路はゴールを目前にして一気に闘気を練り上げる。
頭上に現れる烏の翼を模したマント。魔女のような杖を振りかざし顕現したのは、妖艶な女性の姿をした化身だ。

「《幻影のダラマンガラス》!!」

紫のルージュを引いた唇から甲高い笑い声を響かせながら、ダラマンガラスはマントを翻す。
「やらせんぜよ!!」そこへ中盤から駈け戻ってきた錦が、こちらも負けじと化身を発動した。

「来い、《戦国武神ムサシ》!!」
「邪魔だ……!」

甲冑を響かせ、刀を構えたムサシにダラマンガラスが杖を向けると、たちまち飛び出してきた鈍色のもやがムサシを呑み込み、押し潰す。

「ダンシングゴースト!!」
「ぬぁあっ!?」

ぱん、と弾けるようにムサシが霧散すると、それに繋がっている錦の体も衝撃で吹き飛ばされてしまう。
後方にまで転がっていった錦に代わり、天城が巨体を揺らし真帆路の眼前へ飛び出した。

「俺が止めるド!!」
「臆病者が出しゃばるな!! 雷門の反逆を終わらせる……! それが幻影学園の使命なんだ!!」
「ッ本気でそう思っているド!?」

声を枯らしながら叫んだ天城が必殺技万里の長城を発動させると同時に、真帆路は壁に隠れたゴールへ向けて渾身のシュートを放つ。。
ダラマンガラスによってパワーの上乗せされたシュートは、天城の造り上げた石壁さえもぶち抜いた。

「くそ──!」

とっさに狩屋がハンターズネットを繰り出すも、真帆路のシュートは止まらない。ネットを破り、迫るシュートに三国が構えた。

「任せろ! フェンス・オブ・ガイア!!」

がん、と轟音を上げゴールの前に迫り出してきた岩山は、二人のディフェンスで威力の弱まったボールを弾く。
それをすかさず車田がクリアすると、天城と狩屋はホッと安堵の息を吐いた。

「助かったぜ、みんな! ナイスディフェンスだ!」
「三国こそ、とく止めたド!」

互いを激励しあう天城たちに、真帆路は腹立たしげに舌を打つ。
その一方では、相も変わらず中々立ち上がることのできない浜野に天馬と神童が駆け寄っていた。

「大丈夫ですか、浜野先輩!?」
「ちゅーかさ、膝に力が入んなくて……」

見れば、浜野のこんがりと日に焼けた膝小僧が赤黒い色に変色してきている。十中八九、先程真帆路から受けたスライディングが原因だろう。
痛ましげに目を細めた神童がテクニカルエリアを振り返ると、それを受けた鬼道がベンチの控え選手たちを振り向いた。

「……青山、準備は出来ているな?」
「はっ、はい!」

名指しされた青山がハッと鬼道を見上げる。
期待に輝く瞳に、鬼道は力強く頷いて見せた。

「よし、行け!」
「はいッ!」

勢い良く立ち上がった青山の肩を、やったな、と一乃が叩く。まるで自分のことのように喜ぶ友人に、青山もまた弾けるような笑顔を向けた。

「頑張れ、目一杯プレーして来いよ!」
「ああ!」

雷門イレブンが廃部直前まで追い込まれるまで二軍の選手であり、他校との練習試合が主で大きな公式大会には参加経験がなかった青山にとって、これが晴れ舞台だ。緊張よりも喜びが勝る。
喜び勇む青山の次に、鬼道は輝へ視線を向けた。

「影山」
「! はいっ」

輝がそれまでつぶさにフィールドのギミックを観察していたことを、鬼道は理解している。ならば、やることは一つだろう。

「お前のキック力で、流れを引き寄せろ」
「はい!!」

跳ねるように立ち上がった輝の背中に、頑張れよ、といつもの軽い調子で声を掛けたのは依織だ。足を組み、輝を一瞥した彼女は鬼道とよく似た笑みを向ける。

「ついでに、気合い入れ直してやってこいよ」
「──うん」

依織の言わんとすることが分かったのだろう。頷いた輝は、青山と共にテクニカルエリアを飛び出して行った。